第16話 対峙
月が昇り始めた頃、馬の嘶きが響き、屋敷が俄かに騒がしくなった。意識を集中すると、派手な馬車から、これまた派手な少女が降り立つ。真っ赤な髪をわざとらしく靡かせて、少女はメイド達を引き連れ、上機嫌に鼻歌を歌っていた。
遠見、というのかしら。この力で覗いたユシアン様の日常は、異常というしかない。公爵邸での棒弱無人な振る舞いは、目を覆いたくなるようなものばかりだった。
廊下を歩いているかと思えば、不意に侍従を指さす。それだけで全てを悟ったのか、侍従の瞳からは徐々に光が消えていき、ユシアン様は嗤いながら、侍従の絶望を悦んでいた。最初は何をしたいのか意味が分からなかったけれど、そのまま様子を見ていると一人のメイドが近付き、無言で胸を一突き。引き抜かれた短剣は、手元まで血に塗れ、侍従は呻き声さえ上げずに崩れ落ちる。
皆が皆、ごく当たり前のように行動する様に、私は言葉を失ってしまった。
誰も、騒ぐ事はない。侍従の亡骸は、同じように表情の無い侍従に無造作に引きずられていき、床に広がる血溜まりも、掃除道具を持った侍女が静かに片付けていた。
食事の時も、出された料理にいちいち文句をつけて、料理人を折檻して楽しんでいたのだ。手を痛めれば料理が作られない事は理解しているのか、背中を鞭打っていた。それも自分の手は汚さず、メイドにやらせている。メイドも、もう感情が麻痺してしまっているのか、表情が崩れない。服は切り裂かれ、血がどんどんと滲んでいき、痛みのせいで意識を失った料理人が倒れ伏すと、ユシアン様はそれで気が済んだのか、何事もなかったかのように料理に手を付け始めた。
――こんな人が王妃の座を狙っているっていうの……?
訪れるかもしれない未来を想像して、私は恐怖した。ユシアン様がこの様子では、宰相は更に恐ろしい方なのだろう。もし宰相の企みが成功してしまったら、この国は終わってしまう。私腹を肥やす事しか考えない王は、国民を顧みたりしない。国中が飢えや暴力に支配される様が容易に想像できる。
それを止めるためにも、私はこのユシアン様を相手に生き伸びなければならない。私達貴族は領民を守る義務がある。その対価として、税や労働力を提供してくれるのだから。彼らがいなくなれば、食べる物も、住む場所も、着る物も無くなる。そんな簡単な事が、宰相達には分かっていない。例え恐怖で従えても、必ず報いを受ける事になるだけなのに。
近付いてくる足音に、私は気合を入れなおす。ユシアン様とお会いしたのは、あのお茶会の日だけ。あの場には殿下がいらっしゃったから、私は直接話してはいない。でも、もうどんな方なのかは分かっている。おそらく一筋縄ではいかないだろう。それでも、私は勝たねばならなかった。
殿下のため、そして民のために。
一度深呼吸して、気を引き締めた。
静かに開く扉の先には、派手な衣装の少女。遠見で見た通りのどぎつい紫のドレスに、過多な装飾品を身にまとってる。これではっきりした。私が見ていたものは全て現実。現在進行形の事象だ。それならば、もうすぐ殿下も到着される。ユシアン様が捕えられれば、宰相へも手が届くはずだ。それを足掛かりに宰相派を抑えられれば御の字。失敗は許されない。
ずかずかと部屋へ入ってくるユシアン様は、私を見ると途端に表情が険しくなる。無言で睨みつける私が気に食わないのだろう、ユシアン様が腹立たし気に吐き出した。
「何こいつ!? もっと泣きわめいているかと思ったのに! つまんない!」
癇癪を起すユシアン様に、メイド達が僅かに身を引く。遠見で見た時は始終ご機嫌だった。私という玩具でどう遊ぼうかと考えていたんだろう。あれこれとメイドに用意させていたから。それらはメイド達の手に握られていた。ざっと見ても短剣やハサミは勿論、のこぎり、アイスピック、焼き鏝など、拷問かというような物ばかり。たった十一歳の子供が用意するには凶悪すぎる。
さっと青ざめる私に、ユシアン様は幾分か機嫌を持ち直した。
「あは、やっぱり怖いんじゃない! 意地っ張りは見苦しくってよ。ん~、まずはどうしてやろうかしら。そうね、やっぱりその髪から切ってあげる」
ユシアン様が顎で指示すると、ハサミを持ったメイドが進み出る。その手は微かに震えていて、支配されている者達にも、まだ希望はあるんだと思えた。
「大丈夫、あなたに責はありません」
私がそう言って微笑むと、驚いたのか目を見開いたメイドの頬を涙が伝う。ハサミを構えたまま動けずにいるメイドに、ユシアン様の怒声が響いた。
「何をしているの!? 早くやりなさい! 弟がどうなってもいいの!?」
その言葉に、メイドの肩がびくり跳ねる。どうやら家族を人質に取られているらしい。私の怒りは更に募り、思わず声を荒らげてしまった。
「ユシアン様、貴女は貴族として相応しくありません。必ず天罰が下るでしょう。貴女も、お父上も、等しく裁かれます。いくら悔いても、自業自得です。潔く罪を償ってください」
ただ弄ぶだけの玩具が口答えしたものだから、ユシアン様の顔色が面白いくらいに赤くなっていった。屈辱に震えながら、メイドからハサミを取り上げると私の髪を掴み上げる。
「この……生意気なのよ! 私は公爵令嬢! 神さえも私の前にひれ伏すわ! いいえ、違うわね。私こそが女神よ! 誰も逆らえないの。この国も、アイフェルト様も、私のモノ。貴女みたいな端女の出る幕じゃないのよ!」
その叫びと共に、刃が振り下ろされた。