第五章:蛇の侵入
ビード寮のミス・モリスが中部地方なまりの丸ぽちゃで誠実な生徒だと分かったので、ミセス・ブラッドリーは二言目を話し出す前に彼女を釈放した。
「可愛い子」にこの状況を正しく伝えたミセス・ブラッドリーは、夕食後デボラをコロンバ寮に連れて行った。そして、キティ言うところの「カータレットの生きている針金」と初めて遭遇した。
ミス・トパーズは、私はいつも自分でやるんです、幸運にも学寮長もこのやり方を好んでくれていて、ともかくうちにはチコリに熱いお湯を注ぎかけるという以上の知恵を持っているメイドがいないし、そういえばアセルスタン寮では最高の第一夜の大騒ぎをやらかしたそうですね、とまくしたてながら、自分でコーヒーを淹れた。さらには、ミセス・ブラッドリーは称賛されるべき女性で、ここでこのようにお迎え出来てとてもうれしいと続けた。
手短にいえば、彼女は灰色の髪をして、半ば耳が聞こえなくなった60歳に近いコロンバ寮の学寮長が、来客を歓迎しつつも明日神学の授業があるので、その予習をしなくてはと断って姿を消すまで、無駄口をたたき続けた。
「それで、」学寮長の退出したドアが閉めて火の近くに戻ってきた後、ミス・トパーズは言った。「可哀そうなミス・マーチャンについて、聞かせてくださいな」
「私に言えることがあるとは思えないねえ」と、ミセス・ブラッドリーは言った。「警察は目下、死んだ学生の祖父がミス・マーチャンの失踪に関わりを持っているのではないかという仮説のもと動いている。知っての通り、彼は検死審問の後精神病院に入ったけれど、しかし彼は見かけ上快癒したということで、先学期の半ばごろに退院したんだ。具体的には5月の8日にね」
「未だに復讐を求めているということでしょうか」
「まあ、警察もそこまでは言っていないけど」
「その男はどうしているんですか」
「休息と変化を求めて姿を消しているということだよ」
「とは言っても、私には彼がどうやってミス・マーチャンを、学期末のダンスパーティの最中攫いだしたのか分かりませんわ」
「そうかね? それがどうやってなされたかについての証拠を、私は見つけ出せるだろうと考えているけれどね」
「恐れながら、それは不可能でしょうね。今回の舞踏会は普段の学期末のダンスパーティとは違います。なぜなら、生徒たちは男友達を誘うことができたからです。そのせいで、先学期末のパーティでは――私には断言できますが――九時を回っても、カレッジのグラウンド全体はうろついているカップルだらけです、いや、「でした」。ベンチに座ろうと思ったら彼らを尻に敷き、岩石庭園を歩けば衝突し、校庭では踏みつけることになったでしょう。まったくトンデモナイことですがね」
「つまりあんたは、騎士に付き添われたミス・マーチャンはウキウキしていたと、そう言いたいのかね」
「当たらずとも遠からずですわ。誰だって、少なくとも二ダースもの目撃者が事件について証言するようなあんな夜には、ミス・マーチャンを学校の地所の外に連れ出すことはできなかったでしょう。ミス・マーチャンは、自分の意志に従って、一人で敷地を去ったか、もしくは誰か男が女の(ええと、何と言ったかしら、そう)共犯者を持っていたか、どちらかでしょうね」
「そいつは実に明快だ」とミセス・ブラッドリーは言った。「ところで、あんたにミス・マーチャンがどんな人だったか尋ねてもいいかね。彼女が前任の学校で撮った写真は見たんだがね、誰だって周りに30人もの子供に取り巻かれながら、自分の素を晒すことのできる人間なんていないだろう?」
「ミス・マーチャンですか? ええそうですね。彼女は42か43だったと思います。少し陰りのある人のように見えました。金髪は灰色になりかけていて、肌はしわが多く、弱々しい口の形をして、でも人目に付く印象的な目をしていました。灰緑色で、生き生きとしていて。彼女のほかの部分はちっともそうじゃなかったのに。彼女はとても控えめな人で、生徒からも私たち職員からも人気があるという訳ではなかったですね。でも、彼女とは一学期しか一緒にいなかったから、はっきりとは、ねえ」
***
「模擬授業よ」とミス・メンジーズははっきり言った。「A-1組向けに詩学、そう大文字のPのアレ。11時35分から、ミス・D・K・セント・P・クラウドが担当、と。悪くないわね。キティ、それからアリス、この授業には私たちの手助けと熱い注目が必要になると思うんだけど」
「ミス・クラウドにいたずらを仕掛けるのは気が進まないわね」とアリスは、穏やかながら決然とした口調で言った。
「他にどうすることができるっていうの?」とローラは詰問した。「アセルスタン寮をより良くするために、手助けをすべきだと言っているの。今回は、講義科目をもっと重要性の高いものに変えてやろうと、そういうことよ。お昼休みのケーキとエールのために、誰がお金を払うかってこと」
時は8時50分、学期の二回目の火曜日の朝である。礼拝(オプション付き)は既に終了し、校長と彼女を支持する講師たちは既に寮から退出した。そして、10分間のセレモニーに参加した生徒たちは、三々五々解散し始めていた。
デボラは礼拝に参加していた。模擬授業が公開されるため、今朝は正規の授業はないのである。ひどい風邪を拗らせた年配の英語教諭から託された模擬授業が、あまりに準備不足であることは自分でもわかっていたし、詩学は大学で選択したこともなかった。しかしながら、授業の目的、内容、方法論を記した30部の寒天版が既に生徒たちに回覧されていたので、彼女にはもうベストを尽くす以外の選択肢はなかった。驚くべきことに、今回の授業がカレッジで行われるべき水準を下回るのは間違いない、とデボラは悲しい気持ちで考えた。大学は学期の従来の流れに乗って動き出し、生徒たちも落ち着いてきていた。その中で、ミセス・ブラッドリーの心理学やミス・トパーズの中世史の授業が、必ずしもその講義を取らなければならない訳でもない生徒を含めていつも満員になっているにもかかわらず、彼女自身が担当する英文学の講義は、やる気がないどころか、途中で講義を中断させるようなマナーの悪い連中が数人参加するだけであるという状況に、デボラは気が付いていた。今日の模擬授業も同じようにがっかりするようなものに終わるだろう、と彼女は思った。
それにしても、今朝は最初から憂鬱だった。アセルスタン寮の上級生が、ルールーが自分の靴を洗濯しているのを見つけたと騒ぎを起こしたのだ。デボラは苦々しい思いをしながら二人の事情を聞き取り、ミセス・ブラッドリーに報告することしかできなかった。聞き取りをしている間は泣きたいような気分になり、彼女の普段のユーモアセンスはめっきりなりを潜めてしまった。
しかしながら、授業は設定されており、そこには学生が、そして子供たちがやってくるのだろう。そう考えた彼女は、気持ちを整理して自分を奮い立たせた。彼女はうめき声を上げながら、詩に思いを馳せ、讃美歌集を拾い上げ、意気消沈した様子で寮の建物を出発し、職員室へと歩いて行った。この部屋はたまたま、彼女がこれから授業をする模擬授業室のすぐ隣に位置しているである。
その反対側には子供たちがカレッジに来るとまず訪れるクロークルームがあった。デボラは職員室から出ると、そちらにちらりと目をやって、そしてすべてが秩序立っていることを確認するために模擬授業室へと足を踏み入れた。この部屋は特別に作られ、その目的に合わせて調度を揃えた部屋であり、他の講義室に比べて、横幅が広いのが特徴である。部屋の両側には、授業を受ける学生が寛ぐことができるようにベンチが設置されていて、これら二つのベンチの間には子供たち用の机が置かれている。これによって、学生は講師と子供たちの両脇にいるという訳である。教室の後ろ側には長い書架と引き出しが、前側には教卓と蓄音機が設置されている。扉は講師の(生徒と向かい合って)左手側にある。
デボラはこの拷問室で五分かそこらもじもじした後、机にペン、鉛筆、メモ紙が配備されていることを確認し(先日別の模擬授業が行われたため)、今回の授業で取り上げる詩集の複写を教卓に置き、引き出しから白いチョークを取りだして職員室に戻った。そこで彼女は一年生の作文の束を添削するという業務に取り掛かった。
10時10分、数学講師のミス・ハーボトルが入ってきて、教科書を放り投げると大きな元気のよい声で話しだした。「一時間の休憩を神に感謝しよう。最悪の模擬授業の時間までは、何もなしだな」
「あら、あなたも「そっち」の人なの?」とデボラは問うた。模擬授業を実際にやる人たちについて考えるには、自分の問題で頭がいっぱいになっていたのだった。「模擬授業ってどういう感じ? どうやって始めたものかしら。不安でたまらないの」
「ふーむ、まあなあ。結局、学生たちの大多数が私たちよりもいい「仕事」ができるかどうかなんて、みなには分からない訳だろう? 大学で科目の教育法を身につけた人が、全科目の模擬授業をやらない理由は分からんな。数学は私の受け持ち科目かもしれないが、9歳とか10歳の子供にそれを教えるのは、結局別に好きじゃないともいえる。算術なんて基礎中の基礎なんだから。ことに、教育実習を済ませた二年生にとってはね」
「私、そいつらに――つまり子供たちに――詩をレクチャーしろって、そうA-1組のためにね、言われていて。でも私大学で詩を専攻していないし、むしろ嫌いなの」とデボラは言った。
「それがどうしたって?」と、シガレットケースから煙草を引っ張り出し、デボラにそれを勧めながらミス・ハーボトルは訊いた。デボラはありがたく受け取ると、説明し始めた。「きっついな」とライターで火をつけながらミス・ハーボトルはコメントした。「模擬授業なんてくそ食らえだ。ああそうだ、なあ、いいことを思いついたよ。私の模擬授業は11時5分からなんだが、もしよかったら順番を代わってあげよう。子供たちも学生も、一番目のコマの方が制御しやすいだろう。ことに子供たちは二番目以降のコマでは盛りあがりすぎてしまうことが多いんだ。よく言っているんだけどさ」
「え、本当に?」とデボラは嬉しそうに言った。「代わってくれるなんて。勢いよくやって一気に終わらせてしまえたら、すっごく嬉しいわ。終わったらすぐにディスカッションもできるし……集まってアイディアを交換するんでしょう」
「構わないよ。それじゃあ、講義から出てきたところでフィッシュを待ち伏せして、学生たちに私とあなたが枠を交換したことを告知してもらおう。これが一番だ。時間割表からは外れてしまうが、大事なのは実際何が行われるかだしな」
彼女は大きく反って、煙草の火を消した。そして約束通り、教育法の担当講師に話をつけるために立ち上がった。
「そうそう、これは言っておかないと。あなたの模擬授業が終わるまでの間、学生たちはあんたを教室の支配者として扱うだろうが」と、振り返りながらミス・ハーボトルは言った。「子供たちは、どんなに真っ当な子でも支配者を生きている太鼓のばちみたいなもんだと考えている節がある。私の場合そういうのは教室から叩きだしてしまうんだけど、あなたの場合は、どうするかな。どこかで教えた経験は?」
「ええ、北ロンドンのエリナー・グリシャム・スクールで2年、その前はニックスフィールドで1年」
「へえ、そんな年には見えないね。まあでもそれなら大丈夫だろ。ところで、今度都合のいい時にアセルスタン寮に招待してくれないか? 私のような、学寮長でも副学寮長でもない講師は、食い扶持のためにあちこちの寮を回って、一週間ずつ住まわせてもらうことになっているんだ。今はエドマンド寮にいるんだけど、そちらの老貴婦人にぜひお目にかかりたくてね」
「今はミス・マードックがいるのよ」とデボラは言った。「でも彼女は日曜日の午後にビード寮に移動すると聞いているわ。それにしても、変わったシステムよね」
「そうだな。我々にあちこちの寮に触れさせておきたいようだけれど。このやり方がいい結果をもたらしているという話も聞いてはいるよ。私に言えるのは、これによって怠け者の小さな野獣である生徒たちが、思いあがらず振る舞いをきちんと処していけるようになるのではないかということだ。それにしても、我々はいったい何を気に掛けているというのだろう。幸いにして私は学寮長ではないけれど。校長は君が色々な物を背負いすぎている、と言っていなかったかね? もしまだだとしても早晩言うだろうね。私のアドバイスを受け入れて、自分をしっかりコントロールしたまえ。まったく、アセルスタン寮でどれほどの重荷を背負っているのやら。初日から、どえらい大騒ぎに巻き込まれたと聞いているがね」
学生向けの雑貨屋の前を横切るまで、デボラは自分があと10分で学生たちの学習のために子供たちの前に立ち、アルフレッド・ロード・テニスンの『フクロウ』、「猫が家に走って帰り、外が暗くなってきた時*」で始まる詩について授業しなくてはならないということを忘れていた。思い出した時にはショックが走った。(*原文は When cats run home and light is come で、「猫が家に走って帰り、外が明るくなってきた時」となっているが、ミッチェルはlight をnightとしている。誤植かもしれないし、詩に不慣れなデボラのミスかもしれない)
子供たちが到着する音が聞こえた。彼らはバスでやってくる。元気でおしゃべりだ。気遣わしげな一瞥を子供たちに投げたデボラだったが、彼らはなかなか素敵なやつらに見えたし、彼らを引率する教師は若くてかわいらしかった。デボラの聞いたところでは、ローラ・メンジーズとキティ・トレヴェリアンに率いられた学生たちは、帽子とコートを脱いだ子供たちが、それらをクロークルームに仕舞えるように内扉を開けてやり、彼らの教師が職員室に行かれるように手助けしていた。ところが、デボラが心を決めるまでの間に、彼らの努力は実ることはなかった。
「バカ、こっちだって言ってるじゃない!」とローラは大声で叫んだ。「結局のところ、子供たちに授業中ずっと机の上に手を出しておくようにしつけるのが教育ってものなんでしょ?」
「それは、それが本当なのかどうか、それからこの子鬼どもが単に退屈している、ちょっとでも状況が変わるのを望んでるだけの奴らなのかどうか、というので決まるね」とキティは賛同した。「そうだ、それこそ私たちが考えるべきことだよ。ペンと紙とあれとかこれとかを渡すのとおんなじさ。全部がここで、私たちの手によって決まるんだ。実際、こんな模擬授業が役に立つなんて思えないね。最後にはどんな馬鹿だって置き上がって授業を受けるのさ。大事なのは雑用なんだ」
デボラは震え上がった。事態は彼女が想定していたよりもはるかにひどいことになっているようだ。彼女は職員室まで這うように戻ったが、教育法の担当講師はその時廊下を忙しそうに歩き回っており、彼女を見つけるやその腕をつかんだ。
「あなたとミス・ハーボトルの時間を入れ替えると聞きました」と担当講師は言った。「生徒たちには伝えておきました。あらあら、あんなところにアデノイドの可哀そうな子が。理解不能な質問をしてくるかもしれないわね。警告しておいてあげましょう。それから、気を悪くしないといいのだけれど、子供たちにはかみつかないようになさいね? 学生たちの教育によくありませんから。忍耐と優しさ、優しさと忍耐、というのが、私が繰り返し教え込んでいることなのです」
デボラは、ステッキを身につけていることを、この酷くイライラさせられる女に言うべきだろうかと思案したが、上級講師の一人であり、校長以上に長くこのカートレット校に在籍している教育法の担当講師を敵に回したくなかった。そこで、単に弱弱しく微笑むに留め、先ほどのものとは別の詩の複写を置いた机へと歩み寄った。
彼女はそれを手に取ると、可能な限りしゃっきりとして、模擬授業室へと入って行った。不自然なまでに静かな、そして上がり切って小さな彫像のように固まった子供たちを見て彼女は、瞬き一つしない野生の警戒を高めた。学生たちは囁き合い、ガサガサと音を立てた。教育法の担当講師はこう言った。「おや、誰か教科書を忘れてきたようですね」。この一言が決定的だった。誰もが大人しくなった。そしてデボラの頭は真っ白になった。
「おはようございます。みなさん」と彼女はかすれた声で言った。一人か二人かの子供がくすくす笑ったが、残りの子供たちは復唱した。「おはようございます。先生」 その口調はまるでオルゴールから流れ出したようなひどく機械じみたもので、子供たちはその不安げな眼を、彼女へとしっかりと据えたのであった。
「私たちは今朝ここにやって来て」と、デボラは幾度か咳こみながら喉の調子を整えようとした。「私たちは、私たちは――さてみなさん、今日授業を始める前にまず、何かとても美しい物について考えてみましょう。えー、えーと、つまり例えば花とか、可愛らしい樹とか、あるいは何か、自分で美しいと思うものなら何でも、ね」
彼女はほほえもうとした。しかし、彼女の顔面はひくついて、どうにも恐ろしいしかめ面にしかならなかった。
「えっ、えー、そうあなた、美しい物について考えたかしら?」と、彼女は最前列の端の席に座っている子供に向かって神経質に言い放った。彼女はその間に、自分が用意してきた授業の内容を何とか思い出そうと脳みそを振り絞った。詩とは「何だ」と言おうとしたんだったかしら。一体何ページを開けばいいのだったかしら。彼女は絶望的な面持ちで卓上の本を見やると、ページを繰り始めた。そうだ、そうだった。参照するページに印をつけておいたんじゃなかったっけ? 確かに、彼女はそのような愚か者ではない、はずだった。この最悪の馬鹿馬鹿しい詩が何か、だって?! 恐ろしいことに、彼女は自分がそのことについて、ほんのかすかなアイディアさえ持っていないことに気がついてしまった。
彼女は、まるで捕えられた獣のような目で教室を一瞥した。一人、二人の生徒が手を上げている。何について質問したんだったっけ。彼女はもうまったく思い出せなかった。それともあれか、この先生を追い出したいのだろうか、この挙手は学生への合図だっただろうか。それとも、ああ、あの恐ろしいアデノイドの子供だろうか。彼女は教室のど真ん中の席に座った子供を、恐る恐る指名した。
「ビスケット」と子供は言った。
「え、なんですって? よく聞こえ……」とデボラは言い、ひどく居心地悪そうな面持ちをし始めた生徒たちへと、救いを求める眼差しを送った。彼女はすばやく、次の子供を指名した。彼女が恐れていた通り、この子供はずばりアデノイドであった。少女は立ち上がり、長くそして可能な限り重要そうな事柄について話し始めたが、デボラには一言たりとも聞き取ることはできなかった。目に霞がかかり、耳にはどんどんと轟音が響いた。
「一体、私はどうしたらいいの」と自問した彼女は、やっと気がついた。ローラ・メンジーズの心のこもった声、大きく明瞭で分別のある響きが聞こえてきたことに。
「なぜ彼らが美について考えたいのか分かりませんわ、ミス・クラウド、本当は猫が走って家に帰り、夜がやってくること、そして数多の意地悪い梟やらなにやらについて考えているのに」
「おだまんなさいよ、ドッグ」とキティは言った。「授業のあとで聞けばいいでしょ。今授業の内容について口出ししても始まらないわ」
デボラの頭はすっきりした。彼女はローラの方に眼をやった子供たちに向かって頬笑みかけ、いつもの自分の声で話し始めた。
「みなさん、ご本のなかから自分で詩を見つけ出すことはできるかしら? さあ。この詩は猫と夜と梟についてのもので、私が思うに……」
しかしこの瞬間には、子供たちは熱に浮かされたように捜索にかかっていた。突発した事故、議論と自己正当化の末に、目眩から立ち直ったデボラは、その授業を自分の足で歩き切ったのである。
彼女は昼食のあと、ローラに使いを出した。
「ミス・メンジーズ、あなたにはぜひ知っておいてほしいんだけど、あなたは私のベーコンを助けてくれたのよ」と、デボラはその恥ずかしがりやなとても可愛らしい頬笑みをみせた。ローラは頷き、にんまりと笑った。
「愉しんだのはB-2組なのよ」とローラは言った。「蛇について何か聞いてる?」
「蛇って?」
「いい、実は先生のクラスが終わった時、B-2組がミス・ハーボトルの授業――100万とかについての数学の授業――を受けられるように私たち全員外に出たのよ。さて、教室がどのくらいの間からっぽになってたか、分かる?」
「分からないわ。でも、子供たちはずっと中にいたんだから、教室が完全に無人になるということはなかったと思うけれど」
「いやー、そうでもないのよね。ミス・ハーボトルが定規なんかを運び込む間、ミス・フィッシュロックが子供たちを外に出して走り回らせてたの。校長先生は、私が授業の合間に同じようにしたらなんて言うかしらね。いつかやってやろうと思っているの。さてさて、この5分間に何人かのスポーツマンが教室に入り込んで、蓄音機の棚のなかに蛇を何匹か仕込んでいったの。それから、ミス・ハーボトルの授業が半分に差しかかろうというところで、こいつらがニョロっと出てきて大騒ぎになったという訳よ」
「まあ、なんてこと!」とデボラは言った。「ひどい! ミス・ハーボトルはその時どうしたの」
「にじり下がって、それから子供たちが怖がるといけないから誰か蛇を外に出してもらえないかって頼んだそうよ、彼女、顔は微塵も崩れなかったみたい。そう私の密偵から聞いているわ」
「それで?」
「ええ、恐れを知らぬ騎士のカウリー――彼女を知ってる? 応用生物学を専攻してる――が、這いずる蛇を拾い集めて、研究室に連れて行っちゃった。そのあと、フィッシーとミス・ハーボトルの間で炎が噴き上がって、そのあとミス・ハーボトルは、ファラオが蛙の疫病を流行らせたモーゼのお尻を蹴り飛ばして以来、一番人気の模擬授業を締めくくったの」
何一つだ、とデボラは思った。そう何一つとして職員も生徒も話題にしていなかった。というのもミス・ハーボトルはこの問題を事前に校長に報告しており、そこでB-2組の学生たちは「静粛を保ち」――とミス・ハーボトルは報告内容を引用してみせた――「不適切なことは何一つなかった」、そして一切外には漏らされなかったのだ。
「個人的には、カートライトのせいではないと思いますけど」とミス・トパーズは意見を聞かれて答えたものだった。
デボラはこの事件の原因がいかに重要かと知った時に、自ら校長の元を訪ねた。そして、どうして自分の責任ということにならないのかよく分からない、と突然語り始めた。
「私はミス・ハーボトルが模擬授業をした時間に、本来は授業をするはずでした。本当に直前に交換したんです、その、お互いの便宜を考えて。つまり言っておきたいのは、こう言った騒ぎの対象になるならば、この学校で既に確固たる地位を築いているミス・ハーボトルではなく、私のような新人の方がもっとそれっぽいのではないか、ということであって」
「分かりました。ありがとう、ミス・クラウド。誰がやったにせよ、嫌がらせがあったというのは看過すべきことではありません。A-1組の生徒に聞き取りをして、その内容を元に真実を突き止めましょう。犯人をあぶり出すのです。私は、B-2組のミス・カートライトを半ば疑っていました。しかし、あなたの話を聞いたことで、違う側面が見えてきたようです。責任者としてあなたに確認しなければなりません。アセルスタン寮での様子はどうですか? 重荷になってはいませんか?」
校長は蛇の件について、これ以上の犯人追及をするつもりはなさそうだった。そしてこの事件が引き起こした興奮は短命に終わりそうだったが、それに比べてもっと深刻な突発事が――そう、この多義語の幅広い意味から考えても、大騒ぎとは決して言えないようなことだったが――起こっていた。
アセルスタン寮にはキャロウェイ姉妹という名前の双子が在籍していた。言うまでもなく、彼女たちはシーズの名で知られ、第二学年である。その名前、そして双子であることという特性にもかかわらず、彼女たちには特段変わったところはなく、また確かに敵はいない(少なくとも知られている限りでは)はずだった。
しかしある午後、アネット・キャロウェイがドレスをトランクから出そうと倉庫室を確認したところ、そこに置いてあった服がことごとく切り裂かれていることを発見した。破壊された服には彼女の新しい冬コートも含まれていたが、これもまたポケットが引き出されたうえで裂かれ、また、大きなパーツはずたずたになっていた。おまけに、トランクの鍵は破裂したようになっており、トランク自体もまるで上で飛び跳ねたかのような惨状であった。
瞬間、彼女は倉庫室にペタンと座り込み大きな声で泣き叫んだ。彼女の次に倉庫室に飛び込んだのは彼女の妹だった。マーガレット・キャロウェイはアネットの惨劇を見て取ると、即座に自分のトランクを確認したが、その酷さは姉のそれをさえ上回っていた。ダンス用のフロックコートは糸になるまで引き裂かれ、冬コートばかりか冬用の寝巻までもが裂かれ、もはや修理の余地がない状態まで破損していた。
マーガレットは、トランクを蹴り飛ばして無理やりに閉めると、姉の手を取ってこの事実を学寮長に伝えるために駆け出した。
幸運にも、土曜日であったにもかかわらず、学寮長は在室していた。彼女は涙にくれるアネットと顔面蒼白のマーガレットを引き連れて階下へと降り、被害の状況を調査した。彼女はほとんどしゃべらなかった。この可哀そうな少女たちの家族は、一定の犠牲のもとに自分たちの娘をカレッジへと通わせている。服がなくなるということは、誰にとっても苛立たしく、また、不愉快なことであったが、このような少女たちには少なからぬ悲劇であった。
「カレッジは」とミセス・ブラッドリーは、二人を連れて部屋に戻ってきた時に言った。「もちろんこの損害を弁償するだろうね。実際、もし、今日の午後に何か特別仕様ということがないんだったら、「外出届け」を私に出して、交通費他を渡すからヨークなり、電車を使うならリーズなりに行って、ちょっと買い物でもしてきたらどうかね。それから――ねえ、私の親愛なる寮生さんたち、頼めるなら、だけど――今回の事件のことは、私が校長に話すまでは黙っていてくれないかね。校長はこの週末は出かけていて、月曜日までは会うことができないんだけどね」
彼女たちはそう約束した。お金を渡すことについては若干の悶着があったものの、最終的には受け取らされることになって、それでミセス・ブラッドリーが調べてあげた電車に乗るために、大急ぎで寮を飛び出して行くことになった。双子が出かけた後、ミセス・ブラッドリーは思慮深げに階段を降り、ふたたび地下室を訪れた。そして倉庫室に続く扉をじっと観察した。そのあと、パン焼き小屋に続く回廊をしばらく歩いた後、引き返して、アセルスタン寮の地下室を通過し、次の寮の地下室に向かって進んで行った。アセルスタン寮とパン焼き小屋を隔てるドアが一つ、そしてアセルスタン寮から回廊を通じて次の寮に続いているドアが、彼女の知っている限り一つあった。これらのドアは、通常は鍵がかけられている。
彼女は万能の鍵束を取り出した。パン焼き小屋と回廊のドアを両方開けて、手と膝をついて床を熱心に調査し始めた。しかしながら、床は丁寧に付記掃除されており、執拗な捜索にもかかわらず、何一つ見つけることはできなかった。そのあと彼女は召使たちに質問するために厨房へ行った。床は今朝の九時かそこらには掃除しているという。また掃除は毎日行われている。倉庫室には学生たちが頻繁に出入りし、トランクから荷物を出し入れしている。寮の寝室についているワードローブのスペースは極めて限られており、地下に置かれたトランクは、常に必要とされているのだ。床はしょっちゅう土だらけになるので、週に二回は水洗いされる。これは、学生たちが泥まみれの歩道や運動場から直接地下室に入ってくるからである。
ミセス・ブラッドリーは、倉庫室の扉を閉め、自室に引き取るとコロンバ寮に電話をかけた。幸いなことに、ミス・トパーズが在室していた。
「はい」と彼女はミセス・ブラッドリーの質問に答えて言った。「すぐに参ります。今日の午後、ヨークに行こうと思っていたのですが、30シリングしか手持ちがないし、銀行に小切手を崩してもらう訳にもいかなくって。ところで、デボラはどうしていますか」
「あの子は外出だよ」とミセス・ブラッドリーは答えた。「それこそ私が「あんた」に会いたい理由なんだよ。私はあんたの鍵で試してみたいんだ。持ってきてくれないかね」
ミセス・ブラッドリーは電話を切った。そして待つほどのこともなく、ミス・トパーズは5分以下で走って駆け付け、ぺらぺらと説明しながら椅子にどっかと座り込んだ。さて、ミセス・ブラッドリーは一体何を発見したというのでしょうか?と尋ねる。
ミセス・ブラッドリーは彼女に説明した。
「それから、学寮長と副学寮長全員宛に、可能な限り夜に学生を確認するようにという回覧を回すようにするよ」と彼女は付け加えた。
***
「服が切り裂かれたですって」と校長は尋ねた。「犯人の見通しは立っているの?」
「いいえ」とミセス・ブラッドリーは答えた。そして「あなたにお聞かせできるようなレベルでは何も。ただ手短に言えば」と校長が反論してくる前に、ミセス・ブラッドリーは論じたてた。「これはうちの学寮の生徒のしわざではないだろう、とは考えているよ。汚れた鳥も自分の巣は損なわない、とよく言うからね」 ミセス・ブラッドリーの明るく輝く黒い瞳は、校長の精神的闘争を見て取り、このように続けた。「それから、このカレッジのどの生徒も、この件については犯人ではないだろうと思うね」
「つまり、犯人は召使たちの誰か、ということなのね」と、ホッとしたような口調で校長は言った。
「か、あるいは職員か」と、言いながらミセス・ブラッドリーはククッと大きな笑い声をあげた。「あるいはこのカレッジの外にいる何者か、ということになるかもしれないねえ」と彼女は優しげに締めくくった。
「そう、でも――」
「分かってる。今時点では何の証拠もありはしないんだ。証拠が揃わない今は仮説をこねくり回すしかできることはないけれど」
「何にせよ、アセルスタン寮の鍵は変えることができます」と校長は言った。「これで、何の権限もない人間が寮の中に入ってくることはできなくなるはずですわ。外の人間が犯人というあなたのお説に、私も傾いてまいりました。生徒たちはみな品行方正なものばかりですから」
ミセス・ブラッドリーは、こっそりとため息をついた。ごく自然なことだが、校長は犯人はカレッジの外で見つかるという仮説に縋りたがっている。しかし、彼女はそれ以外の可能性についても示唆しなければと思った。
「職員ですって? それはナンセンスですわ、ミセス・ブラッドリー。召使については、ご自由にお調べくださいまし」
ミセス・ブラッドリーは、召使たちは、生徒の大半よりもよっぽどしっかりした紹介状を持ってきているだろう、と指摘した。また、自分はアセルスタン寮の鍵を変えることをしたくはないのだ、と校長の誤解を解くべく付け加えた。
「あなたが何を言いたいのかよく分かりませんが……うん、そうするのがいいのでしょうね」と校長は言った。「これはとても不幸な事態です。それにしても、もし生徒たちのことを疑っていないのなら、何故彼らのせいになるような、そういう風に見えるような状況にしておくのか、私にはわかりません。少なくとも、カレッジの内部の誰かの責任であるように私には解釈できる状況です。なぜですか?」
「なぜならこの狩りがひと段落して」とミセス・ブラッドリーは答えた。「そう、一日くらいしかかからなかったけれど、この件のおかげでミス・マーチャンの失踪事件について、少し道が見えてきたからだよ」
「この破壊的な騒ぎとミス・マーチャンの事件にどういう関係があるのかよく分かりませんが、ともかく、私が興味を持っているのは衣服の損壊事件です。しかし、カレッジで起きたあらゆる問題をあなたに解決していただく訳にもいきませんしね」と校長は言った。「それにしても、可哀そうなミス・マーチャンの件について、あなたが既にいくらかの結論に至っていると聞くことができて、ホッとしていますわ」
「結論というのは適切な単語じゃないかもね」とミセス・ブラッドリーは言った。「でも、あんたに問いかけるべき一つ二つの質問について考える、そのための地点には辿りついたと思うよ。ミス・マーチャンを学期末のダンスパーティから攫いだすのは、彼女自身の知識と了解なしにはほとんど不可能だった、ように見える。また、彼女がカレッジを立ち去るときに誰か連れがいたとしたら、それは間違いなく女だったろう。少なくとも建物のすぐ近くにいることが出来た誰かだ」
「あの夜は、カレッジの敷地内に侵入したり脱出したりするのは簡単なことだったでしょう」とミス・デュ・ムーニュは付け加えた。「多くのお客さんが車やバイクで来校していました。駅からは遠いですからね。それで、門は11時半、ダンスパーティが公式に終了になる30分後までは開けっ放しになっていました」
「門が11時半に閉まったというのは確かかね」
「ええ。閉鎖までの流れがいつもと異なっているので、ガレージと庭園の管理をしているチャールズが、構内から職員のものを除くすべての車両を、その時間までに確実に外に出すように、と命じたのです。そして、彼は私に鍵を渡してくれました。この時に正門の鍵を閉めました。チャールズは普段通り報告書を提出して、11時より前に出て行った車はいないこと、そしてミス・マーチャンは髪を直しに行った10時半以降行方が分からないということを教えてくれました」
「ありがとう。女性のお客さんもいたのではないかと思うけれど?」
「はい、結構な数いらっしゃいました。私たちは、生徒が誰を招くかということをほとんど制限していません。男友達がいないという人は、姉妹やカレッジの先輩を招待することもあります。それぞれの生徒について一人招待する決まりになっていて、2シリングの入場料をいただいています。これは夕食代やプログラムの印刷費、ホールの装飾や召使たちへのボーナスの支払いなどに充てられます」
「職員もお客を招くことができるんだね?」
「はい、時々ですが。ミス・トパーズは著名な小説家でとてもチャーミングな方をお招きしました。ただ、何と言ったものやら分かりませんが、あの晩は相当酔っぱらうつもりで来たようですね。ミス・ハーボトルは従兄弟のミスター・トールボーイを招待しました。ワッツダウン・カレッジで化学の教授をしていらっしゃいます。ワッツダウン・カレッジからは学生のお客さんも多くいらしていましたね。ムーアズクロスの駅発の電車の車窓からご覧になったのではないですか。男子校で大きな教育大学でもあります」
「職員の中に、女性のお客を招いた者はいるかね?」
「いませんね。ミス・フィッシュロックは彼女のお父さんを招待しました。80歳近くにもなる方で、ここにいらっしゃるのを喜んでいたようです。面倒事に巻き込まれないように、彼には演台の近くに席を用意して、学生に命じて食事を取って来させました。とても陽気なおじいさんで、彼の言うところの「宴」に参加したがっていました」
「ミス・マーチャンはお客を呼ばなかったんだね?」
「ええ、彼女はここにいた間、一度もお客を呼ぶことはありませんでした。実際のところ彼女は友だちのいない女性、のように見えました。なぜかを考えたことはありませんが、彼女はうちのカレッジの中では皆に好かれていたようです」
「彼女は臆病な女性だったとか?」
「臆病?」この形容詞は、校長にとってはまったく意想外のものであったようだった。「一体どういう意味で臆病だと?」
「特定の意味じゃあない、一般的な意味で、だよ」
「そうですね……彼女には、自分の態度を卑下しているような部分があったかもしれません」
「どのくらいの頻度で手紙を受け取っていたんだい」
「正直、分かりません。彼女の手紙はアセルスタン寮に直接送られていましたから、それがどういう状況にあったかを全く把握していないんです」
「わかった。ありがとう。ところで、この学期からこのカレッジに赴任した者は、私とミス・クラウド以外の誰かいるかね」
「いいえ、誰も。ミス・トパーズは夏学期の頭にきましたけれど、それ以外の者はみな、最低でも4年はこのカレッジに在籍しています。うちのカレッジでは1924年から31年までの間に大きな変動がありましたが、一人二人結婚して辞めた者がいたのと別のカレッジに移転した者がいたのを除けば、誰もが納得して在籍していますよ」
ミセス・ブラッドリーは最後の一言をひどく気に入ったらしく、それについてたっぷり時間を取って考えた。
「ミス・トパーズは、うってつけとは言いかねるけれど」とまるでひとり言のように、最後に呟いた。「でも、もし私が一日二日ほどこのカレッジを離れなければならなくなった時には、ミス・トパーズに私の代理をしてもらうように頼むかねえ」
「だったらその代わりにミス・ハーボトルやミス・マードックの方がいいと思いますよ」と校長は答えた。「よく代理役を務めてもらっていますから」
「そのことは考えなくていい。ミス・トパーズにしなくては。彼女は聡明だしね。ところで、彼女とデボラはウマが合うようだ」
「仲が良すぎやしませんか?」と校長は突如苛立ちまじりに言った。「私は彼女たちの暴力的なまでの友人関係を良しとはしませんよ」
ミセス・ブラッドリーはゆっくりと規則正しく、長いこと頷いていたが、校長が疑っていたように、必ずしも彼女の発言に賛成はしていなかったのである。