(11)
アファルトルは今一人の来るを待っていた。耳を半ば壁に押し付け、その来訪を息を潜ませて待ち続けた。ゴリゴリと壁の向こうの石が外され、また元に戻される。
(うまくいけばよいが……)
アファルトルは目をつむり、仔ネズミの眠るポーチに軽く手を当てた。
(あやつらの出方はわたしいかんにかかっておる……わたしがどれほどのものかを過去に見せつけたかにかかっておる……
いずれも来ねば、わたし独りでいかねばならぬ。しかし……わたし独りでは神殿は倒れぬ。この国の信念を正すことは至難の業だ……)
長い時間が流れる。細い突きは次第に傾いてゆく。星々が沈みゆく。
ひっそりと都市は静まり返る。神殿はこの事態をまるでわざと黙認しているように思える。
一体、いつだれがこの金の南の門を、彼女のために開くというのだろうか……
揺り椅子に深々と座り、目をつむり、暖炉の薪の弾ける音を耳を澄ませて聞いている。炎がその顔に照り返す。
「殿……」
戸口から呼びかけられる。デュクサル=マーリンはゆっくりと目を開く。
「何だ?」
「これを……」
使いの者はのそのそと腰をかがめ、揺り椅子の背後による。そして、すっとマーリンの傍らに手にしたものを差し出す。マーリンは受け取ると、それが紙でない事をしる。無造作に引き裂かれた布切れに血文字が書かれていた。
『時満つ。我待つ。金門にて
ア』
「紙を……」
マーリンは手を差し出す。そのペンと紙が渡され、彼は素早く何かを書き、くるくると丸め、使いに渡す。
「土に届けておくれ」
「はっ」
使いは音もなく、部屋を出て行った。マーリンは頬杖をつき、細い眉を吊り上げる。
「時は……満ちた……か」
そうつぶやくと、布切れを火に投じる。布切れは身悶えるように揺らぎながら、炎にもまれ、消し炭となって宙を舞った。マーリンは遠い目をしてそれを見つめる。その目には何の感慨も写っていない。深い濃茶の瞳は、炎を反射してキラキラと揺れる。彼は腰を上げると、カツカツと踵を鳴らし部屋を出て行った。
時をあまり違えず、土の長タシュトル=マイルズは密書を受け取り、手紙を開いた。きちんとした美麗な文字で、『金門』と、それのみ書かれていた。すべてを解すると、小姓を呼ぶ。
「お主、わたしの礼服を出しておくれ」
小姓は一瞬きょとんとしたが、なにも聞かず、たちまち衣服を揃える。そして、黙々と主人に着付けする。
「剣を」
さすがの手慣れた小姓も、これには驚き、叫んだ。
「お戯れを……!」
「なにを言うのだ。戦が始まるのだ。剣がなくていかにする? わたしにここまで来て絵筆をもてというのか?」
「そ……そのような……滅相もございませぬ。今すぐに」
小姓はあたふたと引き返し、まもなく戻ってくる。華麗な長剣を、マイルズの腰の紐通しにひっかける。茶色と褐色の房がその柄に巻き込んであり、まるで飾り刀のようであった。今引きぬかれた長剣の電紫にきらめく刃は、たやすく首をも掻っ切る事ができそうなほど。その刃渡りの輝きに満足すると、「わたしの武具係は褒美を与えるに十分耐えられる。ふむ……」
戦に行くと言う割には幾分緊張の足りぬ主人を、不安げに小姓は見つめる。また主人の狂言が始まったのかと、小姓は訝しむ。
「いずこに行かれるのでしょう?」
恐る恐る尋ねる。何しろいつになく主人は剣まで携えている。下手なことを口走り、血を見る目にあってはかなわない。しかし、幸いな事に主人は温柔な方である。
「神殿だよ」
「な……!? お……恐れ多い……殿……ご乱心なされ申したか!?」
小姓は驚愕して飛び退る。




