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第3話:膿と芽5

 本陣を退げる―――そう言った、アリッサの選択は、少なからずドラグレアの面々を驚かせた。


「マジか!村人の矢盾ごと一斉に退げるのか?」


 まずはトロワが驚きの声を上げた。彼は結団時からの古参だが、アリッサが陣を退げたという記憶がない。本陣を退げる―――すなわちそれは『敗北』をも意味しているからであった。


「そうだ。もはや打つ手なし、と見せかけて、陣を少しずつ―――最終的には『西の村』の東端まで退がり、逃げ場のない『東の村』の廃墟を背に、背水の陣を敷く!」


「なるほど、そういう事ですか」


 聡明な分析力を持つ、団の諜報担当マルコは、策の狙いを理解したとばかりに、ポンと手を打った。


「どういう事なんだよ」


 まだ後退の真意が掴めないトロワは、『教えてくれよ』とばかりにマルコに詰め寄る。モルガンはその滑稽な仕草を見ながらニヤニヤしている―――口に出さずとも、彼も『背水の陣』の狙いに気付いているのだ。


 困った顔をしながら、マルコが『私が答えても、よろしいのでしょうか?』と目で語りかけると、アリッサはクスクス笑いながら『構わん』と、これも目で答えた。その間も、詰め寄るトロワに辟易していたマルコは、姿勢を正すと、


「つまりですね、段階ごとに陣を退げれば、野盗の方も弓の射程を確保するために、こちらが退げた分だけ、陣を押し出してきます。これは弓戦では常道です」


 と、誰が聞いても必ず理解できる様な、丁寧な組み立てで、策の解説を始めた。その分かりやすく簡潔な言葉選びにトロワも、ウンウンと頷きながら聞き入っている。


「だが陣を押し出すといっても、長弓の最大射程までです。おそらく一〇〇の距離を保ったまま、退がる、近付く、退がる、近付くを、繰り返すでしょう―――ですが、こちらがもう退がれない所まで退がれば……どうなります?」


「おお、なるほどな!」


 マルコは片方の手を自軍、もう片方の手を野盗団に見立てて、その手を順々に移動させながら、各々の距離感を説明した。そのイメージに、ついにトロワも後退の真意を理解し、膝を叩いた。


「あとは野盗どもは、俺たちに近付くしかねえって事になるな!」


「その通りです!一〇〇の距離を切れば、敵の大将を射撃する機会が訪れます」


 自身の説明に納得したトロワを見て、詰め寄られたマルコは、ホッと胸をなでおろした。


 だが、その説明に納得し切れないダイヤは、「ちょいと、いいかい?」と前置きすると、自身の抱いた疑問について語り始めた。


「確かに、こっちが退がり切れば、野盗は一〇〇の距離を越えて、こちらに詰めてくるだろうよ。だけど大将が一〇〇の距離に―――長弓の届く距離まで出てくる確証があるかい?」そして険しい目付きで「警戒して、その後ろにとどまっている事は考えられないかい?」と、言いづらそうに言葉を繋いだ。


 昨夜の一戦で、観測手トロワと組んで、百発百中の見事な長弓射撃を演じた、ダイヤならではの疑問だった。確かにその射撃を恐れて、部下だけを押し出して、大将自身は長弓の射程までは、出てこない事は十分に考えられる。


 策のほころび―――


 それを感じたマルコが、トロワが、そして、それを提起してしまったダイヤ自身が顔色を曇らせた。だがアリッサは、「クックックッ、クックックッ」と、いつもの不敵な笑いを浮かべると、


「そうだ、その通りだ。だが、お前たちまでが、そう思うのなら―――この策は成就するぞ!」


 我が策これで成れり、とばかりに満面の笑みで一同を見渡した。


「それは、どういう事なんだい?」


 アリッサの答えが腑に落ちないダイヤは、その真意を確かめるべく、皆の口火を切って問いかけた。自身の弓が勝敗の鍵を握るとなれば、なおさらである。


「フフン。確かにダイヤ―――お前が陣頭に立っていれば、大将は絶対に一〇〇の距離には出てこんだろうな。いつ射殺されても、おかしくはないからなぁ」


 己の策が、皆の想像の上をいっている事が、たまならなく嬉しいアリッサは、上目遣いになりながら、上機嫌に語り始めた。


「だがダイヤ―――お前は陣頭に立つのだ。そして長弓の射程いっぱいに矢を放ち続けろ」


「―――?」


 アリッサの答えは、ますます腑に落ちない。一〇〇の距離いっぱいに矢を放ち続ければ、その見事な射撃術を警戒して―――背水の陣に至っても、大将は一〇〇の距離までは出てこないだろう。それでは大将を射殺するという狙いは達成できない。


 そろそろ答えを出すか―――アリッサはそう考えると、この形勢に沈黙を守り続けているモルガンを、チラリと見た。そして、それに目を合わせた彼は―――ああ、そういう事かい、とアリッサの意図を瞬時に理解した。


「ダイヤ、お前は囮だ。大将の抹殺には―――モルガンの弓を使う」


「―――!」「なるほど、合点がいったよ」


 皆が驚く中、ダイヤは己の弓を囮に使う、アリッサの深謀を、モルガンに続き理解し、納得の声を上げた。


「ダイヤの長弓は一〇〇の距離ならば、トロワの観測術と組めば百発百中だ―――だが、一〇〇の先では残念ながら当たるか、どうか分からん」


 長弓は飛ばすだけなら、一五〇の距離は飛ばす事が可能である。しかし、その実質的な有効射程距離は一〇〇が限界といったところだ。それは弓の構造上の問題もあるが、人間の腕力の限界という根本的な問題もある。


「だがモルガンの腕力と技量なら、一二〇の距離までならば―――当たる可能性がある!」


 驚異的な武術と身体能力を持つモルガンは、その射撃技術においても、ドラグレアの弓の第一人者―――ダイヤに匹敵する技量を持っている。前線での格闘こそが、課せられた重要な任務である彼が、弓を用いる場面は皆無に等しかったが、その豪腕は有効射程距離の常識をも超える『可能性』を秘めている事は、誰もが認めるところであった。


「一〇〇の距離まで出てこなくてもいい。我らが逃げ場のない背水の陣を取った時―――大将を一二〇の距離まで、おびき出せれば、この戦は勝ちだ!」


「おいおい、当たる事前提かよ」


「さすがに一二〇は、あたいもお手上げだ―――オッサン、見せ場は譲ってやるよ」


 心の準備はできていたが、自身の未知の射撃が勝敗を決める、というアリッサの宣言に、モルガンも苦笑するより他になかった。冷やかしの言葉を入れたダイヤも、言葉とは裏腹に、その表情は緊張していた。


「圧倒的な人数差、近付いてこない敵―――ならば一撃必殺で頭を狩る、この策しか道はない。なあに、頭さえ狩れば、奴らは烏合の衆だ。あとは『二の策』で殲滅できる」


 モルガンの苦笑、そしてダイヤの心配など意に介さずに、余裕の態度で、策の結実を先に語るアリッサだったが、表情をあらためると、


「だからトロワ、必ずモルガンの矢を導け!機会は一度だ!―――お前のその目にすべてはかかっている」


 卓越した測量能力による、驚異の射撃観測術を持つトロワに勝利への鍵を託したのだった。


「へへっ、俺のこの目が頼りってか。悪くねえな」


 たとえ困難な方法であろうと、アリッサは可能性のない策を立てはしない―――そして自分たちドラグレアは、いつもそれを成し遂げてきた。だからこそトロワは、その隻眼の目を光らせ、不敵な笑みを浮かべながら、アリッサに向かい請け合ったのだった。


 そしてアリッサも、「頼んだぞ、トロワ」と言いながら、己が『奇策』を託すに足る仲間に向かって、これもまた不敵な笑みを浮かべた。


 奇策―――それは時として人智を超えた『鍵』を必要とする。今回のそれは、モルガンの身体能力と、トロワの技術である。だが『守兵団ドラグレア』が持つ『鍵』はそれだけではない。彼らには―――奇跡を現実にする、お互いを信じ合う『絆』があった。


 モルガン、ダイヤ、トロワ、マルコ、エゴイ、ジー、ユー―――アリッサは信頼に満ちたまなざしで、その顔を順番に見渡した。


 どの顔にも迷いはない―――もちろんアリッサにも。


 そしてアリッサは、今回もまた、いつもと変わらぬ勝利が、自分たちに訪れる事を確信したのであった。




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