二〇トンの鉄くず
外に出てみれば、薄っすらと地面に雪が積もっていた。戦いの最中で雪など気にしていられず、途中から忘れていた。
雪を見た途端に寒い、と感じるのは不思議だ。
川崎と違い、破壊と汚染による影響が少ないこの場所では朝の冷たい空気を遠慮なく胸いっぱいに吸い込めた。
施設の前に散らばっていたブリガンド達の死骸やおびただしい量の血痕は、冷たい白に塗りつぶされていた。
一歩踏み出す。そこで背後の存在を思い出す。背後にある軍の施設から手に入れた球状の飛行物体。
ジャッカーと名付けられていた白く塗装された真ん丸い球体である。ふわふわと宙に浮く姿はどこと無く愛嬌がある。
それだからか妙にかっこよさのある名前に違和感を感じずに入られない。兵器に可愛い名前もなんか変な気もするけれど。
ふと今更になってジャッカーを近くで観察してみる。どんな技術か分からない静かな推進装置で動いている様だ。
本体は丸い鉄の物体だがアンテナや推進装置などがそこにくっついているような見た目で、近づけば流石に音が聞こえてくるがそれでも耳障りにならない程度だ。
恐らく昔の軍で兵士をサポートするように近くにいても不快感を感じさせない様にしつつ音によって周囲の音を探る邪魔をしない設計になっているのだろう。
少なくとも今自分が一緒にいて周囲を警戒するのに支障は無さそうだ。
あのバヨネットを退散させた強力な一撃。あの武器は丸い本体の中に内蔵されている。
普段は砲身も中に入っていて、撃つときのみ展開する仕組みのようだ。
このそう大きくないボディの中がどうなっているのか気になったが、自分の手で解体したら元に戻せる気がしないので変な気は起こさないようにした。
終末の先を生きる私達の大半はそれ以前の技術など殆ど魔法と呼べるもので構造を知る事よりも使えると言う事実があれば何でも良い。
観察も程ほどに、ザクザクと小気味好い音を立てつつ私は施設の中の食堂で拾った片手鍋を手に少し多めに雪が積もっている場所を探した。
数分もしない内に幾らかの雪の塊を鍋に入れる事が出来たのでその場の瓦礫を適当に積んでかまどにする。
鍋を上に乗せて蓋をする。燃やせる物を探そうと思ったが、雪のせいで屋外に転がっている角材やブリガンドの死骸が着ている衣服等は湿気を吸っており役に立たなかった。
仕方なくいつもより少なく携帯していた木炭をかまどにくべる。そこにファイヤースターターを使い火を起こす。
暖を取りつつ、一〇分ほど煮詰めて漸く飲み水を確保できた。水筒に円錐状の紙製のフィルターを敷き、零さない様にゆっくりと水筒へ注いでいく。
並々と注ぎ、きつめに蓋をし、まだ鍋に残っているお湯に理緒から貰った粉末を入れてスープにした。
理緒が料理で使ったスープの残りをヴィレッジの設備でフリーズドライする事で野外でもお湯に溶かすだけで粉末が溶けてスープになるのだそうだ。
これのおかげで探索隊の士気は大きく向上した。
ヴィレッジを出る時にスープを水筒に入れて出掛けても長期に渡っての野外活動をするとなると最後は今私がしている様に様々な方法で水を調達する。
時には人から買い、時には雨や雪、水溜りなんかを沸騰させて何とか飲める所までにもっていく。そんな中、美味いスープをどこでも飲める様にした理緒は探索隊に取って頭の上がらない存在になった。
小さな少年でも、ヴィレッジと言う巨大な集団の中で活躍することが出来る。私も負けて入られない。
温かなスープで心身を癒した所で私は改めて死体の山へ近寄る。
そして迷うことなく死体を弄る。腰のポケットやガンベルト、手に握ったままの銃。その中で使える物を頂いていく。
まだ硬直が解けない手から無理やり銃を引き剥がす事は出来ないが、弾倉を抜く事は出来る。
使える武器、弾薬、薬。何でも良いから持てるだけ貰っておく。こんな奴らでも戦前の出来の良い弾薬を持っている事だってある。それは銃弾として消費するよりも物を買う対価として使われる。この神奈川と言う地域一帯では戦前の弾薬は昔の日本円と呼ばれる貨幣に取って代わっていると言っても過言ではない。誰もが欲しがる物であるからだ。南部が若かったことから既に物と弾のやり取りと言うのは浸透していたらしい。私も含み、現在使われている銃は手製の弾薬を使っている為精度が良くない。
だから時々自分の得物に合う戦前の弾丸が手に入ると金としても弾薬としても使える。戦前の弾丸を使った時の感触は今まで自分が使ってきた銃と同じ物で撃ったのかと疑うほどに違っていた。むやみやたらに使うわけにはいかないが、手段として握っておくのも悪くはない。
実際、今回の旅も持ち歩いていたがバヨネットとの戦闘ではその弾を入れた弾倉と取り替える隙が無かった。それに殆ど冷静ではいられず途中から頭の中から消えていたのもあって使う機会を完全に逃していた。
次会ったら、容赦無くぶち込んでやる。
転がっている死体の数が数だった為、それなりに収獲を得た所で帰るために一度ヴィレッジメノウを経由する為に歩き出した。
巨大シェルターは大体正式名称があるのだが巨大シェルターはこの神奈川に関しては1つの地域に一基しか存在しない。
その為大体巨大シェルター由来のヴィレッジは地域名で呼ばれる事も多い。私のヴィレッジはヴィレッジザラと言う名前だが大体の人が川崎ヴィレッジと呼ぶ。
ヴィレッジメノウも横浜ヴィレッジと言われることが多く、ヴィレッジ関係者以外は特に地域名で呼ぶ。その方が大体の位置が分かるからだそうだ。
過去にヴィレッジメノウに行った際にそこの住民にどこから来たのかと尋ねられた時、ヴィレッジザラだと言ったらポカンとした顔で「どこだそこは?」等と言われてしまった事がある。
探索隊や警備隊等シェルター運営に関わる人間じゃないと通用しないことが多い気がして私はどの呼び方をしたら良いか未だに迷っている。
先に普及してしまったものが例え正しいものでないとしても一度広まったものを修正するのは難しい。
私一人が何を言おうが多くの人間に影響を与える事など出来ない。そう思って出来ない事に思考を巡らすのを止めた。出来ない事に時間を割くだけ無駄だからだ。
と、いう言い訳をしてしまう。面倒な事を後回しにする。それが結果今より酷い状態になるとしても……。
瓦礫の山をよじ登り、横浜までの距離を短縮する。この辺りは川崎ほどに破壊されていない場所が多く、未だに空に向かって聳え立つビルがいくつも見える。
過去の繁栄の象徴、いや、残骸と言うべきか。その殆どはエレベーター等の昇降機が使い物にならず、ただそこに立つだけの姿はまさにガラス張りのモニュメントと思えた。
東京も川崎同様相当な破壊がなされたみたいだが、戦前使われていた円を描くように敷かれた線路の内側へ入る事は出来なかった。
未だに倒壊せずに放置されたビル群の密集度に関しては東京の方が高かったがそれ以上に破壊された建物の数も多く、それらを乗り越える術が私達外側の人間にはなかった。
きっと内側には今の人間の手に触れられる事無く放置された戦前の技術が残されているだろうという噂は絶えない。
見た事の無い世界に、実は未だに汚染が酷く人は生きることが出来ず、見たことも無い怪物が跋扈する地獄の様な世界が広がっているのではと言う恐れの声すらあったが、それはこの世界を見捨てた神のみぞ知るところなのだろう。
私がふと思ったのは、戦争後三世紀以上放置された今の世界でそれなりの変質を迎えただろうが人の手を逃れた自然が息を吹き返し、恐ろしくも美しい森林が広がっていたら良いなと思った。
そうだったら、あの瓦礫の向こうに行くだけで私の夢が半分は叶うのだろうけど、現実は甘くないか。
などとぼんやり考えながらも自然にその足は真っ直ぐ横浜ヴィレッジへ向かっていた。
一度は通った道は何となく覚えている。その為か行く時よりも迷う事無く歩を進められた。足取りもしっかりしていると思う。
二日かかった道のりも半分ほどの時間で戻れそうだと私の勘が告げる。勘が当たっているかは兎も角、当てにした事は無いが周りからは当てにされる事もあったのでその精度はそれなりなのかもしれない。
昼前には歩き始め、気付けば日が暮れ始めていた。沿岸沿いから離れ内陸に足を運べば瓦礫で作られた穴倉などそこかしこにある。
沿岸部では風が強く夜の寒さをより強くする。鉄とコンクリの塊でも、空気が篭り風を遮断してくれる空間は火を起こしやすく、程よい狭さが周りを常に警戒しながら歩いてきた分、気持ちを落ち着かせるのに丁度良い。
完全に日が暮れる前に今日の寝る場所を確保する。
丁度漢字の〝人〟を連想する寄り添うように倒れた廃ビルを見つけ中を確認する。ビルそのものはしっかりした出来で寝ている間に崩れ落ちる事は恐らく無いだろう。
トンネル状になっているかと思えばそうではなく、ビルの間に入って向こう側が別の瓦礫で塞がっていた。
さて此処で休もうと荷を降ろそうとした時、地面に放置された円形に置かれた石を見つけた。同じ事を考えた奴がいたらしい。
そんな時背後から微かに足音が聞こえた。
即座に銃を抜き、振り返る。
「ちょ! ちょっと待て!! 撃つなぁ!」
振り向き様にTMPの引き金を絞りかけたがその声と目の前で両手を高々と上げる男の姿に指が止まった。
声も若干上ずっている事で戦う意思は無さそうだと思うも、芝居かもしれないと言う考えから銃を下ろすまではしない。
見るとボロ布をまとったみすぼらしい男だった。腰のベルトに固定された小さな丸い水筒と幾つかのピッキングに使うと思われる金具、ぶら下がった携帯充電器に工事用のランプ付きヘルメット。胸の膨らみから見て服に銃は隠して無さそうだ。裾が擦り切れたコートを腰周りでベルト留めしている。正面から見ただけでは分かる事はそれだけだった。背に武器を隠しているとしたら拳銃やナイフが取り回しを考えれば妥当か。
「……」
「直ぐに撃たない辺りアンタはブリガンドじゃないんだろスカベンジャーさんよ。仲間同士仲良くしようぜ? な?」
スカベンジャー。文字通り物を拾って生活する人間達。言うなればこの世界の人間の大半を指し示すであろう言葉は戦前とは若干意味合いが異なって使われている。
ジャンク品や物資、その他食料そのものを集めて生活するとは即ち他者からの略奪を生活の基礎としない連中、この男が言うようにブリガンド以外の人間を指す。
更に幅を狭めるとひとつの場所に定住しない人間を、つまりはヴィレッジの住民以外を指す言葉でも使われている。
後者の人間の一部はある程度安定した生活が出来るヴィレッジ住民に対して良い思いを抱いていない事が多い。
私は銃を下ろして肩をすくめて見せた。
「ここは貴方のテリトリーだったか。ごめんなさいね」
「いいって事よ。銃を下ろしてくれた時点で文句はねぇさ。それに今日はねずみ以外の肉が手に入ってな。一緒にどうだい?」
そう言って男は徐に側の瓦礫の影を指差すと今まで気付かなかったがそこには一匹の狸が転がっていた。何箇所か刃物で刺された跡があるが、地面に血は広がっていない事から殺傷してそこに隠していたのだろう。
「これは貴方が?」
「ああ、近所にある大型スーパーの廃墟に転がってたカートを解体して罠を作ってみたんだが、案外上手くいくもんだな。アンタも食っていけよ。どうせ寝る場所探してたんだろう?」
「……いいの?」
どう見ても武装している私に此処まで親切にしてくるスカベンジャーは珍しい。
大体警戒されて逃げられるか、ブリガンドじゃないと見抜くやビジネスの話を吹っかけて来るものと言う認識だったからだ。きっと目が点になってたと思う。
そんな呆気に取られる私を見て男は欠けた歯を見せて笑った。
「ああ、一人より二人の方が安心できるってもんさ。この辺りは瓦礫が多すぎてブリガンドも滅多に来ねぇ。アンタが来たのは予想外だったが、久々に安眠が出来そうだぜ」
残った物を奪い合うこの時代にこんな心ある人間に出会う事は殆ど無い。みんな自分の利益を優先し、他人を騙して生きている。
だがこの男の目はそんな人間達に無い光が宿っているように見える。こんな男がなぜこんな廃墟の隙間で細々と暮らしているのか。もしかしたら散々騙され続けた結果今の暮らしまで貶められてしまったのかと邪推してしまう。しかし詮索するのも気が引けた。素直に善意を受け取ることにしよう。
男に世話になった礼をしたら気持ちのいい笑い声をあげて「こんな綺麗な嬢さんと過ごせるなら安すぎるってもんだ」なんて言うものだから結局下心かと思ったがただの照れ隠しだったのか、特に手を出されることも無く、夜には私が代わりに火を起こし、男が肉を捌いて焼いてご馳走してくれた。
明日には横浜ヴィレッジを経由して補給を済ませたら帰還だ。
横浜ヴィレッジと川崎ヴィレッジの間は直線距離こそそこまで遠くは無いが、その間には汚染の濃度に差が生まれるほどに空気の流れを塞ぐ倒壊したビル群を抜ける必要があり、そこを抜ける事に時間がかかる。
装備には問題ないしキャラバンが見つけた安全なルートも把握しているので補給も少なく済ませれば資金の節約にはなるだろう。
夜が開け、朝を迎えた時には目が覚めたが既に男は朝食の準備を進めていた。その時にせめてのお礼に粉末スープの残りを幾つか分けてあげた。
ありがてぇと言いながら頭を下げる男に何とか頭を上げてもらい、私も改めて礼をしてその場を後にした。
ヴィレッジの中でもまともにやりとり人間も少なくない。ヴィレッジの外でここまで人と会話できて少しばかりだが心が弾んでいた。
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数時間、日が頭の上まで昇ってきた時に見慣れた場所に出た。今回の探索の道のりでは通らなかったが過去に何度か通ったことがある場所だ。
比較的破壊の跡が見られず、過去の町並みが何となくだが想像出来そうな地域に辿りつくとそれはもう直ぐヴィレッジに着く事を表している。
しかし安心は出来ない。横浜ヴィレッジから見て南。
つまり今私が前にしている地域には中規模のブリガンド集団が拠点を築いているからだ。
ヴィレッジの規模には満たない兵力を持つ為に下手に武力衝突を起こす事は無いが、問題が起こらない筈もなく、ヴィレッジとの睨み合いが続いている。
その為かこのブリガンド集団は近隣で略奪するとヴィレッジの警備隊に目をつけられる為離れて活動している事からヴィレッジに近づく程安全といえる。
物陰に身を隠しつつ、ブリガンド拠点を迂回し、漸くヴィレッジの正面へ回ることが出来た。
横浜駅前の広いロータリーは瓦礫と化したビルに囲まれ、四方に伸びていたであろう道路を悉く塞ぎ、僅かに空いている隙間も廃材で作られたフェンスや廃車などで通れない。
ロータリー中央は地下で住む事の出来ない外からの者達によって町が作られていた。町と言っても小さな廃車に個人の就寝スペースがあり、バスやトラック等の大型の廃車の中で商店が開かれてる。
地下と地上でひとつのヴィレッジとして扱われている。地上の人間は外界の状況をいち早く把握出来、地下の人間は地下にある現在も稼動しているハイテク機器によって生み出される様々な恩恵を地上の人間に分け与えることでお互いに共存している。
地上部は何となく歩いたことがあるが地下部はあまり入る機会は無かった。ただ私の住むヴィレッジと比較にならないほどに広いシェルターであり、シェルターと言うよりも地下都市と言って良いものだというのは知っていた。
戦前からそうだったらしく、無理やり地下を掘り進め増改築を繰り返し続けた結果らしい。
私がまだ探索隊に入る前にもその増改築に三百年の歳月によりボロが出始め、数え切れない回数の修繕が必要になっていたらしい。
最初から設計図通りに設計され、長らく維持され続けている私のシェルターは構造がそもそも違うのだろうか。
未だ大規模な修繕作業が必要になった事は無かったが、何れ私の代か、後の代か、必要になる時が来るだろうと思う。
横浜ヴィレッジへ入るには横浜駅東口から駅内部を通り抜け西口に出る。出ればそこはロータリーで横浜ヴィレッジの地上部、そこから地下への階段があり、そこから地下シェルターへ行くことが出来る。
補給目的なら地上部の商店で事足りる。
廃ビルの間を縫うようにして歩き、目の前に見えてきた横浜駅東口。そこには小銃を持った男が三人、入り口の前で周囲を哨戒していた。
その内の一人がこちらに気付き、少しだけ銃を持つ手に力が入るのが見て取れる。
私は軽く両手を広げて戦う意思が無い事を見せる。
「ヴィレッジザラのステアーよ」
相手がシェルターの管理に関係する人間の為に正式な名称の方を出して所属を伝える。
兵士はその言葉に銃を下ろし、こっちの事を認めたと思った矢先に私に駆け寄ってくる。その様子は半ば慌てているようだ。何かあったのだろうか。
「ステアー!? 南部さんとこの譲さんか! 生きてたのか!! 他に生存者は!?」
「……は?」
私が状況を把握していない事を察すると「とにかく中へ」と駅の中まで引き入れてくれた。
駅の中は武装したヴィレッジの兵士達が行きかっていた。五〇、いや六〇人はいるだろうか、物々しい雰囲気を直ぐに感じ取れる。
シェルターから伸ばした電気の配線が天井を巡り、駅構内を明るく照らしている。
横浜ヴィレッジの入り口と言える横浜駅は過去に何度か入った事があるが、ここまで物々しい雰囲気を放っている状況は今までに無い。
近隣のブリガンド集団が襲撃してきた時でさえここまで兵士を集める事は無かった。一体何があったというのか。
歩きながら駅の中まで連れて来てくれた兵士に尋ねる。
「なぁ、一体何があったんだ」
「あんた、もしかして遠征にでも出てたのか?」
「あ、ああ。そうだ。今からここで補給をしてヴィレッジザラに戻る予定だ」
「……昨日の夜、そのヴィレッジザラからの通信が途絶えた」
「なんですって?」
私は思わず兵士の腕を掴み、歩みを止めた。自分でも全身の血の気が引いていくのが分かる。
「通信中に攻撃されたらしく、途中から攻撃を受けたと言う報告を受けたがその後連絡が途切れている。今、救助隊を組織してザラに出発しようとしていた所だ」
「そんな……」
「あんたはどうする。救助隊が帰るまでここで保護してもらっても良い。その準備は出来ている。戦闘も予測されるが救助隊に混ざってザラに帰っても構わん」
私の答えは決まっていた。
「今すぐ、ザラへ帰るわ」
「まぁ待て。お前補給するんだろう。こいつを受け取れ」
兵士はポケットに手を突っ込むと握った手を私の前に差し出して広げる。手の中には五発の戦前に作られた五.五六ミリ弾。
手持ちの銃の弾を買う為には十分な数どころかその後に温かい食事を店で食べても余るほどだ。
「これは……」
「こんな事今まで無かったことで救助隊も人員は集められても救急セットだの担架だの準備しないといけない。今すぐ出発するわけではない。お前も行くなら補給だけ済ませて来い」
「いや、しかしこんなに貰う訳には……」
狼狽える私に兵士の語気が強まる。
「何遠慮してるんだ。お前の故郷がどうなっているかわかんねぇんだぞ。それにお前の手持ちで補給が不十分になったらこっちも困るんだよ。おら、さっさと行った行った!」
そう言い、兵士が私に無理やり弾を握らせると後ろに回りこみ、私の尻を思い切り叩いた。
「っ……! すまない。ありがとう」
兵士の気遣いに私は礼をし、にこやかに敬礼して見せた兵士を背に私は駆け出した。私の心中をどこまで察したのかは分からない。
しかしどんな現実が待っていようと気をしっかり持って挑めと、あの兵士は言いたかったのだろう。
最初に南部と言っていた辺り、恐らく南部の知り合いだったのだろう。こことの交流は長い、キャラバンや探索隊等、外に出る人間なら何度か会ったりもしているかもしれない。私自身はあの兵士の事は知らなかったが向こうが私を知っていた所を見るにどんな話を聞いたか知らないが私の事も話だけ耳に入れていたみたいだ。
こんな時は南部の顔の広さに感謝してしまう。恐らくあの兵士が南部を知らなければ無条件でここに保護され、救助隊が帰ってくるまでは拘束されていただろう。
むしろ、そっちの方が良かったと思うこともあるかもしれないが、それでも良い。私の家が、家族がどうなったか、自分の目で確かめねば。
ロータリーまで出るとそこには円を描くように廃バスが並び、そこで多くの商店が客引きの声を上げていた。
多くの人間が死んだ目をしながら行きかい、視界の隅、停留所の屋根の下、廃車の隅にはコンクリートの地面にしゃがみ込み動かない人間がお互いの体を温め合う様に寄り添って膝を抱えていた。
以前に来た事があるだけに慣れた足取りで人の波をすり抜けて銃器を扱う店の前まで行き、顔馴染みの店主に声をかけた。
「お久しぶりです。おじさん」
「おお! ステアーじゃないか! 今日は随分へんちくりんなもん連れてるなぁ」
そう言われ、ふと後ろを見るとそこにはジャッカー。
確かにこんな人に空を飛んでついて来る球体は見慣れない代物だろう。苦笑交じりに軽く今までの流れを説明した。
「南部に頼まれて横須賀まで行って来たのさ。これはその戦利品、かな」
「そうなのか。今そっちのシェルターが襲われたそうじゃないか。これから帰るんだろ? 気をつけな」
「ありがとう。きっと通信装置が壊れただけさ」
心配してくれる店主に気楽に答えるが恐らく私の表情は固まったままだったと思う。戦前の弾丸数発で弾倉一杯の弾丸を幾つか買うと店主がジャッカーをまじまじと見つめているのに気付いた。
「なぁ、もしこの丸い機械、故障でもしたら中身見せてくれよ」
「何言ってるんだ。南部から借りてるレーザー銃、直すって言って分解したまま組み立てられずに怒られてたでしょ」
「昔のハイテク武器にはどうも興味が湧いてしまってなぁ」
武器屋をやっている割に修理が出来ない店主はあくまで銃は他の武器商人から卸して売っている。
銃の扱いは上手いらしいが、好奇心だけで精密機器に手を出して毎回壊している様で細かいことが苦手。
本人曰く、引き金引くだけなら朝飯前なんだがなぁ、だそうだがそんなのは誰でもそうだ。
雑談も程ほどに。店主に礼を述べて店を後にした。
食事を済ます為に食事を提供する店を探す。そういった店に覚えがあり私の脚は真っ直ぐそこへと向かう。以前来た記憶を頼りに駅の近くの旧デパートだ。
そこは上階が居住スペースになっていて、一階が酒場になっていた筈。そこで食事もとれる。携帯食料を温存させておいて損は無い。
食べれる時に食べておきたかった。考えても仕方が無い。いや、何か食べてその間でも考えることを止めたかったのだ。今何かを考えても不安に押し潰されるだけなのは分かっているつもりだった。
入り口の取り付けられた木製の扉を開いて中に入る。
入った瞬間、様々な物の臭いが鼻腔を刺激した。肉の焼ける香ばしい匂いがするが煙草の臭いと酒の臭い、そして肉の臭み、獣の臭いだ。それらが入り混じった臭いに思わず眉をしかめた。
修理された卓が並べられ、多くの人間が背を丸めて食事をしている。多くの雑談と咀嚼音が混ざり賑わいを見せる店内をカウンターまで歩きつつ空いている席を探す。
私が歩く度に周囲の空気が揺れ、ただ揺蕩うばかりの紫煙が揺らいで消える。
換気扇が回っているが、その小さなプロペラひとつでどうにかなる環境ではない。
ぼんやりと辺りを見渡す。そんな私を背後から声をかけてくる者がいた。
「なんだ。お前もここに来てたのか」
その最近聞いたことのある嫌な声に、私は振り向き様に銃を抜いた。
振り向いた先にいたのは、あの男だった。
「お前、バヨネット……!!」
そう、横須賀で散々追い掛け回してくれたあのバヨネットが今私の前で片足を机に乗せながら椅子に背を預け、今すぐぶっ飛ばしたくなるような薄ら笑いを浮かべながら酒を飲んでいる。
直ぐにでも引き金を引こうとしたが私は何十人と言う数え切れない数の視線を感じ、指が止まる。
「おいおい、こんなところでドンパチか? ここじゃ恨み言も酒に流すのがルールだぜ」
体を動かさずその場で確認できる限り周囲を見ると何人かの者が銃を抜いた私に反応し各々が銃を抜こうと身構えている。
ここでやり合うのは確かに分が悪すぎた。幸運にもバヨネット本人は戦う姿勢を見せない。私は渋々と銃を納めた。
「そうだ。頭が良いな優等生。一杯おごってやろうか」
「結構だ。お前に借りなど作ったりしないわ」
「いや、お前があそこでその玩具を手に入れてくれたおかげで俺は早く仕事が終わってね。寧ろ借りを作ってしまったのは俺なんだよなぁ」
そう言いながら手にしたグラスと口へと運ぶバヨネット。
バヨネットの言葉に背後のジャッカーがビープ音の様な音を発する。自分は玩具ではないと言いたげだ。
人語を理解して処理する、人工知能の様なものが搭載されているみたいなのでバヨネットの言葉に怒ったのかもしれない。
機械の事は良く分からないが、人の言葉一つで一喜一憂する機械なんて見たことが無い。昔の人間は何を思って機械にそんなプログラムを施したのだろう。
そしてバヨネットの借りとは何を指しているのか。私はバヨネットの都合の良い事をやっていた覚えなど無い。
「どういうこと……?」
「俺は傭兵、用心棒、殺し屋だ。あの施設にあるものを守れと言う仕事を貰った。前金でな。そしてお前がそれを持っていった。守るものが無くなったから仕事はおしまいさ」
「取り返そうとは思わないの? 仕事だろうに」
「取られたら奪い返してでも守れ、とは言われて無いからなぁ? 取り返して来いと言う仕事を貰ったら話は別だがな」
責任感の欠片も無い事を言いながらその依頼料で飲んでいるのであろう酒をあおる。酒が入っているのかやたらと饒舌に感じられる。
戦っていた時とまるで別人だ。全身隙だらけで邪気にも似たあの気迫も感じられない。今私の前にいるのはただの飲んだくれの男。
にも関わらず、私はあの戦いが脳裏に蘇り、今にも殴りつけそうな拳をなんとか抑える。
それに殴りたいと思う前に1つ疑問が浮かんでいた。
いつからその仕事を請けていたかは知らないが、あんな大昔の施設になぜ物資の補給の為にではなく保護の為にコイツを雇ったのか。
中の物が気になるなら、それこそコイツに取りに行かせれば良い事だ。
「なに呆けてやがるんだ? 酒も飲まないで態々俺に絡まれに来たわけじゃないんだろ?」
「誰がお前なんかと。お前には関係無いわ」
冷たく言い放つと私は背を向け、目に入った空席に腰を下ろした。カウンター席だった様で、座った途端に待っていたと言わんばかりに私の前に水の入ったグラスが置かれる。
それをガッと掴み取ると喉を鳴らしながら一気にグラスの中身を飲み干した。
この店はヴィレッジから電力供給を受けている為、電磁調理器等の調理器具等が充実しており、シェルターの食堂同等の食事にありつける。
そして此処には稼動できる数少ない冷蔵庫も何台か置かれている。今は冬場ではあるがそれでもキンキンに冷えた水の美味さは一年通して変わる事は無い。
これで背後に信用なら無い男がいなければ最高だ。
カウンター越しに立つ店員に今日あるメニューの注文をする。常にある食材など殆ど無いからだ。
常に用意できるものと言えば調味料になりそうなものしかない。
ラード等の動物油は地上で飼っている家畜から十分に得る事が出来る。植物油も同等に栽培したものがある。
バジルも相当繁殖力があり、数少ない香草として重宝している。どれにしたって汚染された土壌で育ったものだが仕方の無いことだ。
今の時代、汚染されていない土壌等存在しない。
そんな土地があるとするならばあの世だとか天国だとか言われている所なんだろう。
地獄はどうだろう、今生きるこの世界よりはきっとマシかもしれない。そんな事を思いながら運ばれてくる食事を待つ。
「ハクビステーキです」
そっけない言葉と共に出された料理を見る。ニンニクのスライスと一緒に中までしっかり過熱された肉料理だ。
「ありがとう」
ハクビとは内陸側で生息している胴と尻尾の長い小さな獣だ。
全体的に茶色や黒い毛並みをしているが額から"鼻"までのが"白"い事からそう呼ばれるようになったそうだ。
戦争以前にもいたのならなんと呼ばれていたのだろうか。
生きている姿を見たことがあるが愛嬌のある顔と柔らかそうな毛並みに正直自分で殺して捌いて食べようと言う気持ちは湧かなかった。
しかしこうやって調理済みが出てくれば人間は残酷なもので、食欲には勝てるはずも無い。
以前食べた事があったがその時は肉が臭くてやはり進んで食べようとは思わなかった。
だが今目の前にあるものは肉の臭みをニンニクと胡椒で焼いて誤魔化している。
ニンニクの香りが湯気と共に立ち上り、その香ばしい匂いはモヤモヤした気持ちをこのひと時だけ吹き飛ばしてくれるだろう。
一緒に出されたナイフとフォークで一口サイズに切り分けてそのまま口に運ぶ。
火が通っていて少し固めの肉だが塩で下味がついていたためか特にソース等が無くても食べれた。美味い。
そう思ったが今は味わっている時間が無い。私は最初の一切れを味わうと後はサッと胃袋に放り込み、代金として弾を置いて席を立った。
「もう行くのか?」
バヨネットがまた声をかけてきた。
私は無言のまま歩き出す。出入り口の周りは人の流れが出来ている為か混んではいない。
明らかに話しかけるなと言いたげな雰囲気を全身から出して歩いていくも、あと数歩で外と言うところでバヨネットは構わず声をかけてくる。
「お前どこに住んでるか知らないが、そのまま飯の種を探しに出るなら北に行くと良いかもな」
その言葉に私は足を止めざるを得なかった。
反射的に振り返るバヨネットは先ほどよりも更に腹立つニヤケ顔を私に向けていた。
「どうやら川崎の方の大型シェルターのヴィレッジが潰されたみたいだからよぉ。ブリガンドのおこぼれに与れるかもなぁ……!」
「……っ!!」
「ここも川崎も二〇トンとか言う無駄に重くて厚いドアで核爆発も耐えたようだが……三世紀も経てばただ思いだけの鉄くず。ハイテクな棺桶にしたって重い蓋じゃねぇか……クククッ」
完全に向き直る私は同時に銃を抜いていた。
銃身が持ち上がり地面と水平になる所で次に私がしようとした事は誰が見ても明らかだった。
だがしかし持ち上がった銃に突然重くなり、銃身が下がる。地面に引っ張られると言うよりも上から押さえつけられたようだった。
私がその存在に気付きふと横を見ると、見慣れない男が立っていた。
赤い、炎の様な髪色をしたその男の手が私の銃を掴んでいる。いつの間にそこにいたのか、私が呆気に取られていると男は静かに口を開いた。
「お前、駅にいた女だろ。救急隊が出るぞ」
「なぜ……それを」
「お前が連れてるその浮かんでる機械はどこからでも目に付く」
赤い髪の男は銃から手を放すとついて来いと言わんばかりに手を仰ぎながら先を歩き始めた。
その姿とバヨネットの顔を交互に見やる。バヨネットはあっちに行けと言わんばかりに手を下から上へ振る動きを見せる。
憎たらしい態度に下唇を軽く噛みつつ、赤い髪の男を見えなくなる前に追いかけた。走り出す私の背後でバヨネットの声が聞こえる。
「くたばった奴らに俺達は後から行くからよろしく言っとけよぉ!」
******
赤い髪の男を追って小走りに人の波を掻き分け駆ける。その後ろで人の波の少し上から悠々と着いてくるジャッカーをこういう時は羨ましいと思ってしまう。
昔は空を飛ぶ機械が空を所狭しと飛び交っていたらしいが、今となっては空を飛んでも誰も邪魔するものはいないだろう。……地上からの狙撃を除けばだろうが。
直ぐ側まで追いつくと男は歩きながら私が追いついたのに気付いた様だ。
目の前にいる男の向かう先には横浜駅。駅の周りには人が少なく、武装した兵士が巡回しているくらいだ。
人で混雑した空間はシェルターの中での生活である程度慣れてはいるものの、好きではない。
漸く広い場所に出れたかと思うと安堵のため息が自然に出た。
「お前、アイツと関わると碌な目にあわないぞ」
「バヨネットを知っているの?」
私の質問に男は背を向けたままだがあからさまに笑っているのが分かった。
「シェルター育ちは噂にも疎い様だな。まぁいい。あれは地元で有名な不良とか言うレベルの有名な傭兵ではない。恐らくはこの関東の焦土中では知らない人間はお前みたいなのを除けばいない程だ」
そこまで有名とは知らなかった。
南部すら口に出したことが無かったがたまたま聞く事が無かっただけか、はたまた人前で言うのも躊躇われる様な奴と言う事か。
正直後者だろうと私は思う。
「そんな奴とは知らなかった」
「だろうな。アイツに銃口を向けるような奴はお前の様な知らないが故に無謀な奴か奴に狙われちまって仕方なく応戦する奴だけだ」
そんな話をしているうちに駅の中へ入る。最初に入った時から数十分、雰囲気は一変し、呼び集められた武装した一団が整列しており、今すぐ駅を出て川崎へ向かうといった様相だった。
その列の中に赤い髪の男が最後尾に立つ。
するとその足元には彼の荷物であろうバッグと銃が置いてあった。
置いてあった銃、M一四にも見えるそのライフルはパッと見た時の印象はM一四であったが若干バレルが長い。
長さもそうだがそもそも少し太くも見えることから恐らく機関部、レシーバーも変えているのかもしれない。
ストックからフォアグリップまで木製だが、テープが巻きつけてあったりと何度か修繕したような後が見えた。
取り付けられたスワットスリングを掴んでライフルを持ち上げるとそのままの勢いでライフルを肩に掛けた男は漸くこちらに顔を向けた。
鋭い目つきの男だがどことなく少年の様な子供っぽい顔つきでもある。
体格を見る限りでは十代後半から成人はしている位かと思ったが顔だけ見たら理緒よりも少し年上、少なくとも私より年下かもしれないと思える程であったがその顔立ちに相応しくないほどに深く刻まれた眉間の皺が彼の人生が以下に苦労が絶えなかったか物語っている。
いや、この世界に生れ落ちた時点で苦労の無い人生などありえないのだ。
だから彼が特別不幸だったとは思わない。ただ、きっと今までは表情を殺す事が出来ない人間だったのだろうと思えた。
子供っぽい顔つきだと思い改めてその後姿を見る。背丈は私より少し低いくらい。
先ほど真横に立たれた時、目線がほぼ一緒だったのでそう変わらないか。
元々は白かったのであろうロングコートは埃や砂等で汚れて茶色く変色したり、所々黄ばんでいた。
裾が奇妙な解れ方をしているように思う。防刃効果でもあるのだろう。風によってもあまり靡かない様子を見る限り生地に何か編み込んでいるのか重さを感じられた。
全身をアーマーやプロテクターで固めていて体格まで子供なのかは分からないがそれで汗1つ流さず何食わぬ顔で歩き回っている所を見るに相当体力はある様だ。
と、そこで目の前の男はわざとらしく一度咳払いをした。ジロジロ見すぎたか。
「お前の名前はステアーでよかったか」
「……お前に名乗った覚えは無いけど?」
「見慣れない人間がいると聞き耳を立ててしまってな。普段はヴィレッジの警備をしているから職業病みたいなものだ」
いつの間にか構内で兵士とした会話を聞かれていたようだ。
こんな目立つ人間など目に留まるような気もするが一体どこから聞いていたのか。
しかしそのおかげもあってか私の事を気にしてくれたようだ。
だが私だけ一方的に名前を知られていると言うのはどうも気分が良いものではない。
と言うよりも、自分の事を一方的に知られており、相手の情報を自分が持っていないと言うこの状況が落ち着かなかった。
「そう言う貴方は何者?」
「俺か。俺の名は火野神威。どっちでも好きに呼べ」
「神威? 変わった名前ね」
特に何も考えず言ってしまった言葉に自分で人の事を言えた事かと思ったが案の定目の前で鼻で笑われた。勿論次に出た言葉は「お前に言われたくない」だった。名付け親に文句を言えと思いつつもその言葉は飲み込んだ。
救急隊の隊長と思わしき壮年の顎鬚を蓄えた体格の良い兵士が点呼を取ると武装した一団が一斉に歩き始めた。漸く出発だ。
南部や理緒、イサカ、ヴィレッジのみんなを心配しつつ、私は横浜ヴィレッジの救急隊と共に駅を後にした。