63話:あまりにも愛らしくて
ランスにキスをされるのかと思い、瞼を閉じたが。
いつまで経ってもキスをされていない……と思う。
このまま目を閉じているのが限界になり、薄目を開けると……。
ランスが笑いを噛み殺している!?
「で、殿下!?」
「! ごめん、ごめん。サラがあまりにも愛らしくて」
そう言うと「ちゅっ」と私の鼻の頭にキスをした。
これには「!?」とパニックになる。
「僕はレヴィンウッド公爵令嬢と、キスなんてしません。一度たりとも彼女とキスをしたことはないと断言します。ただ、サラとホークと一緒に行った舞踏会。そこで僕は沢山のレディに囲まれ、ダンスをせがまれることになりました。サラとホークは僕を置いてどこかへ行ってしまいましたよね。そこに現れたのは、レヴィンウッド公爵令嬢でした」
説明しながら、ランスは頬に添えられていた手を動かし、私の髪を梳くように撫でる。
「彼女は自身が公爵令嬢であることを明かし、その場にいたレディ達を牽制しました。おかげで僕はレディ達との無限ダンス地獄から救われたのです。レヴィンウッド公爵令嬢には謝意を伝えました」
それは私が庭園から見ていたあの時のことに違いない!
「謝意を伝え、それで終わるかと思っていたのですが……。レヴィンウッド公爵令嬢が突然、『痛い』と言い出したのです。何事かと思いました。彼女は目に睫毛が入ったようだと言い出したのです。手元に鏡もないので、確認して欲しいと」
そこでランスの手が先程と同じように私の片頬を包み、少し上と持ち上げる。
それは……そうか、なるほど。
キスをするように思えたが、目の中に入った睫毛の確認をしていたということか。
「この体勢は確かにキスをしようとしている……そんな風に見えるかもしれませんね。だからサラはさっき、目を閉じてくれたのでしょう?」
それを私に聞くなんて、ランスはヒドイわ!
視線を逸らし、頬に触れる手を掴もうとすると……。
「目を閉じてくれたということは。僕はサラにキスをしても良かったのでしょうか?」
一気にランスの顔が近づき、鼻と鼻が触れ合っている。
私はフリーズし、動くことができない。
「サラは、自身が好きではない相手とはキスをしませんよね?」
当然です!
「……まさかホークとはキスを」「していません! ホークは家族です!」
「それを聞けて安心です」
ゆっくりランスの顔が離れていく。
刹那的に頬を包み込む彼の手首をぐっと握りしめていた。
それはまるで「行かないで」と合図を送っているようにも思える。
「サラ……?」
「私は……恋愛経験がないです。でも憧れはあります。キ、キスは……初めてのキスは自分が大好きだと思える相手としたいと」
私は一体、何を言い出しているのかしら!?
でも自然と言葉を口にしてしまっている……!
「それは……キスを許す、すなわちあなたのことを好きということですね?」
もう消え入りそうな声で「はい……」と答えたその時。
軽く頬を包む手で顔を上向きにされ――。
雲の切れ間から、突然差し込む陽射し。
急に私の顔を照らし、その光が唇に降り注ぐようだった。
優しさと温かみが、唇を起点に全身へと伝わってくる。
体の内側から、溢れるように湧き上がる喜びの感情。
嬉しくて、全身が震え、涙も込み上げる。
森の中で見つけたおじいさん。
死なないで、生きて!の気持ちで家へ連れ帰った。
でもまさか若返るとは思わず、驚くことになる。
このまま赤ん坊になっては育てられないと、別離を決意した。
でもおじいさん……ランスは、ずっと私のことを好きだった。
私との別れを断腸の思いで受け入れたが、その悲しみは深く。
衰弱して再び森の中で倒れていた。
もしかすると。
あの時のランスは、生きる希望を失っていたのかもしれない。
だってランスは私と結ばれないなら、生涯独身を貫くと宣言している。
そこまで私を好きだったのなら、すぐに気持ちを伝えてくれればいいのに!
そう思うものの。
私は「人間は嫌い!」「人間に利用されるのは嫌!」とあの頃は散々ランスに伝えていた。そんな状況で告白しても私から望む返事はもらえないと考えたのだろう。
さっきだって「まさか……今も……誤解されていないか心配です。『真実の愛を育む女性がなかなか見つからないから、身近にいる私で済まそうとしている』――そんな風に考えていませんか!?」と心配していた。
意図せず、私は散々ランスを振り回していたようだ。彼のことを誤解し、その気持ちに気が付かず、ましてや真実の愛を育む相手を見つけろとプレッシャーをかけていた。
私のことが好きなのに。別の女性を愛せと言われ、ランスとしては複雑な気持ちだっただろう。だから度々、「くうん……」と甘えたい子犬のような顔になっていたのね。
「サラ!」
「!?」
突然キスをやめてしまったランスを驚いて見上げると。
「キスをしているのに笑うってどういうことですか……? もしや僕のキスが……下手、だったのでしょうか?」
「そ、そんなことはありません!」
「! では僕のキスを」
恥ずかしくてクッションでランスをぽかぽかとはたいてしまう。
「サラ、暴れないでください」
ふかふかのクッションなんて、ランスからしても私にとっても、じゃれているようにしかならない。あっさりクッションを掴まれ、取り上げられたのだけど。
取り返そうと腕を伸ばし、バランスを崩した結果。
「あ……」
ランスがベッドに仰向けで倒れ、そこに覆いかぶさるように、私も倒れそうになった。でもなんとかマットレスに手をついたけれど……。
こ、これは……!
私がランスを押し倒し、襲うとしているような状況に見えないかしら!?
慌てて起き上がろうとすると、「サラ」と甘い声でランスに呼ばれ、彼の手が優しく私の後頭部に添えられて……。
肩から落ちた私の髪が、ランスの頬をくすぐる。
そして私の顔は、ランスの顔に重なり――。