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白き子  作者: 藍上央理
最終章 金の神
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(7)

 やがてアスランが顔を上げ、不安げにアファルトルを見上げたのをみとめると、彼女はひざまずき、いたわるようにそのこうべを胸のうちに包み込む。彼は頼りなげな腕を彼女の腰に回し、まるで幼い子供のようにしばらくそうしていた。

「もういい……離してくれ」

 弱々しくアスランはアファルトルのかいなを振りほどく。青ざめたままだったが、目は落ち着きを取り戻していた。うずくまる彼の足元で、仔ネズミたちが心配そうに鼻をひくつかせている。彼女は彼に愛憐の瞳を向け、「何も聞かぬ。だがそなたの助けとなりたい」

 アスランは愁眉を曇らせ、アファルトルを見つめる。彼の闇の瞳が、不安と怖れ、絶望を含みつつ、微かに別の色に輝く。彼は運命に逆らう鍵を見つけた。自己の生の道を明らかに知った。彼は微笑む。心から安堵した子供のように。




 辺りに闇が垂れ込む。寒波はどっとラ・ルマリアンの平原に襲いかかってくる。枯れかけた木々が身を寄せ合い、そして、雪に埋もれていく。夜気は優しく、はかりしれぬ冷たさで持ってすべてを凍える氷の中へ閉じ込めていく。まるで、微笑みながら、じわじわと首を締め付ける狂人のように。すべてが吹雪のなかにひっそりと佇む名も無き者の墓標のようであった。なだらかに隆起する丘に雪が降り積もり、叩きつけてくる吹雪が、逆巻く波濤のように荒々しく積雪をぎ、吹き返す風のなかでうずを巻いて視界を遮る。

 アスランとアファルトルは深い穴を掘り、地面に敷き布を敷き、狭い穴のなか、寄り添うように座り込んでいた。日が暮れる前に吹雪に見舞われることを恐れて、アスランが魔法で掘り起こしたのだ。今晩で野営は三回目だった。アファルトルが先頭に立ち、彼らを案内してきたのだ。彼女がラ・ルーに向かうときは天候も比較的穏やかで寒さも厳しくなく、吹雪いたりもしなかった。しかし、この三日間、天候は次第に荒れ始め、まるで、彼らが来るのを拒んでいるかのよう。足も思うまま進まず、アファルトルはいらだちを隠し切れない。アスランの彼女に対する態度は徐々に和らぎ、そんな彼女の肩を抱き、その焦燥をいたわった。なにも言わぬのが彼女には嬉しかった。煩わしく言葉をかけられるよりも、そっと肩を抱いていてくれるだけで、十分な配慮だった。幼くも老熟した彼女は見せ掛けの慰めなど、骨身にしみるほどわかりきっている。言葉など、いつかは言い尽くしてしまうもの。最期の父のように、手を握り見つめていてくれるだけで良い。それだけで十分に心は満たされる。

 寄り添うお互いのぬくもりが伝わってくる。穴の中はアスランの魔法のお陰でほんのりと温かい。簡易マントに包まるふたりの膝の上で、仔ネズミたちがぬくぬくと眠りこけている。

「そなたには感謝している。わたしだけではこの吹雪の中、無事ではおられぬ」

「礼には及ばんさ」

 アスランはアファルトルの横顔を見つめる。骨格のしっかりとした、しかし繊細な生の美を凝縮したような彼女にしばし見とれる。

「肩を抱いてもいいか……?」

 アファルトルは失笑し、「なにも聞かぬと勝手にすればよかろう。そのほうが楽ではないか」

 たしかに穴の中はピッタリとくっつき合っていたほうが、楽な狭い空間である。アスランはぐっと力強くアファルトルの肩を抱き寄せ、その頭を自分の胸に押し付ける。

「寄せすぎてはおらぬか……?」

「これくらいがちょうどいいんだよ」

 アスランはぶっきらぼうにぼやく。アファルトルは上体をアスランに預け、その鼓動を聞く。彼女はうっすらと微笑む。彼は彼女のフサフサとした金髪に顔をうずめ、その香気を吸い込む。不思議なことに、まだ湖のオレンジの香りが染み付いている。アスランは目をつむり、安堵の溜息を漏らした。今だけかも知れぬ幸せに身を委ねる。いつ奪われるか、いつ壊れてしまうかわからぬものに心から頼った。




 アファルトルが目覚めると、頭に重みを感じた。アスランは彼女の頭に頬を寄せ、安らかな寝息を立てて眠っている。彼女はそっと頭をどける。初めて見るアスランの寝顔。しどけなく黒髪が顔に掛かる、彼のあどけない寝顔をしばし見つめる。うっすらと顎を覆うひげさえも彼女には趣深く覚えた。今まで見てきた男とはどこもかしこも違う青年に、興味をそそられていた。

 結局吹雪が止んだにも関わらず、外にも出ず、アスランが目覚めるまで、その寝顔を見守り続けていた。差し込む朝日に、眩しそうに目を開くアスランは、目の前のアファルトルの姿を眺める。目覚めた彼に気づくと、彼女は惜しげも無く、溢れるような凛然とした笑顔を向ける。彼も全てを包み込むようなやわらかな笑顔を浮かべる。

「吹雪は……?」

 アスランが聞く。

「やんでおる」

 アスランは腰の革袋から小刀を取り出し、顎に当て、器用にひげを剃っていく。その一部始終をアファルトルは面白げに見ている。

「殿御とはおかしなものよ。朝起きて見やると、顔に妙なものが生えておる」

「嫌いか……?」

「髭とは権威の証。チクチクと痛いが、それも粋なものよ」

 アスランは怪訝な顔をし、「誰の髭がチクチク痛いだって?」

「父上だ。父上もご病気になられる前は、ご立派な髭を蓄えておられた」

「父とはそういうものか……?」

「いや……もっと大きく広い方だ。包み込んでくださる方だ」

 アスランは父という概念はあっても、父というものを知らない。彼は父を持たぬもの……。母さえも持たぬものなのだ。しかし、今はしばしその恐怖も耐え切れる。たとえ、古の王であったとしても。彼はアファルトルを見つめる。

「オレが包み込んでは駄目か?」

 アファルトルは目を丸くする。

「酔狂なことを言うの。昨夜からちと妙だぞ」

「酔狂というのか? たしかにオレが自分からこんなことを言うのは酔狂かもしれんが」アスランは笑い、「まだ早すぎたか」

 アファルトルは黙して、微笑むアスランを見つめていた。

 穴の外から、「チーチー」という鳴き声が近づいてくる。ふたりが穴の外を見やると、タスクとミルトが雪にまみれて転がりこんできた。この二匹はふたりが目覚める前から、穴から這い出て遊んでいたようだ。金茶の毛並みが雪に凍えて、透き通るあかがね色に光っている。一瞬雪のせいが悪戯に走りこんできたかのよう。二匹は後ろ足で立ち、身振り手振りで話しかけてくる。遊んだ内容から始まり、何やら遠くに見えるものについて語り始めた。

 アファルトルはすかさず穴から顔を出す。昨夜はあの吹雪ですっかり視界を閉ざされていたが、今は何もかも晴れ渡り、空気は凛として冷たく、遠くまで見渡せた。そして、彼女は行く手に目指す終着点を見出した。

 都市ラ・ルマリアンの高い塀が彼方にそびえている。ざっくりと足は雪に埋もれ、頬にピリピリと冷気が当たる。温もった呼気が白く靄となって吐き出される。

「どうした?」

 アスランがアファルトルの肩越しから、彼方を展望する。

「あれが?」

「うむ」

 穴に戻り、荷物をまとめて再度出てきたアスランは、アファルトルの横に立ち、もう一度ラ・ルマリアンを眺望する。

 城壁が異様に高いのか、それとも思ったより近くにあるのか。戦慄を覚えるほどの脅威を発している建造物。外部からの魔力を遮断する防護壁が、天井のない都市の上部に張り巡らされている。外部の侵入を毛ほどに許さなくとも、自らの露出までもは防げないのか。毒気のように禍々しい何かがじんわりと都市そのものからにじみ出ている。

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