居場所を探して:前編
日の差し加減のせいだろうか。まるで心がその小さな体に収まっていないかの様にその瞳には光が無く、しかしその目はジッと私を見つめる。
今まで理緒やそれ以外にも川崎では色んな年下の子の面倒を見てきたこともあるが、こんな目をした子供なんて見たことが無い。
全てを見透かし、そして絶望にも似た達観の目だ。
「どうしたの。折角助けてあげたのにそんな疑う様な目で見て」
ほんの少しだけ口早で特徴的な話し方だ。
他人に言葉を遮らせないと言う無意識が働いているのだろうか。
正直あんな男たちが束になろうと全員倒す事はできただろうと思う。
助けてもらったのを余計なお世話だと突き放すような事は誰に対しても失礼だと思うけど、これはやりすぎだ。
どんな難癖つけられても殴って黙らせればいいくらいに考えていただけに地面に横たわる死体に動揺してしまった。
それに何が起きてこんなことが? どこからか狙撃されたにしても、ここはヴィレッジの吹き溜まり。
駅ビルの方にいる警備隊員の目から隠れた場所で回りは廃車の山と入ることができない廃ビルに囲まれている。
閉所で私が気付けない距離で狙撃を行うスポットなんて無い。
それに、どうやって狙撃の合図を出したというのだ。
「一体、どうやって……」
ついで出た言葉にコロナがニヤッと笑みを向けた。知りたいの? と言いたげな子供が隠しているものを見せびらかしたいけど堪えているような態度だ。
ただその笑顔は子供にしては濁っているし、隠しているものはついさっき人間を殺した手品のトリックだ。
「気になる?」
「あ、ああ……」
フッと鼻で笑うコロナは余裕たっぷりの表情で自身の人差し指を自分の口元に当てて、内緒っと声色も軽く答える。
そんな姿に呆気にとられていると、また少しだけ早口な口調で言葉が撃ち出される。
「まぁいずれ教えるさ。ステアー、君がボクと共に来てくれるのならね。君とボクは選ばれし存在なんだよ。新たな人類としてね。今は疑っても構わない。けどボクに今は身を委ねて欲しい。ボクには地下に引きこもっている様な無能達ではなく君が必要なんだ。悪い様には……」
「待て待て。まずいきなり目の前で人殺しておいて黙ってついて来いって、従うと思っているの? それにね……」
私は最初から気になっていた、と言うよりも気に入らなかった事に対していい加減我慢できなくなっていた。
話を遮られ少し不満げなコロナの頭へ軽くげんこつを落とす。少し痛みを感じる程度に、素早く。
「痛っ! いきなり何を……」
「年上のお姉さんを君呼ばわりは無いんじゃない? どういう教育を受けてきたか知らないけど、私は他人の子供でも容赦しないわよ」
ハッキリと相手に言葉を染み込ませるようにゆっくり丁寧にそう言って、殴った頭を今度は謝罪の意味を込めて撫でる。
そんな私をコロナは呆然と見つめる。本当にその表情は呆けた、顔の筋肉の力が抜けているように見える。
しばらく呆然と私の顔を見たまま固まっているので流石に居心地が悪くなる。
「なんとか言ったらどう?」
「え、あ、ご、ごめんな……さい」
早口ではあったけど顔を赤くして謝るコロナの瞳には光が宿っていたように見えた。ようやく歳相応の態度を示したところだが油断できない。
父の言葉があるからだ。あの時いったい何をいっているのか分からなかったが、今なら分かる。
恐らく、父がなんらかの理由で警戒していた存在である少年とはこの子の事だろう。
子供とはいえ、いや、子供だから持つ純粋な残虐性は正直多くの命を奪ってきた私でも動揺してしまう。こんな子に出会うのは初めてだったからだ。
ヴィレッジの中ではどんな子供も育ちが悪くても少しやんちゃなクソガキで済まされる程度のイタズラをする子ぐらいしか見た事がなかった。
私もまだ一九になったばかりで少し前まではガキ扱いだったな……。
「さっきまで偉そうだった割りに随分聞き分けがいいのね。ま、いいわ。行くわよ」
「行く? 一緒に来てくれるの?」
「なに勘違いしてるの。はいそうですかって着いて行くかっての」
こんなところで話し込んでいたら鼻が曲がりそうだ。それに、まだこいつを信用したわけじゃない。
自分がいつでも殺されるかもしれない場所で話し合いなんてしたくない。
狙撃手が仮にいるとするなら狙撃できない場所に移動するのが先決だ。
なるべくその魂胆を悟られないように自然な流れで……。
「お、おい! なんだこれは!!」
大きな声にハッとなり声の方へ顔を向ける。
そこには男が立っていた。
みすぼらしい皴だらけのシャツを着た黒髪の男が恐怖の表情を浮かべ路地の入り口に立っている。
ふと男の目が地面に度々向けられ、そこで気付く。私とコロナの周りには死体が転がっているのだ。
……しまった。
男は明らかに私達に疑いの目を向けている。
実際コロナがやった事だがこの場で子供と私が立っていたらどう見ても私が実行犯だ。
「待て、これは……」
「ヒィ! やりやがったなクソッ!」
これは話し合いにはなりそうに無い。
既に背を向けて走り出している男に私の俊足を活かしても直ぐには追いつけなさそうだ。
それに私が追いかけてコロナがついて来るかは分からない。そう一瞬思ったがそれが私の足を止める原因になった訳じゃない。
「……」
コロナの目つきがまた冷酷な闇に濁っていた。
素人でも分かるほどに殺意を宿した瞳は男の背中を真っ直ぐ見つめている。殺す気だ。
廃車の壁に沿って走る男をどうやって殺すのか。床に転がる奴らと同じ様に。
今更一人二人死んでも私にはどうでもいいし、寧ろここで一人口封じできるならそれで構わないと思っているくらいだ。
でも、胸に言い知れぬもやもやが生まれていた。
私は反射的に走り出すのをやめてコロナの肩を掴んで静止させた。
不意に肩を掴んだことでコロナも驚いたようで一瞬体を硬直させたが、その一瞬は男が表通りに消えるのには十分な時間だった。
「何するんだステアー。アレを生かしていいの?」
冷静さを装ってはいるが口走る声には少し焦りの色が見えた。
私も少し後悔していたが自分の感覚に逆らうことができなかった。
仕方ない。もし事が大きくなったらその時はその時だ。
私はため息をつき、歩き出した。
「ねぇ、ステアー?」
「行くわよ」
「どこへ……」
「私の部屋よ。それともずっとこんな臭い所で立ち話するつもり?」
カツカツとアスファルトを踏み鳴らして逃げた男と同じ道を通り表通りへ向かった。
それを後ろからついて歩く軽い靴音は昔の理緒を連想させた。
だが私について来るのは私に眩しい笑みを投げかける純粋な少年ではない。
******
結局連れ込んでしまった。最初から狭い室内に連れ込む気ではいたのだが。
超長距離からの狙撃をさせない為には室内に入るに限る。そして窓際に立たないようにすれば壁でも貫通されるか建物ごと破壊される等の事でもない限り大丈夫なはずだ。
ここはこのヴィレッジでも随一の高層ビルにして人が多く出入りし、警備隊や聖職者達が常に目を光らせている。怪しい者が安々入ってはこれないだろう。
特に教会の聖職者連中は服の上からも筋肉の隆起が分かるほど鍛えてる者達が隠す気もなくクロスボウやショットガンを背負って武装している。
「ここがきっ……ステアーの部屋?」
君と言いかけて訂正するコロナ。話はちゃんと聞く子なのか。
人の話は一応聞く姿勢はあるようで少し安心した。
私がソファにどさっと腰掛けるとコロナは眉を顰めた。
「なに?」
「……埃っぽい」
私が座ったことで舞い上がった埃を吸わないようにと鼻と口を手で覆うコロナ。
地上で埃っぽくない場所なんて殆ど無いが、長らく人が使っていなかったであろう部屋だ、昨日今日で掃除しきれやしない。
そもそも、あんな事がなければ……。
ふと川崎ヴィレッジでの暮らしを思い出してしまう。
「少し前までは私ももう少し綺麗な場所に住んでいたのよ。仕方ないの」
「だろうね。ステアーからは埃臭さを感じなかったし」
そう言いながらも周囲を見渡すコロナはある一点を見てあっ、と声を上げた。
「ジャッカーじゃないか。これステアーの?」
真っ直ぐ歩いていきジャッカーを手に取るコロナの姿は外見通りの子供らしさで、まさに一目惚れした玩具に飛びつく子供だ。
声色も明るく弾むようで外での出来事が嘘のように見えた。
「知ってるの?」
「本で読んだだけで実際に見るのは初めてだね」
興味津々の様子でジャッカーを持ち上げて色んな角度から眺めている。
その目は好奇心旺盛な少年のそれだ。その姿に初めて調理器具を触った理緒の姿を重ねる。
しばらくジャッカーを眺めてコロナは首を傾げてこちらに振り向く。
「これ壊れてるね。直さないの?」
「直せるものならとっくに。直せる?」
すると得意げな笑みを浮かべコロナは鼻につく声でもちろん、と言ってのける。
少し生意気な部分は根っからの気質の様だ。だが生意気に関しては私も人のことを言えたものではない。
それに、指摘して気分を害されてせっかくのチャンスをふいにするのも馬鹿馬鹿しい。
「お願いするわ」
私がそう言い終える前にコロナは既に床に座り込み直ぐに分解を始めていた。
どんな暮らしをしてきたのか分からないが私よりも機械に関しては深い知識を持っている様だ。
黒縁の眼鏡を外し、机の上に置いたコロナの横顔は整った美形で、女性の私よりも女性らしさと言ったら失礼だろうが中性的でどこか浮世離れしていた。
******
素早い手つきでジャッカーを分解し、見たこともない部品をまるで何度も遊んだパズルのようにするすると組みなおして一時間もしない内に元の形に組みなおしてしまった。
その間終始無言でいたコロナの顔は真剣そのもので、それが修理に対する本気であり私に対する敵意の無さを表していた。
……少しは話を聞いても良いかもしれない。
「はい。終わり。壊れたパーツは無いけど衝撃で中身のパーツの接続部が取れてただけだったよ。やっぱ古い物だから仕方ないね」
「ありがとう。そういえば貴方、どこから来たっていってたかしら?」
「やっと話を聞く気になってくれたね。ボクは、東京から来たんだ」
東京。今はあまりの大気汚染や未知の生命体が跋扈して人間が入ることすらできないと言われており魔都と呼ばれている地域だ。
厳密には東京と呼ばれた地域は東西に伸びた土地で、一般的に東京と言われると東側の都心一帯を指す。
魔都はその東側の集中的に開発が行われ都心の中でもより発展が進んでいた地域だ。入った者が誰一人として無事に帰ってきたことはないと言われる正に魔境と呼べる場所に成り果てていると聞いた。
流石にそんな場所から来たわけはないと思うけれど、東京という単語から魔都を連想してしまうのはネガティブな印象が強くあるからだろう。
しかし魔都でないにしろその周辺だって安全な場所ではないはずだ。
そんな場所から少年一人が手ぶらで横浜まで?
「どうして私を探していたの?」
「君はボクが生まれる前、ボクの組織で新人類を生み出す研究をしていた時の試作品、プロトタイプだったのさ」
再び少し早口で語り始めるコロナ。でもそれを妨げることは今はしない。
組織? 新人類? 子供の考えるごっこ遊びの設定を聞かされているようで現実味が無い。
しかし自分から話を聞いておいて大真面目に語るコロナの話をウソつけと一蹴するにはまだ早い。
私は続けて、という意味を込めて一度相槌して見せた。それにコロナも頷いて返す。
「それを知ってボクは勝手だけどステアーに関心を持った。けどそのステアーは生まれて直ぐに研究員の裏切りにあって誘拐されたっていうじゃないか。ボクは君の遺伝子情報を読み取り、現在の姿をシミュレーションしてステアーを探すことにしたのさ」
「……関心を持っただけでわざわざ東京から私を探しに飛び出してきたわけ?」
「話せば長くなる。けど今のボクや、組織、そして未来の人類には君の存在が必要なんだ」
そう言うとコロナは真剣な眼差しで私に歩み寄り、そして手をとって顔を寄せる。
私がよくわからない研究によって生まれたと言ってその次は未来の人類ときた。
普通なら、ここらへんで私をからかう気なら時間の無駄だと言う所だが、そんな気分になれなかった。
ただの嘘の為に新品同様の服を着込み、邪魔という理由で見ず知らずの人間を殺したりしないだろうし、その殺し方だって手が込みすぎている。
そもそもコロナのその目の色髪の色は生来の物だろう。髪の色は腕のいい理髪師にでも頼めば再現できそうだが目の色を染めるなんて話は聞いたことがない。
ドラッグのやりすぎて変色したというのは聞いたことがあるが、目の前にいる知性溢れる顔つきでしっかりと会話が成り立つ少年がヤク中とは考えにくい。
「ステアー、あなたに東京に来て欲しい」
「その前に聞きたいことがあるわ」
「なんでも答えるよ。ボクの知る範囲なら」
即答するコロナ。私はそれに甘えて直球の質問をする事にした。
「なぜ裏切りが発生したの?」
そう、恐らくその裏切り者と言うのは私を川崎に捨てた人間だ。そしてそれは南部が知る人物で、もしかしたら私の本当の……。
「古い考えに縛られていたのさ」
冷淡な声が私の思考を遮る。
重く、それでいて話題の人間に対する軽蔑を込めた低い声。
部屋の中に静寂が広がる。コロナはその静寂を引き裂き言葉を並べる。
「遺伝子操作、人の手による人の創造、それは危険だ冒涜だと言い出す遠い昔の倫理観を引き摺った馬鹿な人間共さ。その古い考えが世紀末から人間の再興と進化を止めた。そして組織から抜け出して過酷な現実に直視してなにも生産することなく無駄死にした。裏切りの代償にしては惨めな死に方だったろうね」
そう吐き捨てるコロナに私は思わずこぶしが震えた。
「私には崇高な思想なんかも、価値観なんかもわからないわ。でも、その人はきっと赤ん坊を道具みたいに扱いたくなかったんじゃないかしら」
「その自分勝手な甘さが人類全体の進化を遅らせてきたんだよ。臆病者一人の馬鹿な行動が、人類再興を遅らせるんだ」
「……!」
私は思わずコロナの胸倉を掴んでいた。
顔も見たことはないけど、それでも自分の親かもしれない人と、南部の死に様が浮かんでそれを臆病者、惨めな死などと言われた気がして、私は自分が思っている以上に怒りを湧き上がらせていた。
「人類の為とか、傲慢よ。そんなものの為に人が犠牲になって、それであんた達組織は……!」
「放してよ」
冷たく言い放つコロナの目を見て私は怒りとは別の感情で震えた。
奈落を覗く様なその暗い瞳に怯んでしまい、私は力無く手を離すしかなかった。
皴だらけになった服をわざとらしく大きな動作で正す。一度の咳払いをして私を哀れみを持った目で見つめる。
「地上の価値観に毒されているのは覚悟してたよ。でもあなたには変わって貰わないといけない……」
先に東京に戻っている。そう呟くと、短パンのポケットから幾らかの軍用弾丸を私の手首を掴み、私の手に無理やり握らせる。
そしてぐいっと顔を近づけて耳元に口を近づける。
「君は戻ってくるしか無いんだよ」
そう囁いて、コロナは静かに部屋の扉の向こうへと消えていった。
立ち去ったコロナに苛立ちを覚えるも、ふとテーブルに置かれた眼鏡に気付く。コロナの物だ。
手に取ってさっきの言葉を思い出す。こんなもの、部屋に置いておきたくもない。
戻ってこられても嫌だし急ぎ扉を開けた。
……すでにコロナの姿はない。
慌てて階段を駆け下り、ビルの外に出る。しかし、コロナの姿は無い。
しかし、なにやら視線を感じる。
これは最近感じた視線だ。周囲を見渡すと雑踏の中に見える顔、顔、顔。
おじさんの店の前で因縁をつけてきた住人たちと同じ、憎しみに似た感情。
鋭い視線に、ナイフで刺されたような感覚に胸が痛くなる。私は反射的に踵を返してしまった。
さっき下った階段をまた直ぐに上がるもその足取りは下った時より重い。結局直ぐに部屋に引き返してしまった。
コロナの言葉を思い出す。ずっと仲間内で引きこもっていた組織。
脱走した研究員を知っていたかもしれない南部。
南部ももしかしたら組織の人間で、組織から先に抜けていたから、行っている研究を知っていたから、コロナの事を知りつつ、私にあんな遺言を残しなのかもしれない。
ソファに腰を落とし、自分の銃を見つめる。
気付いてしまった。
おじさんの言葉が浮かんだ。南部は当たり前の事を真面目に話す、と。
きっと、長い年月を地下世界で暮らしてきた為に当たり前の事ではなかったのだ。つまり、南部はやっぱり……。
私は慌てて立ち上がる。そしてコロナの眼鏡を手に取った。
「これは……!」
眼鏡を眺めると度が入っておらず、その割りにレンズが分厚い事に違和感を感じ、弄っているとレンズに幾つかの円と緑色の点滅する光が映し出された。
驚いた。これは、レーダーだ!
「あいつ、わざと置いていったのね……!」





