透明な線
光が窓から差し込み、主人公の部屋を温かく照らしていた。目を覚ました少年は、ふと周りを見渡す。
いつも通りの、静かな朝だ。
だが、その空気には何かが違った。
少年はゆっくりとベッドを抜け出し、寝ぼけた足取りでドアを開ける。
家の中には、特に変わった様子はない。母親はキッチンで料理をし、父親はリビングのソファで新聞を広げている。
だが、目を凝らすと、少年はその光景に違和感を覚える。
家の中、あちこちに白い線が引かれている。壁にも床にも、薄く、細く、まるで境界線のように。線は部屋を分け、家具を囲み、ドアの前にも。どこにでも、目立たぬように描かれている。それは何かの目印のようだった。
「おはよう」
母親の優しい声が、少年の肩をたたく。
「おはよう、母さん。」少年は少し戸惑いながら返事をする。
だが、目はその白い線に引き寄せられていた。
「境界が守られているわね。今日も導者様に感謝して、食事を始めましょう。」
母親はにこやかに微笑み、少年に目を合わせて言った。
少年はその言葉を聞いてから、ゆっくりと食卓に向かう。母が手を合わせて祈る様子を見ながら、少年も同じように手を合わせる。
「恵み様に感謝し、いただきます。」
だが、その「導者様」が一体誰を指しているのか、少年はまだよく理解していなかった。
朝食が終わると、父親が新聞を閉じて立ち上がり、少年に向かって言った。
「今日も気をつけなさい。外で何かあってはいけない。」
父親の目が、少年をじっと見つめている。その眼差しには何かが含まれている気がして、少年は少し肩をすくめた。
「わかってるよ。」
学校へ向かう途中、少年はまた違和感を覚えた。
道を歩く人々が、みな忙しなく歩いているのに、何も感じない。
あれ、あの人、なんであんなに速く歩いているんだろう?と思っても、その答えは見つからない。
学校に着くと、体育の時間だった。
鉄棒を使う練習で、少年はバランスを崩し、頭を打った。
その瞬間、彼の胸に強い違和感が走った。
「境界を越えてしまった?」
それが一瞬、頭をよぎった。
頭の中で、まるで警鐘が鳴るような音が響く。
すぐに立ち上がる少年。だが、額を押さえ、周りを見ると、友達や先生が心配そうに寄ってきている。
「大丈夫?怪我はない?」
「少しだけ、転んだだけだよ。」
その時、少年はふと気づいた。
「誰かが、境界を越えてしまった」と感じている自分は、やはり異常なのだろうか?
他の人は、何も感じないまま普通に過ごしている。それなのに、なぜ自分だけがこんなにも不安を抱え、警告を受けるような気がするのだろう。
その疑念は、次第に強くなっていった。
家に帰ると、母親はいつものように明るく迎えてくれるが、今日は違った。
少年が玄関に足を踏み入れると、家族全員がそこに立っていた。
父親、母親、そして祖母。
全員が、少年を見つめている。
「おかえりなさい、無事でよかった。」
母親は涙を浮かべながら少年を抱きしめた。
「痛くない?大丈夫?」
その顔には、どこか恐怖がにじんでいた。
「恵み様が、守ってくださったんだよ。」
父親が静かに、しかし力強く言った。
その言葉を聞いた瞬間、少年の胸に冷たい震えが走った。
その晩、家族は少年を囲んで祝福の儀式を始めた。
白い粉を使って額に印をつけ、また「恵み様」を讃える祈りが始まる。
少年はその儀式を、ただ受け入れるしかなかった。
だが、心の奥底に湧き上がる不安がどうしても拭えなかった。
夜、少年は目を覚ました。
家族の部屋から、何かが聞こえてくる。
耳を澄ますと、それは微かな「唱え声」だった。
何を言っているのかは分からないが、その声が響くと、少年はふと強い不安を感じた。
恐る恐るドアを開け、部屋を覗くと、家族全員が床に座り、静かに線を引いていた。
その線は、少年の部屋の前で止まっていた。
まるで少年の部屋だけが、外界から閉ざされているように。
少年はその光景に、目を見開いた。
その線が一体何を意味するのか。
そして、もう一度心の中で、確信を持って思った。
「これは、普通じゃない。」