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毒の月桂樹(仮)  作者: グラディス・ミッチェル
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第一章:開け、ゴマ!

アガサ・クリスティー、ドロシー・L・セイヤーズに並ぶイギリス三大女流作家と称えられながらも、その膨大に過ぎる作品数とすこぶるねじ曲がった作風から日本での紹介がまるで進まないグラディス・ミッチェル。1942年に発表された彼女の代表作の一つを、ざっくりととりあえず雰囲気は分かるという程度に翻訳していきます。全19章なので、半年くらいで何とか物にしたいと考えています。

 その筋の専門家によると、「ユーモアのセンス」とはすなわち自らを笑う能力を指すのだという。まさにそのセンスに恵まれたデボラは、今の自分は傍からすれば「セント・マイケル校の幽霊」に出演した時のウィル・ヘイそっくりに見えるに違いないと考えていた。彼女は、丘を越え荒野を越え、スーツケースを片手にひたすら歩き続けていた。駅ではカレッジまでの距離は約二マイルだと教わったけれど、少なくとも十マイルは歩いたように感じられた。

 歩き始めた時は問題なく軽く感じられたスーツケースはいまや大層な重荷となり、四分の三ハンドレットウェイトはあるように思えた。また、未舗装の田舎道を歩くのには、ハンドバッグや大きな菊の花束は重大なハンディキャップだった。この花束は、出発にあたって下宿のおかみさんに無理やり持たされたものだったが、列車の中に置き去りにするのはしのびなく、持ってきてしまったのだ。これらの悪条件に加えて、彼女はひどくむさくるしい帽子を被っていた。

 いったん町から出てしまえば、カレッジの建物はほとんど木の生えていない殺風景の中では唯一にしてとても目立つランドマークになっていた。まっすぐ歩いていきさえすれば、決して見失うことなく間違える恐れもない、確実な目的地なのは幸いだった。

 荒野の道は狭くて石ころだらけで、比喩表現に長けた人が「リボンのような」と表現したことに納得せざるを得ないような代物である。ずっと道のど真ん中を歩いていたデボラだったが、道を譲り周りを見回すようにと促す親切なクラクションの音を聞くまで、車の接近音に気付かなかったことでその疲労はさらに増し、またひどく怯えてしまった。

 車は目的ありげに停車したが、正直デボラにとって、片田舎の道で何かを尋ねられても一切答えられることはなかっただろう。運転手は車を降り、一礼した。がっしりとした体格、真面目な顔つき、魅力的できちんとした身なりをした彼は、静かで芯の強さを感じさせる声音でしゃべった。

 「マダムは、もしミス、あなたがカレッジに向かうのであれば、同乗していってはどうかと仰せです」

 「同乗? カレッジまで? ああ、本当にありがとうございます。ご親切にどうも。とても感謝しています」 彼女は真っ正直に、きびきびと返事をした。

 真面目な顔つきを崩さぬまま、運転手はデボラからスーツケースを受け取り、車内へと導いた。そして後部座席の扉を開き、以下のように述べた。

 「こちらのお若いレディは、マダム、カレッジに向かっているのだそうです」 その後、彼はデボラが車に乗り込むのを助け、扉を閉め、前部トランクにスーツケースを収め、運転席に座り、そして車を発進させた。

 「さて、私たちはピリピよりも少しだけ前に出会った訳だけれど」と、豊かで印象的な声と、思わずげんなりするような甲高い笑い声が入り混じった声が聞こえた。

 「ああ、あなたもカレッジに行かれるのですね。私ったらうっかりバスを逃してしまいまして」とデボラは言った。かくも恐れ多く、高貴な人とは初めて会ったという考えにおののきながら彼女は、もしこの人が校長だったらどうしよう、と考えた。

 「私はカレッジに向かっているところだよ」と奇妙な老婦人は答えた。答えに合わせていまいちど目を向けたことで、彼女が黒い目をしていること、そしてセージグリーンと紫と黄色を組み合わせた服を着ていることが分かった。「でも、私があそこに留まるかということは、まったく別の問題さね。ところで、受け持ちの生徒があんたから教わることになる科目は、いったい何なんだね」と、デボラのぎくりとした、罪の意識が表れた表情ににやにや笑いを向けながら、彼女は結論付けた。

 「私は英語の授業をすることになると思います」と、デボラはまるで少女時代に戻ったような気持ちで答えた。「でも本当は、私はカレッジの寮の運営を手伝うために雇われたのです」

 「私の能力には、家庭的な側面もあるからねえ」と、それらの能力の本当の価値を査定しては捨て去ってしまうような、そんな印象を与える獰猛な流し目を向けながら、小さな老婦人は言った。「私の名前はブラッドリーだよ」

 「私はクラウド――デボラ・クラウドです」

 車の速度は、デボラが歩いていた時のそれと比べて段違いに速いものだったので、彼女がこれ以上のことを言う前に、車はカレッジの入り口のところまで辿りついてしまった。彼らの旅の終わりが訪れたことを示す最初の予兆は、砂利道に向かって大きく開かれた二重のゲートという形を取って表れた。「カートレット女子教員養成学校」と大きな文字で白い板に書かれた銘は、案内と保証の二つの意味合いで設置されていた。

 「着きましたね」というデボラの言わずもがなの言葉に対して、ブラッドリー夫人は騒々しく甲高い笑いだけを返した。

 運転手は丁寧に運転し、大きくて現代的な建物の前に車を付けた。建物の横、前、というよりも全周は、芝生や花壇、灌木や緑で覆われた盛り土でぐるりと囲まれていた。

 「降りようかね」と車の持ち主は言った。運転手は後部座席に回り込んで扉を開けた。

 「こちら、カレッジのメイン棟でございます、マダム」 運転手は雇い主の手を取り、デボラもすぐ後に続いた。

 「ジョージがあんたの荷物を見ているから、置き場所を確認してきなさいな」と老婦人は言った。

 「ああ、本当にありがとうございます。でも私、これを自分で持って行った方がいいと思います」とデボラは神経質そうに言った。「同乗させていただき、本当にありがとうございました、ミス・ブラッドリー。ご親切にどうも」

 「ミセス、だよ」と、もう一度ゲラゲラ笑いを付け加えながら、慈善家の女性は言った。「変なことを言うようだけど」

 「え、ミセス・ブラッドリー?」 そう聞いた彼女の頭脳は高速回転を始めたが、同時にこの不愉快な慈善家と一刻も早くお別れしたいという気持ちから、早速階段の一段目に足を掛けていた。「ええとどこかで聞いたような……えっ、ウソでしょ?」

 疑問が解けたのは、彼女はほの暗く広い回廊の入り口を今にもくぐろうというその瞬間であった。現代に生きる女性の中でも最も著名な人物の一人が乗る車に同席してきたのだということに気が付いて、彼女は棒立ちになった。彼女は深呼吸をした――非常に優れた学位と三年間の教師経験(「そのうち何か、実家に手紙で報告するようなすごいことが起こる」と言い続けたが特になかった)があるとはいえ、彼女は弱冠26歳なのだ――そして、顔を向けた先のあちらこちら、前方にも横にも居並ぶものすごくたくさんの扉を不確かなまなざしで見つめた。

 心を決めて、彼女は自分の左側にある最初の扉を選び、スーツケースを床に下ろし、ノックをした。

 扉の中からはティーカップがカチャカチャとぶつかる音、そしてタイプライターのキーをせっかちに叩きつける音が聞こえた。ある意味、ミセス・ブラッドリーと前もって遭遇していたおかげで、まごついたアリスのような気持ちになったが、もう一度ノックするといい感じに威圧的な音になった。

 「お入りなさい」という声が聞こえ、タイプライターの音は、まるで誰かがラジオの電源を落としたようにぴたりと止んだ。自らの魂を気遅れと神経質の天使に委ねた彼女は、スーツケースを拾い上げ、ドアのハンドルを回し部屋の中へと入った。

 「デボラ・クラウドです」と彼女が名乗った時、部屋の中には四人の人がいた。タイプライターの前に座っていたのは、黒っぽい髪に角縁眼鏡をかけた35歳くらいの女性で、かすかに微笑み、机の上に放り出されたリストをぱらぱらとめくった。

 「ミス・クラウド……思い出せないな……ああ、そうか」と呟き、彼女はリストから目を上げた。「ミス・クラウド! アセルスタン寮の新しい副学寮長よね? ミス・デュー・ムーンは」(なるほど、こういう風に発音すればいいのかとデボラは喜んで脳裏に留めた。校長の名前を初めて呼ぶ瞬間を、彼女はずっと恐れてきたのだ)「あなたが到着したのを知ったら喜ぶわ。お茶はいかが? 私の名前はロズウェル。私はこのカレッジの秘書を務めています。こちらはミス・クロスリー。管財部長よ。そしてこちらは司書のミセス・ストーン。それからこちらはミス・トパーズ。先学期赴任した歴史担当の先生。」

 デボラは喜んでスーツケースや花や帽子を置き棄て、ハンドバッグを椅子のすぐ近くの床に置いて、カレッジへの歓迎を兼ねたお茶の誘いを受け入れた。

 グレーのツイードの服とブラウスを身に付けた司書は、やせぎすで背が高くおおらかな性格で、主として牧師館、ガールガイドのキャンプ、男女共学校、いくつかのカントリーハウス、あるいは今回の場合には教員養成学校などで見られる「お節介焼き」タイプの女性だった。

 管財部長もまた長身だった。彼女は秘書よりも少し年かさで、多分40歳くらいだ、とデボラは決めつけた。修道女にはなるかもしれないけれど、女子修道院長には絶対にならない、でもひょっとすると「試練の乙女」ならありかもしれない。実際、自信たっぷりで男らしい声音を聞き、短く上向きの唇、我の強そうながっちりとした顎を見る限りにおいて、彼女の外見一式が、まさに「試練」に耐えるタフさそのものだとデボラは結論付けた。

 歴史教師のトパーズは金髪に丸ぽちゃの顔、緑の眼をした、デボラよりも少し年上の人だった(後で明らかになったのだが、彼女はちょうど30歳だった)。彼女は若々しく、意気揚々としており、かすかに悪魔的で、言葉に尽くしがたいほどに低俗な、壮絶なる顔立ちを生まれつき持ち合わせていた。彼女にちらりと目を向けるや、デボラは神経質そうに挨拶をした。

 「こんちわ」とミス・トパーズは言った。「ようこそ死体置き場へ」ごく最近ミセス・ブラッドリーに遭遇したことを思うと、この比喩はデボラに衝撃を与えた。

 「思うに」とお茶を二杯にビスケットをいくらかいただいた後、デボラは切り出した。「ミス・デュー・ムーンにお目にかかった方がよいのではないでしょうか」

 「そんなことは夢にも思わないよ」とミス・トパーズはきっぱりと言った。「必要ないね。テッサは電話であんたの到着を彼女に伝えられる、だよね、テス? ミス・デュー・ムーンは今あんたが彼女のところに行って邪魔をしたら、あんたのことを嫌いになるだろうね。だから結局あとで行くのがいいさ。とりあえずアセルスタン寮に行って、学寮長に自己紹介して来るのがいいと思うよ」

 「確かに、よほどあなたがそうしたいというのでなければ、今日の午後ミス・デュー・ムーンのひげを引っ張りに行く必要はないわね」と、秘書は予期せざる優しさを発揮しながら言った。「カレッジのリスト確認が終わり次第、彼女のところに行くことになるから、その時あなたが到着したことを伝えてあげるわ。もし彼女があなたに会いたいということなら、アセルスタン寮に電話します。ホールまでは一直線だから、アセルスタン寮まで迷うこともないでしょう」

 「すぐに、「道に迷えればよかったのに」と思うことになるよ」とミス・トパーズは愉快気に語った。

 これらの勇気づけられる言葉を胸に、スーツケースと花をつかみ上げたデボラは、己が今また旅の途上にあることを知った。教えてもらった方角に従って、カレッジのメイン棟から離れて左に曲がり、車道からのわき道を見つけ、遊技場の緑あふれる土手を通って、芝とアスファルトのテニスコートをいくつも横切り、木の階段を登り、砂利が広がっている印象的な場所にたどりついた。

 訪いに答えたメイドは「ここはベオウルフ寮ですよ、ミス?」と言った。

 「あらいやだ、アセルスタン寮に行こうと思っていたのに」とデボラは頬を染めながら言った。

 「すぐ右のホールですよ、ミス。方角違いではありません。パン焼き小屋の隣の扉ですわ」

 「ああ、ありがとう。ごめんなさい、私……」

 「お気になさらないでください、ミス。最初はちょっとした間違いくらいするものですわ」

 二つの岩石庭園を通り抜け、ベオウルフ寮と似ている建物の前まで来て、これがアセルスタン寮の入り口なのだと、デボラには分かった。パン焼き小屋に隣り合っているという点を除いて、この寮と彼女がこれまで横切ってきた二つの学寮とで、外側からの見かけに一切の違いを見出すことはできなかった。このカレッジには五つの学寮があり、そのうち二つは彼女が向かわなかった方角、つまりベオウルフ寮の東側に位置している。アセルスタン寮の入り口に立った時、ふと振り返ると砂利の通路がちらりと見えた、いかなる場合にせよ、もううろうろしている時間はない。扉のところでまたもメイドが出てきたが、今回は正しい寮に辿りつけたようだ。

 「ミス・クラウド、ですね。ミス。どうぞ、ミス、お入りください。学寮長はすぐにお目にかかります、ミス。さあ、椅子におかけください」

 ピカピカに磨き上げられた、絶望的なほどに滑りやすそうなリノリウムの床に、デボラは注意を取られた。並べられた椅子のうち、三つが埋まっていた。歯医者の待合室でする張りつめた呼吸のようなものを彼女は感じていた。端っこの椅子に掛けた彼女はスーツケースを自分の前に、花とハンドバッグをその上に置いた。それからハンドバッグをつまみ上げ、肘の上においてくつろいだ。

 「こんちは」とお隣さんが言った。「あなた、バスに乗ってなかったわよね?」

 「ええ」と、周りを見回し、話しかけられたのが自分だと確認したデボラは答えた。「乗り損ねてしまったので、歩いたのよ」

 「すっごーい!」とお隣さんは心から述べた。「ねえ聞いた、キティ、彼女歩いたんですって」

 「おやおや!」と二番目の椅子に座っている人が言った「運動したかったんだろうな、と思わざるを得ないね。冬に氷室に行くようなものよね。そうは思わなかった?」

 「おまけに目的地が隔離病棟とあってはね」とお隣さんは友人に切り返した。会話がこれ以上発展する前に、別の学生がすぐ隣の扉から出てきた。彼女はタイプで打たれたリストを持ってきた。

 「次はあなたの番」と彼女は言った。「もしあなたがミス・メンジーズならね」

 「我にお慈悲を」とデボラのお隣さんは静かな声で言いながら立ちあがった。「ボスの名前は何だっけ、キティ」

 「マーチャン」とキティがうなり声をあげた。「それから彼女のことは学寮長って呼ぶのよ」

 「了解」と言って彼女は去って行った。デボラはこの時、まるで友達を亡くしたような気持ちになっていたが、キティは空いた椅子の分一つ詰めてきた。

 「ねえ、」と彼女は厳粛な面持ちで言った。「あんたはいかなる意味においてもウェールズ人ではない、そうよね?」

 デボラがこの質問に答える前に、リストを持った学生が再び現れて聞いてきた。「あなたはミス・デイヴィス?」

 「いいえ」とデボラは答えた。女子学生が書類に顕微鏡でなければ見えないような印をつけた後、キティに微笑みかけ問いかけるような眼差しをした、まさにその瞬間、デボラは自分が誰で何者であるかを説明しようとしたところだった。

 「あなたは?」と女子学生は尋ねた。

 「トレヴェリアン。私は万一にもと思ってここに来たの、ホントにね。空きがあるのかどうか、はっきりしなかったから。みんな私に今回みたいな場合はひょっこりと、老犬みたいに出てくるよって言ったけれど」

 「トレヴェリアン、ね」と女子学生はリストの最下段にその名前を書き足しながら言った。「絶対に、って訳じゃないけれど、二、三人来なかった人がいるのを知っているの。だから多分大丈夫。なんにせよ、私頼んであげるわ」

 「どうもありがとう」とキティは言ったが、女子学生がいなくなるや「とは思わないけれど」と付け加えた。

 「じゃあ、あなたはこの寮に入りたくないの?」とデボラは尋ねた。彼女は自分が大学に入ったその第一日目に、楽園になんて行きたくはないと思っていたのだということを、うっかり告白しそうになった。それとほぼ同時に、当時の自分は、カレッジに入るか、楽園に行くかを選ぶほど強く積極的な意志を持っていなかったのではなく、自分にとってはカレッジも天国も、いつだっていずれも同じくほの暗い未来の一部でしかなかったのだと、いまや気が付いていた。

 「私、美容師になりたいんだ」とキティは言った。

 「でも、じゃあ……ええと、私が言いたいのは、教員養成学校とその夢には食い違いがあるんじゃないかしらってことだけど」

 「うん、あんたが美容師になるなら大卒資格どころか大学入学許可に通る必要がないって訳だ。私もそれは知ってる。でも私には問題ないんだ。なんせどっちも持っちゃいないんだからね」

 「へえ、それじゃ……」

 「普通科高校をさ、ねえラヴ? 薄皮一枚紙一重で卒業したんで、家族から猛烈な突き上げ食らっちゃって。で、国中の教員養成学校に手紙を書く破目になったって訳。いまのところどこからも結果は来てないけどね。こういう学校ってすごくえり好みが激しいんだ。オックスフォードだのケンブリッジだのに入る方が、ここみたいな専門的な殺人トラップに入るよりもよっぽど簡単なんじゃないかって、そう思うこともあるよ」

 デボラは座り込んで、この新しい視点を飲み下そうとしたが、その時間は長いものにはならなかった。

「ミス・ボアマン?」と、リストを握りしめてもう一度出てきた女子学生は、三人組の中でこれまで沈黙を保ってきたメンバーへと優しげに微笑みながら告げた。

 「言ったでしょ?」とキティは首をドアの方に振り向けて、女子学生へと確信ありげに語りかけた。そうドア、あそこから細い流れへと入っていった旅人は一人も戻らないように思われるあの場所。「あの子らは死体と何をしているの?」

 文学的な精神を持ち合わせているらしい女子学生は「死体?」と応えた。

 「うん、先にあの子らが来て、部屋に入って行った。「メネ・メネ・テケル・ウパルシン」って言うか、なんかいやーな予感がしない? あの子ら、何か関わってるの?」

 女子学生は小さな男の子が発したような単純素朴な質問にも頬笑みを返した。そしてキティが中に入っていくと、デボラに向き直った。

 「私の名前はクラウドです」とデボラは言った。「あなたは上級生だと思うけれど、お手数でなければ学寮長に声をかけてもらえないかしら」

 上級生がまとった育ちのよさそうな能率的な雰囲気は、馬鹿馬鹿しいほどの勢いで消し飛んだ。

 「え、あ、うわ、申し訳ありません。ミス・クラウド。すぐ分かるべきでしたのに。メアリーが言ったかも知れなかったのに。ルールーはいつもドアの前にいるんです。メアリーはあなたに名前を聞かなかったんですね」

 「いいえ、別にかまわないわ」とデボラは言った。「ミス・ボアマンとみなさんの話が終わったら中に入りますね」

 「あの人、ちょっと具合悪いのかも」と心優しいキティは言った。上級生はデボラに一緒に来るように頼みこんだ。デボラは学寮長の部屋の扉を複雑な気持ちで見つめた。上級生は扉をノックし、中の声を聞いてから扉を開け、中へと声をかけた。

 「副学寮長のミス・クラウドがいらっしゃいました。学寮長」

 デボラが部屋の中に入って対面したのは、途方もない驚きと混乱だった。落ち着いた雰囲気のオフィスにしつらえられた立派なデスク、その後ろの回転イスに掛けていたのは、なんとミセス・ブラッドリーだったのである。

 「さて、これで私たちはまさにピリピで出会った訳だね」と言いながら、ミセス・ブラッドリーは椅子から立ち上がり、デボラの手を握った。彼女は「この可哀そうな子たちは」と骨ばったかぎづめを握手から引き抜き、三人の生徒たちに向かってひらひらと振った。三人とも室内にある椅子に座り、怖がり居心地悪そうにしているに見える。「明日ではなく今日到着した子たちで、カレッジに空きがあるかどうかを見に来たんだよ。この二十四時間でこの子たちに何ができるか、私にはわからないし、この子たち自身にも分かってはいないだろうけれど。少なくとも……」

 何でも知っている悪魔のように、ミセス・ブラッドリーはミス・トレヴェリアンとミス・メンジーズの間で交わされたウインクを拾い上げて見せた。「少なくとも私たちとは初めて会うことになった訳だね。前にこの子たちに会ったことは?」

 「はい、あります」とデボラは生徒たちに恥ずかしそうに笑いかけながら言った。「私たちは誤った理解のもとに出会ってしまいました。彼女たちが、そのことを悪く思わないでくれるといいのですが。」

 「私たち、ミス・クラウドのことを学生だとばかり思っていたんです、学寮長」とミス・メンジーズは言った。そして「二人目の墓掘り人だとはついぞ気づきませんでした」と小さな声で付け加えた。

 「もちろん、あんたたちはそうだろうね、子供たち」とこの面白い話題にニヤニヤとした笑いを浮かべながら賛同したミセス・ブラッドリーは「それで、お茶はいかが?」と尋ねた。

 カレッジの秘書室でのおもてなしでビスケットを何枚かもらった以外何も食べていなかったデボラは、この提案を喜んで受け入れた。どういう経路で分かったかということを言葉にすることはできなかったが、ミセス・ブラッドリーの提案した「お茶」が北国風のたっぷりしたハイ・ティーになるだろうということは、予言のごとく避けがたいものとしてはっきりと理解できた。そのものずばり、この小さなパーティではトースト、ハム、ゆで卵、サーディン、まっさらのパン、バター、蜂蜜、ジャムが熱心に、元気よく、純粋なる喜びの中で消費されていった。(可哀そうなミス・ボアマンがしゃっくりのけいれんに襲われたことを除けば。デボラは、彼女もまた自分同様ナーバスな犠牲者になってしまっていることに全面的に共感を覚えていた)。

 食事は終わり、ミセス・ブラッドリーは(おなかがいっぱいになって船を漕ぎ始めたキティをみて獰猛な笑いを浮かべながら)デボラに状況の説明をするために連れ出した。三人の学生たちは、パーティで一緒にお茶を飲んだ上級生に連れられてカレッジへと向かった。デボラはと彼女たちが自分のことを、感じやすく家庭的な少女で、救いあげるに値する、批判されるところの無い人間であることを証明できればいいのだがと考えた。デボラは、自分の努力した分だけ助けられ、批判が減るのなら、世の中どれだけよくなるだろうと既にと感じていた。

 カレッジの入り口で上級生は、寮室やバスタイムの時間の決定リストを持っているのだろう、という三人の訴えをよそに、彼女たちを置き去りにした。

 「とは言っても、校長に会うまで私たちが寮室やバスタイムを欲しがっているかどうかは分からないけれどね」と反駁したローラ・メンジーズは「ところで、あのしわくちゃの婆さんをどう思う?」と、僚友たちに話しかけた。


続く

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