(6)
皇帝の崩御は瞬く間に国中に広まった。
五老長率いる、五つの騎士団がそれぞれ五色の鎧を身につけ、葬送をおこなった。最後に葬列は神殿へと入っていく。遺体を五長から四人の僧正が取り上げ、大神官の前にささげる。
聖別された皇帝の体は僧侶によって神殿の墓所へと運ばれていった。
親族は皆こうべを垂れて黙とうしなければならない中、ただ一人、アファルトルだけが毅然と表を上げ、儀式を執り行う大神官を始め、僧侶たちに鋭い視線を向けていた。
神官、白き子はそれに気付き、式の進行中もアファルトルを観察した。そのあからさまな視線に、大神官は気付いていてもおかしくなかった。
子どもとは思えぬ燃え立つ瞳が、白き子の心に突き刺さる。白き子は敏感にアファルトルの瞳の中の言葉を悟った。
憎しみと嫌悪の瞳だ。それ以外では決してない。白き子の癒しの魔力さえも押しのけてしまうほどの力を、アファルトルの瞳は発している。
白き子は直感する。この娘は変えるかもしれない。この忌まわしい邪教の国を……
空席の玉座の横に立つアファルトル皇太子のもとに、大神官から勅命なるものが下った。上座から降りるように言われ、アファルトルは吠えた。
「神殿の坊主ごときに、何が上座だ。いつから大神官は勅命をのたまってよくなったのか。勅命を下せるは、皇帝だけではなかったか?」
白金の縁取りの入った白い僧衣を身に着けた木の僧正は、くっと顎を上に向け、またも声を張り上げた。
「勅命である! 上座から降りられ、名を聞かれよ!」
「なに? まだ言うか!」
アファルトルは背後の小姓の捧げ持つ笏杖を取りあげ、段をくだり、それを僧正に向けて振りおろした。鈍い音が辺りに響いたが、皇太子の一撃を受けたのは僧正ではなく、マーリンだった。
「どかぬか、マーリン。どけ!」
アファルトルはまたも笏杖を振り上げる。マーリンは床に這いつくいばり、こうべを擦りつけ、腹の底に響くような大声を上げた。
「お許しください、殿下。どうぞ、いまはいったんおきき入れください。このものを罰するなら、その後からでも遅くはないでしょう。どうぞ、お願いいたします」
さきほど僧正をかばった際に受けた額の傷から、マーリンの顔にいく筋もの血が流れ落ちる。それがぼたぼたとベージュ色の大理石の床に、赤い花を咲かせる。マーリンはその花を見つめながら、。アファルトルの言葉を待った。
ガインッ!
アファルトルは笏杖を激しく床にたたきつける。笏杖の上部が折れ、室内の隅にカラカラと転がって飛んだ。
「ならば、上座でなく、ここで言え!」
「上座でなくては意味がありませぬな」
うずくまった僧正は冷たい目つきでじろりとアファルトルをみる。二人はマーリンを挟み無言でにらみ合った。
「出直せ。上座は譲らぬ。勅命も許さぬ。さもなくば貴様ではなく、神官をよこせ。行け!」
アファルトルは折れた笏杖を力強く振り、出口を指す。僧正はしばらく彼女を見つめていたが、立ちあがっていった。
「それでは出直しましょう。しかし、神官様はここに出向くことはありませぬ。わたしがまた参りまする」
くるりとアファルトルに背を向け数歩進み、不意に振り向くと、先ほどとは打って変わった蛇のような形相で叫んだ。
「くされた玉座にしがみつくはなにものぞ! 同じく! くされた果実よな! いつか枝より落ちよる、クハハハハハハハ!」
「貴様……!」
アファルトルはすかさず槍のように笏杖を、変化した僧正に投げつける。しかし、笏状はそのまま僧正を突き抜け、向こう側の壁へと飛んで行った。僧正は突き刺さる寸前に姿を消した。
アファルトルは怒気をはらんだ面持ちで、周囲の五長と側近と小姓をぐるりとねめつけ、いまだに土下座し頭を床に擦りつけているマーリンに目を向けた。
「マーリン!」
「ははっ……」
アファルトルは今度は他の五長に顔を向ける。
「神殿はこのわたしに歯牙を剥きおった。とうとう正体を現しおったわ。皇女であるわたしも舐められたものよ。五老院、どちらにつくかはそなたらの勝手だが、どちらにつくかでそなたらの魂の作りの違いがしれてくるぞ。よく選べよ。奴らの言う腐った果実につくか! 魂の腐った邪教につくか! よく考えておけ!
「下がるぞ!」
アファルトルはマントを翻し、マーリンの横をすり抜け、会議の間から出て行った。その後ろを小姓が慌てて追っていった。
シンと静まり返る室内。
うずくまったマーリンのそばにアルタイル=ルイスが駆け寄る。
「大丈夫ですか? 血が……出ているではないですか……」
これ以上は言葉が出ないのか、困惑した顔を一堂に向ける。
「い……や……大丈夫です」
「とうとう始まったな? どういたしますかな?」
タシュトル=マイルズはにやにやしながら腕を組んだ。
「わたしは、アファルトル殿下につく。死界の美より生界の美を選ぶよ」
「おぬしはそれでよかろうが、な」
ローカサス=サバナムは眉を寄せ、マイルズを睨む。
「答えは出さない……相変わらずずるいなぁ……サバナム殿」
自分よりも体も精もがっしりとした軍人肌のサバナムににらみつけられても、マイルズの口は減らない。
マーリンは立ち上がり、流れる血もぬぐわず、据わった目つきで皆を眺めた。
「わたしもアファルトル殿下につきます。今のを見られてどう思われたか存じませんが、あれは神殿の宣戦布告ですよ。殿下の言葉も聞かれたでしょう?」
「それを大神官の血族のお主が言うのか?」
ライナサス=リトリウムはそう言い放ち、室から出て行った。
ルイスはどう意見していいかわからず、ただ呆然と立ちすくんでいる。マイルズが彼のそばに行き、肩をつつく。
「どうする? リトリウムは逃げたぞ?」
「でも、しかし……あの神殿に……我々十万やそこらの兵で……」
その場にいる者の顔を見回し、おどおどとつぶやく。
「こ、答えは待ってほしい……だ、出せません。一族と、相談せねば……し、しつれいします!」
ルイスの顔面は蒼白であった。肩に置かれたマイルズの手を払いのけると、慌てて室から出て行った。
「そういうことだとサ……はっは」
マイルズは手を広げて笑いながら、マーリンのほうに向きなおる。真顔になり、サバナムを睨む。
「サバナム殿も逃げますか。神殿の傘下に降りますか?」
「今は言えぬ。リトリウム殿もそう思ったのではないか? マーリン殿、その分厚い化けの皮は今のうちに取ったほうがよいですぞ」
サバナムは、マーリンを斜に見つめて、足音も高らかに出て行った。
残るマイルズは「負けもよきかな」と笑い、マントの端をつかんで出て行った。
室にたたずむ側近たちは居心地が悪そうにマーリンに視線を集中させている。マーリンはそれを目の端で認め口元を笑わせ、「もうよい……」と手を振り、側近を下がらせた。
一人になったマーリンは袖口で赤黒く固まった血を拭う。その面からは感情は読みとれない。しかし、細い眉を寄せ、何か考えている。
「……殿下は……これをどういたすかな」
そうつぶやくと、会議の間に背を向け、静かに室を退出した。