第六章「名を持たぬもの、神に近づく」
森の戦いから七日後。
――王都セイグレム。
冒険者ギルド本部、議事塔第三層。
かつてないほど重苦しい空気の中、十二人の高位幹部たちが半円形の机を囲んでいた。
その中央に座る、ギルドマスター・ヘルムートは眼光鋭く、声を低くした。
「確認しよう。これは“上位災害指定”に値する案件だ。異論はないな?」
誰も答えない。全員が硬直していた。
「報告を繰り返す。北方“刃の森”にて、第三階級の討伐隊二十名が壊滅。生存者は三名。うち一名は精神崩壊、他二名の証言も一致する」
「“意思を持ったスライム”が、人間の姿に擬態し、計画的な殺戮を行ったと」
老年の副長官が震える声で言う。
「……報復的で、冷静で、非情。明らかに“理性”がある。魔物でありながら、個体行動を超えている」
「奴はただのスライムではない。“進化個体”……いや、もはや“存在異常”と見なすべきだ」
「すでに三人の上級冒険者が殺され、遺体はすべて損壊済み。うち一人はギルド公認の英傑“ブライ・ガルド”だ。これはただの襲撃ではない、“狙い撃ち”だ」
会議室に重苦しい沈黙が落ちる。
そして、マスター・ヘルムートが最後に告げた。
「正式に通達する。“メタルスライム・ユウト”――これを、《討伐指定ランクSSS》とする」
「以後、この個体は“魔王級脅威存在”として全大陸に通知される」
……
その頃、王都から遥か南、黒砂の渓谷。
漆黒の断崖の奥に佇む、古代の神殿跡にて――
ユウトは一人、座していた。
周囲には、冒険者たちから奪った装備と知識の断片が積まれていた。魔導書、剣術書、地図、王国史、死体の記録、そして“神学”。
人間のすべてを知ろうとする、狂気のような執着。
それは復讐者としての執念であり、同時に、“超越者”としての兆しでもあった。
(彼らは俺を“神の加護を受けない存在”と言った。スライムに転生し、“経験値袋”として使い捨てられ、何千回と殺されて……)
ユウトは空を見上げた。
(――それでも、まだ生きている)
身体を構成する銀色の粘体が、うねる。
最近では、自身の組成に“法則干渉”の兆しが現れていた。
魔法も使わず、剣も使わず、ただ自分自身の存在だけで、あらゆる干渉を“ねじ曲げる”力。
(これはもはや……魔物の能力ではない)
自らが人でなく、魔でもなくなっていくことを、彼は理解していた。
その時。
頭上から、何かが降ってくる。
羽ばたきの音。無数の羽音。
黒衣の女性――いや、“天使”のような姿をした者が現れた。
「ようやく、見つけた。異端の魂よ」
女は銀色の瞳を持ち、空中に静止したまま言う。
「我は『蒼翼の監視者』ルカナ=イシュ。神界より派遣された、界の監視者なり」
ユウトは表情を動かさず、ただ立ち上がる。
「神界? 今さら、神の使いか。俺を裁きに来たのか?」
「否。神はお前を“裁けぬ”。なぜなら、汝は既に――“神の外側”にある」
一瞬、空気が変わる。
空間そのものが、膨らんだような感覚。
「……何?」
「神々が築いた三界――人界・魔界・霊界。汝は、いずれにも属さぬ“異なる法”を持つ存在。死と再生を繰り返し、意思を獲得し、法則をねじ曲げてなお、存在を維持する」
ルカナ=イシュは、厳かに宣言した。
「汝の名は既に“世界に登録されぬ”ものとなった。ゆえに、神すら汝を“見落とす”」
「――その名は、もはや“名を持たぬもの”」
ユウトは静かに呟いた。
「……それが、俺の進化の先なのか」
「その存在は、やがて“世界の構造”に影響を与える。我々は観測する。汝が復讐者として世界を壊すのか、あるいは、神すら及ばぬ“外なる意志”になるのか」
その言葉のあと、ルカナの姿は霧のように消えた。
……
残されたユウトは、沈黙の中で呟いた。
「神に見捨てられたのか……それとも、神を超えたのか」
その瞬間、彼の中に“何か”が芽生えた。
怒りでも復讐でもない。
――“意思”そのもの。
自分の存在を、自分で定義し、自分で世界に刻むための、新たな意志。
「……そうか。なら、俺はもう“復讐者”じゃない」
彼は、自らに問いかけた。
(俺は――誰だ?)
(名を持たぬ俺が、“名”を与えるとすれば……)
一歩、ユウトは歩き出した。
それは、神の階層に足を踏み入れようとする、“元・スライム”の歩み。
そして、その足音を、誰も止めることはできなかった。