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キャラバン

 私は数十分ぶりのヴィレッジに戻って来た。

 元は地下に広がる商店街。広い通路に沿って作られた店舗がひしめく場所。きっとその全てが機能していた時は多くの利用客で賑わい、活気に満ちていたであろう。

 だが、ここがシェルターとして機能したその瞬間から、この地下街の店は全て閉じられた。

 陳列棚にマットやビニールシートがかぶせられ、広い店内や通路が区画分けされ、店舗は居住スペースとされた。

 飲食店の一部はそのまま食堂として使われているが、戦前程の凝った物は出る事はない。地下街の更に地下に存在する製造区に貯蔵されている食材や、私達探索隊が狩ってくる動物を調理する。

 製造区である程度機械が全自動で食材を加工してくれる為、料理人は然程スキルが無くても焼くだの煮るだのができれば良い。

 私は味に関して拘りはないし、そもそも味がどうの言っていられるほど贅沢など出来ない。


 しかし、それでもこのヴィレッジの他より優れている点があるとすれば、名コックが食堂を任されている事だろう。


「ステアー!」


 ぼんやり歩いていた私の背後から声がして振り向く。

 ボロを纏った人々の合間を縫って、油まみれのエプロンを着けた男の子が手を振りながら駆け寄って来た。

 彼こそヴィレッジの名コック、川手理緒。一三歳の少年だが並はずれた料理センスを持っていたらしく、十歳で探索隊に入れられるこのヴィレッジで珍しく探索隊に入れられる事無く調理場に入った天才児。

 背が低く、よく私の後ろを着いて歩く姿に私は実の弟の様に可愛がっていたが、最初は普段から一緒に行動をしていた彼にそんなセンスがあるとは思ってもいなかった。

 私が初めて探索隊となって狩猟に出かけ、初の獲物である馬を持って帰って来た時、僅かな時間で捌いて煮物にして振舞って来た時は私も彼の実力を認めざるを得なかった。

 彼の存在があってか、ただある物を焼くだけの物が用意されていたこのヴィレッジは、海沿いのヴィレッジが生産する塩を物々交換で取引する様になった。


 ヴィレッジは戦前の駅の地下街や、地下鉄の駅そのもの等がそのままシェルターとして機能するものであり、ヴィレッジ間が繋がっている地下鉄のヴィレッジは互いに交流が容易だが此処はそうもいかず、地上を行き来するしかない。

 地下鉄は戦前の地下鉄の線路を歩くだけで良い。

 落盤が無い限りは汚染によって突然変異したミュータントを気にするぐらいで良いし、何より道に迷う事も無い。旅の道中で汚染された水を含む雨に降られる事も無いのだ。


 脱線したが、理緒は探索隊に参加しなかったが私の身を凄く案じてくれる。

 彼は体が小さく、彼自身の性格的にも探索隊は向かないだろうと今は思う。彼は怖がりで優しすぎる。

 生きた状態の獲物を怖くて捌けず、包丁を持ったまま固まっていた事もあったっけ。今では流石に慣れた様だが、私は調理をする姿を見ていないので真偽の方は明らかではない。


「ああ、理緒、ただいま」

「おかえり! 早かったね!」


 ぎゅっと私に抱きついてくる。その回した腕は私の腰回りに届いており、顔を私の腹部に埋める。私の顔を見上げた彼の絹糸の様なサラサラの短い黒髪をそっと撫でた。


「大した用事じゃなかったからね」

「ふーん。悪者退治じゃなかったの?」


 理緒には出かける理由を言っていなかった。何故知っているのだろう。


「誰から聞いたのかしら」

「この前のブリガンドの襲撃の後に南部さん怪我したし、それでステアーが銃持って出て行くのを見たら何となく予想つくさ」


 どうやら彼は私の見ない間に理知的になったようだ。

 私と6つ違うだけの目の前の少年は私よりもずっと頭が良い様に見えた。

 人の行動や、周りの空気と言う物を鋭く見抜き、考え、理解する力を持っているのだ。

 探索隊に入らなかった彼を私は何処かで過小評価していた様だ。


「次のキャラバンはいつ来るんだろうね?」


 私に頭に撫でられたまま、大きな黒茶色の瞳を爛々とさせている。

 地上を行くヴィレッジ間の交易をする為に結成された集団の事をキャラバンと呼んでいる。

 彼らは交易品を運ぶ運び人と、それを危険から守る為の護衛二人の最低三人、またそれ以上の人数で構成されている。

 横浜のヴィレッジから来るキャラバンは時折ブリガンドを警戒し、隠密性を高める為に少人数で来る事もあった。

 お互いのキャラバン同士が話し合ってある程度のルート決めをするのだが、ブリガンドの襲撃やミュータントの生息地域の変化によって頻繁にそのルートを変えている様だ。

 私はキャラバンに参加した事はなく、他のキャラバンが来る頻度など把握している筈も無い。


「わからないわね。どうかしたの?」

「塩がもうすぐ無くなっちゃいそうで……」

「それは大変ね。イサカは昔キャラバンの経験があるみたいで今のキャラバンに知り合いとかいるだろうし、後で聞いてみるわ」


 私がそう言うと理緒は頬を緩ませながら笑みを零した。


「お願いね! そういえば昼に届いた肉が一頻り片付いたから、端材で何か作るよ」

「え、でも塩とか少なくなってきてるんじゃ……」

「良いの良いの、ステアーひとり分くらいで変わる量じゃないさ」


 理緒は私の傍から離れると直ぐに踵を返し、駆けだす。そして振り向くと笑顔で私に向かって手招きをする。

 つい先程までの張り詰めていた空気との落差に私は肩で一度深く息を吐くとその手招きに応じて歩き出した。




 ヴィレッジの入り口に近寄る人間は少ない。

 先日のブリガンドの襲撃があったのもあるが、それ以前に、此処に住む二〇〇人近い住民の内、三〇人程は探索隊やヴィレッジキャラバンとして出入りはするが、基本的に外に出て戦う能力のない女子供、老人等はヴィレッジから出る事はない。

 その三〇人の外へ向かう人間も、全員総出で出る事も無く、毎日門が開く事も無い。

 人は、1つの場所に居着くと惰性でその場に住みつき、動こうとしない。それを悪だとは思わないが、ヴィレッジの収容人数にも限りがあれば、施設そのものにも寿命と言う物がある。

 ヴィレッジを開発、運営していた会社など、先の戦争によって失われている。正規の管理者、整備士など六〇〇年以上も前には死んでいる。

 そのヴィレッジを引き継ぎ引き継ぎ管理し続けていた一握りの人間達の中に南部もいた。

 ヴィレッジの細部に関するマニュアルは存在するが、それを理解し実行できる人間は少ない。いつ外に出れるとも知れないヴィレッジの中で学と言う物を教え伝えるのは難しく、残されたボロボロの戦前から使われていた教科書を使い、私を含むヴィレッジ住民は限られた知識を教えられてきた。

 だが専門的知識と言う物はその環境では教えるのは難しかった。

 住民達には伝えられていないが、このヴィレッジは色んなところでガタがきている。

 汚染水を浄化する浄化装置はヴィレッジの要の1つであるが、その浄化装置の一度に浄化できる水量も年々少なくなってきている。機械の老朽化だ。

 地上のあらゆるものが瓦礫に沈んだこの世に、浄化装置の正規品などありはしない。そう言った物の代用となりそうなガラクタを集めるのも私達探索隊に与えられたミッションの1つ。


 いづれ、人は地上に巣立たなければ。ブリガンドの様にならず、僅かにあるであろう汚染されていない土壌を探し、そこに移民しなければ、もう数10年もしない内にこのヴィレッジは限界を迎えてしまう。

 これは私の考えでもありつつ、南部やイサカ等の事情を知る人間は同じ事を考えていた。


 だが、現実と言うのは、上手くいくものではない。

 結局そう言った土地も見つけ出せず、私もまた集団の惰性と言うぬるま湯の中に身を置いている。

 過去に、戦前の本屋を立ち寄った時に読んだ本の中に、動物の根本には怠惰が存在するとあった。結局は人間も動物と言う事だ。

 その本は人間と動物の違う所はなんだ? と言う事について書き記してあるものであったが、肝心な所は焼け落ちていた。


「何難しい顔しているんだステアー?」


 その声にハッと顔を上げる。理緒だ。


「暗い顔してた。悩みでもあるの~?」

「ああ、何でもない」


 私は頭の周りに取りついた思考の雲を振り払う様に首を横に振って出来る限り笑顔で答えた。

 だがその反応は逆効果だったか、理緒は頬を膨らませむくれた。子供扱いしたと思ったのだろう。子供には関係ない、という風に。


「大したことじゃないんだ。寝れば忘れるさ」


 精いっぱいの誤魔化し。そんな私に、仕方ないな、と肩を竦めてみせた理緒の姿を見ると、私よりも大人の様に見えてしまった。




 居住区に入る。そこには先ほどと同じ大きめのタイルの床に白い壁が広がっているが、何百年と言う長い年月に頻繁に人が行き来し、過ごして来た区画はエントランスより大分汚れ、痛んでいた。

 所々罅割れたタイルや壁、毀れ落ちた欠片は長い年月で踏まれ砕かれ、粉となって散らばっている。積もった埃は隅に積み上げられ灰色の山を形成している。

 巨大な空気清浄機で外気の塵を遮断し、内外の空気を入れ替えていても、ここの空気は薄く感じる。

 その理由としては積み上げられた物、物、物。ガラクタで積み上げられた敷居によって区画分けされた人々の居住スペースで本来広かったであろう通路は人二人が横に並べば塞がってしまう程に狭苦しい。

 そしてしっかりした壁で仕切られていない居住スペースが並ぶ為、生活音や臭いと言った目に見えない物は容赦なく敷居の外へ漏れているのだ。

 昼も夜も無いヴィレッジ内部。だが血で引き継がれてきた体内時計と言う物は割と正しく、時計で零時を指す様な時間帯には夜の営みの声が微かに聞える事もある。

 正直ソレ用の部屋でも用意してもらいたいものだが、あるとすればトイレぐらいしか無い。

 私は南部に育てられた事もあってか、しっかりした個室で暮らしていたがこうして居住区を歩くと時折聞こえてきたりして、小さい頃私はその度に早歩きをしてその場を素早く通り過ぎたものだ。

 敷居の薄い場所からは貧乏ゆすりの音や食事の咀嚼音まで聞こえてくる事もある。

 だが、そんな事を気にしていられるほどヴィレッジ住民は余裕など無いのだ。


「ええい、俺はもう我慢ならねぇ!」


 どこからか聞こえる男の声、そしてその声の主であろう男が目の前の通路に姿を現すと、肩を強張らせ鞄と銃を持って私の横を通り過ぎて行った。時折見かける光景だった。

 私は通り過ぎ様に男の足に足を引っ掛けた。


 時々神経質な住民が銃を持ってヴィレッジの外に出て行こうとしたが、戦い慣れしていない人間がブリガンドやミュータントが跋扈し、時折遠くから吹きつける寒波に生き延びられる筈も無い。探索をしていると瓦礫の溝や廃墟の隅で白くなっている元住民の姿を見る事は珍しくはなかった。


 目の前で男が派手に転び、鞄の中の着替えや弾薬を撒き散らす。

 鼻を押さえながら男がこちらを向いた。


「て、てめえ何しやがる!!」

「何処へ行こうって言うの?」

「外だよ! こんなせまっ苦しい所に死ぬまでいられるかってんだ!!」


 声を荒げて私に怒鳴るも、痩せた体に伸ばしっぱなしの髭、疲れた顔つき、それでは私を怯えさせるには至らない。

 私は努めて冷静に男に問う。


「今の足にすら注意が行かない程冷静さに欠けた行動で外に飛び出して、それで生きて行けるのかしら」

「お前には関係ない事だろ!?」

「関係無いわね。でも貴方が外に出て行って勝手に死んで、それを探索途中で見つけて、死体残して荷物全部はぎ取って、荷物は私達かブリガンドが持って行って、残された貴方はミュータントか食人趣味の人間に内蔵ぶちまけられて、骨までしゃぶられる事になっても、私にはやっぱり関係無いわね」


 男は私が喋っている合間にどんどん顔が青ざめていった。


「わ、わかったよ……戻るよ……」


 渋々と言った様子で散らかった荷物を集め出すと、すごすごと自分の居住スペースへ戻っていった。

 それでも、と出て行ける度胸があればもしかしたら生きれたかもしれないが、こんな事で部屋に戻ってしまう様ではやっぱり彼は外に出て行けば生きてはいられないだろう、と内心残念に思った。

 そうこうしている内に先行していた理緒が駆けて来た。


「もう! なにやってんのさー!」

「ごめん。自殺志願者がいたものだから止めてやったのよ」

「相変わらずお人よしと言うか何というか……」

「こんな世の中だからこそ隣人の事は気にしてあげる、それが人の情ってものよ」


 私の言葉に理緒はニヤッと変な笑みを浮かべた。


「南部さんの受け売り?」

「……うるさいわね」


 図星だった。しょうがない。だって私は生き方の全てを南部から教えられてきたのだから。

 でもこうして人に言われてみると妙に気恥ずかしかった。

 自分でも気づかぬ所に妙な羞恥心があるとは思わなかった。無自覚に私は照れ笑いを浮かべていたらしく、後々まで私は理緒に弄られる羽目になった。

 まぁ放っておいてしまった分を差し引いて仕方なし、と私は自分に言い聞かせた。


 時々だが理緒はこっそり料理に使わない廃棄する食材で賄い料理を作って私に振舞ってくれる。

 料理人達は自分達で配給する物は食べない、代わりに、余った多くの廃棄する食材の端材で料理を作って胃を満たす。

 食事はこの世界を生きる私達にとっては重要な物だ。生きるのに不可欠であり、娯楽の代わりでもある。

 そんな食事を提供してくれる彼らは尊敬に値する。疲れて帰還する私達を迎える温かい料理、それは明日を生きる為の糧だ。


 理緒はこっそりと、帰還する私に賄い料理を作ってくれる。無駄なく食材を使うが、どうしても端材と言うのは出てしまう。二〇〇人分の食事を調理するのであれば当然と言えば当然だ。そんな大量に余った物の一部を食べれる様にしてくれるのである。

 私は理緒と他愛も無い談笑をしつつ、温かい肉のスープを御馳走になり、そのまま自室で眠りに着いた……。





 翌日。

 エンドテーブルに置いておいた腕時計がアラームを鳴らす。

 機械的で断続的、何の起伏も無い、ピピピ、と言う音が次第に大きくなっていく。

 寝ぼけながら私は腕を伸ばし、見る事無く手探りでアラームを切ると瞼を擦る。

 身を起こす。狭い自室だが、しっかりした個室なだけ恵まれている。

 シェルターとして機能する際に使用される事を想定されて用意されていたしっかりした個室のある居住区は、現在居住区と呼ばれている地下街があった場所の更に地下にあった。

 その規模はとてもお粗末なもので、三〇人そこらが生活するので精いっぱいと言うレベルの広さである。そして今ヴィレッジにいるのはぎゅうぎゅうに詰めて二〇〇人、エントランスのプレートに書いてあった収容可能人数は三〇〇人とあった。

 一体どこをどう計って三百人収容可能と思ったのか。二五〇〇年にはヴィレッジ建造計画が始まっていたらしいが、平和ボケと言うのは計算もできなくさせるのだろうか。計画者と設計者は実際に利用される事等考えていなかったようだ。


 それはさておき。今日は探索隊の仕事は非番だ。

 時刻は朝7時。休日の朝にしては少し早く起き過ぎたか。

 娯楽やその他雑多なもので溢れかえっていた戦前。廃墟と化した川崎周辺は一通り探索した。ガラス張りのお洒落な喫茶店。多くの筐体が並んだゲームセンター。多くの漫画や雑誌が並ぶ大型書店。トレーディングカードを取り扱う玩具屋……。

 どれも大半が瓦礫に埋もれていたり、長い年月、人が踏み入らなかった場所に積もった埃にまみれていた。

 本来人々で賑わっていたであろう場所が無人と言う、広さと静けさには僅かながらに恐怖感と物悲しさを抱いた。


 エンドテーブルに視線を移す。

 ヴィレッジ近くにあったゲームセンター跡。そこで拾ったぬいぐるみが目に入った。

 赤い髪の少年を模して作られた、ぬいぐるみ。気の強そうな赤い瞳に惹かれてついつい持ち帰ってしまった物だ。

 初めて外界を探索した時に私は最初から記念に何かを持って帰るつもりでいた。共に行動していた南部に最初は無駄な物は持って帰るなと渋られたが、結局駄々をこねて持って帰ってきてしまった。なんだかんだ持って帰る事を許した南部は口は悪いが冷酷な人間ではないと思った。

 ヴィレッジ生まれでもない私が南部に拾われ、こうして綺麗な個室まで与えられ暮らせているのも裏で南部が根回ししてくれたからだろう。そう思うと頭が上がらない。

 ……でもそれでも、いつかは私は此処を出たいと思っている。南部が止めたとしても。


 私はベッドから出て立ち上がると洗面台に向かった。

 ひとつの部屋の中に洗面台、寝具、書棚、食卓全てが用意され、それが綺麗に収納された部屋は広い。広いと言っても6畳くらいだろうか。

 ベッドは折りたたみ式で、畳むと壁にはめ込む事で壁と一体化する。エンドテーブルも上の棚の部分が折りたたみ式になっており、展開させると少し物を置くスペースが増える。私は銃を弄る時、よくベッドに腰掛け展開したテーブルを使っている。

 洗面台は収納されていないが、正面の鏡が収納スペースになっている。

 私は眠気を覚ます為に蛇口を捻った。

 刺す様に冷たい水。水は浄化装置で汚染を除去してはいるが、外界の寒さは排水管を冷やし、水を冷たくしている。

 顔を洗って頭を上げると、鏡には寝起きで目つきの悪い碧眼の顔があった。塗れた金色の前髪を雑に左右へ逃がしてやると台の上に置いてあった赤いヘアピンで留めていく。

 鏡に映る自分の顔を睨みつけながら長い髪を後ろに適当に束ねていくと、半端な長さの髪が逃げる前にヘアゴムで締め上げる。腰より下まである髪を手繰り寄せ、何度かヘアゴムに通していく作業は億劫だが、義父にこんな時代だからこそ出来る限りの身だしなみはしろと口酸っぱく言われていたのを思い出してなんとか髪のセットを終わらせた。口うるさい義父だが、義父自身が口だけではなく短い髪をいつもセットし、髭の長さを整え、眼帯は幾つも替えを持っていた。だからこそ、私はその言葉に従った。

 金髪碧眼、目が大きくて鼻もそこそこ高い。けど肌の色はというとそこまで白くない。見慣れた顔であったが、義理とはいえ親とこうまで似てないというのは少し寂しく感じる事がたまにある。

 このご時世、肌の色や髪の色でギャーギャー抜かす人間はいない。というより、狭く限られた社会で多くの人種の血は既に闇鍋の如く混じっている。本当の親がいないというだけで、こうも自分と他人の違いが気になってしまうのかと、私は私のコンプレックスに辟易する溜息を洗面台に零した。


「朝っぱらか溜息ですかイ? お嬢さン」


 機械から発せられる声に振り向く。そこには私の部屋の扉にはめ込まれたガラスからこちらを覗きこんでいるイサカの姿があった。

 外部の音は金属扉と部屋の壁で聞こえないが、個室には外部と会話できるインターカムが付いている。

 朝早くから人の部屋のインターカムから声をかけてきたイサカに私は再度溜息を漏らした。


「朝っぱらから女の部屋になんの用?」


 扉の横のスイッチを押して金属扉をスライドさせる。


「相変わらズ、朝は苦手かイ?」

「わかっているならこんな時間に来ないで」

「折角君の分の食事を持ってきてあげたんだガ」


 イサカの手には蓋付きの容器、その上には小さな丸いパンが乗っていた。


「……入りなさいよ」

「どうモどうモ」


 にこやかに笑いながら私の横をすり抜け、ドカドカと部屋に入って来るイサカを背を見ながら肩を落とす。

 スイッチを放すとしばらくして自動で扉が閉まった。


「いやぁまた背が高くなったんじゃないカ? あと胸も」

「オヤジ臭いセクハラ、おっさん共に囲まれる職場にいると感性も加齢臭を帯びて来るのかしら?」

「ツッコミは変わらず鋭いなァ。でも大人になったなと思うのは正直な感想サ」

「だったら最初からそう言いなさいよ。それと私はとっくに大人よ」

「大人なら自分を大人って言ったりしないサ」

「……違いないわね」


 二人揃って苦笑する。

 こんなしょうも無ければ品も無い会話、小さな社会の中で長く付き合ってきた腐れ縁同士でなければ成立しないだろう。

 食堂に入り浸ってる酔っ払いジジイに同じ事を言われたら、きっとその場でドタマかち割ってたと思う。




 ひとつの部屋に男女二人。しかし全く持って男女の関係という空気が無い関係。

 部屋の真ん中にある丸い食卓に持って来た配給食を置き、それを私の食器に移すと席に着いた。


「キャラバン?」


 イサカは取り分けられた肉のスープとパンを交互に頬張りながら反応する。


「口に物を入れたまま喋らないでよ。……そうよ。理緒が気にしてたわ。塩が少ないって」

「ん~、ボチボチ来るとは思うんだけド」

「ボチボチって何よ」


 口の中のパンを、薄い塩と肉の出汁が利いたスープで胃に流し込むと、イサカは満足げに吐息を零した。

 それを見ながら私もパンを口に運ぶ。

 ……無味。塩が少ないと聞いていたが、思いっきりケチったのか味が殆ど無い。パサパサのパンは口内の水分を奪っていく。

 私もイサカに倣ってスープを流し込んだ。


「多分1週間しない内にハ。大体半月に1回のペースで来るかナ。ヴィレッジメノウは距離的にそれ以上の頻度じゃ来れないシ、遅いとその間のお互いに不足している分の物を運ぶのに人員が必要になるからネ」

「ふーん、時間が合わないのか私はキャラバンとあった事が無いのよね」

「エントランスでそのままやり取りする訳じゃなくテ、管理区画でこっちのキャラバンと積荷の確認や今後の打ち合わせなんかもするかラ、人前にはあまり姿を見せないからネ」


 ヴィレッジスノウとは横浜にある大型のヴィレッジの事だ。

 あそこは巨大なだけに多くの住民が存在し、色々小さなトラブルが絶えないと言う。

 近年で1番大きかった問題は住民間の問題ではない。ヴィレッジメノウの水の浄化装置の故障だ。

 今は近隣ヴィレッジから浄化水を貰う代わりにヴィレッジメノウの持つ大型の塩精製工場から作られる塩を、このヴィレッジは貰っている。この出来事はキャラバンにいなくとも、管理区画に出入りする南部やイサカから過去に聞いていた。


「ありがとう。理緒に言っておくわ」

「どういたしましテ。お礼はデート一回でどうだイ?」

「貴方だけ防護服なしで工場跡デートなら」


 イサカの冗談だか本気だかわからない言葉を真顔で返すと、おっかないおっかない、と両手を上げて降参のポーズでイサカはおどけて見せた。

 道行く女にナンパの様な真似をしている様な軽い男だ。この位の返しでもしておかないとすぐに調子に乗る。


「キャラバンは通信機で定期的に旅の状況をこちらにも報告を入れて来ル。それはキャラバンの人間しか知らないかラ、詳しく聞きたいなら昔の同僚に聞いてみるけド?」

「いいわ、そこまでしなくて。後で借りだの何だの言われたくないし」

「言わないサ」

「どうかしらね」


 誰もが何もかも足りない世の中だ。物欲に勝るものはない。どんな人間だろうと、人は欲を内に秘めているもの。

 私は慣れた相手だろうと余計な関係は持ちたくないと思っている。いつそれが足枷になるかもわからないからだ。

 貸しは作っても、借りは作りたくない。

 そうは思っていても、生きている限り自分のあずかり知らぬ所で借りを作っていたりする。

 一人で生きてはいけない世界でそう言う勘定をするのは気が滅入るから止めた方が良いと思うのだが、どうしても抵抗感を感じてしまう事に否定できない。

 頑固な私の感情に僅かながらイサカには申し訳ないと思いつつ、早々に食事を終え、何事も無く解散した。

 私は聞いた話を理緒に話すべく、自室を後にする。部屋の扉は内側からはスイッチひとつで開閉出来るが、外から入る場合は中から開けて貰うか扉の横に付いているソケットにカードキーをスライドさせて通し、開かせる。

 私はカードキーを持った事を確認して部屋を出た。




 ――居住区画。


「あ! ステアー!」


 食堂に顔を出すと偶然目の前を通り過ぎた理緒に声をかけられた。

 両手で大きな寸胴を持っている。片付けでもしていたのだろうか。

 食堂は地下街の元飲食店を改装した場所だ。改装と言っても隣接している飲食店の壁をどかして広いひとつの部屋にした程度。

 だが元はしっかりした飲食店。厨房は本格的な設備であり、大きな冷蔵庫や大火力のコンロ、パン屋であった場所には釜戸もある。


「理緒、忙しい?」

「別に! もうすぐ片付け終わるから待っててね!」


 そう言うと自分の体の半分くらいの大きさはあるであろう寸胴を持って、やや海老反りになりながら駆けて行った。

 飲食店をくっつけただけなので厨房が何箇所かに分かれており、各厨房で調理したものを1か所に集めてそこで配給をする。

 故に、手早く片付けする為に空容器は手分けして運んで元の厨房に戻している様だ。

 近くにある席に付き、頬杖を付いて辺りをぼんやりと見回す。

 理緒の他にもエプロン姿のおばさんおじさんが片付けを始めている。理緒の両親の姿もあった。私は両親の方とは顔見知り程度の仲だったので目が合ったと同時に軽く会釈だけ済ませた。向こうも忙しいらしく軽く笑顔で応えるだけに止まった。


 食堂にはまだ食事中の人間がちらほら見られた。いつも狭いヴィレッジに詰め込まれ窮屈していて、どこを見ても皆が今にも死にそうな表情を浮かべているが唯一の娯楽と言って良い食事は誰もが笑顔だ。例えぎこちない笑顔でも、表情を変える事が出来るだけマシと言える。


「自分で食わないならこっちに寄越せよぉ!」


 声が聞こえ、チラッと聞えた方に目をやる。

 食堂から出て少し離れたところ、通路の隅で少女が男に絡まれていた。


「家で病気で寝込んでる母さんがいるんです……!」


 今にも泣きそうな声で、今日の配給品であるスープの入った容器を抱きかかえている。

 男の腰の高さにも満たない小さな少女は、ここから見てもわかる程に怯えて震えていた。

 直ぐ近くに昨日通った人の多い通路が繋がっている。しかしここからでも見える範囲に人が行きかっているにも関わらず、彼女を助けようとする者はいない。

 他人のトラブル等、関わりたくないと無関心を装っているのだろう。私はその周りの雰囲気に苛立ちを覚えた。

 他人を救おうと思わない者は救いを求める資格はないと私は思っている。

 相手は体格ががっしりはしているものの、素手の男だ。そんな相手にすら子供を守ろうとも思わない人間なら尚更。


「そう言って配給品を多く貰おうとしてるんだろ! いいから寄越せ!」


 そう言い男が足を振りかぶる。まさかそんな小さな少女に暴力を振るおうと言うのか。

 ヴィレッジはまだ文化的な生活が送れる人間がいると思っていたが、こういう輩はやはりどこにでもいるか。

 私は男が少女の体に蹴りを入れる前に脅してやろうと銃を抜き取る。立ち上がり、体を男の方に向ける。

 男の足元に向けて銃を構えた、次の瞬間だった。


 ――ガンッ!!


 私の真横を高速で飛ぶ黒い塊があった。

 それは弧を描き、男の顔面に鈍い音を立ててぶつかると、そのまま床に落ちてグラグラと揺れた。

 床に落ちたそれを確認する。それはフライパンであった。私は背後を向いた。


「何してやがる!」


 そう激昂したのは厨房の入り口で仁王立ちしている理緒であった。

 味覚に敏感な彼は聴覚も鋭いのだろう。厨房の中から外の男の声に気付いたのだ。

 理緒の行動を確認した後私は再び男の方に向き直る。

 女の子は目の前でフライパンをぶつけられて酷く狼狽している男を見て固まっていた。


「行きなさい」


 私が女の子に声をかけるとその声に我に返ったのか、1度だけこちらに深くお辞儀をして走り去った。

 頭を押さえながらも逃げた女の子を男は追おうとしたが、それを許す程甘くはない。


「一歩でも動くと貴方の鼻の穴がひとつ増える事になるわよ」

「な、なにぃ……? てめぇ……!!」


 血走った目を私に向けて来た男だがその瞬間体が硬直する。丸腰の状況で銃を向けられているのだから普通の反応と言える。

 すると理緒が早歩きで男の方に近づきだした。


「理緒……!」


 私は、危ない、と言おうと思った。しかし、その前に理緒がとった行動の方が早かった。


 男のイチモツを勢いよく蹴りあげたのだ。

 声にならない声を上げて床に崩れ落ちる男に理緒はもう一発、蹴りを入れた。


「そんなに支給された飯だけで満足できねぇなら外界にでも行って食い物でも探して来いよ!!」


 早口に捲し立てる理緒は近くに落ちているフライパンを拾い上げた。


「調理できないもんだったら僕が調理してやるよ」


 そう吐き捨てると理緒は悠々とした態度で私の元に歩み寄る。

 どうだ! と言いたげな理緒の表情に私はクスリ、と笑いながら銃を納めた。


「ナイスコントロールだったわ理緒」

「ステアー、あんな奴に銃をぶっ放すなんて勿体無いよ」

「そうね。次から私も何か投げてみるわ」


 私と理緒は顔を合わせてクスクスと笑った。


「将来は探索隊かキャラバンにでも入ったら? その耳とコントロールの良さならきっと活躍するわ」

「やだよ、僕は荒事なんて好きじゃないし。僕の戦場は厨房だけで十分さ」

「かっこつけちゃって」


 時折この理緒と言う少年の年相応と思えぬ言動に、実は私と同じか年上なんじゃないかと錯覚してしまう事がある。

 だが逆にいえばこの位の歳で精神的にも出来あがっていなければ、この狭い世間と危険だらけの外界は生きて行けないのだろう。

 そう思うと理緒の少し背伸びした性格を見るといたたまれない気持ちに胸を締め付けられる。

 この気持ちがどこから来るものかはわからない。ただ、いつか子供が子供らしく何に怯える事も無く健やかに生きれる時代が来ないかと思うばかりだ。

 そんな私自身もまだ20にもなっていないクソガキな訳だが……。


 私は理緒に伝える事も伝えた。残りの休日をどう過ごすか、それを考えながらふらりと食堂を後にした……。

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