第1話:守兵団13
月明かりが大地を照らす。
宵の口から灯した篝火の、パチパチと弾ける音以外、アリッサが敷いた西の民の陣は、静寂に包まれていた。
東の民もすでに、伏兵としての移動をすませ、今頃は暗闇の中で不安に震えているだろう。
「さあ、そろそろかねえ」
ダイヤが長弓を携え、横一線の陣の前に出ようとする。同時に射撃の観測手を務めるトロワも、連れ立って動こうとした。
だが、彼は視界にファノとマーサを見つけた。
二人の位置は、丁度アリッサの立つ櫓の前で、急造の槍を持たされ息をのんで、たたずんでいた。
アリッサの目の前だったが、トロワは二人に近付くと、
「いいか怖いと思うが、心を強く持て」
と、ファノの頭をなでながら、視線はマーサに向けて声をかけた。
「うん」「あ、ありがとうございます」
ファノとマーサが順番に言葉を返す。
ファノの表情は、その顔を覆う前髪のせいで伺い知れないが、少なくとも緊張の極限にあったマーサは救われた思いがした。
「まあ……仕方ねえか」
モルガンはつぶやくと、トロワの行動に対して、ダイヤに向かって―――やれやれ、といったポーズを取った。
「俺はな、北の『エンの国』の軍人だった―――俺にもな、この子ぐらいの娘と―――あんたぐらいの妻がいた。だが……戦で殺された」
トロワの告白に、マーサは驚きの表情を見せた。
「守ってやれなかった―――この目も、そん時のもんさ」
トロワは眼帯と、その上下に伸びる深い傷をなでる。
モルガンが、『私情』とたしなめたのは、この事ある。
アリッサも当然、このやり取りを間近に眺めている。しかし、何もとがめはしない―――アリッサ、ダイヤ、モルガン、トロワの四人は、ドラグレア結団時の最古参である。
すべての事情を知っているアリッサだから、戦に支障をきたさない範囲であれば、見て見ぬふりをしているのだろう。
「何が言いてえのか、俺にもよくわからねえ―――だが……生きろ―――生きていてくれ」
まるで愛の告白の様な言葉に、マーサの頬が赤らんだ。トロワも下を向いてしまった。ファノは二人を交互に見ながら、きょとんとしている。
こうなるとアリッサもやりきれない。平静を装おうとしても心中ドキドキしてしまう。なんとかしろ―――という目で、モルガンとダイヤを見たが、二人ともニヤニヤするばかりで、アリッサの乙女の一面を楽しんでいる。
「ありがとうございます、トロワさん」
マーサは心から、トロワの思いに感謝の言葉を返した。
「そ、そうか」と、トロワが微笑み返した。しかし、そこまでだった―――戦場は甘美な語らいなど、いつまでも許しはしなかった。
「来るよ!」
叫んだのは、ファノだった。西の地平線をじっと睨みつけている。
だが、皆には見えない。今までと何一つ変わらぬ様に見える。
「トロワ、どうだ?」
アリッサに問われる前に、すでに観測態勢に入っていたトロワも「いや―――見えねえ」と緊張しながら答えた。
だが、アリッサはファノを疑わない。
「見えるのか―――お前には?」
「見えるんじゃない……でも、この目が感じるの―――何か悪いものが、こちらに近付いているって」
アリッサはファノをじっと見つめ、そして視線を全体に移すと、「迎撃用意―――!」と号令を発した。
モルガンは槍を携え、馬を引く。
ダイヤとトロワは、陣の前方に位置を取り、構えを取った。
第二陣を形成する、西の民も―――ファノもマーサも、槍を強く握りしめた。
そして、そのわずか後―――西の地平線の闇の中に、黒く蠢くものが―――野盗団の姿が見てとれた。
「来たぞ!野盗だ―――距離、二〇〇!」
トロワが全軍に、野盗の襲来とその距離を素早く通達した。
「すごいねえ、ほんとに来たじゃないかい」
「ああ、俺にも見えなかった」
ダイヤとトロワは、驚きを隠せない。
「フッフッフッ、フッフッフッ、アーッハッハッハッ」
アリッサは、高笑いを上げると、振り返るファノにチラッと目を合わせたが、すぐに西の野盗の方向へ視線を戻し、
「来たか、来たかぁ―――攻め来る者よ―――クックックッ……目にもの見せてくれるわ!」
叫びながら、悪鬼の形相で笑い続けた。