第2話:狂気の目覚め13
父様は―――どうしてしまったのだ!?
アリッサは父の尋常ならざる態に困惑した。
だが、今はそんな事に構ってはいられない。
守るため―――国を、民を、そして母を守るためには、国家第一の名将―――アレグラドに立ち上がってもらわなくてはならない。
そんなアリッサを遠目に見つめるダイヤも「お屋形様……」と、困惑の声を漏らし、その異変に気付いていた。
そしてもう一人―――遠征軍の一軍を率いる、シンの名将モルガンも、部外者ながらもこの状況が、問題を抱えた事態に違いないという、場の空気を読み取っていた。
アレグラドといえば西方の『シンの国』にも名の轟いた名将―――その姿を一目見たいという興味も彼にはあった。
だが歴戦の武人であるモルガンは、アレグラドを一目見て―――
奴は―――駄目だ!
直感的に、そう判断した。
モルガンの慧眼恐るべし、といったとこだが、彼はそれよりも―――さあ、どうするアリッサ?と、自分が見届けたいと思った少女の次の一手に注目した。
「父様!いったいどうしちゃったの?―――街が……燃えているよ。たくさんの民が殺されていたよ―――守らなきゃ……守らなきゃ!」
アリッサは、アレグラドの体をつかみ揺さぶった―――だがその体はだらしなく、少女の両腕の動きに合わせ前後するだけだった。
「父様!守って!―――国を!民を!母様をーーー!」
アリッサは嗚咽しながら、叫ぶ―――なぜ?なぜなの、父様―――憧れだった、誇りだった父の変わり果てた姿、いや本質に絶望しながら。
叫び終えると、アリッサはアレグラドの体をつかんだまま、顔を伏せた―――深く、深く、奈落に沈むがごとく。
そして多くを語らずとも―――この聡明なる少女は、結論にたどり着いてしまった。
この人は―――守れないんだ、と。
たとえ攻戦、攻城戦の名手といえども、守戦は別物だ―――その事実にこの人は、たじろぎ、怯え、思考を停止する事で、その現実から逃避している。
なんだったんだ―――なんのために、あたしはここまで来たんだ―――血と煙の戦場を、命がけで。
「クックックッ、クックックッ―――」
「あ、アリッサ?」
顔を伏せたままのアリッサが、突然奇妙な笑い声を上げたのでカチュアは慌てた―――気が触れてしまったのか、と。
「クックックッ、クックックッ、アーッハッハッハッ」
アリッサは気が触れてなどいない―――己の『守る』という大義を父とはいえ、他人に依存しようとした自分が憐れで、あざ笑いたかったのだ。
己が大義は―――己が手で果たすのみ!
アリッサは心でそう叫ぶと、アレグラドをつかんだ手を離し、振り向きながら腰の剣を抜き放ち、
「ベルデン!貴様に問う―――貴様の大義は何ぞや!」
その切っ先をベルデンに向けながら、その大義を問うた。
その目は血走り、先程まで泣いていた少女とは別人の、悪鬼の形相であった―――絶望に屈する事なく、この少女は己を変質させた。
アリッサの―――狂気の目覚め、であった。
それを見ていたダイヤは驚き、そしてモルガンは―――あの嬢ちゃん、変わりやがった!―――と、稀代の統率者の誕生、覚醒に目を見張った。
「あ、アリッサ―――?」
そばにいたカチュアが、心配そうに顔を覗きこんだが、振り向いたアリッサの目は―――邪魔するな!―――と、彼女を威嚇した。
カチュアは、「ひいいーっ」と声を上げると、後ずさりした。
「大義―――?」
問われたベルデンは動揺した―――そして考えた。
我が大義―――大義―――それは、
「武人の意地だ!」
ベルデンは迷いなく答えた。
アリッサの口元が、歯をむき出しにしながら笑う。
「クックックッ、いいだろう―――その心意気やよし」
まるで別人になったかの様に、アリッサは大上段からベルデンの放つ『大義』を受け止めた。
「私の大義は『守る』事と定めた―――貴様がセイを、我が国を侵さんとするならば、私はそれを守り、貴様を討ち果たすまでだ!」
そう言い終わると、アリッサは手にした剣を両手に、大きく振りかぶり、ベルデンに斬りかからんと踏み込んだ。
「あのバカ!」
モルガンが叫んだ―――かなう訳ねえだろ、頭に血がのぼって無茶しやがって!―――叫ぶと同時に、アリッサを救うべく走り出した。
だが次の瞬間、ドーーーンという大きな音に続いて、大広間が―――宮殿全体が地震の様に揺れた。
アリッサが揺れに足を取られ転倒し、万座の人々もその場に崩れ落ちる有り様であった。
モルガンは、アリッサにたどり着くと、その身を起こしてやりながら、
「お前ら、宮殿に火をかけやがったのか」
と、苦い表情でベルデンに問いかけた。
ベルデンは何も答えない―――それが答えであった。
言われてみれば、心なしか辺りが焦げくさい―――先程の揺れも、ベルデンの手兵がかけた火によって、宮殿の別棟が崩れ落ちたためであろう。
すると、ここにも火の手が押し寄せるのは時間の問題―――あちこちから悲鳴が上がり、大広間は大混乱の様相となった。
「ベルデン将軍!―――」
そこに彼の手兵が、続々と大広間に入ってきた。
ベルデンは配下の兵を一瞥すると、
「セイ公、および公族の方々をお連れしろ」
と、無表情に命令を下した。
「わ、私たちを、どうするつもりですか!?」
尻もちをついたまま、まだ起き上がれないでいるカチュアは、それでも毅然とベルデンに向かって問いただした。
「公女殿下―――あなた様方は『エンの国』にお連れします」
「エンに!?―――なぜエンなのですか!?」
『セイの国』の北方に国境を接する『エンの国』―――侵攻してきた五ヶ国連合軍の一つとはいえ、なぜその中でもエンなのか?―――カチュアの疑問も当然であった。
「これより『エンの国』は『セイの国』の保護国となります―――故にセイ公をはじめ、あなた様方もエンにて保護させていただきます」
「な、なんですって―――!」
カチュアが驚きの声を上げる中、
「チッ、そういう事か」
モルガンには、すべてが理解できた様であった。
「どういう事だ!?」
アリッサは、モルガンに掴みかからんばかりの勢いで問いただす。
「この戦はシンが仕掛けて、五ヶ国をまとめた。だが五ヶ国連合軍なんて嘘っぱちだったんだ―――チョウ、ギ、カンは蚊帳の外―――この戦は『シンとエン』のものだったんだよ、クソッ!」
将軍であるモルガンにさえ知らされていなかった事実―――彼の推測では今頃、シン軍の別働隊がチョウ、ギ、カンの三公国に攻め込んでいるはずだ。
『セイの国』はエンが治め―――勅命の圧力があったとはいえ、セイの領土分配という好餌につられ、まんまと国軍の主力を遠征に出した三公国は、シンの毒牙にかかろうとしていた。
これが―――謀。
アリッサは、国家と国家の壮大なる謀略に愕然とした。
「アリッサ―――悔しいが、これも戦だ」
モルガンは、アリッサに語りかける様に、自分にもそう言い聞かせていた。
そんなやり取りの中、ついに大広間にも火の手がまわってきた―――事態は予断を許さない展開となってきた。
そしてベルデンの手兵が、カチュアの腕を掴み、その身を拘束した時、
「他の者は、いかがいたしますか?」
同時に、兵はベルデンに指示を仰いだ。
「斬り捨てろ―――」
ベルデンは即座に返答した。
再び、人々の絶叫がこだまする中、
「動くんじゃないよ―――!」
という女の絶叫が大広間を貫いた。
そこにはベルデンに狙いをつけ、短弓を構えるダイヤの姿があった。