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毒の月桂樹(仮)  作者: グラディス・ミッチェル
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第四章:とてつもない壷の山

 「ねえねえ」とキティは自分の狭いベッドに腰掛けたまま、パーティション越しに声をかけた。「あの婆さんが、昨日の夜何か企んでいたみたいだ。ぱっと見優しげなやり方でやろうとしている拷問の内容は、いったい何だと思う?」

 ローラからは何の返事もなかったが、アリスは首をぬっと伸ばして、「彼女が何を言いたかったのか分からなかったし、今もよくわからないわ」と言った。

 「でも、私にはわかるよ」とローラはアリスの寝室の入り口に姿を見せて言った。「一応言っておくと、バスルームに行かれなくなっちゃったから(あんたの、この幾何学的に組み立てられた馬房の中からどこかに行かれなくなるなんて、ありそうもないわね)、下に降りてドアを見張っていたのよ。そしたらマルフィの女公爵が泥棒の手袋をしていて、ヘアピンで糸の仕掛けを解いてるじゃない。コードはもとのままか、ほとんどそのままになっていてね、ラブ、釘はドアにしっかりと打ち込まれているの。ようするに、優れた呪いを使う悪魔があっち側にはいるってこと。審判と計時係は邪悪で情緒不安定な山の老嬢、デュー・ムーン校長、原告は年取ったマットとお若いジェフ、そして被告人は、私ら可哀そう三人組って訳ね。ねえ何か言った、同志アリス?」

 「いいえ、特には何も」とアリスは髪をいじりながら答えた。「何にも疑問なんてない。怖いのよ。結局のところ、あなたは自分がそれをやったかどうか分からなくなり始めているってことよね」

 「へえ、そうなの」とローラは答えた。「個人的には、オレンジ色をしたバナナの皮を仕掛けるのは、例え万全の準備が整っていたとしても、あんたの心には響かないだろうね。あからさますぎるし」

 ローラは自分の個室に戻ったが、残りの二人には、彼女がタンスを引き抜いてはバタンと閉めるという作業を繰り返しつつ、冒涜的な文句を相当量ブチまけているのが丸聞こえだった。

 「ドッグ、何を探しているの?」キティはまだベッドの中で快適さを享受し続けていた。

 「ベルトよ」とローラは答えた。「昨日、気持ちの悪い忠告を受け取ってね。カレッジを検分する時にストッキングを履くけれど、それを見につけるためのベルトはどこにもないってね」

 「私の使っていいよ」とキティは親切に言った。「私は晩用のやつを使うから」

 「ありがとう。私のもそのうち出てくるでしょう。トランクの中にはあるはずなんだから。ところで、私たちのトランク、今はどこにあるの?」

 「地下に降りたところよ」とアリスは言った。すぐにはっきりしたことだが、彼女はまるで千里眼のように、この種の情報を手に入れることができるようだった。「荷解きをしに下に行くにしても、私たちのものは少しずつしか上げられないと思うの。私が今必要なものはあまりないから、鍵さえ貸してもらえればあなたの欲しいものを取ってきてあげるわよ。どこに何があるか教えてもらえれば、中身をひっくり返さずにすむんだけど」

 「私はよく知らないんだ、ラブ。うちのお母さんが私の荷造りを全部やってくれるの。お母さんは、私には荷造りの才能はないって頑として譲らないし、実際、自分でもないと思う。一緒に降りて行くわ。キティ、あんたはしゃきっとベッドから起きなさい。さもないと朝ごはんを食べそこなうわよ。ものの本によれば、だけど」

 二階の踊り場で二人はドレッシング・ガウンを着たデボラに出会った。彼女はバスルームからちょうど出てきたところだった。

 「先生、すごく可愛くない?」と少し頬を赤らめながらアリスは言った。

 「悪くはないわね」とローラは答えた。「でも、少なくとも25は行ってる筈よ、あの人」

 「あの人、私たちがやったと思ってると思う?」

 「何を? ああ、例の絶叫ものの面白い糸の仕掛けのことか。いいえ、そうは思わない。私たちがやったんじゃないことは分かってるはず。グレッグおばさんと同じようにね」

 「学寮長はグレッグおばさんとはちっとも似ていないわ」

 「彼女は私に似てるのよ」

 「でもそんなはずはないわ。グレッグおばさん―どう話したらいいかよくわからないけど、あの人は現在過去未来のいつでもグレッグおばさんにはホントにまったく似てないことは明らかだわ。ねえ、ローラ。あなたには文学的な才能があるんだから、そんな風にどうでもいいことを言うべきではないわ。あなたはもっともっと賢い人たちみたいにふるまわなければ―あなた、怠けているのよ」

 「おやおや」と、自分の連れがほとんど階段から転がり落ちていこうとしているのを見ながらローラは言った。「で、あんたはまったくのダークホースって訳ね、アリスちゃん」

 「馬鹿言わないで!」とアリスは顔を真っ赤にして言った。

 「まあいいでしょ。よっぴいて見張りをして分かったいくつかの重要なことについて考えていたの。気付かなかったかもしれないけど、私は夜眠らない人間なのよ。で、私たちのボアディケアの正体がはっきりしたわ。彼女の名前はブラッドリーよ」

 「うん、知ってるわ」

 「ミセス・ブラッドリーよ」

 「うん、彼女は後家さんか何かなのかしらね」

 「時計の古釘をガンガン打ちつけることとか、でか鼻とか獅子鼻に関する「か何か」よね。彼女は手短に言えば(詳しいことは、ティモシー・シャイのスペシャル・ニュース・サービスが詳しいわよ。サンスクリット語含め、あらゆる言語で著作権を所有しているわ)、ミセス・ベアトリス・アデラ・レストレンジ・ブラッドリー。東京以外の世界中の大学から学位を貰っているそうよ。彼女はここにわざわざやってきた。私は自問自答したわ。なぜ?とね」

 「でも―ええと、つまり彼女は探偵ってことね!」とアリスは言った。

 「そうね。まさに探偵!」とローラは言った。「私が何を疑っているか、分かる、アリスちゃん?」

 「全然、少なくとも分かりたくはないわ」

 それに対するローラの答えからは論理的緻密さが失われていた。「前にナイフを見たかしら、例の「私に与えられたる~」ってアレを。いや、でもあれはハウリー・ハーヴェイが自分の配偶者をばらばらにした時に使った丸のこと同じものかしら。「コレハ オバサンノ ペン デス」。ガルルー、ガルルー(ディケンズだかなんだか)。前に聞いてたら止めてね。アリスちゃん、この大学の構内には、間違いなく殺人者がいるわ!」


***


 午前十一時以降ほとんど一日中、学生たちが陸続と到着した。来る電車は毎度彼女らを吐き出し、午後七時半には学内の全学生がディナーのために寮へと集まった。夕食後、学期の第一日目と言うことで、学寮に所属している学生たちに短いミーティングが行われたが、八時半には生徒たちは二人組、数人の小集団、小隊単位、あるいは数は少なかったが一人で芝生を横切り、果樹園を突っ切り、あるいは砂利道を歩き、それぞれの学寮の建物裏手でぶらついた。

 アセルスタン寮に割り当てられた生徒は、第一学年と第二学年がそれぞれ同数ずつであった。第三学年の生徒は所属していない。彼女らは第一学年の生徒(数年経験を積んだ助教師で、正規の教員免許を取得するために大学に来たものたち)と一緒にコロンバ寮に割り当てられており、それゆえ他の学寮の生徒たちとは一線を画し、ブリタニアを統べしものの臣たる存在だと、他の生徒たちからはみなされていた(ミセス・ブラッドリーはこれについて特段の理由を見つけることができなかった)。

 到着からディナーの時間までアセルスタン寮の多くの生徒たちは、学寮長やチューターに挨拶したり、自室の割り当てを受けたり(デボラと上級生たちは大いに混乱し、いらいらさせられることになったが)した。彼女らは階段や廊下ですれ違ったり、果ては水洗便所の扉が開いたり閉まったりするたびに誰彼に挨拶した。あちらこちらであまりにも多くの地獄じみた大混乱が巻き起こり、女子校の学期の始まりに慣れているはずのデボラですらディナーが終わった時には、今もって既に過重気味のところに、さらに長く苦しい戦いをおっかぶせられたような気分になっていた。

 「それじゃあ」、と食堂から引き揚げてきたデボラに合流したミセス・ブラッドリーは言った。「一杯やろうかね。ちょっと行って来てちょうだいな、可愛い子。ルールーはコーヒーを煎れられるかねえ。出来るとは言ってたけど、そのリスクをどう受け入れたものか」

 「一つ気になるのは」二十分後、ルールーの煎れた特筆すべき美味しさのブラック・コーヒーを飲みつつも、ミセス・ブラッドリーが啜っている年代物のブランデーに親しげな興味を見せながら、デボラは言った。「あの可哀そうな暴れん坊たちがすぐにベッドに入ったかどうかです。くったくたに疲れ果てているはずですけれど」

 「落ち着きなさい、可愛い子」と、その午後キティから聞き覚えた言い回しで、学寮長は言った。「私のところに、上級生(ちなみにその子はヒルダ・マシューズと言って、実家はミドルセックスにあるそうだよ)から信頼できる情報が来ている。二年生の学生は学期の最初の晩に一年生の部屋にいたずらを仕掛ける習わしになっているそうでね。ちょっとした騒ぎになるかもしれないけれど、気にしないでもらえるとありがたい、ってさ」

 「なんてこと!私たちはどうしたらいいでしょう?」

 「特に何も、可愛い子。伝統は可能な限り尊重されるべきだ。それこそが統治者の第一の法だよ」

 「つまり」とデボラは勢い込んで言った。「あなたは学寮長としての務めを放棄するというんですか? つまり彼らが何をしようと気にしないと―つまりええと―ああもう、そうなんですね!」

 「あんたは疲れているんだよ」とミセス・ブラッドリーは優しく言った。「明日の朝にはもっといい気分になっているはずさ」

 ミセス・ブラッドリーは、甲高い笑い声を上げ始めた。デボラも大声で笑い始めたが、ふと気付くとやめることができなくなっていた。パーラーメイドで、アメリカ系の黒人であるルールーは、コーヒーカップを回収に来て、「マダムたち」(学寮長と副学寮長のことをこう言う風に呼ぶ奇妙な風習に基づく)が、馬鹿馬鹿しくも救いのない状況に置かれていることを知り、黒い頭を振り乱しながら原初的な熱狂のままにキャンキャン吠え始めた。このみっともない情景は、上級生によってようやく止められた。

 「申し訳ありません、学寮長」と彼女は言った(デボラが「ミス・マシューズの考えたこと」、すなわち学寮長と副学寮長とパーラーメイドが学寮長の私室で集団ヒステリーを起こしている様を目撃してしまってさぞショックを受けただろうこと、についての意見を開陳したのち、本当に可哀そうだったわねえ、とミセス・ブラッドリーは言った)。「でも、どこかから水が溢れているようなので……多分浮玉コックの故障です。入寮の儀式は、まだ本当には始まっていないので」

 「いやいや」とミセス・ブラッドリーは自分を取り戻し、上級生に真面目な顔をすると言った。「それじゃあ、その水害事故とやらを私も検分した方がよさそうだねえ。二年生が一年生の部屋に「本当に」いたずらを仕掛ける前に、普段起こることではないということだけどね」

 「はい、その通りです、学寮長」と、廊下を歩き始めながら上級生は言った。再び地球の重力圏内へと引き戻されたルールーは、トレーを回収し、それを片付けるために出て行った。デボラは、少しぼんやりして、浮玉コックの正確な性質を考えると、それらの問題が寮内の配管と関係があり、結果的にとてつもなく面倒でおまけに重要なものになるのではないかという恐ろしい予感に囚われながら、ミセス・ブラッドリーとミス・マシューズの後ろについて、階段に向かって歩いて行った。

 「ああ、ミス・クラウド」と息切れしたミス・マシューズは、デボラがあとの二人に追い付くのに合わせて言った。「ご存知でしたか? 水は社交室の天井から漏れているようなんです」

 「そうね、だったらあなたは上階に行って、モップ掛けするのを手伝ってくるべきね」とデボラは急いで、彼女を上の階に追い立てようとしたが、学寮長はくるりと向き直って、二人の前に立ちふさがった。

 「学生さん」とミセス・ブラッドリーは言った。彼女はアセルスタン寮のメンバーたちが、この楽天主義的で簡易な呼称にすぐに応えることを既に発見していたのだ。「浮玉コックの性質と機能については理解している?」

 「い、いいえ、学寮長」と女の子はひどく警戒した表情で答えた。

 「なるほど」とミセス・ブラッドリーは言い、思慮深げに彼女の腕をしっかりつかんだ。「袖をまくりなさい。扱い方を教えてあげるわ。ミス・クラウド、あんたは来なくても大丈夫、学生さんと私でなんとかするわ」


***


 いたずらに関する、風にまぎれて聞こえてくる会話を最初に聞き取ったのは、やはり全知全能のアリスであった。

 ベッドに腰掛け、食堂でのディナーの不足を補う夜食を配分している時、「ねえ」と彼女はおどおどしながら、キティとローラに打ち明けた。「聞いたんだけど、上級生が私たちの部屋にいたずらを仕掛けに来るそうよ」

 「いつ?」

 「今夜。一年生が上級生からの呼び出しで社交室に集められて、この寮の規則とかそういう感じのことを説明されている間に、部屋にいたずらしに来て、アップルパイベッドを拵えたりするらしいわ」

 「なんですって! 学校のスタッフは何をしているの?」とキティは言った。

 「上がってこないってことは無関係なんでしょうね」とローラは丁寧な口調で言った。「あの人たちは若者の大騒ぎには関わりなし、私たちの負担に任せるってことでしょう」と言って、彼女はコインを取りだした。「表か裏か、K」

 「裏で、ドッグ。でも私の負けでしょ、どうしてコイン投げをするの?」

 「そうね、あなたはもう負けている。やってくれる?」

 「ボブはあんたのおじさんでしょ」とキティは明快な口調で答えた。ローラは満足して最後のトマトサンドイッチを口に押し込み、ジャム付きスポンジケーキを切って、アリスにも分け与えた。そして、探検隊のメンバーでもいじけ屋の方の手を取って、午後九時に始まるという会合に出席すべく社交室に向かった。

 一人残されたキティは自分の部屋に戻ってドアの鍵を閉め、ローラの部屋に入り込んで施錠し、さらにアリスの部屋でも同じことをした。彼女はパーティションを乗り越えて、三つの部屋の真ん中にあるローラの部屋に戻り、靴と上っ張りを脱いでローラのベッドにもぐりこみ、すぐに眠りに落ちた。お祭り騒ぎの音で二十分後に目を覚ました彼女は、落ち着いた笑顔を浮かべて、三つの鍵のかかった扉を順々にこじ開けようとする音に耳をすました。彼女は、クツクツという笑い声で寸断される相談の囁き声が扉前から踊り場へと場所を移すのを待ちながら、自分たちの側にある他の扉へと難破船あらしが迫ってゆくのを聞いた。

 ギャングたちが立ち去ったのち、キティは、上級生たちに割り振られた、廊下の反対側に位置する七つの学習寝室すべてに対して供託を行い、休息をとるために自室に引き取った。今回彼女は眠りにつかず、サンドイッチを食べ、探偵小説を読んで過ごした。

 あまりに本に熱中していたため、アリスが自信なさげな声で三度自分の名を呼ぶまで、キティは自分が呼ばれていることに気がつかなかった。

 「聞いたところだと」とアリスは言った。「大騒ぎは終わったそうよ。でも誰かが突然やってきて、天井から何から水浸しにして行ったみたい。学寮長は寮内の見回りをしているって。だからあなたに知らせてあげないと、と思ったの」

 「大いに感謝。で、ドッグはどこに? 冷房装置の中?」

 「いいえ、違うわ」と言いつつ、アリスは事の次第を飲み込んだ。「彼女は学寮長に協力している。みんな学寮長に協力しているのよ」

 「まったくなんてこった」と、キティは冗談めかして答えた。「くしを貸してよ。ってああ忘れてた。あんた、今自分の部屋には入れないんだったよね。ちょっと待ってて」

 またもパーティションを乗り越えた彼女はローラとアリスの部屋の鍵を開けて、顔を赤くし汗を流しているアリスの顔と対面した。アリスの服の袖はまくりあげられ、筋骨たくましい腕を見せつけており、またスカートから磨き上げられた床板に、水がぽとぽと滴り落ちていた。

 「ほら、敷物かなんかの上に立っていた方がいいよ」とキティは意見し、素早く、母親のようなやり方でアリスのスカートをするりと脱がせてしまった。「降りて。これはバスルームに吊るしとく。さて、正直にいいな。こんなに汗をかいていたら風邪ひくよ。一体全体なんだってそんな風になっちまったのさ」

 「走り回っていて。調べようと思って、あの、あの……」アリスは、誠実で明確で、そしてもし可能であれば(正直、彼女にはこの努力が問題外のことだと疑ってはいたのだが)自分自身とキティの共通の語彙の中から言葉を見つけようと頭の中で奮闘した。この試みに望みがないことに気がついた彼女はそれを放棄し、ドレッシング・ガウンを脱ぎ捨てると、アセルスタン寮ではドリスという名で呼ばれている組み合わせ家具(その名はミス・マーチャンの前任の学寮長で、それらを自らデザインし、学寮に導入したと言われている女性に由来する)、そのカップボードの横で立ち止まった。そして、キティを不思議がらせる、救いを求めるような調子でこう口走った「ああ、私のものもそこにはないのよ!」

 「は? あんたの何だって? あ、もしかしておまるのこと? そうよね、あんたには必要ないわよね」

 「違うわよ! 分かって、これは謎なのよ。自分のがそこにあるか確認してみてくれないかしら?」

 キティは調べてみた。

 「ないね」と彼女は頷いた。「持ってない。でも大学の方に行く前にはそこにあったはずだ。だって、ドッグと私で大学側から貰えるかどうかの賭けをして、調べてみたらドッグが勝ったんだもの。おまけにわたしら……ねえ、ドッグのもまだあるかどうか確認してみようよ。ところでさ、いったい何があったって言うの?」

 「階下を自分で確認してきた方がいいわ」とアリスは答えた。「それから、学寮長が水道管の整備ができる人がいると助かるって言っていたわ」

 「おお、殉教者たちよ!」と文脈を読みとったキティは言った。「あんたの言ってることは正しくはないね。そのうち誰か首の骨を折るぞ」

 急ぎ足で駆けていく音が聞こえ、そしてローラが姿を現した。髪の毛は先ほどのアリス以上にぼさぼさで、さらに顔中埃まみれのうえ目の周りには黒あざが出始めていて、それでもニコニコ笑顔に彩られていて、あたかも悪魔が煙突掃除人に転職でもしたかのような様相を呈していた。

 「なんてこった! ドッグ、あんたの目!」とキティが金切り声をあげた。

 「社交室の扉に思いっきりぶつかっちゃって」と訴えを退けながらローラは説明した。「聞いてよ、みんな。夕食を食べている間に、誰かがエドガー・アラン・ポーの小説に出てくるような一群を捕まえていたに違いないわ。うん、そうね。行った方がいい。公爵夫人は全員に降りてきて欲しがっているし、焚き火を消す人間も必要だし。個人的に、いくつかいい感じのバケツを用意しておいたわ。もしパーティの片づけをしに人が来るんだったら、火にかけるのと同じように上級生に水をぶっかけられるようにしておくべきだろうしね」


***


 学寮の中の騒音は相当のものになったので、外から聞きつけられるまでさほど時はないと思われた。実際、ミセス・ブラッドリーが後に言ったところでは(実際にそうだったかは疑わしい限りだが)、彼女の見方では、この騒音は四十人の学生、二人の管理者、そして半ダースの使用人が、そして貯水槽から全部あふれ出してしまった水が発する大音量によって既に半分聞こえなくなった耳を通して聞こえる、ちょっとした音にすぎないのだという。人の注意をひきつけるとしたら、それは焚き火に他ならなかった。

 社交室の天井から噴き出した水の出どころを突き止めるべく、階段を駆け回ったデボラは、二階の踊り場で新たな水の流れが自分のバスルームのドアの、下の隙間から噴き出していることに気がついた。

 排水管のプラグは開かれ、バスタブは満杯、そして水はとめどなく幾何級数的にあふれ出していた。プラグを閉じ、蛇口を閉めるや、恐ろしい罵り言葉を飛ばしながらミセス・ブラッドリーのバスルームに飛び込んで行った。彼女はそこで、学寮の長がキルトのスカートを穿いて床にモップ掛けをしているところに出くわした。

 「お風呂、水でいっぱいでした?」とデボラは尋ねた。

 「そうだね、可愛い子。この階の生徒たちのバスルームも見回ってきてくれないかい。ここと、あんたのところは私がモップ掛けしておくから」

 「小さな野獣ども、ぶっ壊し屋の野獣どもめ!」とデボラは叫んだ。ミセス・ブラッドリーは何も答えなかった。デボラは生徒たちのバスルームに行ったが、そこは完璧な秩序が保たれていたので、結局自分の部屋に戻って、タオルとバスマットを使って床をぬぐい、今や急速に空っぽになりつつあるバスタブへと水を戻していった。

 そのあと、彼女は自分の寝室に戻って靴とストッキングとスカートを取りかえた。その時まで、彼女は社交室を調べに階段を下りて行ってはいなかった。天井の片隅の水染みはじわじわと広がっていた。そこは水滴で汗をかいたようになっており、床へと今にも滴り落ちそうになっていた。しかし上級生が招集した会合は、いままさに最高潮に達していた。

 デボラの鳴らした電話を取ったのは世話好きのルールーだったが、ドラマチックになりがちな人種的本能ゆえか、恐慌に陥りつつも満足な時間を送っていた。そのことは、彼女のにんまりとした満面の笑みとグルグル回る狂ったような瞳から、言葉を介さずともうかがい知ることができた。

 「私のエプロンを使ったほーがいーでしょーね、副学寮長先生」とルールーはお伺いを立てた。「こーもびっしょびしょだと、この家んなかにゃー、他に乾いた雑巾はなさそーだしね、こーんなに濡れたのはノアの洪水の時以来じゃーないですか?」

 と言って、彼女は立ち働きだした。エプロンを外して、とてつもないエネルギーに突き動かされながらそれを雑巾として活用した。水が音を立てて床のリノリウムへと滴り始めた時、集会の延期が決議され、ルールーはエプロンをバケツに向かって放り投げた。

 寮の各所で発生した大洪水は、電灯のヒューズを次々に飛ばしてしまい、停電も起こった。社交室は、ヴェスビオス火山の噴火が滅びに瀕したポンペイとエルコラーノを照らし出した時のそれを思わせる仄赤い光が、脱色した天井や清潔な壁を照らし出しているおかげで暗くはならなかった。

 「まーたく、ひどいことですねー、副学寮長先生」とエプロンを元通りにしながらルールーは嘆息した。

 「間違いなくその通りだと私も思うわ」とデボラは答えた。

 窓の方に行き、カーテンを引いて外を眺めた。アセルスタン寮は正面の見栄えを誇りにしていたが、しかしいまやその誇りには見る影もなかった。というのも、そこには寝室用おまるが山のように積み重ねられていたからだ。デボラの、偏見があるかもしれない、ぎょっとさせられた知性には、このオブジェがまるでキプリングの「百の頭の墓」を表象しているかのように思えた。おまるの山の周りにはぐるりと焚き火が燃やされ、これらの外側では6人の若い連中が、まるでインドのデルヴィシュのように踊り狂っていた。

 「うーむ、実に壮観だねえ」と言うミセス・ブラッドリーの声が耳に入ってきた。「さあて、校長は何と言ってくるだろう。それとも、これもこのあたりの風習なのかねえ」

 デボラは何か答えようとしたが、いつの間にか学寮長はいなくなっていた。神たるミセス・ブラッドリーの意を受けて、デボラは彼女に続き、ことの結末を目撃しに出発した。アセルスタン寮の入り口の前に立ったミセス・ブラッドリーは、踊り狂う人々の姿をたっぷり一分ほど実見した。そして彼女は焚き火の方に走り寄り、デルヴィシュの一人の尻をひっつかみ、輪の外に力づくで引っ張り出した。同じタイミングで、ジョージが呼子笛を鳴らし、かすれた、公的な声を沈黙の空間に向けて放った。

 「おい、いったい何の騒ぎだ」とその声は言った。魔法の言葉がたちまちに効果を発揮した。ズボンをはいた者たちは、全員が(と、後にミセス・ブラッドリーは語った)一目散に同じ方向に向けて逃げて行った。すさまじい腕力で掴まれた哀れなる虜囚は取り残され、寮の中へと放り込まれてしまった。

 「どうか、学寮長、お願いですから私のことを通報しないでください。単なる悪ふざけだったんです」と犠牲者は許しを請うた。「通報されたら、間違いなく投獄されてしまいます」

 それは女の声だった。しかし廊下の暗さのせいで犠牲者の顔を見定めることは不可能だった。デボラとミス・マシューズによって組織された生徒たちは、いまではほとんど燃え尽きてしまった焚き火の始末に追われていた。

 「あんたは、アセルスタン寮の学生かい?」とミセス・ブラッドリーは尋ねた。

 「そうです。私の名前はモリスと言います」

 「わかった。ミス・モリス。外の片づけを手伝ってきなさい」とミセス・ブラッドリーは言った。「それから、明日の朝、私の書斎まで今日の事態の報告に来るんだよ、必ずね」

 「分かりました。学寮長」

 「説明してもらうことはたくさんあるよ」

 「分かりました。学寮長」

 ミセス・ブラッドリーは彼女を放免した。そして浄化部隊(のちにローラがそう命名した)が、彼女のお抱え運転手で、退役下士官の伝統通りに作戦を運用するジョージの指揮下で自体にあたっていることを確認した。

 「警察はなぜ来ないんでしょうか?」真夜中過ぎ、自分とミセス・ブラッドリーの二人でバスルームとトイレの引見を終え、ミセス・ブラッドリーの部屋の居間に落ち着き、ルールーのコーヒーを飲み、ビスケットとチーズを食べながら、デボラは訪ねた。

 「ジョージが警察に行ったんだよ。彼は知性的な人間だからね」とジョージの雇用主は答えた。「それから、あんたはもう寝た方がいいよ、可愛い子」

 「半分死んだような思いです。そうしますわ」とデボラは答えた。

 「それじゃ、寝室に引き取ろうかね」とミセス・ブラッドリーは言い、燭台の一つを手に取った。デボラも自分の分を手に取り、足音を殺して階段を上った。


***


 目覚まし時計は七時に鳴った。一時間以上にもわたってだらだら続く非公式な朝食は、七時四十五分に始まった。学寮長と副学寮長は自分たちの居間でそれぞれ八時から朝ごはんを取り始め、大多数の生徒は八時半には朝食を終え、自分のベッドを整えに行った。

 ミス・モリスは八時五十分までにミセス・ブラッドリーの部屋の扉の前に現れなかった。このことは学寮長のことを特に驚かせなかった。彼女なりに、待つことに異議を見出していたからである。彼女は七時前後に焚き火の燃え残りを調査しに下に降りて行ったのだが、そこで分かったのは、任務を遂行したジョージが、便利屋の助けを借りて事態の痕跡をほとんど完璧に消し去ってしまったということが分かっただけだった。アセルスタン寮の学期の第一夜の慎むべき振舞に関するカレッジ中の噂は、何の根拠もないものだと、ミセス・ブラッドリーは満足げに確認した。

 今朝はしなくてはならない授業が一つもなかったので、アセルスタン寮の家事一般の業務で起きた問題を解決したのち、ミセス・ブラッドリーは前夜ジョージの声に恐れをなして逃げて行った若者たちが向かった方角に向けて歩き出した。アセルスタン寮から、パン焼き小屋の方に向かっては広い砂利道が走っており、その一方はガレージに、もう一方は体育館、洗濯室、そして機械室に面している。そして、その道は機械主任室の家の横を通り、カレッジの南端にあたる通りへとつながっている。

 「簡単なことです。マダム」とゲートの向こう側をいるミセス・ブラッドリーに追随しながらジョージは言った。「彼らはここから入ってきて、ここから出て行った。門の上をよじ登ってね」

 「だろうねえ。ところでジョージ、彼らはどこのだれなんだろう」

 「ワッツダウンヒルに向かって三マイルほど行ったところにあるワッツダウン・カレッジの紳士方です、マダム。彼らは若いレディたちから挑戦状を受け取り、それを受諾したとのことでした」

 「おお、なるほど。そうだろうねえ」とミセス・ブラッドリーは言った。「時機を心得たサポート。感謝するよ、ジョージ。早晩彼らをずたずたにしてやらないといけないねえ。彼らを捕まえることはできなかったけれど、きっちり報告させて、火の中に放り込んだ脂みたいにしてやらないと」

 「しかし、マダム。昨日一人を捕まえたのではなかったのですか?」

 「いいや、ジョージ。あれは若いレディの一人さ。やれやれ、ところでまったく違う問題だけど、昨夜の状況について校長とトラブルを起こさずに収めないといけないねえ」


***


 学生たちは寮の食堂で一時十五分に昼食を取った。午後は、四時三十分までほとんど講義がないのである。昼食後は誰もミセス・ブラッドリーの尋問を受けることはなかったので、ティータイムまで待って、使用人頭のベラを居間に呼び出した。そしてミス・モリスにティータイムが終わったら学寮長を訪ねるように伝えてくれと言った。

 ミセス・ブラッドリーの予想を裏切ることなく、背が高く痩せた眼鏡をかけた学生が小隊に答え、入室の許可を求めてきたので入れてやった。彼女は学寮長が何か言うまで、敬意をこめてじっと待った。

 「ミス・モリス」とミセス・ブラッドリーは前触れもなしに話し始めた。「あんたは二年生だね」

 「はい、学寮長」

 「黒い色のズボンをはいて、寮の前の広場で昨夜焚き火を燃やして踊っていたね」

 「いいえ、学寮長」

 「ありがとう、ミス・モリス。あんたはこのアセルスタン寮の中でただ一人のミス・モリスだね?」

 「はい、学寮長」

 「このカレッジの中には?」

 「ビード寮の二年生にもう一人います」

 「ありがとう、ミス・モリス」

 「ほかにはありますか? 学寮長」

 「いいや、ないよ。お茶を急かすようなことがなかったら良かったんだけどね」

 「滅相もない」

 ミス・モリスは次の講義のために教科書を取りに引き取った。ミセス・ブラッドリーは電話を手に取り、ビード寮に連絡を取った。

 「こちらアセルスタン寮。そちらにモリスという名前の生徒はいるかい?」

 「はい、二年生です」

 「その子が昨夜十一時に、ズボンをはいて焚き火の周りで踊っていた、という可能性はあるかね」

 「彼女に直接聞いた方がいいと思います」と電話の向こう側の声が答えた。「少し待ってください。ビード寮の学寮長に、彼女をぶちのめしていいか確認しますわ――ところで私、先ほどビード寮の者と言いましたけれど、それは間違いなんです。ちょっと立ち寄っただけで。私の名前はトパーズ。本当はコロンバ寮に住んでいます。副学寮長です。今夜、こちらにいらっしゃいませんか。その子を引き渡します」

 「コロンバ寮にかい?」

 「ええ、あなたのミス・モリスを捕まえておきますわ。ところで、あなたがアセルスタン寮でワルプルギスの夜を繰り広げた、というのは本当ですの?」

 「まあ、あんたの言う通りなんだろうねえ」とミセス・ブラッドリーは答えた。


(続く)

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