第1章 最終話
「あー。つっかれたー」
誰もいない道で体を伸ばしながら独り言。
バイトを終え、疲れた体を引きずりながら家へと向かっている。
もう夜も深くなっていて辺りは暗く、街灯の明かりも頼りなくなっていた。
朝バイトに行って、学校に行って、またバイトに行って全ての体力を使い果たしたこの時間帯が正直一日で一番しんどい。
この生活になってからだいぶ経つがいまだに慣れない。
早く帰ってカレー食べて風呂入って寝たい。
明日、朝だけは仕事あるしな。
カレーをイメージすると空きっ腹には強烈で俺は急いで家に帰った。
家に着く。
ふと、自分の家を見上げる。
月明かりに照らされてどこか神秘的に感じさせるのだがそれでも隠せないぼろっちい家。築年数はよく覚えてないが確か相当古かった筈だ。
家の塀に沿うように生え放題の雑草。
古い見た目と相まって、通行人に廃墟と間違われてもおかしくない。
手入れをすればまだ幾分かましに見えるだろう。
住宅地にポツンと存在する借家。6畳と4畳の二間。
それが俺の家だ。
俺はこの家に住む為に働いてるんだよな……。
そう思うと、こうやって眺める家に感慨深いものがあった。
マイホームの為に働く親父みたいなことを我ながら言ってるな俺。
自分自身に苦笑しながら、家の中へと入った。
――途端、違和感がした。
何かが違うのだ。何が違うのかわからないが。
俺は違和感の正体を探す。
なんだ? なにが違うんだ?
周りを見渡す。
だが、視界に写る所では特に異変は見られない。
次に耳を澄ます。
……すー。す-。
人間が息している様な音が聞こえる。
違和感の正体はこれか。
――光一か?
いや、光一や彩夏がこんな時間に来るのは可能性としては低い。
それとも、まさか?
……いや、それはないか。
そこで最悪の可能性が頭の中をよぎる。
――泥棒か?
いやそんな非現実的なことあるわけがない。
だが、他に誰が来ているのかなんて説明がつかない。
となるとやはり泥棒の可能性が高い。
泥棒が貧乏人の家に来て何か盗むとかどういうことだ。
そんな貧乏に追い打ちをかけるような真似しやがって……。うちには泥棒が盗むようなもんはなにもねえよ!
だんだんイライラしてきた。
俺は泥棒の姿を探そうと身構えながら居間に入るが、ぱっと見、特に荒らされた形跡はない。
というか盗むものなどないだろう。自分で言ってて悲しくなるが。
だが、どうやら泥棒はしっかり仕事をしたらしい。
居間にあるテーブルの上に、朝にはカレーが入っていた鍋が置かれている。
それが今では空っぽ。
俺の晩飯……。
勝手に人の飯食いやがってぇ。このカレー作るのにいくらかかったと思ってんだっ。
人でなしの泥棒を締め上げて食費を弁償させてやる!
だいたいこの泥棒はどこから入ってきたんだ?
戸締まりはしっかりしたはずだ。
居間に入ってからふと思った。
まさか窓割られた?
窓の修理代いくらすると思ってんだ?
不安になりながら居間の窓を見てみるがどうやら割られてはいないようだ。
ほっと安堵した所で隣の部屋から聞こえる人の息づかい。
「すぅ……。すぅ……」
先ほどと息の音が変わってないから、俺に気づいてはいないようだ。
気づかれてないのは好都合だ。後ろから思い切り殴ってカレー弁償させてやる。
食い物の恨みってのは怖いってことを思い知らせてやんだ!
隣の部屋のふすまを相手に気づかれないように静かに開ける。
だが、中に入って部屋を見渡して見るものの特に怪しい所はない。
ただ息づかいが聞こえる。
どこだ? どこにいる?
間違いなくこの部屋から聞こえている。
押し入れの中にいるのか?
そう思い、一歩踏み出した時だった。
「ふぎゅ!?」
視界の下からびっくりしたような声。
そして、自分の足にはなんか柔らかい感触が。
……いた。
泥棒は間違いなくいま俺の足下にいる。
殴ろうとは思ってはいたが、まさか踏みつぶすことになろうとは……。
「い、いひゃいですぅ……。いきなりなんふぇすかぁ?」
苦しそうにかつ眠そうに言う女の子の声。
「え? 悪い!」
女の子だなんて思ってもいなかったから足を慌ててどける俺。
いきなり踏むなんて予想外のことに驚いて踏んでいるっていうことを忘れていた。
そういってどけた足を――
「って違う! お前誰だ!」
「むぎゅ!?」
逃がさないようにまた踏む俺。
いくら女の子と言えど、泥棒は泥棒。
しっかりお仕置きしないと気が済まない。
「人を踏むなんて悪いことしてるのは誰ですかぁ?」
泥棒の声はまだ寝ぼけてるようで若干呂律が回っていない。
平和そうな声で続ける。
「象さんれすかぁ。重いですぅ。悪い子さんはだめれふよ。だからわたしをもうふこしねさせてくださいー」
像に踏まれてたらお前死んでるわ。
っていうかどこの一般家庭が象を収容できんだよ。
「いつまでも寝ぼけてんじゃねえ! それに象じゃねえ。俺はここの家主だ」
「え?」
「だから、俺はここの家主だ」
「え? ええ!? あ、えっと、わ、わ、私はいや決して怪しいものじゃないですぅ」
「嘘だっ! どこからどう見ても怪しいわ!」
幸せそうな夢から一転して泥棒はしっかり目が覚めたらしく、はっきりとした口調で言い繕おうとするが世の中のどこに怪しくない不法侵入者がいるだろうか。
電気をつけて、自称怪しくないという泥棒を見る。
声の通りやっぱり女の子で、髪は首の下あたりまで続き、後頭部にはリボンを着けている。
綺麗な服を着ていて、泥棒するぐらい困窮しているとはとても思えない。
どこからどうみても年端もいかない女の子で、背丈は小さくそのあどけない顔立ちは俺より年下なのは間違いなかった。
とりあえず、女の子を踏むのも罪悪感があるので足をどけた。
体を慌てて起こした女の子は俺と目が合うと慌てふためきながら言った。
「ご、ごめんなさい! 勝手におうちの中に入ってごめんなさい! この家の方ですよね!?」
「だから、さっきからそう言ってるじゃねえか……」
「わ、わたしは、決して怪しいものじゃなくてですね!? そう決して怪しいものじゃないんですよ?」
「いや、二回言われても怪しいって……」
「う……。確かに怪しいかもしれないんですけど、これには事情があってですね。その、あの、やむにやまれない事情といいますか……。そう、そうなんですよ。そんな感じでこんな感じなんです」
一体どんな感じなんだ。
未だかつてこんなに聞いてる人のフィーリングに頼る悪人の弁明は聞いたことがない。
「で、お前金持ってるか?」
「え?」
「だから金だよ金! お前が勝手に食ったカレーの食費を弁償しろって言ってんの!」
「すいません。持ってないです……」
「ああ?」
まあ確かにお金持ってたら自分で買うか。
「ほ、本当にもってないんです! で、でですね、とてもごめんなさい! だからそんな怖い顔しないでくださいぃ。」
さっきから焦っているのか言葉がおかしい。
「ほ、本当にごめんなさい! 本当に本当にごめんなさい! わ、わたしはこんなことしたくてしたんじゃないんです。 でも、ごめんなさい! 本当に……ぐすっ」
言葉が途切れ、目に涙を溜めはじめる女の子。
さっきから、しきりに謝る女の子を見てずっとどうしようか考えていた。
泥棒だから、ひげが口の周りに生えてるような熊みたいな男を想像していただけに拍子抜けしてしまいどうしていいか解らない。
もし想像通りに男の泥棒なら殴って食費を弁償してもらって警察にでも突き出すんだが、泥棒とは言え、さすがに女の子に暴力を振るう趣味はない。
泥棒が女の子なんて思ってもいなかった。だから、どうしたらいいか解らない。しまいには泣き始めるし、余計どうしたらいいか解らない。
だが、俺より年下に見える女の子がこんなことするなんて何かしら事情があるんだろう。そう考えたら怒るにも怒れなくなった。
「とりあえず落ち着こうか」
俺も女の子も。
「は、はい」
「まず、名前は?」
「み、水莉って言います……」
「名字は?」
「……ごめんなさい……。言いたくないです……」
名字が言いたくないっていうのはなんなんだろうか……。
「まあいいや。で? なんでこんなことになってんだ?」
「え、ええとですね……。事情を説明しますと、路頭に迷ってたんですがお腹がすごい空いていてどうしようもなくなったときにおいしそうなカレーの匂いがして、匂いを辿ってたらこのおうちについて……。悪い事って解ってたんですけど裏口が開いていたので、それを見たら……」
裏口から入ったのか。
戸締まりしっかりしたと思っていたけど確かに裏口を見るの忘れていた。
普段使わないしな。
あ、そうか。今日は光一が裏口からきたんだっけか、あの野郎が裏口開けたからこうなったんだ。
あれ? そもそもあいつはどうやって入ったんだ?
そこらへんも踏まえてきっちり話合いをしなきゃいけないな。拳と体で。もちろん俺は拳側。
とりあえず光一の事は置いといて、目の前の水莉という名前の少女の話を聞く。
「そして気づいた時にはもうカレーを食べてしまっていて、食べ終わった後でどうしようって思ったんですけど、ぐすっ、久々に食べたご飯はおいしくって動きたくないなって思ったらそしたら眠くなっちゃって……ふえぇ。ご、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
堰を切ったように泣きじゃくる少女。
俺はそれを見て、小さい頃往来で彩夏が泣きだして気まずくなったあのときと同じ感じを抱いていた。
俺はこの空気をどうにかしたくていつの間に口走っていた。
「ああもう! 解ったから泣くな」
「ふぇ?」
「解った。解ったよ。お前がどうしようもない事情でこうなったのかは解った。だから、勝手に入った事も、飯食った事も許してやるからだから泣くな! な?」
「ぐすっ。でもやっぱり悪い事は悪いことで……。私は……」
「あーもう! どうしたら泣き止むんだよ! それに大体お前なんで路頭に迷ったんだよ? 家出か?」
「……うう、それは、言えないですぅ……」
「……」
言えないって事はなにか訳ありなのか?
まあ、そもそもの話俺より年下の女の子が見ず知らずの人の家に忍び込んで、御飯を勝手に食うっていう事態が普通じゃないもんな。
だが、俺にはあまり関係ない話で冷たく言ってしまえば他人事だしな。
「解った。どうやら訳ありみたいなのは解った」
「あ、ありがとうございます」
律儀に泣きながらお礼をしてくる。
「でもな、俺とお前は他人で訳ありだろうと俺には関係ないんだ。だからもう出て行ってくれないか?」
「え?」
なぜか呆気にとられる少女。
「だって、俺はお前のやった事を許すって言ったんだし、もうここにいる必要はないだろ?」
「そ、うですけど……」
「俺、明日も仕事早いし、そろそろ寝たいからもう出て行ってくれないか?」
言い淀みながらおずおずと訪ねてくる。
「……あの」
「なんだよ?」
「すごい、図々しい事を言ってるっていうのは解ってるんですけど、私をここに置いてもらえないですかっ!?」
「はあ?」
いきなりなにを言い出すんだこいつは?
俺の言葉聞いてなかったのか?
少女は、俺の目を見ながら言う。
「私をここに置いてください! なんでもします!」
「いやいや、意味がわかんねえよ」
「お願いです!」
「いきなりなにを言い出すんだよ」
「お腹を空かせて街を歩いていた時に思ったんです。私が知っていた事は全然役に立たなくて……。世界はとても広くって私一人じゃ生きていけないっていうのを思い知ったんです。ぐすっ。本当に私はなにも出来ませんでした……」
「だからって普通俺に言うか?」
「うぅ、そうですよね。迷惑をかけた人に言うことじゃないですよね……。でも、なんでもします! 今すぐには無理かもしれないですが恩返しもします」
「だめだ。出て行けよ。確かにお前みたいな小さい女の子が生きていくのは辛いかもしれないが俺の知った事じゃない」
「お願いします!」
「それに、うちはもう一人分の生活費を出せる程裕福じゃねえんだよ。お前まだ働けないだろ?」
「……あう。確かにまだ働けないです。でも、お願いします! なんでもします!」
「じゃあダメだ。出て行け」
「お願いします!」
「う……」
少女は目に涙を溜めながら俺に言う。
ダメだ。まるで筋が通ってない子供の話になってきた。
そして、俺もなぜか言いくるめられそうになっている。
でも、うちにそんな余裕はねえ。
少女は相変わらず俺をまっすぐな目で見つめている。
なんで俺が悪い事したみたいな気分にならなくちゃいけないんだよ……。
「あー! もう!」
こうなったら実力行使だ。
俺は座っている少女の体を持ち上げる。
とても軽くて持ち上げるのにたいした労力はいらなかった。
「な、なにをするですか?」
俺は体を持ち上げたまま外へ。
「あ、ひどいです! そんな力で訴えるなんて! 本当にお願いします!」
じたばたする少女だが力で押さえつける。
ひどいのはどっちだよ……。
俺は無言なまま自分の家の前まで歩いていき、敷地から出た所で少女を降ろす。
「じゃあな」
俺にはもう話を続ける気はなく、一方的に打ち切った。
家に入ってカギを閉めればこれであいつは入ってこれない。
なにか騒いでるが、もう家の中に入ってしまえばなんて言ってるかは解らない。
でも、ちょっとは近所迷惑とか考えろよ……。
それにしてもおかしななやつだったな。
悪いことをしたはずだし、図々しいことを言ってきたのに不思議と憎めなかった。
そのせいできつく言えなくて、危うく言いくるめられるところだった。
だが、うちみたいな所じゃなくてもうちょっと裕福な家の方があいつもいいだろう。
路頭に迷う……か。
俺ももしかしたらああなっていたかもしれないんだよな。
今の仕事が見つからなかったら……。今の生活になるきっかけがあったあの時。
俺はなにをしたらいいか解らなくて、自分を見失ってた。
そのとき俺は友達が助けてくれた。だから今もこうやって生きている。
でも、もし友達がいなかったら俺はあいつみたいになってたんだろうな。
事情は知らないけど、あいつは身近に助けてくれる人がいなかったからああなってしまったんだろう。
それはどれだけ悲しいことなんだろうか。
一人、夜の街を歩いて屋根も壁もない場所で寝るっていうのはどれほどその悲しみを大きくさせるんだろうか。
……計り知れないな。
俺もそんな風になっていたかもしれないと思うと寒気がした。
俺はなんだかんだでこの家があった。
そう考えると俺は恵まれてるのかもしれない。
ふと外の音がやんだのに気づく。
さっきまでなにかわめいていたのにもうその声は聞こえない。
やっとどこかへ行ったのか。
ふらりと外へでる。
閉めきられた門の前にはもう誰もいなかった。
元気でやっていってほしいと思った。
俺は門を出て、あいつが行ったであろう方向を向いた。
今思えば、助けてやってもよかったかな。
確かにうちにはそんな余裕はないけれど、それでもなんとか出来たかもしれない。
俺は友達が助けてくれた、だから今度は俺があいつを助ければよかったのかもしれない。
あいつの周りに助けてくれる人がいないなら、俺が助けてやればよかったかもしれない。
なんて、そんな仮定の事を考えたって、あいつはもういないんだから仕方ないんだけどな。
そう思いながら俺はもういないあいつを見送った。
だが、帰ろうとして門に手をかけた時だった。
「うぅ……」
どこからか声が聞こえる。
「うぅ……」
それはさっきまで聞いてた声によく似ていた。
声の主はすぐに見つかった。
家の塀にもたれかかってしゃがんでいる。
はあっと俺は呆れながら言う。
「なんていうか、タイミングがいいやつだよなお前」
だが、返事がない。
「うぅ……」
ただうなるだけだ。
なんか様子がおかしい。
よく見れば、もたれかかってしゃがんでいるというよりうずくまっていると言った方があっている。
なにがあったんだ?
もしかしたら、刺されたかもしれない。
ここら辺は、治安がいいとは言え夜の街なら何が起きてもおかしくない。
最悪、救急車をよばなくてはいけない事態かもしれない。
「おい!? 大丈夫か?」
俺は少女の肩をつかみ呼ぶ。
「うぅ……」
少女はうなるだけ。
「おい!? 俺の声が聞こえるか?」
少女の顔がとても辛そうで見ていられなかった。
俺は携帯を取り出して救急車を呼ぼうとして……。
「……お腹がいたいです」
どつきたくなる衝動を通り超して俺はまた呆れた。
もしかしてこいつカレーに入れた賞味期限切れの食材諸々にいまさらあたったんじゃないか?
「はあぁ。とりあえずうちにこいよ。薬飲んでけ。ラッパのマークのいい薬がある」
「はい……。……ありがとうございます。……ごめんなさい」
俺は、追い出した時と同じように、だけど今度は家に招き入れる為に少女を持ち上げた。こいつは本当に放っておけない。なにされるかわかったもんじゃない。
「それと、今日は遅いからうちに泊まっていけ。いや、いくとこが見つかるまで俺の家に泊まっていいぞ。ぼろいけどな」
だから、こんな事を口走っていた。
この日、俺は宿なし娘の水莉を家に置くことにしたんだ。
――こうして宿なし娘と貧乏少年の生活が始まる。
ご無沙汰しております。
時間がだいぶ空いてしまい申し訳ありません。
環境の変化により、なかなか書く時間が見つけられませんでした……。
今回、長い間更新出来なかったのですがそれでもほぼ毎日アクセスがあったのはとても励みになり、それとともに申し訳なく思っていました。
長い間お待ちいただいた方には深くお詫び申し上げます。
さて、今回で第1章最終話でございます。
いつもの量の三倍近くになっています。
この話自体が結構重要なのでこんな形になりました。
いかがでししたでしょうか?
読んでいて面白いと感じていただければ幸いです。
今回の話はついに宿なし娘と貧乏少年が出会いました。
次回、第2章からはそんな二人+αの生活を描いていきます。
ご期待いただけるととても嬉しいです。
さて、次回の更新予定ですが未定です。
筆者のスケジュールが相変わらず多忙で書ける時間を見つけていくのが一苦労な状態が続いてます。
ましてや第2章はプロットから書き起こす事から始めないといけないので……。
なるべく早く更新したいと思っていますが、現状は少し厳しい感じです。
申し訳ないですがご理解の程よろしくお願いいたします。
できるだけ早く更新します。
それでは次回、お会いしましょう。
※感想、指摘、ご意見、誤字訂正、脱字訂正は随時受け付けております。
とても励みになり、勉強になります。
なにかありましたらお気軽にどうぞ!