婚約者の好みに染まった悪女は、壊されてもなお愛が欲しい。【2000文字】
私はもっと嫌な女だったと思う。
「申し訳ございませんでしたっ…!お許しください!」
紅茶まみれの使用人が必死に土下座している姿。
その使用人を踏みつける私のヒールの爪先。
その場面が、時々脳裏にチラつく。
「ジェラルド様、この香水はお好きですか?」
婚約者のジェラルド様に近づきすぎずに、にっこり微笑んでみせた。
「うん、ロゼッタに似合う香りだね」
和らげな表情で頷くジェラルド様は、今日も美しい。
そうよね、こういうふんわり香る甘い匂いがお好きですもんね!
「ロゼッタなら何でも似合うけれどね」
「まあ、嬉しいです」
この角度、この言い方、この声の出し方。
これがお好きですよね、ジェラルド様は。
だからもう派手で、威張って、横柄な態度を取ったりしない。
ジェラルド様に好かれるなら、どんな自分にでもなる。
はじめて笑ってくれた日から、その思いは変わらない。
あの日みたいに、また笑ってほしい。
ジェラルド様は、最初の頃はもっと無愛想だった。
私がシンプルなドレスと、シンプルなお化粧で会いに行った日、「そういうものも似合いますね」とはにかんでくれた。
あの顔に、私はキュンとしてしまった。
たったそれだけのことだけれど、私には大事なことだ。
それ以来、ジェラルド様の雰囲気は柔らかくなった。
それからだ、私がジェラルド様好みに染まっていったのは。
「たまには買い物と思ったけれど、ジェラルド様の好きそうなものはなかったわねぇ」
ドレスのお店の横を通った時、真っ黒なドレスが目に入った。
わあ、素敵ね…!
黒一色で艶やかさを表現したようなドレスだった。
きっと、私は似合うと思う。
それに私好みだ。
でも、ジェラルド様の横では着られない。
「ロゼッタはこういうドレスが好きなのかい?」
「え…」
振り向くと、愛しいその人がいて、私は目を丸くした。
「ジェラルド様…」
「偶然ロゼッタと出会えるなんて嬉しいな」
その目がいつもより暗く見えて、なんだか背筋が冷えた気がした。
よ、よかった、いつも通りのシンプルなドレスにしておいて。
「このドレス、ロゼッタに似合うだろうね」
「あ、でも…」
「いいんだよ、無理に僕の好みに合わせなくても」
その声に、血の気が引いていく気分だった。
ニコリと笑うジェラルド様の、目が笑っていなかった。
「そんなに僕に好かれたいのかい?」
その言葉が、頭を殴るようだった。
「ふふ、ロゼッタは可愛いねぇ」
ジェラルド様は私の髪を掬い、そこにキスを落とす。
いつもは、そんな触れ方しないのに。
ジェラルド様は節度ある人間が好みで、婚約者でもむやみやたらに触れなくて、だから私は近づきたい気持ちを抑えて、適切距離を保って…。
私の知っているジェラルド様じゃない。
「この髪型も、服装も、香水も、僕が好きなものだものね。話し方も仕草も、僕が好ましく見えるように頑張っているものね」
「なんで…」
「ねえ、ロゼッタ。その塗り固められたもので、僕が本当に好きになると思っていたの?」
弧を描いた口元が、歪んで見えて、私の息が荒くなっていく。
…ジェラルド様は、知っていたの?
それで、必死な私のことを、どう見ていたんですか…?
「全部知っていたよ」
その目の奥が怖いのに、目が逸らせない。
私はこんなジェラルド様、知らない。
「僕の好みが一つわかるたびに嬉しそうにしていたことも、好きでもないドレスを纏って笑っていたことも、社交が得意なように振る舞っていたことも」
他には、何を知っているんだろう。
私の醜い何もかもを、知られているんだろうか。
「…本当は傍若無人だったのに、それが落ち着いたことも知っているよ」
「…」
「だって、僕が嫌いなタイプだものね?」
その笑みが冷たいものに見えてきて、ハラハラと涙が止まらない。
そう、ジェラルド様の好みは、私と真逆だった。
私は孤児だからという理由だけで子どもを叩いたこともあるし、気に食わないご令嬢のいやらしい噂を流したことだってある。
少しミスしただけの使用人に、熱い紅茶をかけたこともある。
あの子が火傷をしたのかどうかも知らない。
ジェラルド様の好みに近づくまで、そんなこと気に留めたこともない。
「君のことはずっと嫌いだったんだ」
「…っ」
最初から私の本性はバレていたんだ…。
嫌われているのに、必死になって、ジェラルド様にもっと嫌われたのかな…。
「僕好みに変わろうとする君のことは、好ましく思っているよ」
「…え」
「今のロゼッタは好きだよ」
そう言って、あの日のようにはにかんで、はじめて抱き締めてくれた。
「…ジェラルド様、好きなんですっ」
「ロゼッタは悪い子なのに?」
「…ごめんなさい!」
「僕に好かれた途端、また醜く戻ってしまうかい?」
「そ、そんなこと…!ごめんなさい、ごめんなさい…!」
ジェラルド様の顔が美しく歪んだのが見えた。
「ようやくロゼッタを壊せた…」
何を言われているのかわからなかったけれど、どうでもよかった。
ジェラルド様に好かれることが、私の世界の全てだから。
了
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