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ステアーに逢いたくて

 ――ステアーがここを去って半年が経とうとしている。


 川手理緒という名前を孤児院に入って捨てられそうになった時、僕は駄々をこねた。

 孤児院にはいろんな事情で入る事になった子達がいた。僕みたいに、両親をブリガンドに殺されたせいでひとりでは生きられなくなった子なんて珍しくない、狭くて異常な社会の中で、悲しい過去を捨て去る為に、新しい人生を歩ませるために名前を変えるというのは当たり前のように行われているらしい。けど僕は、僕は川手理緒で良いって思った。


 僕は、この半年で色々あって強くなったよ。

 ステアーが寄越したあの蛭雲童とかいうオッサンだけど、でかくて強面の割りに腰が低いし、何故か僕を旦那って呼ぶ。旦那よりシェフとか料理長って呼んで欲しいんだけどな。


 アスンプト神父に引き取られてから、僕は殺しの技術を学んだ。射撃、剣術、暗殺――。今の僕なら、きっとステアーと肩を並べられると思う。

 時間が経てば経つほど、会いたい気持ちが強くなって、何度も追いかけようと思った。多分今なら力ずくでも出ていけただろうけど、今はそういうわけにもいかなくなった。


 孤児院にはいろんな事情で入る子がいるけど、特に珍しい子が入って来た事があったよ。

 ステアーが出て行ったあと数日して、ヴィレッジに来た行商人が多摩川で子どもを拾ったらしく、孤児を引き取る教会の話を聞いてその子を運んできた。

 家を失い両親もいない子どもが、ヴィレッジや大人の保護無しで生きられる程、この全てが崩れ落ちた世界は優しくない。

 教会はその子を引き取ったが、既に薬物で心身がボロボロになっていた。

 とてもじゃないけど教会の中でもひとりにしておくのは危険な状態だった。だから相部屋の僕がお守りを任されるようになったんだ。


 その子は枸杞という自分の名前以外、何も覚えていない子だった。行商人は教会に連れてくるまでずっと意識を失っていたらしい。

 毛布に包まれていたが枸杞は何も着ていない、裸の状態だった。教会も慌しく、直ぐに服を見繕えなかったから、身長が近かった事もあって僕のおさがりを着せてあげた。

 意識を取り戻しても枸杞はぼんやりと宙を見ているか、時折薬の禁断症状による幻覚や幻聴でパニックを起こして昼夜問わず錯乱して暴れまわった。僕も何度殴られたかわからないけど、枸杞が悪いんじゃないんだ。だから僕は殴られても枸杞を責めたりしなかった。

 けれど正気に戻るたびに枸杞は泣きながら謝ってくる。その姿はとてもかわいそうで、いつの間にか僕は神父から戦闘技術を教わる時間以外は枸杞の世話をしていた。

 枸杞の世話をしている内に枸杞は僕に懐いてくれたみたいで、意識がハッキリしているときは僕の後ろをずっとついてくるようになった。

 近くに僕がいないと蚊が鳴くような声で僕の名前を呼びながら教会をうろうろするものだから、教会の人間のほとんどが僕の名前を覚えてしまったし、教会の人間は枸杞を見るたびに僕の居場所を教えるようになった。

 それが恥ずかしかったけど、急に弟ができたようで、嬉しかった。


 そんな日々を送っているとしばらくして、あのオッサンが来た。

 ステアーに出会って人生をやり直す機会をもらったとか、僕の面倒を任されたとか言っていたけど、元ブリガンドである事を自ら打ち明けてきたとき、僕は僕の故郷を襲った奴らのことを思い出してしまって、信じられなかった。ステアーの銃を見るまでは。

 蛭雲童はヘラヘラしてたり、妙に腰が低かったけど、ヴィレッジ内の喧嘩を拳で鎮圧したり、逃げる盗人を捕まえたりして頼りになる。

 最初は神聖な教会にブリガンドを住まわせるなんて! なんて教会中の人間から鼻つまみ者にされていた。けど、僕は教会の評価よりステアーの評価を信じて僕は蛭雲童の味方をし続けた。



******



 ――そんな教会側の蛭雲童に対する評価が変わったのは、蛭雲童がやって来て三ヶ月くらいしてから。


 あのアスンプトの野郎が教会を裏切った。本人曰く、最初から裏切っていたようだ。善人面して教会に潜り込み、信頼を勝ち取った所で、ブリガンドとグルになって横浜ヴィレッジを外と中から潰して乗っ取ろうと企んでいたらしい。

 僕に戦闘技術を教え、教会の為にと罪人を暗殺させていたのは僕の復讐心を利用していたに過ぎず、時が来たら味方に引き込む算段だったとか。

 実際、アスンプトをトップとした孤児による少年部隊……いや、暗殺者集団と言うべきか。その構成員の殆どがアスンプトの決起と共に教会の人間に牙を向いた。

 教会の大人全てに言えることだが、僕たち孤児院にいる子供には優しく接してくれて、その中でもアスンプトはより距離が近かった、身近な存在だったために半ば洗脳された状態だったんだと思う。

 育ての親の為なのか、ブリガンドのように野蛮でありながら自由であることを求めたのか、アスンプトの野望に迎合したのか、それは分からない。

 多くの孤児がアスンプトの側に付いたが僕はアスンプトに従わなかった。

 川崎ヴィレッジを襲った五芒星革命軍とかいうブリガンド集団。奴らとも繋がりがあったからだ。

 アスンプトも川崎が襲われる事はずっと前から分かっていたし、救援を遅らせたのもアスンプトが根回ししたらしい。

 あの男は、僕にとってもステアーにとっても仇だったんだ。


 横浜は戦火に包まれた。大勢死んだ。乗っ取る前提だったからかヴィレッジの施設にはあまり被害は無かったけれど、ライフラインとしては重要度の低い教会は結構な損害を受けた。

 そんな中で蛭雲童は教会の裏切り者達と戦う間、枸杞を守ってくれていたらしい。

 襲い来る少年部隊やヴィレッジ内に潜んでいたアスンプトの部下であるブリガンド共相手に大立ち回り。怪我をしながらも戦えない孤児やシスターたちを守ったとか。


 そんな教会内外が混乱していた最中、僕は追い詰めたアスンプトを殺した。

 ブリガンドの大部隊が横浜を襲うという大混乱の中だったから、その事実を知るのは僕と蛭雲童、そして枸杞の三人だけ。いや、枸杞は状況を理解してないかも。

 教会は直ぐにアスンプトが抜けた穴を埋めるように新体制を作り、孤児による横浜ヴィレッジの影の治安部隊は解散した。治安を守るための暗殺部隊。それは教会内でのみ知られ、そしていつか教会内でも忘れられていくと思う。

 僕の手は血に汚れすぎたけど、ブリガンドや裏切り者から枸杞を守れただけで、アスンプトには感謝してる。

 本当はしたくないけど。


 だって、あの川崎から出てきたばかりの僕なんかじゃ、絶対戦えなかったから――。



******



 今日は珍しく快晴の朝だ。

 遠くに飛びえる骨組みが露出した高層ビルの廃墟群の隙間から覗く太陽が眩しい。

 僕は殺しの仕事から解放されたけど、朝早くに起きて動き出す事は変わらなかった。扉の無い窓の色あせたカーテンを全開にして、部屋の中に日光を招き入れる。朝の冷たい空気を肺に入れると体が引き締まる。

 川崎ヴィレッジは核シェルター。汚染された空気も清浄機を抜けて供給されていた。地上の空気は人を蝕むと言われているけど、自然の空気はいつも新鮮に感じる。ぎゅうぎゅうに詰められたヴィレッジ内を循環する空気は放射線の影響は無くとも、淀んでいて常に重い空気が漂っていたように今は思う。


「んー? 理緒、今日も早いんだね」


 眠たそうに目を擦りながら枸杞がベッドから起きてくる。ここに来た当初はどうやって染めたのか分からない位キツいショッキングピンクな髪も、今は地毛であろう焦げ茶色の髪が頭頂部に見えていた。まるでプリンとカラメルみたい。本人には絶対言えないけど。

 もう少し伸びたら切ってあげないとな。なんて思ってる僕を尻目に少し伸びた髪を手ぐしですいている。


「おはよう。早く顔を洗ってきな」

「うん……あ、おはよう」


 思い出したかのようにおはようと言ってくれた枸杞は、少し照れくさそうに俯いていた。おはようやいただきますなんて言葉も教わってこなかったのか、もしくはそういうのも忘れてしまったのか。それは分からないけど、地上に出て分かった事は文字を読み書きできない子どもや最低限の礼儀も知らない奴らが多過ぎるってこと。それどころか僕みたいなのはシェルター暮らしだと一発で分かるようで"箱入り"なんて言って笑う奴までいる始末。

 素行の悪い奴なんて川崎の厨房に立っていたときから相手してるし覚悟はしていたけど、思ったより地上の下品さに慣れるのは難しい。地上で最初の住まいが教会で良かったと思う。


 今まではその裏で暗殺など行っていた暗い過去があるけど、それでもここは教育機関のようなものを兼ねている。

 だから読み書きできなかった枸杞も少しずつだけど勉強をしている。体のデトックスはできたけど、やっぱりそれでも既に傷ついた脳は回復するのが難しいみたいで、物覚えはあまりよくない。ひらがなを書けるようになったけど、その筆跡はよれよれだったり、力を入れすぎて紙が破れたりと酷いものだった。それでも、頑張ろうとする枸杞の姿を見たら僕も頑張ろうって思えるんだ。


 枸杞があくびをしながら洗面所にとぼとぼと消えていくと同時に、僕らの部屋に近付くドカドカという粗野な足音が近付いてきた。そして直ぐに扉が大きく開かれる。


「旦那ぁ! おはようございます!」

「おはようオッサン。あとその旦那ってのやめろって言ってんだろ! ぼ、オレは理緒だっ」


 僕が自分をオレと言う時に思わず噛んだのを見て、蛭雲童はフッと軽く鼻で笑う。

 ステアーに近付きたいってずっと思ってきて、焦ってるんだと思う。こんなことしたって意味は無いと分かっているのに――。


「俺だって蛭雲童って名前があるんですぜ旦那ぁ。それに強がってオレだなんてらしくないですぜぇ~?」


 ――そうだ。そんな事分かってる。

 けど僕ってなんだか弱っちく感じるんだ。でもオレって言う自分に馴染めない僕がいて――。

 目の前でニヤニヤしながら見下ろしてくる蛭雲童。僕はこの図体のでかい、低姿勢の割りに人をおちょくってくるオッサンについカッときてしまう。偶然いい位置にある脛に蹴りを入れた。


「オウッ!?」

「うるせぇ! お前なんてオッサンで十分だ! このショタコン! もう直ぐ準備できるから先に食堂行ってろよ!」


 蹴りを入れられても何故か嬉しそうに笑う蛭雲童に馬鹿にされた気がして、憤慨しながら僕は自分のタンスに手をかけ仕事用の服に着替える。

 そんな僕の後姿。正確に言えば尻に熱い視線を送って鼻の下を伸ばしている蛭雲童に気付き、おもむろにタンスの上に置いてあったボロボロのドライバーを振り向きざまにぶん投げた。

 が、そんなドライバーも軽く避けられ、蛭雲童の直ぐ横の壁に刺さる。しかし、その反動でドライバーはぼっきり折れ、グリップが壁をバウンドすると威力の死んで蛭雲童の頭にヒットした。


「った~!」


 わざとらしくこめかみを押さえる蛭雲童。どう見たってその表情は余裕そのものだ。


「少しは気配くらい消せよな! つか、早く行けバカ!」

「バカは正直へこむから勘弁してくださいよぉ」


 今度こそ部屋から出て行く蛭雲童の後姿を見ながら、下目蓋を指で下げて舌を出す。ベーっだ!



******



 アスンプトに稽古をつけてもらっていたとき、心がどんどん磨り減っていく気がしたっけ。戦いは、本当は好きじゃない。ステアーが去ってからはショックで味覚も狂っていたけど、今は違う。

 もう誰かを殺す必要がなくなった僕は、改めて食堂を開いた。僕の食堂だ。

 ブリガンドが横浜ヴィレッジを襲ったとき、教会の1階の食堂が破壊された。それを直すのにも時間も人も必要って言って教会のシスターが悩んでいた所、蛭雲童が壁をそのまま入り口に改修しちゃってレストランにしちゃいましょうぜ! なんて言い出した。

 そんなの誰がやるんだって思っていた僕だったが、真に受けてしまったシスターは、炊き出しのようなものですね。なんて呑気な事を言ってふたつ返事でゴーサイン。その上、蛭雲童が勝手に僕を料理長にしようだなんて言いだして、気付いたら自分の厨房を持つようになっていた。川崎ヴィレッジから離れてからずっと料理を作る事から離れていた僕に何が出来るんだと腐っていたのも僅かな間で、体はずっと調理の仕方を覚えていた。

 ステアーに鼻が利くし地上の探索部隊に入らないのって言われた事もあったけど、やっぱり僕にはこれが性に合ってると思う。


 教会に入った時に支給された修道服。その上から川崎でも使っていたエプロンを身につける。

 修道服はずっと着ていたのもあって色々ほつれてきているけど、そこまで着ててもなんか落ち着かなかった。でもこのエプロンは違った。頭を通し、紐を腰に回し、後ろで蝶々結び。キュッと綺麗に結べた時、肩の力が抜けていく感覚にホッとする。


 着替え終わって振り向くと、枸杞がベッドに座りながらジャッカーを膝の上に乗せて優しく、まるでペットでも撫でるようにその丸い鉄のボディを撫でていた。心なしか、薬物の影響か濁った赤色の瞳に光が宿っているように見えた。


「オレらにソイツは直せないよ」


 そう言うと枸杞は動かないジャッカーを両手に持って掲げるようにして眺める。そしてあたかも飛んでるかのように、ジャッカーを宙で泳がせながらふと微笑んだ。

 ジャッカーはステアーが置いていった旧文明の兵器。今じゃ作る事の出来ないようなハイテクの塊。宙を飛んで持ち主の後についていったり、強力なビームで攻撃支援してくれる物だったらしい。

 らしいというのも、その強力なビームというのを見る機会が無かったからだ。枸杞が運ばれてきたとき、既に命の危機に瀕していて直ぐにでも治療をしなければならない状態だった。

 横浜ヴィレッジの地下本部にはその治療が出来るデトックスマシンがあったけれど、その電力をまかなえず、そこでジャッカーのバッテリーが注目された。暗殺の仕事に着いてこられたら目立って仕方ないし、教会にいるならジャッカーの援護は必要なかった。そして考えている時間は無かった。本当はステアーの物だったけれど、多分僕と同じ目立つという理由で置いていったのかもしれない。結果として枸杞はジャッカーのバッテリーで起動したデトックスマシンにより、解毒治療が行われた。

 だから、枸杞はジャッカーの動いている姿を見たことがないんだ。


「もっと文字とか読めるようになったら直せるかな?」


 そんな事できるわけないじゃん。と言いそうになったけど我慢した。枸杞の向上心を妨げたくなかった。薬物の影響で不健康な白さの肌で淀んだ瞳をした枸杞が、生きる希望を見出したかのように笑顔を浮かべて僕を見ている。そんな枸杞を見て、現実を突きつけるのがつらかった。けどウソはつきたくない。その瞬間、僕の頭はフル回転した。


「壊れてるとも違うんだ。そいつはバッテリー……僕らで言う心臓が動いてないんだ。でもオレら人間と違って心臓を交換できる」

「僕の心臓を入れたら動くの?」


 突拍子もない事を言う枸杞に僕はただ唖然としてしまった。思考が一瞬止まる。


「それは無理! その、バッテリーってやつを見つけてやらないと動かないんだよ。でも今でも使えるバッテリーはここには無いんだ」


 いい加減厨房に行かないとと思い、僕はそのまま部屋を出る為に扉のノブに手を掛けた。

 その僕の背中に枸杞は少しだけ声を張って呼び止める。


「ねぇ! ヴィレッジの外なら見つかるかな!」

「――。そうだな、見つかるかもな」

「じゃあ今度一緒に捜しに行こう! 蛭雲童さんも連れて!」


 あのオッサンもか。いつの間にか僕ら3人は普段からよくつるむようになっていた。

 きっと枸杞からしたら僕や蛭雲童は肉親や兄弟、家族だと思っているのかもしれない。そう思ったら途端に恥ずかしさと同時に嬉しくなってきて口元が緩む。


「ああ、いつか行こう」


 それだけ言うと僕は職場に向かうために部屋を出た。

 枸杞は記憶が無いから、外の過酷さを覚えてないんだ。人を守るって、ひとりで戦うよりも難しい。守られてた側に立っていた僕は、今ならわかる。

 教会だってまだ落ち着かない状態だし、ここから離れるわけにはいかない――。



******



「旦那? なにボーッとしてるんです?」

「え? あ……」


 しまった。フライパンを握ったまま固まっていた。

 開店した途端になだれ込むように入ってくる客を相手にバタバタと動いていたらあっという間に波が去っていた。

 まだ食堂内は人で賑わっているがこれ以上何か注文が来る雰囲気は無い。一息ついたところで意識が飛んでいたようだ。

 色んな人の笑い声や世間話が交じり合う賑やかな空間。川崎の食堂もここも変わらない空気。まだ半年くらいしか経ってないのに、もう懐かしさを感じる。


 厨房からホールを覗くと色んな人が僕の作った料理をおいしそうに食べている。それを見るのが楽しい。


「……人の尻見てる暇があんなら食器洗えよな」


 ねっとりとした熱い視線。振り向くとやっぱりというか予想通りで、僕に言われて慌てて手を動かす蛭雲童の姿があった。もうちょっと気配を消すなりしろと思うが、気配を殺すってそう簡単な事じゃないし仕方が無いのか。

 ふんっと鼻息を荒げてみせると蛭雲童はへへへっとにやけていた。


「ここにいる旦那は機嫌良さそうだから俺も嬉しいなぁ」

「な、なんだよいきなり気持ち悪いな」

「子どもが笑顔でいられるのは平和の証ですぜ」


 一理ある。貧困や争い、集団生活での不幸の皺寄せは弱い立場の人間にまずやってくる。子どもなんて特にだ。大人の都合に振り回されて、無知や無力な事をいい事に食いつぶす。

 でも、僕はもう子どもじゃない!


「ガキ扱いすんじゃねぇよオッサン」

「オッサンじゃなくてお兄さんって呼んで欲しい!」

「うるせぇバカ!」


 いつもこんな感じ。バカな事をやって過ぎていく。

 川崎での生活に戻ったような気がするけど、でもやっぱり、どこか虚しさというか寂しくて――。


「やっぱり会いたいよ、ステアー……」


 ぽつりとつぶやく。そうしたら本当に会えるような気がして。でも、こんな事でステアーが帰って来るはずがないんだ。

 溜め息をついていると、ふと厨房に近いカウンター席に座っている男達の会話が耳に入って来た。

 なにやらキャラバンのおじさんと警備隊の兄ちゃんらしい。


「――奇妙な生存者?」


 警備隊の赤髪の兄ちゃんは確か僕は川崎から横浜に移動する時に守ってくれていた人たちの中にいた人だ。いつも険しい顔をして遠くを見つめている。なんとなく人を寄せ付けない雰囲気のある兄ちゃん。人と会話してるのを見たのははじめてかもしれない。そんなはずは無いだろうけど。


「ああ、なんでも魔都から子どもを連れて出てきたらしい。厄介なブリガンドを掃除して魔都周辺のヴィレッジを転々としてるんだとよ。おかげで渋谷ヴィレッジまで行く道がいくらか平和になったぜ」


 俺の作ったポークチョップを齧りながら話すキャラバンのおじさんは少し興奮気味に話すが、警備の兄ちゃんは冷静な口調で話しに合わせているようだった。


「川崎を潰した連中も魔都に乗り込んだようだが?」

「あっちはダメだ。帰還した全員が後から汚染にやられて死んだってよ。バヨネットが言ってたから多分間違いねぇ」


 川崎を潰したやつらが死んだ。

 そう聞いた瞬間、全身の力が抜けて思わず壁にへたり込む。そうか、死んだのか。

 母さんの殺した奴も、そこにいたんだろうか。

 敵討ちの為に修行してきたのに、結局僕はなんの為に戦っていたんだろう。

 そんな考えや妄想がぐるぐると頭の中で回り始める。僕は意識を保ちながらも、その話が気になってしまい耳をそばだてる。


「奇妙な生存者……ストレンジ・サバイバーってか?」

「なんだそりゃ」

「なんでも聞こえが肝心よ。そういう噂はどんどん広めてって、ブリガンドをビビらせられれば、ここらへんももう少しマシになるってもんさ」


 魔都から出て来て、ブリガンドを倒して回ってる魔都の生存者。

 僕は直感的にその正体が何か分かった気がした。そしてその予感を確信に変えるには――。


「な、なぁ、そのストレンジ・サバイバーって奴。どんな奴なんだよ」


 思い切って声をかけた。警備隊の兄さんはどうも威圧感があって話しかけられなかったから、キャラバンのおじさんの方に声をかけた。

 僕の方を見たおじさんは僕の顔を見て軽快に笑う。日焼けした肌に砂が絡まった長い髭は近くで見ると貫禄があった。


「ハハハッ! 小僧も興味あるのか! 噂話を広めてくれるのかい?」

「ここで話してりゃ直ぐ広まるさ! それより! その人ってどんな奴なんだ?」

「オレ様が直接見たわけじゃないが、見た奴曰く金髪の姉ちゃんらしいぜ? しかも結構イケてるんだと! いやぁそんな美人で強い姉ちゃんならオレ様も拝んでみてえなぁ」


 下品な笑い声を上げながら酒をあおるじいさん。

 僕は話だけ聞くと足早にその場を後にした。


 生きてた。

 生きてたんだ。やっぱりそうだ。

 そっか、ステアーは今北の方に住んでるんだ。

 転々としてるって事は、家とかあるのかな。連れ帰ってきた子どもはどうしたんだろう。


 疑問が尽きない。僕は、僕は、どうしよう――。


「旦那。悩む必要、無いんじゃないんですかい?」


 ハッと声の方を向く。

 そこには食堂に顔に出しに来た枸杞と蛭雲童の姿があった。


「行こうよ! ヴィレッジの外に!」

「俺も、まぁ、なんだ、あねさんに用がありやすし。ここはもう大丈夫だと思います。旦那は旦那のやりたいようにやって良いんですぜ」


 そう言って2人は自信に満ちた表情で僕を見つめる。

 そう、そうだよね。


 僕は独りじゃない。僕はそれを今まで枷だと思ってた。でも違ったんだ。自分が前に踏み出せなかっただけなんだ。

 ようやく、今それに気付いた。

 僕は強くなった。今ならブリガンド相手でも、きっとミュータントにだって負けはしない。だけど、心は弱いままだったんだ。だから、会いに行くのが怖かったんだ。

 今の僕でもステアーが認めてくれないんじゃないかって――。

 でもそのステアーは僕が生んだイメージでしかないんだ。


 行ってみなきゃ、会ってみなきゃ分からないじゃんか!


「みんなで、行こう。ステアーに会いに行こう!」


 僕がそう言うと、蛭雲童が力強く僕の肩を叩いた。

 正直痛かったけど、熱くて優しい手だった。


「良くぞ言ってくれました旦那ぁ! さあ、それなら準備しやしょう! ほら枸杞! 部屋に戻るぞ!」

「うん!」


 先に食堂を出た2人を追って僕も駆け出す。


「どうやら、決心がついたようですね。理緒」

「シスター……」


 僕たちの話を聞いていたのか、シスターが優しい笑みを浮かべながらゆっくりと歩いてくる。


「あなたはここに来て、私の不本意ではありましたが様々な力を身につけました。ですが、あなたの心は逆に弱っていきました」

「……はい。そう、ですね」

「理緒くん。あなたに足りなかった物は戦う力や自信や、苛烈さなどではありません。勇気だったのです。あなた自身で決断するときを待っていました」


 僕は既に居場所を得られた。けどそれだけじゃダメなんだ。

 ステアーが横浜を出て行ったとき、なんでとか、どうしてとか、そんな事ばかり考えてた。けれど、あれがステアーなりの前へ進むやり方だったんだって思う。

 だから、僕も足を止めずに歩く事にするよ。そうすればきっと出会えると思うから。


「行きなさい理緒。会いたい人のもとへ。ここは私たちに任せなさい。後ろを見る事無く、前だけを見て良いのです。そして旅が終わったら、いつでも帰ってきなさい」

「ありがとうございます……! お世話になりました!!」


 足元ばかり見ていた。けどこれからは、前を見て歩いていくよ。

 僕はもっと強くなる。強がっているだけじゃなく。本当の強さを身につけて。


 ステアー、必ず会いに行くからね――。

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