俺のツレの彼女がゴリラすぎる件
最近、ユージの付き合いが悪い。
あのゴリラみたいな彼女が出来てからだ──
「なぁ、あんなゴリラみたいな女、どこがいいんだ?」と言いたいのを俺は我慢した。いくら親しい仲とはいえ、他人の趣味にとやかく言うのはよくないことだろう。
同じ講義を受けたあと、大学の中庭を並んで歩きながら、「なぁ、あんなゴリラみたいな女、どこがいいんだ?」と、俺は何度も聞きそうになった。我慢した。その代わりというように、頭に浮かんだことを口にした。
「なぁ、あんなゴ……じゃなくて、大学終わったら久しぶりにカラオケ行かね?」
「ごめん、タカシ」
ユージは幸せそうな眉毛をハの字にして笑い、手を合わせた。
「大学終わったらチャコが待ってるんだ。……あ、いや──」
どんどこ、どんどこと何かの足音らしきものが遠くから俺たちのほうへ近づいてきた。
「待ちきれずにもう来ちゃったみたい」
「ユージさぁーん!」
地鳴りのような足音と野太い声をあげながら、こちらに手を振って駆けてきたのは体長こそ1メートル50センチほどの人間サイズながら、巨大な顔、頭頂部のなんだかよくわからないコブ、そしてあまりにも逞しすぎる体格の、どう見てもゴリラだった。
「チャコ!」
ユージが顔を輝かせて手を振り返した。
「もうっ! まだ待ち合わせの時間まで二時間あるだろ?」
「来ちゃった」
ゴリラ彼女は突進してくると、ユージの胸に飛び込んだ。
「待ちきれずに来ちゃったあ!」
「ひっ!」
俺は思わず横へ逃げた。
ユージが砲弾でも受け止めたかのように後ろへ飛ぶ。
ゴリラ彼女はユージを抱きしめてくるくる縦に回転すると、遥かむこうのほうで地響きを立てて着地し、ユージをお姫様抱っこして止まった。そしてそのままどすどすと足音を立ててこっちへまた戻ってくる。
「会いたかったよ、ユージさん!」
「俺もだよ、チャコ。……でも、人前でバックブリーカーみたいな体勢で抱きつくのはやめろって言ったろ?」
「だってぇ、あんまり嬉しすぎちゃってぇ……」
もじもじしながらユージを軽々と持ち上げるゴリラ──チャコちゃん。いや、比喩じゃなくて本当にゴリラだ。赤いジャンパースカートと黒いシャツを着てなくて、ヘルメットみたいな真っ黒なおかっぱの髪の毛がもし全身に生えていたら、完全にそのものだろう。
「あ、そちらはユージさんのお友達のタカシさん?」
不意に、巨大な黒い瞳が俺を捉えた。
「ひっ……! あ、はい! タカシです! お会いするのは二度目ですね!」
俺は咄嗟に直立不動の姿勢をとった。生物としての本能が「ここで余計な動きをしたら一撃で粉砕される」と警告を発している。
怖いのだ。初めてユージに紹介された時から思っていた。この女、笑っても目がまん丸なのだ。おおきな歯を剝いて口だけが笑い、目にはまったく表情がないのだ。
「いつもユージさんがお世話になってます~!」
チャコちゃんはそう言うと、ユージを片手で抱いたまま、もう片方の丸太のような腕を差し出してきた。握手のつもりらしい。俺は怯える手を伸ばし、彼女のゴツゴツした指先とそっと触れ合った。
皮膚が分厚く、汗でねっちょりしていた。
「タカシ、次の講義、俺はサボるよ」
ユージが信じられないことを言い出した。
「チャコを待たせらんないわ。おまえ、一人で出てくれ。あ、代返とかべつにいいから」
俺は友人として、それを許さなかった。
「だめだぞ、ユージ。単位を落とす気か?」
ゴリラの力に負けまいと、お姫様抱っこから引きずり下ろした。
「卒業できなかったら彼女のせいにするつもりかよ?」
「ええっ!? それはだめ!」
ゴリラ彼女が大袈裟なほどにうろたえた。
「チャコ、ユージさんの邪魔したくない! 待ってるから! このへんで駆け回って遊びながら待ってるから! 講義、出て? ね?」
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俺らは講義室の後ろのほうに座り、小声で会話した。
「なぁ、ユージ。あんなゴリラみたいな女、どこがいいんだ?」
遂にそれを口に出してしまった。
ユージは少しムッとした顔をしたが、笑ってくれた。
「タカシにはわからないよ。チャコのことをよく知らないんだから」
「正直俺、おまえに彼女が出来て『よかったな』とも『羨ましい』とも、ちっとも思えねぇんだ。おまえならもっとかわいい娘と付き合えるだろ? どうしてあのゴリラなんだ? おまえが幸せそうにしてるのを見ても、『何かが間違ってる』としか思えねぇんだよ」
ユージはハハハと小声で笑い飛ばすように、こう言った。
「でも俺はチャコが幸せそうにしてくれてるのを見るとすごく嬉しいよ」
「本当にそれは恋なのか!?」
俺は激しくツッコんだ。
「飼育しているペットが幸せそうなのを見て嬉しいみたいな……、そういう感情なんじゃないのか!?」
「おい」
ユージの顔が怖くなった。
「なんでそんなに俺の彼女のことを悪く言うんだよ」
うっ──と、言葉に詰まった。
さすがに言い過ぎたと気づき、謝った。
「すまん……。なんていうか、心配だったんだ、おまえのことが──」
「チャコはね──」
ふっと優しい笑みを浮かべてユージが話しはじめる。
「周りからよく言われてるらしいんだ。『ゴリラ』だの、『ローランドゴリラ』だの──」
そりゃそうだろうと思いながら、ユージの話を聞いた。
「でも気にせず笑ってるんだよ。陰で泣いたりもせずに、ニコニコと──。俺はそれを知ってる」
あのまん丸い目をして口だけで笑う顔が頭に浮かんだ。
「彼女の友達に『猿川さん』って娘がいてさ、チンパンジーにものすごくよく似てるんだけど──」
なんだ? チンパンジーまでいるのか? なぜ、その友達の話が? と思っていると──
「その友達が『チンパン』って言われるとチャコ、とんでもなく怒るんだ」
激しい怒りに凶暴化したゴリラの顔が頭に浮かび──
「ひいぃっ!?」
俺はついに恐怖で声を漏らしてしまった。
「優しいんだよ。自分のことは何を言われても笑って許すけど、友達が悪く言われると激しく怒るんだ」
「ひ……、ひいぃ……?」
「そんなところがさ、すごく好きなんだ、俺……」
そうか──と、気づいた。
ユージもそういえばそんなやつだった。自分のことよりも他人のことを尊重する。他人のいいところばかりを見ようとする。だからゴリラが激怒しても、その恐ろしさよりも激怒した理由の『優しさ』ばかりを見ることができるんだ。
そんなユージだから、俺も──
「わかったよ。ユージが好きなんだから、俺が口出しなんかするべきじゃねぇよな」
「そうだ!」
ふいに何かを思いついたように、ユージが言った。
「今日の講義が終わったらやっぱりカラオケに行こう。俺と、おまえと、チャコと三人で」
「えぇ……? いいの? 俺、お邪魔なんじゃねぇの?」
「チャコのことをおまえにももっとよく知ってほしいんだよ。大好きな彼女と、一番仲のいい友達とが仲良くなってくれたら、俺も嬉しい」
「うーん……」
俺は考え込むフリをして、じつはすごく嬉しかったのに、仕方なさそうに、うなずいた。
「じゃ、行くか。おまえが彼女のどこを好きになったのか知りたいしな」
「よしっ、決まり!」
ユージの嬉しそうな顔が眩しかった。
「ところで『チャコ』って、どんな字書くの? 『茶子』?」
「彼女の名前はこうだよ」
そう言ってユージがノートにそれを書いた。
剛力 五歩子
「はぁ? これで『チャコ』って読むのか?」
「いや、彼女の正式名は『ごうりき ごほこ』なんだ」
「じゃ、『チャコ』って何だよ!?」
「彼女の一人称だ。自分のことを『チャコ』って呼ぶ。だから俺もそう呼んでるんだ」
よくわからないけど、講義のあと三人でカラオケに行くことが決まった。
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中庭へ行くとチャコちゃんが学生たちの人気者になっていた。特に女子学生にめちゃめちゃ可愛がられている。スマホを向けられ、動画を撮られているようだった。
「あっ、ユージさん! 講義、終わった?」
こっちを見て笑うおおきな口とまん丸な目が、これからユージとカラオケに行ける嬉しい気分のせいか、なんだか可愛く見えた。
俺も一緒だということを嫌な顔ひとつせずにゴリラは受け入れてくれた。
「フライドポテトとコーラを二つずつください」
カラオケボックスに入ると、チャコちゃんが電話で俺たちの注文をしてくれた。
「あとバナナセットとバナナクリームソーダ」
自分の注文をすると電話を切った。
「さぁ! 歌うぞー」
チャコちゃんが張り切っている。今にも胸をドコドコ叩きそうなくらいに。
「ごめんね、俺もくっついて来ちゃって」
一応謝っておいた。
「ううん? いいのよ。チャコもタカシさんのこともっとよく知りたいし。だって最愛のユージさんの友達なんだもん」
うん、いい子だ。
聞いたところによると彼女は大学には行っておらず、土木作業員のアルバイトで結構稼いでいるらしい。
「チャコは社会人だから」と、ここの料金ぜんぶ払ってくれたし、甲斐甲斐しくみんなの食事の注文もしてくれたし、都合のいい女って感じ──
はっ?
まさか……ユージめ、その都合のよさに、惚れてるフリをしてやがるのか? 意外に腹黒いやつだったのか?
尽くさせて、絞り取って、用が済んだらあっさり捨てようとしてやがるのか? 爽やかなイケメンの自分を利用して──
いやユージはそんなやつじゃないとすぐに思い直してポテトを食べた。
まずはユージが歌った。
誰もが知ってる最近のヒット曲だ。
いつもながらあくまで爽やかで、イケメンな歌声だった。耳に心地いい。
歌い終わるとチャコちゃんが手をばふばふと打ち鳴らして騒ぎ出した。
「キャーーー! ユージさん、カッコよかった!」
「さーて……何点かな?」
ユージがマイクを置いて、画面に注目する。
89点
「まぁまぁかな」
「嘘よ! 89点どころじゃなかったわよ! チャコが点数つけるなら238点よ! 機械にはユージさんの良さがわからないのね! キーッ!」
怒ってる。
激怒ってほどじゃないけど、やはりゴリラが怒るのを見るのは怖かった。
「次、チャコが歌うわ! ユージさんのかたき!」
何を歌うのかと思ったら洋楽のヘビーメタルだった。
デスボイスもハイトーンのシャウトも完璧にこなし、重低音の激しいリズムと嵐のような歌声に、カラオケボックスの部屋が縦ノリで震えた。
「ハァッ……。気持ちよかったぁ」
「す、すごいの歌うんだね」
ユージがうっとりと彼女を見つめる。
「さぁ、何点だ?」
画面に点数が発表された。
99点
「おおお!」
俺は思わず大声をあげた。
「すげえ!」
「すごいよ、チャコ!」
しかし俺たちの賞賛には照れも笑いもせず、ただゴリラは満足そうに微笑み、こう呟いた。
「よかった……。ユージさんのかたきが取れたわ」
「じゃ、次はタカシね」
ユージがそう言ってマイクを渡してくる。
「今日は70点越えられるかな?」
「70点越えたことないの?」
チャコちゃんに聞かれ、俺は答えた。
「うん……。テクニックを使いすぎるからかな」
「テクニックって?」
「モタリとかツッコミとか、あとビブラートとかシャクリとか……」
そこまで言って、しまったと思った。
何言ってんだ、俺。70点越えたことないやつが何を偉そうにテクニックを語ってんだ。
きっと二人ともこんな俺に呆れたに違いない。恥ずかしい。ゴリラの巣穴があったら潜り込みたい。そう思っていると──
「何言ってるんだよ」
ユージが笑った。
「あのシャクリが最高なんだよ。俺は好きだな、タカシの歌。俺がやってもしゃっくりみたいにしかならないけど、タカシのシャクリは芸術的だよ。機械にはあの良さがわからないだけだよ」
「そうよそうよ!」
ゴリラも笑った。
「素直に! 自分を信じて! 好きなように歌うのが一番よ! チャコにも見せてほしいな、タカシさんのテクニック!」
乗せられ、俺は歌った。
俺の大好きなロボットアニメのオープニングテーマだ。
ビブラートもシャクリも盛大に駆使して歌い上げた。
ユージが言う。
「さぁ! 何点だ?」
ゴリラが手を合わせて願う。
「70点越えさせてあげて!」
画面に点数が表示された。
71点
「おおお!」
「おおおおおー! ウホ! ウホッ!」
二人が拍手の嵐で賞賛してくれた。
「やったな、タカシ! ついに! ついに……!」
ユージが涙を浮かべた笑顔で見つめてくれるのが嬉しかった。たまらなかった。
「タカシさん! やった、やった!」
ばふ、ばふと拍手を鳴らしながら、俺のために泣いてくれるチャコちゃんの姿に、俺は尊いものを見た。
なるほどユージが惚れるわけだ。
だって俺もたった今、彼女に惚れてしまった。その聖母のごとき優しさ、自分のこと以上に他人のことを想う気高き精神に、心打たれた。できれば彼女を自分のものにしたいとまで思ってしまった。
なんて素敵な女性なんだ。
女性に恋をしたのは初めてのことだった。
しかし彼女は親友の彼女──
彼女の彼氏は以前からの俺の想い人──
好きなやつ同士が付き合ってるんだから、これほど嬉しいことはないんじゃないか?
そう思って涙を拭き、俺は潔く身を引く決意をした。




