ジャッカー
崩壊した建物は全ての窓ガラスが割れているどころか壁、地面、天井に穴が開いており、いつ倒壊してもおかしくない状態だ。真正面から奴を倒すのは難しい。
ならば、正攻法以外でやるしかない。とっておきをお見舞いしてやる。
私は走りながら辺りを見渡す。内装は既に略奪された後か、倒れたデスクには引き出しすら無く、戦前には何かの事務所だったのか、書類の束が乱雑に床に撒き散らされ何時のものかわからない煙草の吸殻。
砕けた支柱からは鉄骨が露出している。
走りながら周囲に目星をつけ、手元で〝正攻法以外〟の準備を進めていた。
自分一人、元の色が分からなくなったタイルの上を走る音が聞こえるが背後からあの男の君の悪い薄笑いが足音に混じって聞こえている。
逃げる獲物を追いかける今の状況を明らかに楽しんでいる……!
だがその油断のおかげか、私は奴の居場所がなんとなくだが把握できている。
通常、建物の階段と言うのは上りも下りも同じ場所にある。もっと細かく言ってしまえば階段と言うのは上の階と下の階へ続く階段は併設されている。
わざわざ次の階へ行く為に通路を通り、角を曲がり、数分歩かないと階段に辿り着かない等の構造をした物は多くないだろう。利用する人間からしたら手間だからだ。
この建物も同じだ。階段は並べられており、階段を上ったらその直ぐ隣に上へと続く階段がある。だがそれは遥か昔だったらの話だ。
丁度階段を上り終えた部分の天井が崩れ、回廊となっている廊下を一周しなければならない状態となっていた。
私はこの手間のかかる回廊を利用することにした。回廊を走りながらある仕掛けを施し、上の階へ駆け上がる。私の記憶が確かならばこの建物の近くには、アレがあった筈だ。
アレ、は確かにあった。
旧日本軍の運搬車両だ。それは大型のトラックで、荷台には兵士が乗り込むことを想定してか簡単な骨組みで作られた革製の屋根が作られていた。
三階の高さでも屋根に着地できれば衝撃は少ない。私は急ぎそこへ飛び降りた。
衝撃は多少なりともあったこそすれ、傷を負う事は無く、何百年も放置されていた為に弱っていた骨組みを何本も折ったが無事に荷台に飛び込むことが出来た。
その瞬間である。
私はその音が聞こえた途端に耳を押さえた。
爆発だ。大きな爆発の音が鼓膜に一瞬響いたが予想できていた事故に出来た反応だった。
私の仕掛けた爆弾が起爆し、建物の支柱を破壊したのだ。轟音と共に建物は一気にバランスを崩し、隣の廃ビルに倒れこんだ。
大量の破片と埃が舞い上がり、近くにいた私の髪も服も真っ白に染まった。
吹き付ける風が大人しくなってから崩壊した建物から離れるように歩き出す。
軽く服についた埃を手で払っているとふと背後が気になり振り替える。
この世界で生きていく限り、心配性なくらいで丁度良い。そう言っていたのは南部だった。
それは口癖のようで、事ある毎に独り言なのか私に向けて言っているのか分からないほど頻繁に言っていた。
私自身そうだと思うし、南部が言っていた事に感化されたつもりはない。しかし、先程から妙な違和感のようなものを感じていた。
視線なら感じ慣れている。
長期的に蔓延している放射能の影響か、その生態が変異した生物や外界を徘徊する人間達は自分以外の存在に常に警戒し、その存在を視界に捉えたら襲うにしろそうでないにしろその相手から目を離さない。
少なくとも自分の視界から消えるまでは。
だがそのどれもが自身の気配に関しては意識しない。意識してても気配を消す、等と言う高等な技術を使えるものは稀だ。
違和感。それは気配があるようでないような、曖昧な感覚だった。
何かが居る気がする。しかし生き物の様な気配でもないと言う微妙な感覚が冷気となって私の背骨を這った。
嫌悪感は続くもののいつまでも狂人の相手などしていられない。爆弾もとっておきだった物でタダではない。これ以上の出費は避けたいのもあり、私は足早にこの場を去った。
当初の目的を果たすため私はついに軍用施設の前まで来た。
電気はまだ通っているようで、私がドアの前まで行くとセキュリティシステムが作動し、私の事をレーザー等で識別し始めたときは驚いたがシステムそのものは誤作動を起こしているのかすんなり扉は開かれた。
金属製の扉が自動的に開かれると何となくだが懐かしさを感じる空気の匂いがした。
それはヴィレッジの匂いに近い気もしたが決定的な違いは生活の匂いが全く無い事だ。
人々の匂い、食べ物の匂い、そして血の臭い。そのどれもが欠けていた。共通点があるとするならばそこそこに空気が浄化されていて四方が金属に囲まれているせいかそれらが僅かな冷気を含んでいたことだ。
こんな状態では中の物資など既に取りつくされていそうなものだが中は案外綺麗なもので、床に積もった埃が何年にも渡ってここに人間が出入りしていないことを物語っていた。
施設内に入る。その一歩は誰も踏み込んでいない雪原に自身の足跡を残す感覚に似ている。
中はとにかく静かだ。その筈だ私以外に人間もいなければ生物の気配すら無い。
長い廊下の左右には様々な用途に応じた部屋があったが特にめぼしい物も無く、床には元は戦前の兵士だったのだろう粉末と軍服だったのだろうボロボロの繊維質が気が遠くなるほどの年月を感じさせた。戦争によって焼き払われ、誰にも弔われること無く、多くの兵士が死んでいったのだろう。
私は普段抱くことの無い哀しみを感じ、長い廊下の突き当たりで後ろに向き直ると両手を合わせた。
これに特に意味があるとは思ってはいない。
それは南部の真似であった。仲間が不運な事に探索中に死亡した時に南部が必ずやっていた行動だった。
小さい頃の私は南部に何をしているか聞いた。死んだ人間は言葉が聞こえないから心の中で別れの挨拶をして、手を合わせることで想いを故人に送るのだそうだ。
この世界が今の姿になる以前は皆が知っていてそれをする文化があったと聞いた。
今思えば、なぜ皆が忘れている文化等についての知識があるのかと疑問に思ったが、それを聞いた私はその時から南部の見様見真似で手を合わせるようになった。不思議と、自分の想いが伝わるような気がしたからだ。安らかに眠れと。
誰かも分かりはしない亡骸達に背を向け、地下へと続く階段を折り始めた。その時だった。
背後から音がした。
それはついさっき自分が間近で聞いた音。自動開閉式の金属扉が開閉する音だ。
私以外の侵入者。嫌な予感が私の足と息を止めさせた。
「ウサギは穴倉がお好きなようだなぁ……。いけないなぁこんな所に入っちゃあ……」
奴だ。遠くから微かに聞こえてきたその声には余裕が感じられた。どうやってか知らないが、私のとっておきは奴の息の根は止められなかったらしい。
私は急ぎつつも気配を殺しながら忍び足で階段を下りた。
隅々まで捜し歩くのならば最終的には奴とすれ違うか、対面せざるを得ない状況になるだろう。その前にこの施設にある戦前の武器を集めて奴をなんとかする方法を探さねば……。
バヨネットから距離を置いたのを気配だけで察した後私は細かな確認は止めて、ある程度部屋の入り口で目星をつけ、扉を開ける。
数分歩き続ける。武器保管庫とあからさまに当たりな部屋を発見し、ドアノブに手を伸ばす。
ノブをひねって前後させるも扉はピクリとも動かなかった。鍵がかかっている。
ここまで来て、鍵がかかっているから帰るだなんて出来るわけも無い。
上着の内側に仕込んでいたピッキングツールを取り出す。何パターンかある先端の曲がった細い金属棒を2本取り出し、慎重に鍵穴に差し込み、解錠を試みる。
カチャカチャと音はするものの、なかなか解錠に至らない。私の手はだんだんと焦りで震えだした。
ここでモタモタしていたら奴に追いつかれる。不安と緊張から来る震えを冷静さで押さえ込もうとする。しかしそれに反して手袋をしているのも相まって短い時間で手が汗ばんでくる。通気性の良い手袋ではない、すぐに手袋の中は蒸れてきた。
そして、ようやくガチャっと違う音が鳴り、解錠を確信しノブに手をかけた。
「随分ご熱心だったようだなぁ……」
背筋が凍りつく。
私は振り返ることなくその場でノブを回すと飛び込む様に部屋に入った。
背後でバヨネットの笑い声が聞こえる。
「待てよぉ、俺と遊ぼうぜぇ!」
急ぎ扉を閉めそこに自分の全身を乗せ背中で押さえ込んだ、その背に激しい衝撃を受ける。
強い衝撃は低い位置から広がる。バヨネットが扉に向かって蹴りを入れたのだろう。自分の得物を使わなかった辺り、本当に奴は"遊び"で私をどうにかしたいらしい。どうにかすると言っても最終的には死ぬのは明らかだろう。
私は鍵そのものは壊していない。すぐさま鍵を閉めると辺りを見渡す。
この施設に入る時セキュリティシステムがまだ生きていたことから何となく予想していたが電力はまだまだ現役らしく、重要な部屋には十分な照明がついていた。恐らく施設のどこかに施設が独立して稼動できる様に発電室があるのだろう。
部屋はかなり広く、今立っている場所からでは全景が把握できない程だ。
急ぎすぐ隣にあったロッカーを扉の前に押してバリケードにする。気休めにしかならないだろうが無いよりマシだ。
何度か扉をガンガンと殴打する音が聞こえる。私はとにかく武器を漁る為部屋に所狭しと並べられた金属棚を見渡し、愕然とする。
蛻の殻だったのではない。どれも使い物にならなかった。
長年放置されていたのは入った際の埃等で明らかであったのだが、恐らく、ここが管理されなくなって間もない頃に一般人の略奪か軍関係の人間に使える物はほとんど回収されてしまったのだろう。この施設は大分昔から機能していない。入り口のセキュリティは甘く、この部屋にしたって私の様に解錠した奴がいたり、または正規の方法で入れる人間だっていたかもしれない。
何百年もこの場所はあったのだ少し考えれば、既に荒らされている事だって予想できたではないか。軍用施設なんてものは武器にしても他の物資にしても豊富に蓄えがあるなんて誰にでも考え付く発想だ。
ここまで落胆したことは無い。ド素人の想像力の欠如と抱えすぎた期待に対する現実に、私は膝から崩れ落ちそうになる。
何でも良い、今の現状を切り抜ける何かが無いか? その思いで私は部屋の奥へと駆ける。その際も相変わらず背後では扉を叩く音は鳴り止まない。
部屋全体は大きな長方形をしているが、背の高い商品棚を連想させる武器保管用の棚が中央に整然と並べられており、その大きさがこの部屋を狭く、入り組んでいるように感じさせる。
部屋の端にたどり着くと今まで棚の影で見えなくなっていた壁に更に奥へと続く扉があった。
扉の前まで行くと取っ手と思われる物がついていないことが分かる。施設の入り口のような自動開閉式の扉なのだろう。扉のすぐ側には開閉を操作するのであろう端末があった。
壁にはめ込まれたパソコンの様に見えるそれは横長の画面で、キーボードは壁に折りたたまれて収納されている。
キーボード部分は壁の方へ少し押し込むとパタッと力無く倒れこむように下へ開いた。開くのが条件なのか、キーボードが出たタイミングでスクリーンに一瞬ノイズが走り、ぼんやりと青白い壁紙が表示される。そしてその中心で横回転する図形が目に留まった。白地に紅色の線で大きく描かれたエンブレムはかつてこの地が日本と言う1つの国家だった時に掲げられた軍旗のそれだ。
立体映像で作られた旭日と呼ばれるそれは回転し裏返ると別の形をした旭日へと形を変える。表と裏で光線の本数が違うようだが、今の私にはそれが何を意味するかは分からなかった。
そうこうしている内にスクリーンの中心に入力画面が表示されパスワードの入力を促される。
私はスクリーンとキーボードの間にあるUSB端子のジャックを確認すると探索隊が常備するハッキングツールを取り出し接続した。
ハッキングツールは南部のお手製であり、パスワード等でロックされた端末に接続するとセキュリティソフトをすり抜けて内部データに進入し、パスワードの入力履歴から正解パターンを抜き取る。
自動入力する事で真正面からパスワードを解除させると言う代物らしい。
どういう構造をしているかは機械に疎い私にはよく分からないが、今の私にはパソコンにぶっ刺せばいい便利な道具であることが分かっていれば問題はない。
流石に軍用のセキュリティ相手に時間がかかるのかツールについているハッキング作業のインジケーターがカチカチと何度も点滅をしていた。
その点滅に合わせるかの様に背後の扉を叩く音が激しさを増しており、焦らずにはいられなかった。しかし現状私は待つしかなかった。
私には理解不明な暗号とも思う文字の羅列がツールの画面上を流れていく。私はいつでもコードを引っこ抜ける様に接続部の頭を掴み、ただ待った。
しかしその時。
一際大きな音と共にあの男が遂に侵入してきてしまった。
蹴飛ばされて飛んで滑ったバリケードと扉。そして硬い靴の足音が私の耳にねじ込む様に入り込む。
部屋に入ってきたバヨネットは相変わらず気味の悪い笑い声を吐く。
それは地の底から這い上がってきた伝説上の悪魔の嘲笑を連想させ、今まで他人に対して抱いてきたどの嫌悪感にも当てはまらない歪な気色の悪さを覚え、私は思わずツールの画面を見ずにケーブルを引っこ抜いた。
抜いた瞬間やってしまったと言う後悔で顔から血の気が引くのを感じた。
体ごと振り向いていた私の視界に悪魔の様な紫の瞳が入り込んだ。射抜くような猛禽類を連想させる鋭い視線に私は思わず後ずさる。
後ずさって扉に背中を預ける形になるかと思いきや、それは違った。
バヨネットのあまりの存在感に圧倒され、私は扉がスライドして開く音を聞き逃していたようだ。いや、もしかしたら聞こえないほどの静かな音で開いたのしたのかもしれない。どちらにせよ、私の背後には壁は存在しなかった。
足が突っかかる。そのまま虚空に体を預けたら転倒するところだが辛うじて踏みとどまる。
そのまま後ろに引っ張られるような感覚に乗り、よたよたと酔っ払いのような足取りで交代する。
「おいおいどうした? さっきのは効いたぜぇ? まさかこの俺をビルで潰そうとはな」
体勢を立て直すと私は咄嗟に銃を抜き、バヨネットへその銃口を向けて引き金を引く。
数発の発砲。マズルフラッシュが明滅する照明となって周囲を照らし、放たれた弾丸は正確にバヨネットの肉体を捉えていたが、やはりと言うべきか。
「銃じゃ俺は殺せねぇ。分かってんだろ?」
響き渡る銃声の後の跳弾する。
人間業とはとても思えない。奴はまた私の銃撃をその両手に持った2本の銃剣で弾き、肉体への直撃を避けて見せたのだ。
最早偶然ではない。こいつは確実に私の、いや、銃の弾道を何かしらの方法で見抜き、正確に飛んできた銃弾を弾いているのだ。
バヨネットは舌なめずりをしながらジリジリと距離を縮めてくる。
一度背を向ければ最初の時の様に尋常ではない速度でこちらに切りかかって来るだろう。
得物は銃剣。殆どの人間が銃で武装するこの時代でその武器で相手を殺すには凄まじい突進力が必要になる。この男は銃弾飛び交う戦場でも見た通り無傷で突破できるのだろう。
こんな化け物とどう対峙しろと言うんだ。今から死角に潜り込むのは不可能と言い切れる。なるべく視界から外さぬように辺りを観察する。
最悪な事に背を向けたまま部屋に入ったせいで背後に何があって壁まであとどのくらいなのか判断できない。
そして現状左右の壁が見えず、正面の壁だけ見える事から仮に正方形の形をした部屋だとしたら相当広いと思われる。
相変わらずの金属の壁だ。塗装もしていない鉛色が視界の大半を占めている。様々な配管が天井を走り、地面の一部は格子状になっており床下の何かの配線が隙間から見えていた。
この部屋はただの武器庫ではなさそうだ。よく耳をすますと電気の交流音である低く持続した小さい音が背後から聞こえた。
武器庫の奥が変電設備や発電設備と言うのは考えにくい。私は銃口をバヨネットに向けたままゆっくりと後ずさり、踵や開いた左手で背後に何か無いか意識を集中させる。
<ようこそ、新規ユーザー様>
突然聞こえたそれはとても無感情で無機質で、男とも女ともつかない声だ。突然の事で私は思わず立ち止まる。それはバヨネットも同じであった。
ニタニタと笑い、釣り上がっていた口角は謎の声によって一気に急降下した。
「あん? なんだ?」
『生体認証によるユーザー登録を開始します。新規ユーザーの方は……』
淡々と台本を読む様な声、機械音声なのだから当然なのだが今の私達の状況などお構いなしに、インプットされた言葉を並べていく。
「この声、うぜぇな糞が……」
バヨネットの形相が見る見るうちに凶悪なものへと変わっていく。口調も低めの声が更に低くなる。あからさまに見せた男の憎悪ともとれる怒りに不自然さを感じずにいられない。
たかが機械音声にここまで不快感を示すとは予想の範疇を超えており、戸惑いの連続に私は遂に体が硬直してしまった。
その場の空気に圧倒され、まずどう行動すれば良いか分からない。爆発寸前の狂人を目の前に土地勘の無い場所で打つ手が無い状況下。今更降参と言おうものならその場で殺されるのは目に見えている。
初対面から殺しにかかってくる正体不明の狂人を口先だけで振り切れる方法があるのなら手持ちの戦前の銃弾を全部くれてやってもいい。
「糞ウゼェ事思い出しちまったぜ。憂さ晴らしだ」
バヨネットがそう言った時には手にしたその照明を反射する刃が前に突き出していた右腕に突き刺さっていた。
「……テメェ、殺すぜ」
腕に痛みが走り、突き刺された右腕の前腕が熱くなる。バヨネットが左手に握っていたナイフ状の短い銃剣を逆手に握り、その刃が厚い服の繊維を紙の如く破き、肉に食い込んでいる。
悲鳴のひとつでも上げたかったが反射的に歯を食いしばり、男の鳩尾に左足で前蹴りを叩き込む。
流石に強く武器を握りこんでおり、目の前まで接近していた奴にこれを避ける術はない。避ける為に武器を放して距離を取れば奴の武器のひとつを取り上げることが出来る。
探索の為に同じ探索隊の男連中よりも鍛えている私の蹴りは重く、そして内臓に衝撃を加えることで加わるダメージは顔面等の急所への瞬間的な痛みに劣るが相手のスタミナを削り取るには良い。
バヨネットは武器を握ったままであったが腹部に受けた蹴りの衝撃で体勢が崩れる。
「クッ! このアマァ!!」
右手に持ったサーベル状の銃剣を振り上げ、乱暴に振り下ろす。
しかし、蹴りが入り、バヨネットが体勢を崩す。その瞬間で私の思考は冷静さを取り戻した。
何故だか分からないが、私は瞬間的にバヨネットの動きを予測できていた。
振り下ろされた腕の手首を左手で掴み、外側にひねると同時に前蹴りを終えた足でそのままバヨネットの顎を思い切り蹴り上げた。
流石の狂人もこの一撃には参ったのか、右腕に突き立てていた銃剣を握る手を離す。
二度に渡る自身の蹴りによる衝撃で傷口が広がり、真っ赤に染まった刃はぬるりと嫌な感触を残しながら冷たい地面に鈍い音を立てて落ちた。
「どうした……殺すんじゃなかったのか……?」
息が上がっていたが一言二言、言ってやらなければ気が済まなかった。私にも感情的に悪態をつくこともある。
右腕の痛みに銃も持っていることが難しくなる。銃を離さずにおこうとすると銃の重さで手に力が入る。その時にかかる腕の負荷で激痛が走り眩暈がしそうになるほどだ。こうなっては右腕は使えない。
幸いに手にしていた銃。TMPはショルダーベルトをつけれる様に手を加えていた為にベルトで肩掛けして直ぐに素手の状態になることが出来た。そして、私はもう一挺"相棒"がいる。
距離が開いた瞬間、その瞬間で十分。そう、左手でもう一挺のTMPを抜いて引き金を絞る時間は十分だ。
激しく明滅の閃光。
室内に反響する発砲音は最早何発分の発砲か分からない。だがそんな事はどうでも良かった。
目の前の化け物相手にマガジンに残す弾など無い。
ただありったけの、ありたっけの鉛玉を撃ち込んだ。
「はぁ……はぁ……チッ、しとめそこねた……!」
目の前に、バヨネットの姿は無かった。ただ、その床に滴る赤いものについ小さく笑みを浮かべてしまった。
無敵かと思っていた奴に真正面から、トドメは刺せずとも一泡吹かす事が出来たのだ。
しかし、血の跡を目線で追っていくと点々と滴るその感覚は広いが真っ直ぐにこの部屋に入って来た時のたった一つしかない自動扉の向こうにまで伸びていた。
恐らくあの扉の直ぐ側で息を潜めているのだろう。
私は床に落ちた奴の銃剣を確認する。私の血で濡れた銃剣。それは確かに銃のアタッチメントとして着剣出来るように剣の鍔の形状がリング状になっていた。
何故得物にコンバットナイフや軍刀等軍事施設を漁れば出てきそうな刃物にしないのだろうと言う疑問が過ぎった。
そんな自分に私は若干呆れた。まだ相手を始末してすらいないのに、もうそんなどうでもいい事に意識が向かう事が出来る事に。
どっと来る疲労感に耐えながらよろよろと銃剣を拾い上げる。
その時初めて天井からではなく、淡く青白い光に背後から照らされていることに気付いた。
光の方へ目を向けるとそこにあったのは腰の高さほどの質素な金属製の台。その奥にあるのは、円柱状の、ポッドだろうか。それもまた周囲と同じく飾り気の無い鉛色の金属製で中心より若干上の所に覗き窓の様な物があり、そこから薄っすらと青白い光が漏れ出ていたのだ。手前の台と円柱状のポッドはひとつずつでセットらしく、十セットが並べられていた。
だが私の目の前にある物を除いて全てが中身である何かが取り出されたのか、綺麗に円筒が縦に半分、手前側が失われており、中ががらんどうになっていた。何かを繋いでいたのであろうカラフルなゴムに保護された何本もの端子が無造作に転がっている。何やらさっきまで機械音声でよく分からないことを言っていたが、厳重に保管されている何かが私の目の前のポッドの中にあるのは確かだ。
背後のバヨネットに警戒しながら私は早足でポッドの前まで近づく。
ポッドの前にある台に近づいて分かったことは台の上が一面液晶モニターの様なスクリーンになっており、指で直接スクリーンをタッチする事で画面内のアイコンやキーボード等を操作できる仕組みになっている様だ。
先ほどの壁にはめ込まれていたパソコンと比べるとこの場所で周囲の雰囲気や機械の1つとっても技術が一気に近代化されている様に思えた。私もかなり旧式ではあるがタブレット端末を持っているが今やっと技術力が施設側が追いついた様な印象すら感じる。
南部の言っていた武器とはロストテクノロジーの中でもかなりハイテクな代物なのだろうか。
逸る気持ちを抑えながら、台の画面を見る。そこには一筆書きで描かれた右手の平の図が大きく表示されていた。その図の下部に"手を置いてください"と指示する表示がある。
私はそっと台の上に手を載せた。そして数秒の逡巡。画面に表示された文字を見た。
〝ユーザー登録完了。Japanese-Army.Combat.tracKing.EmotionalRobot.
-JACKER-:起動します。〟
ジャッカー……? その文字が表示された後直ぐに目の前の円筒状の覗き窓付きの開閉口が下へとスライドし、床下に消えていった。
青白い光に照らされた、軍施設に残されていた物。南部が必要としていた武器。その姿が私の前に現れた。
それはバチンッと言う音と共にポッドと接続された端子が抜かれ、私の前へとゆっくり"浮遊して"近寄ってきた。
今まで見てきた〝武器〟と言うカテゴリの中ではどんなものにも形は似ておらず、例えるならその見た目は空飛ぶバスケットボールとでも表現すべきか。
武器と言うよりもこれはロボットに含まれる物である事は私でも理解できた。
一応この浮かぶ球体の顔? になるのだろうか。
私が正面で捕らえている面にはまるでサングラスの様なバイザーがあり、黒いバイザーの奥には一つ目のカメラが周囲を観察するように忙しなく動いている。
それを目と表現するなら口になる部分には恐らく武器であろう砲身、らしき物が出ている。
先端部は肉抜きされたような形状をしており、マズルブレーキだと一目で感じた為に私はその部分を武装だろうと勝手に認識した。
そしてその認識は正しかった様だ。
突然その丸いロボットの口がチカッと一瞬だけ強い光を発した、刹那――。
――パァンッ!!
激しい破裂音が背後から響き、私は慌てて振り返る。
それは部屋と武器庫を繋ぐ出入り口のその向こう、整然と並べられていた金属棚だ。棚が真っ赤になり、円状にドロドロと溶けていた。
何が起こったのか私には理解できなかった。とにかく、この物言わぬ球体が何かを放ったのだと思う。
今も尚熱を持って変形する金属棚を見て唖然としていると部屋中に聞こえるほどの大きな笑い声が聞こえた。
「ハ、ハハハハハッ!! なんだそりゃあ! てめぇ、面白いもん手に入れたじゃねぇか!」
「くっ、まだやる気……!?」
「冗談じゃねぇよ。今日の所は引き上げてやる」
バヨネットの言葉に私は安堵しようにも素直にその言葉を信じることは出来なかった。
だが次の言葉に私は戦慄する。
「お前、目をつけたぞ。お前は必ず俺が狩る。必ずな……! その銃剣は預けてやる。決して手放すなよ? 俺に返す時は俺の体に"突き返す"んだなぁ!!」
それだけ言うと死角から去っていったのか、足音だけが足早に離れていった。
勝ったのだ。今のところの話だが……。
ジャッカー。その名前の割にはやたら丸みのある鉄の塊は物言わぬ代わりにふわふわと私の周りを飛び回っている。
よく分からないが、その動きはまるで喜んでいる子供がはしゃぎ回っている様な光景にも見えて、少し愛嬌があるような、そんな気がした。
私が歩けば後ろからふわふわと着いて来る。カメラで私を捉えているのか、決して私の後ろから離れず、逆に前へ出る事もしない。
常に後ろを決まった距離を保ちつつ着いて来る。保管されていたポッドの前で行ったあの画面に手を乗せる行為によって恐らく私を持ち主として認識してしまったのだろう。
これではこれを連れて帰っても私専用の所有物になってしまうのではないだろうか? その辺のプログラムは帰ってから何とか出来る手筈は整っている事を頭の片隅で期待しつつ、思わぬ収穫だった。
収穫は収穫だ。手ぶらよりマシだと割り切ることにする。
戦力としてはかなり心強い事は目の前で見せてくれた事だし、この傷も痛みも無駄ではなかったと思いたい。
私はこの軍施設の地下に眠っていた戦前からの遺産、戦う球体〝ジャッカー〟を連れ、帰路に就く。
地上へ出た時には既に空は翳り、夜の闇がすぐ側まで迫っていた。
ここに向かう途中素通りした横浜ヴィレッジだが、補給やきちんとした治療も兼ねて帰りは寄ろう。
そんな事を考えながら私は再度施設の中へ戻り、夜をしのぐ事にした。
朝一でここを発つ、早く家に帰らねば……。