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烈火:後編

 これは私が無理に先行したから起きた不必要な犠牲だった。

 今になって冷静さを取り戻し、自分の行動に後悔の念が浮かびそうになるも、状況がそれを許さなかった。

 私と男の間は決して狭くは無い。三〇〇メートル程だろう。

 その間に広がるは侵食する闇の如く広がる血。

 首や腕などを失い吹き飛ばされた死体は血の海の座礁船の様だった。

 目の前に広がる光景に横須賀で見たバヨネットのやった惨殺死体の山が重なる。込み上げる吐き気を堪え銃を構えた。

 相手の武器に意識が向いていた私は初めて相手の姿を認める。

 全身黒く、光を鈍く反射させた男は表情すら分からない。


「また結構死んだなぁ!」


 頭全体を覆うヘルメットから加工された声がする。その声は神経を逆撫でするには十分な程に陽気で、私はその声に釣られ引き金を絞った。

 

「お前が……殺したんだろうが!」


 勢いで撃ったがそれでいい。返事を聞く気は無い。今すぐにでもこの危険な男を排除しなければ。

 弾倉の中を打ちつくし、空薬莢が地面を弾む。

 薄灰色の硝煙が廃墟を縫う様に吹き抜ける風に巻かれるとその向こうには私の望まない光景があった。

 顔は見えずとも全身から見て取れる雰囲気で分かる。

 笑ってやがる……!


「なんだ……それでおしまいかぁ? じゃあ……」


 持ち主の言う事をただ聞くだけの巨大な銃口が、感情もない鉄の塊が唸り声を上げ回転を始める。

 自身が発する唸り声をかき消す炸裂音が聞こえる時には私は既に駆け出していた。

 周囲に放置された廃車に開いた穴を見れば周りの殆どの物が遮蔽物として成り立たない事は明らか。


「こっちの番だぜぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 加工されていても汚い叫び声が銃声に混じって響き渡る。耳障りで生理的嫌悪を感じる。

 確実にこちらに向けて銃を撃って入るものの、走り出した私にその銃弾が当たることは無く、私の背後や前を弾丸が横切っていく。

 銃の性能ありきで相手の銃の腕は素人同然。ただ弾を撒き散らして敵に当たるのは集団戦闘や乱戦の時だけだ。

 たった一人の人間に当てようと思って銃を振り回すのは愚行。そもそも当たりもしない弾を避け様とせず駆け、頭上に伸びた高架の支柱に身を隠した。

 それでも相手は馬鹿の一つ覚えに支柱に向かって分間千発近い弾丸を放つ銃を放ち続ける。

 凄まじい威力の銃ではあるが、支柱の端を削り取ることはあれど支柱そのものをなぎ倒す事は出来ない。

 しかし、運が悪かった。


 ガツンと金属音が聞こえると私の直ぐそばで何かが落ちる音がした。それなりに重さのある金属の様な音に私は嫌な予感がして音がした方へ目をやると、その予想は当たっていた。


「ジャッカー……!」


 横須賀で出会った機械の友は被弾したのか黒い煙を上げてごろり、とその丸い体を転がしていた。不幸中の幸いか、被弾したのは一発だけのようでパッと見て原形を留めている。修理できる程度の傷なら良いのだが……。


 不安を他所に、一旦弾倉を空にしたのか銃声が途端に止む。

 だが直ぐに弾帯を差し込む音が聞こえた。弾帯はガトリング砲等でよく使われる帯状に弾丸が連なったベルト状の弾倉だ。

 帯の中の弾が発射されたら排出口から帯が出て行く。その際に帯がそのまま出てくる物と帯が切れて出て行く物がある。

 どっちにせよ弾帯は束ねられて大きな容器に収められている為、撃ちつくしたと言う事は背中に背負っていた箱状の物が弾帯を収める弾倉であるならば、今が攻撃のチャンス。


「チッ……隠れないで出て来い! 一瞬で挽き肉にしてやるからよぉ!!」


 奴の叫びを殺意を抑えて冷静に声から自分と相手の位置を把握する。

 経験か生まれついてか、目も耳も人一倍自信があった。強い体で産んでくれた私の本当の親に感謝するべきなのだろうか? 私を捨てた親に。

 そんな親の事を考えるよりも今は私をここまで育てた育ての親の方に感謝すべきか。

 こんな妨害で立ち止まるわけには行かない。こんな人の命を笑いながら奪えるような連中に搾取されてたまるか……!

 私は顔半分と銃だけを柱の陰から出し、瞬間的に敵の姿を視界の中央に捉えると一気に引き金を絞った。


 瞬間的に十数発、弾丸が放たれる。

 それは人が視認出来る速度を超えて秒もかからず私が狙った重装備の男へと飛び、その体を貫く……筈だった。


「クククッ! 効かねえなぁ、そんな玩具じゃよぉ!」


 馬鹿な! 銃は有効射程範囲を超えたとしてもある程度の殺傷能力は残る。

 そして私と奴との距離は有効射程範囲内である筈なのだ。それなのに、なぜ奴は傷一つつかないのか。

 全身を包んだ黒光りする特殊なスーツは体のラインを際立たせるシルエットでその防御力は皆無に見えたが、その薄い装甲は私の想像する以上の防弾効果、及び耐衝撃効果があるようだ。

 今この世界でそんな高度な防具を作れる筈がない。戦前の技術。しかしその見た目は真新しさがある。

 一体ただのブリガンド集団にどんな技術力があるのだろうか。実はただの略奪者の集団なのではないかもしれない。


「なに驚いていやがるんだぁ? その頭吹き飛ばしてやるぜぇー!!」


 しまった。あまりの出来事に集中力が乱された。

 すでに奴が持つ銃のバレルは十分に回転している。

 次の瞬間でその凶暴な銃は叫びを上げ、それを聞いた時には私の頭は血煙となって霧散するだろう。

 半ば諦めかけた、その時だった。



 ダンッ――!!



 その一発の銃声は何重にも木霊してロータリー中に響き渡った。

 私の銃でも奴の銃でもない。重い銃声だ。お互いにフルオートの連射する銃だ。

 単発を撃つなんて芸当も相手は銃の構造上不可能だ。私の銃もセミオートにスイッチすれば可能であるが無論私の銃は今もフルオートにレバーが向いている。

 そして少しの逡巡。声を上げたのはガトリングの男であった。


「いぎゃあああああああああああああああ!! あ、あ、熱いィ!!」


 その声は尋常ではない悲鳴。

 あまりの苦痛に男はもがき、錯乱している様に体をよじるも肩掛けした銃の重さで上手く身動きできず、まるでその様は地上で溺れている様だ。

 そしてその胸からは煙が上がっている。私はそれを凝視するとどうやら燃えているようである。

 何が起きている? 銃の暴発にしては様子がおかしい。

 服が燃えているにしては燃え広がるのが遅いのだ。

 そしてバタバタともがく様に動かしている両腕の隙間から見える火の手はまるで火の球の様にぽつりと丸い火である様だ。

 スーツの中にある装甲を火が貫き、食い込んでいる。そう見えるのだ。

 とにかく攻撃のチャンスだ。私は飛び出し、走りながら両手に銃を構えた。

 周囲に散っている敵の雑兵を流し打ちで蹴散らすとボスであろう男の半狂乱に統率も取れなくなったか、又は最初から士気が低かったか、蜘蛛の子を散らすように敵は瓦礫の向こうへ消えていった。

 残されたボスであっただろうガトリングの男は駅の大階段の前でのた打ち回っている。

 相手はかなり消耗しているだろうが今撃った所で奴を殺すことは出来ない。流石に至近距離まで接近すれば装甲をぶち抜けるかもしれない。

 そう思った矢先だ。


 ドォン――!!


 急に目の前で小さな爆発音がした。それと同時に男の胸から大きな炎が上がり、耳障りな男の叫びが最早人の叫び声かどうかも怪しい奇声に変わっていく。


「ぃいいぃいぎゃあああぁぁぁあああぁああ!! あああああぁぁあぁぁあぁあああぅぅううう!!」


 横浜まで届きそうな叫びは一瞬で、残りの声は徐々にその力を弱めていき、私が目の前まで走り寄る頃には声もなく、静かに地面に倒れていた。

 周囲には銃を手放してもがいたのか、銃身が円を描く様に地面を削っていた。

 倒れる男を見下ろす。胸元は今も火が上がっている。そうこうしている内に背後から私に近寄る足音が聞こえた。

 私はすかさず銃を構え、振り返る。そこには見慣れた赤い髪があった。


「か、神威……」


 私が安堵して銃を降ろすと神威は銃を肩に掛け、目の前まで早歩きで近寄ってきた。

 銃身の長い相変わらず見慣れない銃を見て何となくだがこの傍で横たわる男を殺ったのは彼なのだと特に理由は無いが直感で思った。

 私も神威に歩み寄る。その瞬間、私の視界は乾いた音と共に右へ歪んだ。何をされたか一瞬分からなかったが直ぐに平手打ちを頬に食らったと気付いた。

 気付いたからか後からじわじわと頬に熱と痛みを感じ始め思わず頬を押さえて神威を見やった。

 その表情は仏頂面というよりも明確な怒りを浮かべている。そして低く声を漏らす。


「貴様の命知らずな行動で、どれだけ死んだ?」

「そ、それは……」


 私はそこで周囲を見渡す。敵味方、死屍累々の川崎駅前はその凄惨たる様に胃から込み上げるものがあったが必死でそれを押さえ込む。

 待機していた医療班が生きている者がいるかと死体の山を動かしていた。


「我々がここに来たのは戦争する為じゃない。これ、お前のだろう」


 それだけ吐き捨てるように言うと神威は片手で持ったジャッカーを地面に置くと次の瞬間には背を向けて地下街への階段を降り始めた。

 私は何も言い返せなかった。いや、言い返す権利など無い。確かに私の自分勝手な行動で余計な犠牲を払ったのは事実なのだ。

 神威の背中を見て、それでも何か言わないといけない気持ちで落ち着かなくなる。そして咄嗟にでた一言は小さく、自分でも情けないほど震えていた。


「……ごめん」

「俺は死んでいない」


 足も止めずに神威は冷淡にそう言い、赤い髪は地下へ消えていった。

 それを見て慌ててジャッカーを拾い上げ、頬を押さえながら神威の後を追いかけた。確かに犠牲を出したが、それでも、私には私の守りたいものがある。

 自分の故郷、家族。身勝手過ぎる事は分かっている。でも私は見ず知らずの死者達より生きているかもしれない南部や理緒、イサカ達の方が心配で大事だった。

 それも神威は分かっているのかそれ以上私に何か言うことも無かった。

 照明が消えた暗い地下街に降りる私の中で自虐と不安に苛まれつつも急いで階段を下りていった。




 地下街は広い。しかしその広さのせいで照明がない闇の空間は余計広く見えて、どこまでも続く様な迷宮の様な錯覚を覚える。

 先を行く神威が徐に懐中電灯を取り出して周囲を照らす。

 それに追いつくと特にお互い言葉を交わすことなく歩き出した。

 ヴィレッジザラはこの地下街に隠された更に地下にありその入り口は何の変哲の無い地下街の業務員専用扉に偽装されている。

 自分はそこから出入りしていた為、見慣れていたその扉は今、私の目の前で黒い枠を作って扉そのものは無残にもタイルの上に酷く歪んで倒れていた。

 その表面は熱に溶けているようにも見える。


「爆薬か」

「あんな銃も持ってるんだもの。高性能爆薬の一つや二つ持っていても不思議じゃないわね」


 そう言うと二人で狭い通路を通り抜け、ようやく広い通路に出た。本来、ヴィレッジ・ザラの入り口は地上と繋がっていた造りになっていたそうだが私が生まれた時には既にその地上への広い道は瓦礫で埋まっていた。ずっと昔からそうらしい。

 仮に今使っている道すら埋まっていたらどうなっていたかとか思うと恐ろしい。

 そして遂にヴィレッジ・ザラのメインゲートの前まで辿り着いた。


「イサカー! 南部ー!!」


 声を大にして名前を呼ぶも返事は無い。

 前面に存在する左右スライド式の巨大な扉が酷く破損している。破損と言うよりも最早破壊されていると言っていい。

 点滅する照明に照らされる扉の輪郭は醜くひしゃげている。破片は木っ端微塵と言えるほど細かく散っており、そのどれもがまだ熱を帯びているのか僅かに白い煙を上げていた。

 一歩踏み出すと急に神威が制止する様に私の目の前に手を出す。


「何する……」

「放射線だ」


 言われて初めて自分の左腕の時計から僅かにカリカリ、と言う音がするのに気付く。ガイガーカウンター内臓の腕時計だ。私は何が起こったのか更に分からなくなった。


「一体何が起きたの……」


 神威が私の直ぐ前で周囲を見渡すと小さく呟いた。


「小型核爆弾」

「な、何ですって……?」


 神威の口から飛び出したとんでもない単語に私は驚きを隠せなかった。発言をした当の本人は何食わぬ顔で奥へと走り出す。

 仮にその様な代物を使ったとするなら一度は耐えたであろう核シェルターの扉ももしかしたら破壊できるかもしれない。

 いや、実際こうして破壊されてしまった。あの男の声が脳裏に過ぎる。


『二〇トンの鉄くず』


 私はバヨネットの言葉を思い出して自己嫌悪するとあの耳障りな声を脳内から消すように頭を強く横に振った。


「駆け抜けるぞ」

「言われなくたって分かってるわ」


 私はジャッカーを抱えつつも何とか神威の後を追った。遠慮なく前進する神威に追いつくのは大変だったがガイガーカウンターの耳障りな音は直ぐに止んだ。


 居住区に入る。いつもなら所狭しと人が行き交う居住区の中央通路は血の臭いが漂い、薄暗い照明に照らされた死体の山に私は嫌悪はしたが吐き気はしなかった。

 少しずつ慣れ始めている自分に嫌気が差す。

 私は再び名前を呼びながら周囲を見渡すも今までに無い静寂に私は背筋に冷たいものを感じていた。

 ヴィレッジに入ってからは土地勘が無いからか自然と私が先導する形へと変わる。

 神威は黙ったままではあったが周囲に生存者がいないか、僅かな周囲の変化に気を配って歩いている。


 居住区を抜けて商業区に入る。理緒の食堂がある所を覗くも明かりは無く、中は無人だった。

 無人な事に安堵してしまうのもおかしいがともかくここで死んではいないと言うことで私は足早に先へ進んだ。

 商業区も基本的に店員や客、キャラバン隊などで賑わっているが今はとても静かだ。そして何より死体が少ない。

 ここにいた人達は避難に成功したのだろうか。

 全滅はありえない事を確信し、奥へ奥へ進んだ。


 そして、私は唯一皆が避難しているであろう場所の前まで辿り着いた。

 神威も黙って後ろからついて歩いている。私たち二人が辿り着いた場所。そこは大きな金庫であった。

 金庫と言っても四角い鉄の箱ではない。巨大な格納庫の様なものであり本来なら戦前の人間達の財産が詰め込まれる予定だったのだろう。

 しかし私たちが住む時代では既に中はがらんどうだった。

 そしてこの大金庫と呼べる場所の扉はゲートの扉同様に強度がある分厚い鋼鉄製だ。

 

 私は閉ざされた円形の扉を強めに叩く。

 無機質な音が数回響くと奥からくぐもった声が聞こえる。よく聞き取れないが、恐らくこちらが何者か聞いているか、私達をブリガンドだと思って罵声を浴びせているかのどっちかだろう。

 声を振り絞って大声をあげる。


「私よ! ステアーよ!! ここを開けて!!」

「……」


 私の呼びかけにしばらくの間を置き、扉は重々しく開かれた。開ききるのにたっぷり30秒はかかっただろうか。私は開ききる前に中へと駆けた。

 目の前に飛び込んできた光景はヴィレッジに居た何百人と言う人口からは想像出来ないほどに減った人々の集まりだった。

 百人も居ないだろう。だがその半数以上がこちらを見て疲れた笑みを向けていた。


「ステアー!」


 人ごみの中から聞き慣れた声が聞こえる。


「理緒!」

「ステアー! 良かった無事で!」


 理緒だった。相変わらずの笑みで私を迎えると走って私を強く抱きしめる。私はそれを受け入れ優しく抱きしめ返した。


「それはこっちの台詞よ。良く避難出来たわね」

「探索隊や警備隊が頑張ってくれたから……」


 理緒はそう言うも言葉尻はとても消え入りそうで、私はその様子に安心させるように髪をそっと撫でた。


「どうしたの?」

「……来て」


 それだけ言うと理緒は来た時とは違い力なくトボトボと歩き始めた。その後をゆっくり着いて行く。

 ふと足を止めて後ろを向くと神威は無言で首だけ動かし〝行け〟と促すと開いた扉の前で提げていた銃を手にした。

 神威に見張りを任せて私は理緒が見えなくなる前に追いかけた。



******



 そこで私が見たもの。

 それは、私が今まで見たことがなかったもの。そして、私の心を折るに十分過ぎるものだった。

 私はそれに歩み寄る。仰向けで倒れるその男に、顔が見えるように、体の左側に膝を折って座り込む。

 聞き慣れた声はかすれていた。その声に相当な怒声を上げて戦ったに違いない。

 耳は弾丸で抉られ、腹部には包帯が巻かれてはいるものの、血が赤黒く滲んでいる。ここまで弱った姿を私はこれまで見たことは無かった。

 弱りきっていても、その鋭い目つきは老いを感じさせず強い意思を持っていた。


「なんだ……随分、早いお帰りじゃねぇか……」


 眉間に皺を寄せて口角の片方を吊り上げて軽口を叩くもその顔は青白い。


「南部……」

「何湿気た顔してやがる……」

「ブリガンドが報復に来るの、知ってたんでしょ。横須賀には碌な物資も武器も無かった。適当に理由をつけて私をヴィレッジから遠ざけたかった……違う?」


 私の質問に、南部は黙ったまま灰色の天井を見つめる。


「なぁ、ステアー。俺の頼みを聞いてくれないか……」

「……なに?」


 声が小さくなってきた南部の声を、一言も逃すまいと耳を南部の顔に近づける。


「小奇麗なガキがお前に近づいてきても、絶対かかわるな」


 突拍子も無い言葉に私は南部の顔を見直す。その顔は真剣そのもので、意味の無い事を言っている訳ではない事は明白だった。

 でも、私は文句を言わずにいられなかった。


「急に何を言い出すかと思えば……。そんなこと言ってないでさっさとその傷治しなさいよ」


 私の声は震えていた。頬に熱いものが伝う。

 ヘヘッと笑う南部は小さく咳き込む。その後ゆっくり、大きく息を吸った。


「なぁ、俺はお前に何もしてやれなかったな……」

「な、何言ってるのよ……いきなりしおらしくなって」

「お前に言ってなかったことがある……。聞いてくれ」


 南部の言葉に私は口を閉じた。そして、南部が持ち上げた左手を私は何を言われずとも両手で握り締めた。


「お前の本当の両親を……いや、親父を俺は知っている。いや、知っているというのは違うな。見当がついている。だが、そいつは恐らくお前を駅に捨てた時に死んだ。どこでくたばったかなんて知ったこっちゃねえ。お前みたいな赤ん坊を捨てるような奴の末路よ。だがな、決して探ろうとするな。お前は……」


 そこまで言うと南部は苦しそうに胸を右手で押さえる。私は膝を浮かせかけたが南部がこの期に及んで「いいから聞け」と怒鳴ってみせる。

 私は、黙って従うしかなかった。


「……お前は、自由だ。好きに、生き、ろ……」


 そこまで言って、南部は、瞼をゆっくりと閉ざした。そして長い、長い眠りに入った。

 私の手の中で冷たくなっていく南部の手、その冷たさは私の体温も奪っていく。


「最後まで勝手なことを言わないで。()()()……」


 今更なにを聞いたって、何を知ったって『私の父親は南部、貴方だけなのよ』そう言いたかったけど、結局私はその言葉を最期の時まで胸にしまったまま。言えなかった。

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