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白き子  作者: 藍上央理
第一章 白き子
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 皇帝は幼少時から体が弱かった。咳が止まらなくなったり、食べ物を戻したり、なかなか体を鍛える機会もなく、もっぱら学問に打ち込んだタイプだった。歴代の皇帝には珍しく怜悧で落ち着きがあり、それなりの風格も備え、なかなかの美青年だった。しかし、長年の心の臓の病が彼の美しさを侵し、三十の頃には別人のように変わり果てた。血こそ吐いていなかったが、凄まじい咳が彼の心臓の発作を引き起こし、過去に何度も死に目にあった。

 三十を境に体が衰え、三人の皇子と正室とも距離を置き、療養するとして皇居にひきこもった皇帝に対し、邪教の大神官が献上物として贈り物の中にひそませたのが、アファルトルの母、リュリスだった。

 大神官率いる邪教軍団が南国を占領した際にその国の王女を奴隷としてつれてきた。

 リュリスは小鳩のような女性だった。北国では見られぬ漆黒の肌。美しい声音、その容姿。皇帝は周囲の顰蹙も恐れず、彼女を側室にした。

 もともと正室とはあまり仲が良くなかったせいもあり、皇帝は心置きなくリュリスをでき愛した。リュリスは少女のようなひとだった。帝国の、神殿との軋轢に疲弊した心をいやすかの如く、皇帝はリュリスを愛した。

 しかし、悲劇が起こった。アファルトルが十歳のときに、母が皇帝の贈り物として受け取った髪飾りに毒が塗られていた。その恐ろしい毒のせいで、リュリスは長く苦しみながら死んだ。その後、皇后妃は自室で服毒自殺した。

 皇帝の嘆きも尋常ではなかった。

 似ていると言われ、アファルトルはマーリンに預けられ、永久に単独の面会を拒絶された。

 今となっては、嫉妬に狂った皇后妃がリュリスを殺したことを知った皇帝が、類が及ばぬようにわざと自分からアファルトルを遠ざけたのだとわかる。しかし、幼いアファルトルにはわからなかった。

 自分や父親を取り巻く環境が恐ろしく危険にみちているか……

 アルギウス皇帝は自分の寄る辺ない娘が神殿の餌食になることを心から恐れていたのだ。

 大神官の血族でありながら帝国寄りのマーリンに娘を預けることで、いっときの危険を避けた。いずれ皇子の誰かが皇帝の座を継いだ時にマーリンに降嫁させれば、いとしいひとの忘れ形見を護ることができると信じて……


 アファルトルが皇太子となってからは、皇帝はますます重体となり、たった四十五歳の彼が七十以上の老人に見えるようになった。枯れ枝のような手をいつもアファルトルが握り締めていないと、落ち着いて寝ていられないほど精神も弱くなっていた。アファルトルが重要な会議以外の時は始終彼に付き添っていなければならなかった。皇帝には自分の死期がわかっているようであった。しきりに形見分けをし始めた。皆、彼の弱気を励まし続けた。


 ある晩、アファルトルが皇帝の傍らにいると、神殿から四人の僧正が参じた。四人はひざまずいて病床の皇帝を囲み、アファルトルに告げた。

「お悔やみ申し上げまする。このたびの不幸は心より悼みいっておりまする」

 アファルトルはこの場違いな言葉にカッとなり、一人の僧正をはり倒した。

「無礼な! 皇帝は生きておられるぞ! なにをたわけたことをぬかしおるか!」

 その怒号に部屋の空気がびりびりと振動する。一瞬の殺気が空気を凍りつかせる。さすがの迫力に四人はびくりと体をひきつらせた。が、たじろがずに言った。

「大神官様からの追悼の言葉でございまする……それに……このようなものがなぜ生きておられると申しまするか?」

 四人は立ち上がり、音もなく部屋から出て行った。

 残されたアファルトルは急いで父の方を振り返る。そこに皇帝の姿はなく、人型の茶色い砂が褥に残されていた。





 静寂。

 白い大理石が鏡のように直立する石柱を映している。白い飾り気のない石柱がいく本もその高い天井を支えている。アーチ状の丸みを帯びた扉が白い廊下に並んでいる。長い回廊を中心へと奥に進んでいくと、荘厳な扉に行きつく。

 大神官の間である。

 大神官と神官以外に入れぬ部屋。大神官、神官に次ぐくらいの四人の僧正ですら、その室に入ることはまかりならない。大神官の命は唯一の扉の外で聞くしかない。

 この部屋は環状形をしており、外に向かって窓はなく内側に箱庭がしつらえてある。箱庭の天井は空へと吹きぬけており、燦々と太陽の光が降り注ぐ。箱庭を囲う壁にはステンドグラスがはめ込まれ、室内はほのかに色づいている。

 白い獣の毛皮が床に敷かれ、長椅子が置かれている。大神官、ショウリーンが、神官略服の襟もとをだらしなく開き、ショールのような幅広いシルクの布を腰に巻き、ソファにゆったりと寝そべっている。

「白き子……またその水晶を見ているのか?」

 そっと手を伸ばして、傍らに座っている白き子の長い白い神をかきあげ、ぐいと上に引っ張った。

「あ……」

「何が見える……? 遠い過去を垣間見て何が楽しいのだ?」

 白き子の眉がゆがむ。ショウリーンは手を離した。

「かわいそうな小鳥。死ぬまで一緒だよ。死ぬまでおまえはこの邪教の神官さ」

 ショウリーンの金目がつくり物のように輝く。凍えた麗雅な顔つきは彼の魂を透かして見せている。ショウリーンは白き子の顎を上に向かせた。白き子の悲哀をたたえた赤い瞳が、じっとショウリーンを見つめている。

「かわいい子鳥だ……」

 白き子の赤い唇にそっと口づける。

「絶望している……おまえの心が悲鳴を上げている。涙も枯れ、声もかすれた。それなのに、おまえはその目で抵抗しているな……? それがわたしにはうまいごちそうさ……その絶望がな。

「小さかったおまえの涙を優しくなめてやったこともあったろう? さびしがるおまえのそばを片時も離れずについてやっていたこともあったろう。それなのにどうしてそんな目をする?

「おまえに奇跡を与えたのはわたしだ。おまえがその水晶に移る姿を見る力もな……!」

 とたん、ショウリーンの手が、白き子の手のうちの水晶を払った。その勢いで、水晶は激しく床にたたきつけられ、真っ二つに割れた。静かな室内に耳痛くその音が響く。白き子は割れた水晶を取ろうともせず、その手を足の上に置き、静かに瞑想を始めた。

 抵抗もしない白き子の姿を見て、ショウリーンは面白くなさそうに立ち上がり、らせん状の階段を上って二階の室へあがって行った。


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