パスワード探しの旅 2
「人間関係」、「学級委員」、「校内サッカー大会の優勝」、「地域の新聞社に取材を受けたこと」など。
パスワードとして思っておいたこと、思ったこと全て「誤答」だった。
誤答だったら、「誤答です」一言が出るだけ。
変化があまりない同じぺーじを長く見ていたら、嫌気がさした。
「気晴らしに少し歩こうかな。」
図書館を出て少し歩く、思い出のある教室にすれ違う。
移動授業の導入であまり見知らない教室はなかった。
漢文の授業が行われた教室も見えた。
そういえば、ある日そういう授業があったな。
「たしか、一番好きな四字熟語とその理由を進路と関連付けていう授業」
どうにも進路と関連付けるというところが難しかったが
「しっかりしなきゃ」と思った。
その時期が、私にとって卵を割って出てきたヒヨコみたいだったからかな。
私の順番、とっさに「啐啄同時」という四字熟語を出した。
「ヒヨコが卵を割って世界に出るためには、親鳥が外でつつぎ、ヒヨコが同時につつぐ啐啄同時という行為が同時に行わればなりません。「私の夢は日本と韓国、そして人と人の架け橋のような小説家になることです。」
「両国の人、そして人同士未来を切り開くためには、一方だけでの努力ではなく、両方の努力が必要となります。」
「私はその流れを催す架け橋になりたいです。」
その時はとっさに整いた発表としては結構よかったかと感じた。
「啐啄同時」
そういう時期を経験したことは大きな幸運でもあったが、その裏面に深い罠ができていたとはまだ知らなかった。
「啐啄同時」の核心は「卵のからを打ち破る」という行為が「両方で同時に」行われるということ。
私は私が卵を破ることができた理由を忘れてしまった。
それよりは私は今壁を越えて世界に出たこと。
そして今からは私自身でももっと広い世界に行けると勘違いしてしまった。
そうして私は世界の多彩さに目を向けずに、全てを独断で考えた。
高校はおかしいほど、投資以上の肯定的な結果が出た時期だった。
そのような経験は私の中で、コスパを越え「心のコスパ」を作り出した。
私自ら投資以上の満足感を引き出せない状況が耐えられなくなったのだ。
そこに貧しさが加えて、私は活動を遮断した。
「してみないと分からない」
あまりにも贅沢な話だった。
それは病になり私も経験が足りない人生を向かっていたと気づいた時は手遅れだった。
何もかも投資以上の結果を引き出さなければならない人生は疲れすぎる。
今まで私を保護してくれた垣はもうない。
世界は相対的で多彩だ。
それを気づいた瞬間。
私は世界にもとても流されやすい人になっていた。
以降も私は進むことができず、あの時期に頼って逃げている。
私はただ、傷つかず成長しやすくよくできた垣の中で「大人ごっこ」を楽しんでいた竹かも知らない。
パスワードはなんだろう。
高校巡りと探しが続く。