第2話:狂気の目覚め10
この見事すぎる重包囲陣を敷いたのも、あのモルガンという男だろう―――とすると、腑抜けた態度とはうらはらに、その将としての手腕は尋常ではなさそうだ。
アリッサは、ベルデンが宮殿に乱入したという報に焦りながらも、それを顔には出さず、冷静に状況の分析を始めた。
よく見れば包囲陣にはためくのは『シンの国』の軍旗のみ―――今回と同じ様な電撃戦で、帝都『シュウの国』を占拠し、帝を拘束した西方の『虎狼の国』。
となると、この謀叛を扇動し、五ヶ国連合軍による侵攻を主導したのも『シンの国』に違いない。
事実も、アリッサの推察通りであった―――
シンは、セイで不遇をかこつベルデンに目をつけ、その内応を取りつけると―――セイの『ロの国』征伐と時期を合わせ、帝に極秘の勅命をエン、チョウ、ギ、カンの四ヶ国に向けて出さしめた。
四公国は、王国『シンの国』と結び―――『セイの国』を討伐すべし、と。
勅命である―――逆らえば朝敵となる。
矛先はセイでなく―――自国に向けられる。
四公国はシンの強勢に怯え、勅命を奉じ、密かに軍をセイの国境に移動させた。
それと足並みを揃えるべく、ベルデンは『ロの国』最後の城の攻囲を、意図的に長期化―――それはシンを筆頭とする五ヶ国連合軍の侵攻準備が整うまでの時間稼ぎであった。
そしてアレグラドに城攻めの指揮権を移譲すると、情報封鎖をするために―――自軍を国境警備の名目で、国内各所に展開させ、同時に侵攻軍を引き込んだ。
圧倒的戦力による破竹の侵攻―――そしてベルデンによる完璧な情報封鎖―――その成果は、今『セイの国』に青天の霹靂の大惨事をもたらしている。
アリッサが侵入を目指す、宮殿の大広間は今―――華麗な戦勝祝賀の宴から、地獄の入り口に叩き落とされた様な、大混乱の様相を呈していた。
「近衛は―――近衛は大丈夫なのか!」
「逃げなくては―――きっとベルデンは我らを恨んでいる」
「誰ぞ早く、セイ公をお連れしろ!」
各々が口々に、勝手な事を述べ続けた―――何ひとつ状況は好転しない、するはずもない。
「お静まりなさい!―――皆の者!」
そんな時、大広間の壇上―――公族の席から、電光の様な声が響き渡った。
毅然とした美しい声―――それは女の声だった。
一同がその叫びに心奪われ、大広間は一転、静寂の空間と化した。
そして一同は、その声の主に顔を向けた。
そこには国主セイ公の娘であり、公太子ミランの姉である―――公女カチュアの姿があった。
「今、起こっている事態は国家の大事です。皆が慌てるのもわかります―――ですが、今はこの状況をいかに打開するかを考えましょう」
カチュアは年の頃、二十歳をひとつ、ふたつ過ぎたぐらいの年齢に似合わぬ―――肝の座った居ずまいで、万座の者たちを落ち着かせるべく、ひときわ大きな声で語った。
「姉上の言う通りだ―――今はこの事態に、いかに立ち向かうかを考えよう」
姉より三つ年下の公太子ミランも、カチュアの威勢に後押しされて、勇気をふるって言葉を発した。
だがミランは、ふと足元から聞こえる不規則な物音が気になり、その方向に目を向けると―――テーブルの下で―――カチュアの足が震えていた。
「姉上―――!」
声を殺し、ミランは驚きの声を上げた。
「大丈夫です―――もしもの時は、父上の事を頼みましたよ、ミラン」
これも声を殺し、恐怖にかすれた声で弟に後事を託した。
そして再び恐怖を振り払い、居ずまいを正すと、
「アレグラド―――!」
と、大広間の中央にいる『大将軍』に向かって呼びかけた。
「近衛をまとめられますか?―――そなたが近衛を率いて、ベルデンの軍からセイ公を守ってくれまいか」
この場にいるアレグラド―――『セイの国』最高の将軍に近衛軍を率いさせ、敵を食い止める。
近衛軍壊滅の報が、まだここまで届いていない現状では、それは最も有効な対応策であった。
単純な発想ながら、瞬時にそれを思いつき―――本心は恐怖に震えながらも、それを実行に移そうと謀るこの公女は、並々ならぬ何かを持っている。
「そうだ、アレグラド殿がいたではないか」
「アレグラド将軍、お願いします!」
「大将軍―――我らをお守りください!」
カチュアの提案は、まさに地獄にさした一条の光であった―――大臣たちは、口々にアレグラドの名を呼び、その防衛に期待した。
守る―――?
万座のざわめきの中、当のアレグラドは困惑した。
守る?誰が?―――私がか?
ここは宮殿だ、城ではない―――兵も、貴族の子弟ばかりで構成された、形ばかりの近衛軍ではないか。
守る―――攻めるのではなく、守るのか?―――私がか?
アレグラドは、何も耳に入らなくなり―――ただひたすら自問自答を繰り返すばかりだ。
強国ゆえの皮肉な悲劇―――アレグラドの時代、『セイの国』は攻勢に出る事はあれど、ただの一度も防衛戦を経験した事はなかった。
名将と呼ばれようと、始めて挑む防衛戦―――かつ最悪の条件下―――豊富な戦場経験があるがために、その思考は勝てる条件を見つける事ができなかった。
もはやアレグラドは思考を停止し、立ち尽くす事しかできなかった。
「アレ……グラド―――?」
束の間の喜びに沸く大広間で―――カチュアは気付いた。
―――アレグラドは無理だ、と。
愛くるしい容姿に緊張の色を走らせながら、この聡明な公女はそれでも絶望せず―――次の手、次の手は!―――と、拳を握りしめながら、道を切り開く事をあきらめはしなかった。
そしてその時、近衛軍をすでに撃破したベルデンは―――アレグラドにまみえるべく大広間に向け、宮殿の階段を一歩、一歩、踏みしめていた。