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毒の月桂樹(仮)  作者: グラディス・ミッチェル
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第三章:医療用体温計

 デボラはディナーを楽しんだ。カレッジのことも、ミセス・ブラッドリーの本当の仕事のことも、彼女がカレッジに戻る車の中で初めて話題にするまで、一度たりとも口に上ることはなかったのである。

 「なんてこと」とデボラは言った。「副校長から私の授業の時間割表をもらうのを忘れていたわ。明日はどうしたらいいと思いますか」

 「どうもしないだろうね」とミセス・ブラッドリーは答えた。「明日は残りの子供たちが到着する日だ。各々の家庭教師から、子供たちをお預かりする訳だね。それ以外は、不愉快なことは一切予定にないよ。私自身、学期の間に講座を受け持つんだけど、どうやって、いつ、どこで、誰に、そして果たして何を教えたらいいのやら、まったく知らないね」

 デボラはクックッとかすかに笑った。

 「とはいえ、あなたも時には授業をするのでしょう?」と彼女は問いかけた。「つまり、外側の世界に、ということですけれど」

 「そうだね、可愛い子」と言いながら、ミセス・ブラッドリーは荒野にかかる月光を見るために振り返った。デボラは自分の窓から一、二分外を眺めたが、事実をそれほど気に掛けていなかったので、カレッジへ戻るのをあまり心配していなかった。夜分には昼間の時以上に、ミス・マーチャンの失踪という事実がより深くより不吉な重要性を帯びているように思えた。それは彼女に子供のころに聞いた幽霊譚を思い出させた。

 「私もっと知りたいです」ととても静かな声でデボラは言った。ミセス・ブラッドリーが、ジョージが自分の言ったことを聞くのを望まないかもしれないと思ったからだ(とはいえ、運転席と後部座席はガラスのスクリーンで分けられていたのだが。彼のがっしりとした背中は、彼女を安心させた)。「ミス・マーチャンはどのようにしていなくなったのでしょうか。その事件はカレッジの学期末のダンスパーティーの時起こったと、言っていましたよね」

 「そのとおり。妙な時を選んだもんだ。失踪に関する証拠を可能な限り集めたけれど、それらは少しヘンテコな部分があってね。ダンスパーティーやなんかの時に、カレッジ中の人々の心がどんな風に働くかは知っているね?」

 「はい、そう思います」

 「よろしい。ダンスパーティーの夜、ミス・マーチャンが「トワイライト・ワルツ」の時にまだいたのは間違いないとのことだ」

 「「トワイライト・ワルツ」ですか?」と驚きながらデボラは答えた。

 「という風に聞いたね。ここのしきたりかなんかだろうね。この曲が流れるのは、プログラムがほとんど終わるタイミングなんだそうだ。生徒たちは、この年に一度のパーティーに男友達を招くことが許されていて、カレッジ・ホールは混み合っていた。昨年度のアセルスタン寮の上級生―今日私らが会った子じゃなくて、オフィスにいた彼女の先輩だね―その晩の間に少なくとも一度は自分と学寮長が踊るのが責務であるように思えたようだった。かすかにぼんやりしているように見えた学寮長は、その生徒の恋人が、彼女のプログラムリストに既に予約を入れていたにもかかわらず、この特定のダンスを選んだ」

 「そしてそのあと、ミス・マーチャンは失踪したんですか?」

 「そうだね。ダンスが終わって明かりが着いた時、ミス・マーチャンは自分の後ろ髪が下に垂れているのに気がついた。実際問題、踊った生徒もそのことを記憶にとどめている。彼女の話によると、学寮長の髪はぶらりと垂れ下がり、ひどく汚れていて、そしてその生徒の言葉をそのまま引用すれば、「ちょっとバッカス祭の参加者のようだった」そうだ。そして彼女が学寮長にそのことを(そのままの言葉でではなくてね)伝えると、ミス・マーチャンはこう言ったんだそうだ。「そうね、ダンスの間に、私、自分の髪を誰かに握られたのを感じたわ。明かりは落としてあったし、誰かがうっかりそうしたんだと思うの。このダンスパーティーに悪ふざけはつきものだしね。ちょっと外で一休みしてくるわ」

学寮長は生徒に断って、身支度をするためにその場を離れた。それ以降、彼女の姿を見た友人も、大学内の人もいないということだ」

 「それは確かに変ですね。それじゃ、彼女には自殺をする機会はなかったということになります」

 「もしそうだとしたら、彼女の死体はどこにある?」

 「そうです。死体はどこか?」とデボラは繰り返した。「でも、もし彼女が殺されたと考えるなら、同じ質問に立ち戻る必要がありますわね? ああ、でももちろん、殺人者が片付けたにきまっているわ。」

 11時5分に大学の地所に辿りつくまで、二人はそれっきり黙り込んでしまった。寮の建物はすっかり暗闇に包まれ、デボラは車から降りて月光の中に歩み出したが、ジョージが車をカレッジのメイン棟の裏手にあるガレージに入れに行った時、単に夜気のせいだけではないさむけを感じた。普段の彼女の考え方に反して、彼女は自分が、先ほど結論付けられた会話による影響から引き起こされた不愉快な恐怖で胸いっぱいであることに気がついた。

 彼女と連れは芝生を横切り、岩石庭園の間の階段を上った。彼女はミセス・ブラッドリーが正面扉の鍵を取りだして掛け金を外すのを待った。

 「ちょっと行って、三羽の鳥たちが無事に巣に収まっているかを確認してきてちょうだい」とミセス・ブラッドリーは電灯を点しながら言った。「上級生たちがもう寝に行ったことは信頼してもよいと思う。時だけが、寝る時間の、そしていつの時も召使たちを信頼できるかどうかを示すでしょう」

 デボラは躊躇ったが、階段を上り始めた。ミセス・ブラッドリーはエントランス・ホールで待っていた。そして彼女が踊り場の電灯を付けたあと、自分は地下室と召使たちの一角へと通じる扉を解錠して、以前は降りて行かなかった個所を探索し始めた。三人の新しい学生たちが入った学習室=寝室は三階にあり、学寮長と副学寮長の寝室は二階の反対側に位置していた。ミセス・ブラッドリーには、建物のまさに最初の精密な調査の時に、(無垢な子供、そして犯罪者にとって)かくれんぼするにうってつけの場所が、このカートレットのそれぞれの寮を建造するにあたって採用された図面にしたがって建てられた家の中にあることに気が付いていた。単に呼び分けるのに都合がいいので一方は裏階段、もう一方は表階段と呼ばれている二つの階段はお互いの複製となっている。表階段が、学寮長の居間に背中合わせに始まっていること、裏階段が学生たちの談話室の外から上り始めるという事実を除けば、実際この二つの階段は非常によく似ている。エントランス・ホールと呼ばれている代物は、建物の端から端までつながった大きな通り道以外の何物でもない。

 ここには勿論、召使たちが暮らしている地下フロアもある。ここにも通廊があるが、上階との最も著しい違いは、全部で五つあるカレッジの建物のすべてを通るトンネルがあるということである。週に二度だけ、全部の寮で食べられるパンとペストリーを焼くために使われるパン焼き小屋を振り出しに、アセルスタン、エドマンド、ベオウルフ、ビード、そしてコロンバの順に各寮をつないでいる。コロンバ寮の先には診療所があり、通廊を通ることで、病気の学生をアセルスタン寮からでも外気に触れさせることなく診療所まで搬送することができるようになっている。これは、一方の寝室からもう一方に動かす時に、段差を無用に上り下りしなくて済むようにする工夫でもある。

 校長自ら案内に立っての個人的なツアーで、校長が、各ホールをつなぐこの手法の決定的な利点を学寮長も生徒もいずれも享受するべきだと指摘した時、「驚くべきことだね」と、ミセス・ブラッドリーは述懐した。「とすると、同じ鍵が全部の扉に合うんだね?」

 「ええ、そのとおりです」と校長はその時返答した。ミセス・ブラッドリーのあからさまな興味の無さを見て、校長は急いで付け加えた。「でも、もちろん、可哀そうなミス・マーチャンに何が起こったにせよ、ここでそれが起こったというのは、あり得ないですよね」

 この非論理的な言及に、ミセス・ブラッドリーは返事をしなかった。デボラが表階段を上っていくのについていく時、彼女はこのことを考えていたが、その時、おそらくこのためにいらいらさせる、でも興味深い発見に十分に気がつくことができた。

 彼女の寝室への扉は小さな凹所にあった。この凹所の前に、事務的なやり方で、太めの糸がピンと張られていた。二つのU字型の釘が一方は踊り場のカップボードに、もう一方はバスルームの壁に当たる木のパーティションに打ち込まれ、この二つの間に糸が地面から8インチのところに張られていた。寝室の扉に合わせてこの糸が白く塗られているため、そして白いドラゲットがスリップマットとして使われているため、部屋の中に入ろうとする者には十中八九見逃されてしまうだろう。このブービートラップを注意深く研究したミセス・ブラッドリーは、これらの仕掛けは完璧なカモフラージュとして機能している、と結論付けた。

 糸が厳密にそのままであるように放置して、ミセス・ブラッドリーは例の芸術家が(それが誰であれ)デボラの扉にも同様の効果を狙った罠を施しているかどうかを確認するために彼女の寝室がある踊り場まで足を伸ばした。彼女は、デボラが上階から降りてくるまで、入口で待っていた。

 「異常なし!であります。寝てはいないかもしれませんが、静まり返っています」とデボラは報告した。「ただ、愚かものどもは喫煙をしていたようですね、許可しますか?」

 「構わないでしょ」とミセス・ブラッドリーは言った。「早晩通達を出すようにします。ところで、見なさい、可愛い子。「愚かものども」は、喫煙以外にも色々やってくれているようだよ」

 デボラはこの珍奇な仕掛けを見た。しかるのち、ひざまずいてもう一度じっくり確認した。ミセス・ブラッドリーは、彼女がそれに触ろうとしないことに、満足げに頷きながら心に留めた。

 「あの三人組がこれをやったのではないですね」と、膝を起こして彼女は言った。ミセス・ブラッドリーは彼女を興味深そうに見て、同意をさえ示した。

 「それは確かかい、可愛い子」

 「ええ、ローラとキティ―ミス・メンジーズとミス・トレヴェリアンのことですが―であれば、こんな気の利かない、ちょっと滑稽ですらあるトリックは思いつきもしないでしょう。そして上級生たちがこんなことをしたとも思えません」

 「そうなると、金髪のアリスが残る訳だね」

 「あるいは召使たちの誰か―誰にせよ、私たちのことを好きではない人ですね」

 「果たしてそうかねえ」とミセス・ブラッドリーはにやにやしながら言った。「よし行こう。目撃者をいじめてこようじゃあないか」

 「もしそうだとして」とデボラはミセス・ブラッドリーに続いて階段をのぼりながら言った。「ところで」と次の踊り場にたどり着いたところで、彼女は付け加えた。「あの獣じみた罠のことを覚えておいて、次に下の階に下りてきた時に、軽快に引っかからないようにしないといけませんね」

 「私は自分のところのは憶えているさ、だけど、私はあんたのところのはほどいておくだろうね」とミセス・ブラッドリーは、また階段を降りながら答えた。彼女が興味を持って記録したのは、釘を打ち込むことによって柔らかな木材が割れたこと、しかしそのひび割れが白く塗ったことによって、ほとんど気にならないものになっていたということである。にもかかわらず(そしてミセス・ブラッドリーは鋭い嗅覚を持ち合わせていたのだが)、ほんのかすかな塗料のにおいも、現場からは感じ取る事ができなかった。

 「ふーむ」とミセス・ブラッドリーは強力な懐中電灯を消し、膝を起こしながらミセス・ブラッドリーは唸った。「ずいぶんと丁寧な仕事だね」

 デボラの部屋の糸を解いてミセス・ブラッドリーが上階に進むと、そこでは副学寮長がアリスの帽子箱の上に腰かけており、アリスは怖々と、居心地悪そうにそれを見つめていた。

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