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白き子  作者: 藍上央理
最終章 金の神
36/50

(4)

 あれほどに素早く、森のなかを駆け抜けていけたものを、今度はそうも行かぬことを二日目の野営の時に、アファルトルは悟った。やはり半日もかからず、あの道程を早駆けできたのは老ブラウニーの力添えがあってのことなのだろうか。

 さすがに退屈はしなかった。アスランは黙然としているが、代わりにちっこいのが小鳥のようにぺちゃくちゃとさえずるように話しかけてくる。アファルトルも呑気にいちいちそれに返答し、チビたちを退屈させたり、むずがらせたりするのをうまく交わしている。仔ネズミ兄妹はいたくアファルトルがお気に入りで、つかれれば彼女のポーチのなかで休み、目が覚めていれば、その肩に乗りっぱなしでしゃべり続ける。

 アスランも聞いてはいるだろうが、彼女らが話しかけぬ限り、相槌さえも打たない。それでも、「ああ」とか、「うん」くらい。食事の時でさえ、アスランは離れて座り、一人でももそもそと頬張っている。野営の時も皆が寝静まるまで起きているのだろうか、アファルトルはいつも起きている彼しか見たことがない。

「やっぱ、人間って早いんだねー、お兄ちゃん」

 小さなミルトは兄のタスクに揚々と話しかけた。アファルトルの肩に腰掛け、過ぎていく景色を悠々と眺めつつ、閑話に勤しむ。

「大人って、ぼくたちだと小さいからって鳥にも乗せてくんないんだもんね」

「うんうん。でもアタシたちみたく、人間の肩なんかには村のみんなだって乗ったことないね」

「帰ったら、あいつらに自慢してやろーぜ、ミルト」

 タスクは鼻先をひくつかせて、自分勝手なことを嘯いている。ミルトはその兄の姿を目を輝かせて見つめている。アファルトルはにこやかにふたりの幼い会話を聞いていた。

「ねぇ!」

 タスクが唐突に叫ぶ。

「水の匂いがするよ! 湖が近くにある!」

 アファルトルにはさっぱり匂わなかったが、

「あっちへ行こうよ、ねぇ!」

「水浴びしたいよぉ、あっち行こうよぉ」

 二匹はアファルトルの肩の上でぴょんぴょんと跳ね、駄々をこね始めた。彼女はアスランを見る。なにも聞いてないふりをして、彼はそっぽを向いたが、荷物を肩から外す。彼女は頷き、「どちらのほうにあるのか教えてくれ。ちびさんたち」

 タスクの指し示すとおりに木をくぐり、そして、まもなく並木のあいだから大きな湖が出現した。

 梢の上の太陽が湖面に乱反射して、深い緑色の水面は七色に輝いている。ミルトもタスクもあっという間にアファルトルの肩から飛び降り、一目散に湖めがけてかけていった。アファルトルはアスランを振り向く。彼は木に凭れて座り込んでいる。それを確認すると、彼女は茂みをかき分けて湖の方へ行った。

 二匹の姿はもう見当たらない。アファルトルはあの不思議な泉を思い出した。しかし、湖面もまた違った装いで彼女を迎え入れてくれそうであった。香り高い、オレンジのような匂いが立ち上っている。アファルトルは服を脱ぎ、木にかけると、足先をそろりと水に浸した。そして、そのまま湖の中へと潜っていった。水面は一瞬、渦を巻いてゆらぎ、しかし、また波紋を残して静かになった。

 アスランは木に凭れかかったまま、くんくんと服を嗅ぐ。気になるのか、しきりに湖の方を見やり、とうとう意を決して立ち上がると、やけくそな気分で湖の岸辺に出た。しかし、予想に反してアファルトルの姿はなく、安心した彼はさっさと服を脱ぎ、それらを手に持ったまま、湖に浸かった。腰までの深みに来ると、やおら手にした服をゴシゴシと洗い始める。洗濯に夢中になっているうちにいつの間にかアファルトルが彼の後ろに立っていることに気付かなかった。彼女の声に彼は心臓が止まるほど驚き、思わず振り向く。

 無防備なアファルトルの裸体がその瞬間、視界に飛び込む。頭が彼女だと察知するより早く、彼の体が素早く反応してしまった。どういう顔をすればいいのか分からぬほどに頭のなかが混乱している。彼の手は自然に自分の腰を隠した。

 アファルトルは残酷なほど冷静な目で彼を見つめる。濡れそぼった金髪を両手で絞り、彼が目のやり場に困っているのを知っているのかしらないのか。その見かけによらず豊かなココア色の、形の良い乳房を魅せつける。

「わたしも服を洗えばよかったかな」

 アスランはこの場をさりたかったが、今水面から腰を見せるのはためらわれた。渋い顔を作り、そこにとどまるしかない。

「上がらぬのか。それにしても森の水はどこも香水のように良い香りがするのだな」

 アファルトルはくったくのない笑顔を浮かべると、アスランをすり抜けていった。そのとき、彼女の肌が彼の胸をこする。

 アスランはもうだめだと思った。思い出してしまう。まるで今起こっているかのように、あのラグナロクとの交わりが頭のなかではじけた。そして、彼は静めることができた。その望み通りに。得も言われぬ怒りがこみ上げ、アスランは手に持っていた衣服を激しく水面に叩きつけ、さけんだ。

「くそっ!」

 岸辺のアファルトルは不思議そうに彼を見やり、懸念して、「いかがいたした?」と呼びかける。

「うるさい! とっととあっちへいけ!」

 いつにない怒声が飛ぶ。アファルトルは怪訝そうにアスランを見つめると、首を傾げながら、茂みの向こうへ行ってしまった。

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