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憎しみの拳:後編

 なにがどうなってる。本当なら駆け寄りたいところではあったが、目の前の枸杞、と思われる少年の瞳がそうさせてくれない。

 いや、そのショッキングピンクの髪と光の無い赤黒い瞳、そして左頬にできた火傷痕は間違いなく枸杞だ。

 昨日夜を共にした人の顔を忘れるはずが無い。だが昨日一緒に過ごした中では一度も見せることの無かった"生気"がそこにはあった。

 いや生気と言うよりもそれはいつか見たバヨネットのような戦闘に酔う狂気に近かった。

 だがその殺意はバヨネットのような研ぎ澄まされた刃のような、身が震えるようなものではない。

 それは今まで倒してきたブリガンドのような、無作為に振りかざす暴力的な荒々しいものだ。獣と形容してもおかしくはない。


「枸杞! いったいどうしたというんだ! お前はこんな……」


 銃は下ろさない。しかし枸杞と戦えるはずが無い。

 ジャッカーを置いてきて正解だったかもしれないと思った。

 私に戦う意思が無くとも敵性勢力と認識したら誰だろうがあの高威力の砲撃で援護してくれるだろうが、枸杞を撃たせる訳にはいかない。

 殺意が熱気として放たれているかのように枸杞の周りの景色が歪んで見える。じろり、と乾いた血のような瞳が私を見ると額に醜く皺を寄せて声を荒げる。


「ヒヒッ! テメェが誰だか知らないが、こっちは主人の命令でさぁ……死にな!」


 言い終わらない内に枸杞はその凶悪な拳を私に打ちつけようと踏み込んでくる。その突進力に銃を握る手に力が入る。

 それは防衛本能と言う他ない。命の危険を感じた時、私は反射的にそのトリガーを引き絞る。しかし咄嗟に銃口をずらし、致命傷は避けようとする。


「やめろ! 私がわからないのか!」


 幾つかの銃声の合間に枸杞の拳が鼻先まで迫り、私は体を限界以上に仰け反らせる。

 ブリッジ状態から前のめりになる枸杞の腹に蹴りを浴びせ、その反動を利用し枸杞の顎を蹴り上げて逆立ち状態になると片手で体を浮かせて飛び退きながら体勢を立て直す。

 少しばかり枸杞は怯むも、割と本気で蹴りを入れたのにも関わらず、蹴られた顎をおさえながら笑っていた。

 腹を蹴った時の感触が非常に硬く、だが嫌な弾力もあった。防弾効果もあり伸縮自在、そして衝撃にも強い繊維でできた旧文明の軍用強化服……。

 アスファルトを砕き、風圧で衣服を切り刻む凶悪な身体能力を引き出せる代物なのか。

 しかしなぜか一番最初に受けた攻撃より鋭さが無い。

 さっきと同じ威力であったなら、当たりはしなかったとしても鼻先の肉が抉れてたかもしれない。


 枸杞は口から血を瓦礫に吐き捨てると両腕で顔を守るような構えを取ると真っ直ぐと突進してくる。

 着ている強化服の性能はわかった。だから、それを期待した上でできるだけ勢いを殺す為に枸杞に向かって銃を放つ。


「オレ様にそんなもの、効くと、思ったかぁ!!」


 両腕にも銃弾は当たっただろう。だが怯みもせず腕を振って銃弾を払いのける。怯みはしなかったが私の目論見どおり、その突進力は僅かながらに下がっている。

 私はフルオートで弾を吐き出し続ける銃の残弾数を発射し続けている間隔で把握している。素早く後ずさり、打ちつくしたところで空弾倉を枸杞の顔面に投げつけ、即座に次の弾倉を装填する。

 新たな弾倉を装填し、発射すると同時に空いた手で自分の腰に手を伸ばす。


「お前にこれは使いたくなかったが……」

「全力出さないと、殺しちまうぜェ~? ヒャハハハハァ!」


 正直強化服の性能は侮れない。だが所詮は基礎的な身体能力は子供だ。

 凶悪な破壊力はあれど、その攻撃速度、距離の詰め方、攻撃の鋭さはバヨネットと比べれば大したことは無い。驚異的な防御力と速度、子供ゆえの小回りの利く動き、そして的の小ささが強み。

 だがその特徴を把握した上で行動すれば……。


 後ずさりしながら、軽く足で背後に砂埃を作る。

 砂埃に背を向けたまま飛び、瓦礫の上へと着地する。蹴り上げた小石の反射音で瓦礫の位置と高さを把握して着地と同時に腰にしまっておいた物を下へ放る。

 それと同時に予想通り、枸杞は砂埃の中を突っ切ってきた。


「後ろはもう壁だ。逃げられねえなぁ!」

「果たしてそうかな」


 飛び掛る枸杞を見下ろし、私は飛ぶ。


「なにっ……テメェ! このオレ様を……!」


 突き出す枸杞の拳の上を飛び、肩を足場に枸杞の背後へと飛び、大きく距離を取った。

 枸杞は私が踏みつけた反動で高度が落ちて瓦礫の側面にへばりつく。そして、その瞬間だった。


 ボンッ――!!


 起きたのは小規模の爆発。といっても半径15mそこいらを爆発した際の容器の破片でズタズタにする簡易グレネードだ。

 軍用のものじゃなく手作りの物が広く流通している。安くてもそれなりの殺傷能力はある。

 火薬をケチってるので爆破範囲もそれなりだが、ピンポイントで使えば軽く数人の命は消し飛ばせる。

 だが、枸杞は。私の予想通り、私の方に向いて立っていた。無傷ともいかなかったようだが……。

 枸杞は相変わらず気味の悪い笑みを浮かべていたが、その額からは血が流れていた。

 見た目には酷い出血に見えるが、傷は浅いのだろう。ゆっくりと此方に歩いてくる。服には傷一つ無い。なんて耐久性だ。


「テメェみたいな奴はじめてだぜ……このオレ様をてこずらせやがる……クククッ……うっ」


 笑みを浮かべていたのもつかの間。枸杞は急に両手で頭をおさえて立ち止まる。


「どうした、枸杞?」

「いぎっ!? あ、ぐあぁ……!」


 血と唾液が混じった液を口からぽたぽたと滴らせながらガチガチと歯を鳴らし、両手で頭を抱えていると思えばその場で膝を突く。

 フー、フー、と言う荒い息遣いが遠くからでも聞こえてくる。


「も、もう、時間が……あがぁ!」

「おい、しっかりしろ枸杞!」


 流石にこれは尋常じゃない状況であるのは明らかだ。ひび割れたアスファルトの上で小刻みに体を震わせ、ピンクの髪をゆらゆらと揺らす枸杞の姿は戦いとは違う恐怖を覚える。

 いつか観た古いB級ホラーの幽霊のような、人間が普段しようとしてもできない様な小刻みな震え。

 映像作品を何度も連続で一時停止と早送りを繰り返すような動き。それに一瞬の躊躇はあったが、それでも枸杞を心配する心が勝った。

 私は枸杞のそばに駆け寄る。


「枸杞、どうした。私の声が聞こえるか!?」


 声を聞いてか、枸杞は一瞬ぴくりと体の震えを止める。そしてゆっくりと頭を上げた。



 それが、私が次に目覚める前見た最後の光景だった。

 強烈な頭への衝撃。側頭部から入った痛みは頭部全体に広がり、私の視界は暗転した。

 遠くへ消えていく足音が私の意識が遠くへ行ったのか、それともその足音の主が足早だったのか……。






 ――。






 頬に冷たいものが当たる。

 ぼやけた視界は相変わらず灰色で、すぐにここが天国なんかではないことは分かった。

 まだ頭に鈍い痛みが残る。頭を上げると頭の中がぐらぐらする……。

 気がつけば私はうつ伏せになって路上に倒れていた。どうやら殺されなかったらしい。何故だかは分からない……。

 立ち上がる。

 空を見上げると厚い雲に覆われていた。ぽつぽつと、雨ともいえない量の雫が空から断続的に落ちている。

 気絶してどれだけ経ったのかわからない。だが日は沈んでいて、早朝から最短でも半日以上路上で倒れていたことになる。それに気付き、私は身の回りの装備を確認した。


 なにも奪われていない。いや、一つだけ奪われたものがある。


「枸杞……」


 私が出会った枸杞、対峙した枸杞。本当の顔はどっちなのだろう。

 どちらにせよ、枸杞はブリガンドとなんらかの関わりがあったに違いない。

 なぜ彼はあの強化服も着ずにあの焼けたヴィレッジに一人倒れていたのか。私にはわからない。けど、行かなければ。

 顔についた砂を拭い、昨日の寝床に戻って荷物をまとめる。


 枸杞達ブリガンドの連中を追うにしても、手がかりは無い。だが駅の奥から現れたのは覚えている。

 駅の向こう、北の方は魔都の方角でもある。ならば北上するしかない。枸杞に出会えれば良し、会わずとも私の目的地に近づく。


 駅の階段を上がり、火が消えかけた改札を横切り、反対側の出口から外へ出る。外はバスのロータリーだ。川崎駅ほどの広さは無いが、見渡しやすい広い空間だ。

 世界崩壊時の爆風の影響か、ビル一階の店などにバスなどの大型車両が突っ込んであり。ガラスは悉く砕け散っている。

 出入り口の側にある交番に入り、オフィス机の引き出しなどを物色して銃弾を幾つか見つけ、ポーチの中にねじ込む。

 空気は湿っているが、本格的な雨になるかはわからない。じめじめした空気が体を重くさせる。

 周囲に人影や動物の気配はない。北へと歩み始める。



******



 ロータリーから少し狭い道路に入り歩いている時に私は地面にあるものを見つけ、しゃがみ込んだ。


「これは……血か」


 それは地面に付着した血痕。それは少し距離を置いて道の先まで続いている点だった。色を見るに乾き始めている程度の血痕だ。

 湿気で乾くのが遅くなっているにしても、最近できたものであろうと察することができた。この血は……。


「枸杞のか……?」


 私は何とかその血の痕を追うが、その足はどうしても遅くなる。血痕が見つからないとその場で周囲を見渡す為に立ち止まった。

 気がつけば周囲は夜の闇の中に溶けていた。胸に差していたL字ライトを使って地面を照らす。

 段々と背の高い建物が少なくなってくると一軒家が増え始めた。といっても、どれも住めるような状態ではない。

 屋根は崩れ、柱は折れ、壁は砕けている。餓死したのだろう肋骨が浮き出た痩せ細った人が横たわっている。

 ヴィレッジの外でこんな光景はよく見るものだ。最初は驚いていたが、今ではその死体を見て安心する事もある。

 死体が欠損していなければ、その周囲に獰猛な野生生物がいないことでもあるからだ。となれば、私の敵は一種類に絞れる。


 少し坂道を進んだところで風の匂いが変わった。水っぽい匂い。

 セメントで作られた簡単な階段を登るとそこは土手だった。川だ。

 恐らく多摩川、川の向こうはかつての日本国首都、東京都だ。ここからでも巨大な城壁が夜の空に薄っすらと見える。

 月光を川の波が照らすもその水面は暗い。それなりの深さはありそうだ。そして、川の対岸になにやら明かりが見えた。

 明かりは一つ二つではない。神奈川と東京を繋ぐ大きな橋、その下になにかの集まりができているようだ。ヴィレッジが潰された者達のキャンプか、それとも、奴らか。

 背を低くしてライフルのスコープで対岸の明かりを観察する。


 ……ブリガンドはパッと見た瞬間にブリガンドだと分かる。分かりやすくて助かる。

 攻撃性を主張するかのような派手なペインティングに縄張りを主張する為にあちこちにスプレーでセンスの無いエンブレムを描き、同じマークの刺繍やバッヂを服の胸や背中にでかでかとつけている。

 そんな手先が器用ならもっと他の所に活かせばいいものを……。

 橋の柱に五芒星の形をした燕のようなエンブレムが描かれている。左右の角が翼、下の二つの角が燕尾、上の角が頭になっている図だ。

 見たことの無いエンブレムであったが、この周辺で五芒星をあしらったエンブレムのブリガンド集団と言えば奴らしかない。ただの威嚇目的か、傘下の連中か。

 どちらにしても橋を渡るならば連中は脅威だ。

 人目のつかないところに突っ立っている見張りに向けて、一発撃ち込む。ヘッドに一撃、叫ぶことすら許さない。

 それから歩哨を数人始末する。サプレッサーをつけた銃で間には川、発砲音が響く夜でもサプレッサーと水が殺してくれる。


 橋を渡る際に橋の上にいる見張りも一発で始末すると背を低くして素早く移動をする。

 まるで忍者のような動きだがヴィレッジの外で活動するならこの位できなくてはいけないと散々教わったことだ。今更ヘマする事はない。

 滑り込むように死体の元まで行く。河川敷の真上。もう少しで橋を渡り切るといった地点だ。

 倒れた死体から使えるものだけ物色する。


 声がする。下から聞こえるその声は滑舌悪い男二人の会話のようだ。私はその場でうつ伏せになり、下の会話に耳をすませた。


「お前、あのガキどうした」

「枸杞か? 駅から戻ってきてからテントでガタガタ震えているぜ。一回裸で置いていかれたのが相当参ったんじゃねぇか?」


 枸杞だと? やはり、ここにいるのか。それに駅に置いていったのはわざとか。


「駅に乗り込んで嬉々として連中を皆殺しにしやがった癖に急に我に返って泣き出すんだからなぁ。テメェがやったくせによぉ」

「クスリでぶっ飛んでる間は手がつけられねえが、切れちまったらただのガキだかんなぁ!」


 クスリ……。枸杞はこいつらに薬漬けにされているのか。子供の体になんて事を。ゲスどもが……。

 全身に冷たいものが走る。それは寒気。怒りによって体温が上昇し、外気との温度差で皮膚表面が寒いと認識したのだろう。

 そこまで私は全身から怒りと言う感情を露にしていたが、私はグッとこらえ、雑談に耳を傾ける。

 足音がしない辺り、立ち止まってるかなにかに座っているかで談笑しているんだろうが、談笑する内容にしては最悪の趣味だ。


「急に痛い痛いとか言って泣き叫びだした時に、ボスがうるせえってブチ切れてスーツ脱がしてぶん殴ったんだよな」

「アレばかりは理不尽だと思ったがな。ヤク漬けにしたのもスーツ着せたのもボスの指示なのによぉ」

「ヤクを与えれば俺達からヤクを貰えないと生きられねぇ、あの服で強化しても手綱を握って逃げなくさせるってんだから血も涙もねぇお方だぜ……」


 そこまで聞いた時。私の体は自然に動いていた。

 端から河川敷のテントの集まりを見ると、円を作るように建てられたテントが五つ。それらの作る円の中央に大きなキャンプファイアがあり、そこに何人ものブリガンドがたむろしている。

 ライフルを置き、グレネードを橋の上から見えるブリガンドの集まりに投げ込んだ瞬間に橋から飛び降り、橋げたを片手で掴んでぶら下がると、上から橋の真下にいたブリガンドをTMPで掃射する。


 ブリガンド達は気付いたがもう遅い。橋の下で談笑していた二人は肩や頭から血を垂れ流し情けない声を出しながら砂利道に沈んだ。

 直後。背後でグレネードが破裂。多くの叫び声と怒号が聞こえ私は片手を離して河川敷に飛び降りた。即座に振り向き、生き残った連中がこちらに気付くも、私の銃口は既に獲物を狙っていた。

 いくつもの銃声。それは全て私の手元から鳴った。幾つもの叫び声は少しずつ少なくなり。私は歩きながら彼らのテントに近寄る。

 既に十人以上は殺したか。数発弾を残してもう一丁のTMPを抜き、両手に構える。

 横たわる死体を蹴っ飛ばし、端に除けた。正面のテントから気配がしたからだ。


「誰だ。派手に暴れやがって……。俺達が五芒星革命軍と知っての事か?」


 灰色のテントから現れたのは私より少し背の高いガタイの良い男だ。

 防刃加工された特殊繊維の軍服の下に防弾チョッキを着た男は明らかに周りのブリガンドよりも装備が良い。

 腰には拳銃のホルスター。そこには銃はしまわれていたがその手には大きな刃の黒い剣が握られていた。

 それは昔日本軍が使用していた溶断刀。刃に超高熱を与えて名前の通り対象を焼き、溶かし、切る。

 熱伝導に時間はかかるが最大出力を生身の人間が食らえば人達でその苦痛によるショック死から逃れられない。一撃必殺の近接戦闘用装備だ。

 男は私の顔を見るなりニタリと気持ち悪い笑みを作って私を見る。


「俺達? 生憎、もうここにいるのはアンタだけよ」

「おおそうかい。で、何が目的だ。意味も無く俺達を襲うわけは無いだろう? 冥土の土産に聞いてやろう」


 そう言い放つ男に私は容赦なく銃を構え、引き金を引いた。


「おおぉ怖いねぇ!」


 即座に横へ飛び退き、鉄のテーブルを蹴っ飛ばして倒し遮蔽物にするとそこに男は隠れる。

 流石ボスと言うべきか、動きが早く、私の不意打ちに対応してきた。弾を撃ちつくした方を、男が隠れている間に弾倉を交換する。


「その剣に熱が伝わるまでの時間稼ぎにおしゃべりしようなんて、その手には乗らないわ」

「ハッ、こいつの弱点を知ってたか。やっぱりこんなもの使えねえ。珍しいからと部下から取り上げてみたが、とんだガラクタだ」


 その言葉の瞬間。男は遮蔽物から顔だけ出すと私の方向へ持っていた溶断刀を投げ飛ばす。

 回転して飛んでくる刀に私は迎撃などする暇など無い。避けるしかない。私は最低限の動きで体を横に滑らせる。

 しかし、男はそれを読んで既に抜いていた拳銃で私を狙っていた。


「しまっ……!」

「死ねぇ! 曲芸女ァ!」


 バンッ――!

 バンッ――!!


 左肩に一発、二発目は空を抉って橋の支柱に突き刺さる。

 しかし、やられっぱなしではない。右手で握った銃は正確に男を狙う。

 重なる銃声。

 男の握る銃を弾き、腕にも当てて片手を使えなくさせた。それを見てから漸く左肩の痛みを実感して思わず眉を顰める。

 銃は弾け飛び、夜の闇に紛れて消えた。


「声をあげないのね。これから二度と喋れなくしてやるわ」

「チッ……声が出なくなるのはテメェの方だぜ。おい! 蛭雲童! 早くしろ!」


 突如誰かの名を呼ぶと一番奥のテントから篭った声で「へい」とだけ返事が聞こえると突然テントの入り口にかけられた布が揺れ、それがゆっくりと捲くられ、奥から人影が姿を現す。

 足取り重く、肩と頭を揺らしながら現れたそれは広場中央に焚かれた炎の明かりに照らされ、身に纏った灰色の強化服がてらてらと無機質であって有機的な光沢を放つ。

 額に包帯が巻かれた彼はぼんやりと虚空を見つめ、テントから出てくるなり棒立ちになっている。


「枸杞!」


 私の体に枸杞は体をびくりと動かしたがそれきりで、なにか喋っているのか、口をぱくぱく動かしているがなにをいっているのか聞き取ることはできない。

 赤く艶のある唇は私なんかよりも女性らしさがあった。頬の火傷を気にしなくなるほどの色気はここで奴隷としてなにをされてきたのか想像するに難くなく、そのせいでその姿が痛々しくも感じた。

 クスリを打たれたのか、今枸杞の中ではクスリの作用で精神が不安定になっているのかもしれない。


「この女を始末しろ! そしたらもっとクスリをやるぞ!」


 男の言葉に枸杞は頭を抱えてしゃがみ込む。そして、枸杞は地面に何度かその拳を叩きつけると頭を振りながらまた立ち上がった。

 立ち上がった枸杞の表情は先ほどの虚空を見つめていた忘我のそれではない。が、凶暴さを持った朝の彼でもなかった。

 いや、その凶暴な意識に飲まれかけているのか、クスリがまだ回ってないのか、苦しそうな表情で私を見つめる。


「おねぇ……ちゃ……」

「枸杞! 私がわかるのか! 枸杞!」

「う、う、うああああああああああああああああ!」


 それは最早奇声。絶叫。咆哮。枸杞は今まで聞いたことのないほどの大きな声を上げ、私に向かって走ってくる。その拳は固く握られ、私に向かって振りかぶる。

 だが動きは鈍い。見て後から動いて十分対処できる早さ。しかし真っ直ぐに私に拳を向ける。


「僕、僕は、もうあれがないとダメなんだ……! 今も、痛くて、痛くて……!」

「くっ……だったらそんな物さっさと脱げ! 私と一緒にここを出るのよ!」

「ダメだよ……だって……クスリが無いと、僕はもう……だから……!」


 なん発かの攻撃を避けるも、突然鋭い拳は腹部に突き刺さる。直ぐに飛び退くも、息が切れる。鈍い痛みに体がふらついた。


「ごめんなさい。僕の為に……ここで死んで!」


 地面を蹴り、急接近して飛び込んでくる枸杞。

 私は、私はどうしたらいい……。


『好きに……生きろ』


 脳裏に過ぎる声。


『生きろ』


 父さん。私は……。

 私は父さんの言葉に背いてコロナの後を追っている。けど、それも父さんの好きに生きろという言葉には従ってのこと。

 そして私は、父さん、貴方の言葉の通りに、生きる。


 目を見開き、銃を構える。だが枸杞は驚きもせず、戸惑いもしない。真っ直ぐ私に向かって、その拳を振りかぶる。

 狙いを定め、私はTMPの引き金を絞った。

 一発の銃弾が枸杞の耳の肉を吹き飛ばす。それに流石に怯み体勢を崩した枸杞の体に数発の弾丸が着弾。しかしそれは強化服に阻まれダメージには至らない。

 走って接近。フォアグリップで顔面を殴りつける。強化服を纏った枸杞に有効打となるのは顔面への攻撃だけだ。

 振りぬいた銃をそのまま振り上げるように再び顔面を殴りつける。よろける枸杞。

 胸板を蹴っ飛ばし、地面に枸杞を仰向けに倒すと私は素早く馬乗りになってTMP二挺の銃口を遮蔽物に蹲る男と枸杞の顔面に向けた。


「私は、生きるわ。枸杞」


 枸杞はよくみるとさっきよりも顔色が悪い。額には血管が浮かび、汗ばんでいる。だが、枸杞は笑っていた。


「ねぇ、お姉ちゃん」


 その声は、昨日の晩の時のように、静かで、優しい声。その声を聞いて、握っている銃が震えた。


「なんだ、枸杞……」

「僕、お姉ちゃんに助けられて、あれから考えてたんだ。それでね、僕にもできたんだ」

「……なにを? なにができたの?」


 私の声も震えていた。枸杞の返事を聞いたら、私はきっと、この子を殺せない。でも、それでも聞きたかった。

 枸杞ができたというものを。私と出会ってからできたというそれを。しかし枸杞の息は少しずつ浅くなっていくのが胸の動きで分かる。

 一回の呼吸は浅く、だがその間隔が早くなっている。


「したい……こと。僕ね、お姉ちゃんと一緒に、旅したい。クスリに頼らずに、悪い人たちをやっつけて……僕みたいな人たちを、助けるんだ……」

「……ああ、行こう。一緒に。今からでも遅くない」


 枸杞は私の返事に小さく笑う。でも、その小さな笑顔は固まったままだ。


「ありがとう……おねえ……ちゃ……」


 目蓋を閉じた枸杞。


 私はそっと立ち上がる。枸杞は、私がどいても、起き上がらない。


「どうした枸杞……ほら、一緒に行くんでしょう……? 自分で立たなきゃ……立って、歩かなきゃ……」

「……」


 安らかな表情のまま、地面に横たわる枸杞。着ていた服から警告音のようなブザーが小さく鳴っている。そのブザーがなにを意味しているか、私には分かる。

 軍用の強化服は装着者の心肺が停止すると人工筋肉形成機能が強制停止し、周囲に即時救命活動を要請する警告音が鳴る。

 クスリでボロボロにされた体だ。どう見ても、手の施しようが無い。

 体を締め付け苦痛を与えていた服から開放された枸杞を見下ろす。


 私は歩き出す。


「ひぃ……く、来るな……来るんじゃねぇ!」


 男は失禁しながら腰を抜かし、情けなくずりずりと地面を擦りながら後ずさる。だが無駄な行動だ。

 一歩一歩確実に男を追い詰める。男が後ずさった跡が男の臭いしょんべんで滲む。それを避け、前へ進む。

 TMPを一挺ホルスターに押し込み、右手で握りこぶしを作った。


「ま、待て! なにが必要だ!? 話し合おう! 本部に戻れば弾でも銃でもなんでも手に入る!」

「必要なものか。そうだな……」


 私はそう言いながら男の胸倉を掴み、無理矢理体を起こすとその額を何度も何度も銃で殴りつける。

 男はなんとか抵抗しようとするも、恐怖で力が入らないのか、私にとっては全くの無意味で、ただ私の気持ちが冷静になるまで、ひたすら男は私に殴られ続けた。

 銃から伝わる鈍い殴打感が気持ち悪く、十発程殴りつけた辺りで両膝を銃で撃ち抜き、男を地面に投げ捨てる。


「い、命だけは、命だけはぁ!!」


 男は命乞いをするが私はその声に応えない。倒れる男にマウントを取ると私は左手のTMPもホルスターにしまい、両手とも強く握り締め、男を軽蔑と殺意を込めて、殴った。


 鼻が折れようと殴った。


 歯が折れようと殴った。


 額が割れようと殴った。


 私の拳は怒りで痛みを忘れていた。


「蛭雲童! た、助けてくれぇ!!」


 いつの間にか私の後ろに誰かが立っていた。だがその気配は全く私に敵意が無い。だから私は目の前の糞野郎を殴り続ける。

 後ろの気配が笑う。


「お前に仲間も仕事も奪われて漸く自由になれるってんだ。誰が助けると思ってるんだ? え?」

「て、てめぇ! ゲフッ、ガハッ……」


 何度殴っても私の気が晴れない。むしろ、どんどん私の中の黒いものが大きくなっていく気がして、それでも自分の拳を止める事はできなかった。




 いつしか私は無表情のまま、涙を流しながら拳を振るっていた。

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