98話:シリウスが輝き
カーテン、絨毯、ソファなどのファブリックがワイン色で統一された客間は、私に割り当てられていた。既にゴーレムの使用人が暖炉に火を入れていれていたので、室内は暖かい。
窓際に向かい、外を見ると、眼前に広がる湖面が茜色に染まっている。そこに船の姿が見えていた。マークたち騎士団のみんなが乗船している。間もなく到着だ。
「騎士団の皆さんも無事到着ですね」
私の横に立ち、ランスは安堵の表情を浮かべた。
だが次の瞬間。
「サラ。今は二人きりです。……本音を明かしてください。怒っていますよね……?」
うるうるな泣きそうな子犬顔で、ランスが私を見る。
そんな顔を見せられ、怒る気になどなれない!
それにあれは魅了魔法にかけられていたのだ。
ランスの本心ではないと分かっている。
でもあの時、「ターニャ!」と血相を変えたランスの顔を思い出すと……。
「サラ! 泣かないでください! いえ、泣いて楽になるのなら、泣いてください」
そう言うとふわりと優しくランスが私を抱きしめる。
「申し訳なかったです。言われた通りに“クピドの矢の呪い”を、剣で打ち砕くことができた!と、気が緩んでしまったのだと思います。本当にごめんなさい、サラ」
その様子は私自身、この目で見ていた。
ランスの動きは完璧だった。見事“クピドの矢の呪い”を破壊したのだから。
あの状況で魔法を使えるターニャがおかしいのだ。
分かっている。分かっているのだ。
それでも……。
「ランス殿下が『ターニャ、ターニャ』と叫んでいた姿を思い出すと、か、悲しいんです!」
ランスは私の背を優しく撫で、「分かります。僕がサラの立場なら同じ気持ちになります。胸が張り裂けそうです。」と同意を示してくれた。その上でこんなことを尋ねる。
「魅了魔法にかからない方法はないのですか?」と。
私はぐすっ、ぐすっと泣きながらその答えを口にする。
「魅了魔法のように、人の意思を無理矢理捻じ曲げるような魔法は、魔力消費が大きいんです。消費する魔力は転移魔法のように、その強さに比例します。かつ呪いと同じように、継続して魔力を使い続ける必要があるのです。よって並みの魔女や魔法使いでは使えません。ゆえにそうそう魅了魔法にかかることはないと思うのです」
さらに付け加える。
「それに……魅了魔法より、一時的に効果のある魅惑効果のあるポーションを使うと思います。こちらは長くて6時間程度しか効果はありませんが、それだけあれば意中の相手を落とすことはできるでしょうから」
ランスは私を抱きしめる腕に力を込めると、「サラ、僕はそんなポーションに興味はありません。むしろそんなポーションを飲んでも抗う方法が知りたいくらいです」と無茶なことを言う。
「魔法の物理攻撃は、魔女や魔法使いと言えど、普通に攻撃を受けざるを得ません。ですが、魅了魔法や呪い、ポーションの場合。魔女や魔法使いであれば、有する魔力の量と強さ次第で、抗うことができます。人間の場合は……呪いは精神力、つまりは心の強さで対抗できました。ですが無防備な時にかけられた魅了魔法やポーションの場合、いくら心を強靭にしていても、打ち勝てないと思います」
特に今回、ランスは、“クピドの矢の呪い”を打ち砕くことができた!と、気が緩んでいるところで魅了魔法をかけられている。あれに抗うことは、無理だったと思うのだ。
それに魅惑効果のあるポーションを恋人や夫婦で使うならまだしも、意図的に相手を誘惑するために使う場合「これは魅惑効果のあるポーションです」とあえて教えて飲ませることは、少ないだろう。知らず知らずのうちに飲まされ、相手の手に堕ちる――ことを意図していると思うのだ。ゆえにいくら心を強靭に保っていても、抗うのは無理な話。
「魔力の量と強さ次第……。そうなるとサラにおねだりをしたくなりますが」
いきなりランスとの距離が近くなった!
顔面偏差値高いのに、この不意打ちはダメよ、ダメ、ダメ!
もう唇が重なりそうな距離で寸止め状態。
その上で……。
「サラは断絶魔法を使い、かなり魔力を消費したのではないですか? あの時、サラはそれをおくびにも出さないようにしていたので、指摘しませんでしたが。だから今日はお預けですね」
甘い声のささやきに「いえ、もう残りの魔力全部差し上げるので、お願いします」と言いかけ、それを呑み込む。
確かにランスの言う通り!
というかランスはよく見ているわ……。
「サラ。魔力はどうすると回復するのですか?」
「それは……私もよく分かりません。ただ眠ったり、気持ちが安らいだり、満たされると回復する気がします……」
「ではこれは効果がありますかね……?」
優しく重なるランスの唇。
羽毛のような触れ心地と温かさに、瞬時に心が溶かされる。
さっきまで涙がぽろぽろこぼれていたのに。
ランスが私の悲しみに共感し、なぐさめ、こんな風にキスをしてくれることで。
心がぽかぽかと温かくなり、満たされていく。
「サラ、愛しています。心から。君を悲しませないよう、努力します」
それは魔法の言葉で、私は完全に癒され、ランスに身を預ける。
窓の外ではすっかり日が落ち、一番星となるシリウスが輝き始めていた。
お読みいただき、ありがとうございます!
次回は「第99話:一つの可能性」です。
一番星となるシリウス……筆者ペンネームの星ですやん。