第2話:狂気の目覚め15
危機が迫る母のもとへ戻るべく―――燃え盛る宮殿からの脱出を試みるアリッサとダイヤであったが、すでに火の手は予想以上にまわりきっていた。
だが迷ってはいられない―――構わずアリッサは、炎に包まれた回廊を駆け抜けた。
するとアリッサの視界に、ダイヤ以外のもうひとつの影が入り込み、
「俺を置いて行くたあ、ひどくねえか」
と、それは語りかけてきた―――モルガンだった。
「モルガンか、すまない―――急を要していたのだ」
「行くのか?―――屋敷に」
「当然だ。屋敷には母様がいる―――守らなければ!」
アリッサは迷いなく、視線を前に向けたまま答えた。
そしてモルガンは、その答えに満足したかの様に、ニヤリと微笑むと、
「よし!乗りかかった船だ―――俺が屋敷まで連れていってやる」
と、言い終わるやいなや、アリッサを右脇に、ダイヤを左脇に抱えこみながら―――今まさに崩れ落ち、大きな口を開けた回廊の大穴を、気合いの声とともに飛び越えた。
「どーだい、見事だろう!」
呆気にとられた二人をよそに、モルガンは誇らしげに言うと、そのまま宮殿の出口まで炎をかき分け、一気に駆け抜けてしまった。
「すまないな、モルガン―――助かったぞ」
宮殿の外に出ると、肩で息をするモルガンに、アリッサは礼を言った。
「いいってことよ。まあ、お前さんはともかく―――姉ちゃんは、ちと重かったかな」
「悪かったな、オッサン!」
モルガンの冗談に、ダイヤは顔を赤らめ本気で気色ばんだ。
その姿をニヤニヤ眺めるていると、
「将軍―――!」
指揮官の姿を認めたシン軍の兵が、モルガンの周りに集まり、
「王命です―――我が軍は『エンの国』にセイ平定を委ね、急ぎ『チョウの国』に侵攻せよと」
シン王グランゼルからの急使を、慌てふためきながら報告した。
だがモルガンは落ち着いていた―――筋書きは、さっきのベルデンの言葉でおおよそ分かっていた。
「そうかい、じゃあお前たちはそうしろ」そう言うと、「馬引けーーーっ!三人乗っても大丈夫そうなやつだ!」
と、兵に馬の用意を急がせた。
兵が屈強な大馬を引いてくると、モルガンはそれに飛び乗り、
「乗れ!―――道案内は頼んだぞ」
と、アリッサの手を取り、自分の前に騎乗させた。
「いいのか、モルガン―――?」
アリッサは、モルガンの目を覗き込んだ―――これ以上、自分につき合わせる事に、さすがに心配になってきてしまった。
「もともと、なんか気に食わねえ戦だった―――俺もカラクリの歯車の一つだったんだな」
「モルガン……」
「見届けてんだよ、俺も―――お前の『守る』って大義をよ」
モルガンは、そう言うと会話を打ち切り、
「急ぐぞ、ベルデンの伝令より先回りする」
そう言うと、アリッサも深く頷いた。
「ほら姉ちゃんも早く乗れ!―――姉ちゃんが乗っても大丈夫な様に、でっけえ馬にしたからよ」
馬のたくましい尻を叩きながら、モルガンはダイヤに騎乗を促す。
「ふ、ふざけるじゃないよ!―――あと、あたいの名前はダイヤだ」
悔しそうにそう言いながら、ダイヤは颯爽とモルガンの後ろに飛び乗った。
「よし、アリッサ、ダイヤ―――行くぞ!」
馬の手綱を引くと「ああ、そうだ」と、モルガンは思い出した様に、
「お前らー!さっさと陣を下げろ―――宮殿はもうじき崩れ落ちる―――俺ぁ、またちょっくら行ってくるぜ」
と、唖然とし続ける配下の兵に指示を残すと、馬の腹を蹴り疾風の様にその場を後にした。
そして、それから間もなく宮殿は崩れ落ち―――『セイの国』は滅亡した。
アリッサの指示のもと、三人を乗せた馬がセイの街を駆け抜ける。
それは無残な光景だった。
幾多の死体が転がり、その間を民が逃げまどっている。
飽く事なく掠奪を続ける下卑た兵たち―――その一人一人を残らず斬り殺したい衝動を、アリッサは必死に抑えた。
今は―――母様を救う事が先だ。
ふと目を上げると、城郭都市であるこの首都の外郭にまで、火の手が上がっているのが見えた。
祖国の滅亡を―――アリッサとダイヤは肌で感じた。
そんな時、大通りを駆ける馬車が前方に見えた―――同時に、そこから女の絶叫が聞こえてきた。
「無礼であるぞ!降ろしなさーい!―――エンなどには、行きませんよー!」
女は叫びながら、馬車から飛び降りんばかりに体を乗り出し、それをとどめる兵ともみ合いになっている。
アリッサは、遠目にもそれが誰であるか一瞬で分かった―――それはベルデンに捕らわれ、保護国の名目で『エンの国』に護送されようしている、公女カチュアであった。
あの人は―――アリッサは頭を抱え込みたい思いであったが、
「隣につけてくれ」
と、モルガンに依頼した。
「今は救えねえぞ」
「分かっている―――だが、頼む」
短いやり取りの後に、モルガンは馬の速度を上げた。
今回の侵攻戦は、五ヶ国連合軍によるものだが、ベルデンの謀反は―――アリッサの父、アレグラドへの私怨による側面もはらんでいる。
それを今さら詫びたところで、どうなるものでもなかったが―――一族として、アリッサはカチュアにそれを詫びておきたかった。
馬が馬車に追いつき、並走となった―――すると、
「アリッサー!アリッサではないですか!」
と、兵ともみ合いながらも、カチュアはいち早く、その姿を見つけ、声をかけてきた。
「公女殿下、この度の―――」
「アリッサ、アレグラドの事―――無念でしたね」
今回の事態の詫びを伝えようとした、アリッサの言葉を遮り、カチュアは突然そう言いだした。
「カチュア様……」
「でも希望を捨ててはいけませんよ!―――私も希望を捨てません!」
そう言うとカチュアは、満面の笑みを見せながら大きく頷いた。
まるで、それは―――頑張るのですよ、と背中を押してくれる様な笑顔だった。
「モルガン、その先を左だ!」
カチュアたち公族を乗せた馬車は直進し、アリッサたちは屋敷を目指すべく、通りを折れた。
ほんの短い会話だった―――謝ろうとした自分の背中を、あの公女は笑顔で押してくれた。
「たいした公女様だな、ありゃ」
モルガンも、カチュアの破天荒ながら、底知れない大きさに感嘆した。
「ああ、たいした人だよ―――本当に」
アリッサも苦笑いしながら、それに応じた―――口には出さないが、感謝の気持ちで胸がいっぱいだった。
この公女こそ、幾多の困難を乗り越え、やがて『セイの国』再興の立役者として即位する事になる―――女王カチュアであった。