0から1ではなく、2から1を作り出す小説家
学校中を一巡した。
最後はまた図書館だった。
カウンターからみると、日本十進分類法に基づいて一つの本棚に一つの分類が拝呈されている。
順番に沿っていくと9類の文学がでる。
他の類とは違って本が多すぎ、本棚もたくさん必要だ。
増加する本の数にを制御できずほかの領域を犯している本が見える。
たまにラベル作業の当番が回ってきた時、貼って配置していた。
「その時もどうしたらきれいにできるのか悩んでいたな」
私は図書部員だった。
未だに馴れ馴れしい本もたくさんある。
私は9類の本棚のくまなくみた。
しして一つの本で目線が止まった。
それは『2』という本だった。
私は図書文の業務の中で本のお勧めや発注の仕事は他の人に任せてきた。
しかし、だった一度だけ本を発注したことがある。
その本はタイトルは『2』
あまりにも珍しいタイトルだったから似たような本はないだろう。
一般的な文学のジャンルではなかったので、購買されなかったと思っていた。
もっと目立ったのは『2』の横の『1』という小説。
私は『1』にとても興味があった。
4年の時間が経って、私は『2』ではなく、『1』という小説を開いた。
驚いたのは作者が「私」だったこと。
そして編集者は2017年の3年生のだれかになっている。
私もその時3年生だった。
私は本の初ページを見た。
「0から1ではなく、2から1を作る小説家の話」
『1』は私が友達と一緒に作った作文を集めた本だった。
私は本が好きだったが、たくさんは読まなかった。
だた、いい本はよく接していたと思う。
小説家を目指す私に友達な作文の状況で私にSOSをした。
私は喜んでサポートした。
私が特に優れた文章を書けたからではない。
正直手紙書き大会をのぞいたら、まともな作文の大会で受賞した経験すらない。
それでも、多くの友達が絶え間なく私を探した。
その理由は友達、とくに作文をあまりしたことがない人が、作文で感じる難しさとは文章の問題ではなかったからだ。
作文に慣れていない人にはまず書く内容が思い浮かないこと。
ただ、やらせられたからした。
だから、経験したのに感じたことがない。
私はその感情を豊かに引き出す人だった。
そういう点で、私は小説家よりは「感情相談者」に近い人だったかも知らない。
私は「無から有を作り出す小説家ではない」
私はいつも友達が書いてきた作文からスタートした。
編集者と違う部分は存在しないはずの話から感情を引き出したこと。
私は『1』を読み始めた。