おびきだされて縛られて、今さら『好きだ』と言われましても
……な、なぜなの!?
なぜ私は縛られているの!?
「お姉様、まだです。まだ動かないでくださいね」
柔らかな微笑みを浮かべるその美少女は、双子の妹『ペコラ・アゲート』。
そして姉である私は今、ペコラの部屋で二人きり……椅子に縫い付けられるようにグルグル巻きにされ、身動きが取れないでいた。
『エマ・アゲートに告ぐ。妹ペコラの婚約について、重大事態発生。至急来られたし』
久しぶりに休みが取れ、余暇を楽しんでいた私のもとへ急使が訪れたのは、ちょうど昼をわずかに過ぎた頃。
慌てた私は、ペコラが住まう王都の別邸へと、急ぎ赴いたのだが――。
「この物々しさは一体何!?」
到着するなり案内されたペコラの私室には、扉口の両脇に、見慣れぬ騎士が何故かふたりも立っている。
常ならぬ別邸の雰囲気に身構えながらペコラを問いただすと、ベッドサイドの椅子に腰掛けるよう促された。
「そもそも今日はお見合いだったはずでは!? まさか……まさかペコラ、また逃げ出したんじゃないでしょうね!?」
貴族子女が通うアカデミーをともに卒業したのは半年前。
常に首席の秀才だった私は、王妃陛下付きの侍女に選ばれ、現在は王宮務め。
対して妹のペコラは出席日数すら危うく卒業ギリギリ……仕事もせず、社交に力を入れるでもなく、毎日のんびりと過ごしている。
容姿以外は何もかもが真逆な、美しい双子の令嬢達……見た目の違いは、私が眼鏡をかけていることくらいだろうか。
可愛い可愛いと言われて育った双子姉妹だが、残念ながら二人そろって男性には興味が無い。
浮気性な父親を見てきたため、男性には不信感しかなく、出来ることなら独身を守りたい……という一点においてのみ、ペコラと意見が一致していた。
毎回護衛を振りきっては逃走し、お見合いをすっぽかす困った妹ペコラ。
先日、『ペコラが凄まじく高価な装身具を購入した』と母から嘆きの手紙が届けられたばかりである。
この自由奔放ぶりに、私のみならず、両親の侯爵夫妻も毎度頭を悩ませていた。
「ご明察の通り。さすがはお姉様ですね!」
「ぺ、ペコラ、貴方はまた何を開き直って……!!」
予想通りの答えに、怒れる私の言葉を無視し、ペコラが目配せする。それを待っていたかのように扉口の両脇にいた騎士達が、ゆっくりと私に向かい、歩み寄ってきた。
「はいはい、分かりましたお姉様。それでは今日を以て反省し、明日以降は改めるとお約束します」
ついに言質を得て、してやったり。
……なのだが、相変わらず不安なため、後から前言撤回出来ないよう畳み掛けると、ペコラは微笑みながら頷いた。
「ですが、ひとつだけお願いがございます。今から私が良いと言うまで動かず、少しの間じっとしてくださいますか?」
「……それは、なぜ?」
嫌な予感に目を眇めるが、私の内心を知ってか知らずか、ペコラは可愛く小首を傾げた。
「日頃の感謝を込めまして、お姉様にプレゼントがしたいと思いまして」
「プレゼント!? 貴女の婚約について重大事態が発生したと聞き、慌てて駆け付けたのに、どうして私にプレゼント!?」
何をしたいのか、まったくもって意味が分からない。
「その前に何が起きたのか説明を……」
「お姉様、説明には順序というものがございます。淑女たれと私に仰るのであれば、お望み通りそうしましょう。ですが今だけは、良いと言うまで動かないでください」
ペコラはそれだけ告げると、騎士たちに向かい「それではお願いします」と指示を出した。
「おおおお待ちなさいペコラ、一体何をお願いする気なの!?」
突如身の危険を感じ狼狽える私の肩を、一人の騎士がガシリと掴み、椅子から立ち上がれないように押さえ込む。そしてもう一人の騎士が麻縄で足首と胴をグルグル巻きにし、椅子へ固定した。
最後に手首を合わせるように前手で拘束され……本当に何をする気なの!? と、私は驚愕に震える。
「い、痛い事をしたら許しませんからね!? これからは私の言うとおり、淑女然としてお見合いに臨むのですよ!?」
「……勿論でございます。どんな方のお見合いであってもお受けし、『お姉様の仰るとおりの淑女』になります。このペコラ、誓って二言はございません」
椅子に括りつけられた上に人払いをされ、ペコラの私室に二人きり。
楽しくて堪らないとでも言いたげに手のひらを口元にあて、腹をよじって笑う姿がひたすら腹立たしい。
思う存分ひとしきり笑った後、ペコラは拘束された私を見下ろし――そして、冒頭へと戻るのだ。
……な、なぜなの!?
なぜ私は縛られているの!?
警戒心をあらわに身体を強張らせていると、カシャンと軽やかに金属が擦れる音がし、見たことのない腕輪が手首に装着された。
「これは――?」
輝く金の腕輪を付けた瞬間、何をせずともフィットするよう自然にグッと縮まり、私は驚きに目をみはる。
先程言っていたプレゼントとは、この腕輪?
よく見るとペコラの手首にも、同じ腕輪がきらめいている。
訝し気に首を傾げた私を気にする様子も無く、ペコラは突如、自身の指先を針でぷすりと突き刺した。
「はぁ!? ペコラ、一体なにを!?」
思わず叫んだ私の腕輪にポタリとその血を垂らすと、みるみるうちに吸い込まれ、輝きを増していく。
金の腕輪なのに、血が染み込んだ!?
本能的に危険を察知し、怪しげな光に照らされた私の顔が歪む。
「……何ですか、この禍々しい腕輪は」
「ちょっとした魔道具でございます」
「ちょっとした魔道具!? まさかお母様が仰っていた『凄まじく高価な装身具』ってコレのこと!?」
キイィ……ンと耳鳴りのように、ふたつの腕輪が共鳴する。
ペコラは目を輝かせた後、なぜかいそいそとベッドに横になった。
「ちょ、はぁッ!? ペコラ、何でこの状況で突然寝ようと思ったの!? 私には貴女の思考がまったく理解できないのですがッ!?」
「反動が来るそうなので、私はベッドへ――。お姉様も怪我をしないよう固定済です」
「反動!? ち、ちょ、ちょっと待って何の反動!? 貴女はいつもそうやって、もっとちゃんと説明を……だから寝るなァッ」
言いたい事だけ述べて健やかに眠りにつく妹と、叫ぶ私。そして腕には、熱を帯びて光を放ち始めた腕輪……を模した、怪しげな魔道具。
状況を把握すべく頭を回転させたいのだが、段々と靄がかったように私の思考が動きを止めていく。
グラグラと脳内が揺さぶられ、何かに打ち付けられるような衝撃が襲いかかる。ぼやける視界に、ベッドの上で苦しそうに身動ぐペコラの姿が映った。
「なんなの、何が起きているの!? ペコラ、貴方は一体何を……ッ!!」
悲しいかな、その問いかけに答える者は誰もいない。
薄れゆく意識の中、私の瞼が力無く閉じていく。
そして、三日後。
目を覚ました私は、まさかの妹――『ペコラ』に、なっていたのである。
❖❖❖
そよそよと気持ちの良い風が頬を撫でる。
見慣れぬ天蓋にふと顔を横向けると、心配そうに見つめる侍女と目が合った。
「ああ、良かった……! 今、人を呼んで参りますね」
侍女が慌てて部屋を後にし、しばらくして侯爵家の専属医を連れ、再び顔を覗かせる。
「三日間眠り続けていましたが心配ありません。しばらくは胃腸に負担がかからない食事を続けてください」
「み、三日も!?」
あまりのことに驚き、私は慌ててベッドから飛び起きた。『王妃陛下付きの侍女』を務めているため、在職半年と慣れないながらも、その責任は重い。
――だと言うのに、無断で欠勤してしまったとは!
「仕事に行かなくては!」
「ペコラ様、何のお仕事ですか?」
何を言っているのか分からないとでも言いたげに、首を傾げる侍女へと目を向けて――私はふと、動きを止めた。
「……ペコラ様ですって?」
呼びかけられた名前が引っかかり、復唱する。
その時コンコンと扉が叩かれ、見慣れた顔の少女が顔を覗かせた。
入室するなり人払いをする、私とまったく同じ容姿を持つ少女――だが、なぜかペコラに必要ないはずの眼鏡を掛けている。
「……エマ?」
え? それでは、私は誰?
非常に頭が悪そうな台詞が脳内を過ぎり、手元へと視線を落とすと、白く滑らかな指先が鮮明に映る。
そのまま自分の顔に手を移動すると、眼鏡が……ない?
「……え、どういうこと?」
眼鏡をかけていないのに世界が鮮明に見える上、目の前に立っているのは、どこからどう見ても紛うことなきアゲート侯爵家の長女、エマ。
つまりは私である。
自信溢れる余裕の笑みは、自分だが自分ではない……あんな表情を、私はしたことがない。
「どうしたのペコラ、目覚めたばかりで記憶が混乱しているのかしら? 反省し、行いを改め淑女になるのではなかったの?」
その少女は勝ち誇ったように告げ、もう我慢できないとばかりに吹き出した。
手のひらを口元にあて、腹をよじって笑っている。
既視感を覚え、私の心拍数が跳ね上がった。
「貴女は誰!?」
「なんのことかしら? どこからどう見てもペコラの姉、エマではありませんか」
「中身の話をしているのです……!!」
嫌な予感に、身体中の血が逆流しそうだ。
互いの腕にはピタリとジャストフィットし、外れる気配がない『ちょっとした魔道具』。
「……ペコラ、まさか貴方なの!?」
身体が入れ替わるなど、あるはずがない……だがこの状況ではそれ以外、説明がつかないのである。
「ご明察の通り。さすがはお姉様ですね! 日頃の感謝を込めまして、お姉様にプレゼントがしたいと思いまして」
化けの皮が剥げたその少女……ペコラはいつもの返し、いつもの仕草。
けれどもその身体は私、エマのもの。
プレゼントってまさか、腕輪ではなく、コレのこと――?
「申し上げたでしょう? 説明には順序があると」
「私と身体を交換して、一体何を企んでいるの!?」
「企むなんて失礼な……でも困りましたねぇ。結婚適齢期を迎え、すぐにでも婚約者が必要だというのに。これはまさに、『妹ペコラの婚約につき、重大事態発生』ですね!」
「ペコラぁぁぁぁッ!」
「あ! そうそう、大事なことを忘れていたわ」
ぽん、と手を打ち、思い出すように目を上向けるペコラを、私は渾身の目力で睨みつけた。
「ああでも今は、お姉様が『ペコラ』なのだから、約束を守っていただかないと」
待って、何の約束!?
なにその不穏な気配漂う、悪そうな顔は……?
ペコラは楽しげに微笑みながら、さらに追い打ちを掛けてくる。
「淑女らしく男性を立て、姉であるエマの望む通りどんなお見合いであっても受ける。ペコラ、二言はございませんね?」
「……はい?」
『ペコラ』は、貴方でしょう?
突然のことに、私はきょとんと目を丸くした。
え、なに、あの時の『約束』は『現ペコラ』である私が果たすってこと!?
おかしいと思ってた!
ペコラが素直に言うことを聞くなんて、おかしいとは思っていたけれども!!
「いや、ちょ、ちょっと待って! 戻れるんでしょうね!? 戻れるとしたら、一体いつなの!? 私の仕事はどうなるのです!? この怪しげな腕輪はどこで買ったの!?」
半ばパニック状態で、私は矢継ぎ早に質問を投げかける。
不安しかないこの魔道具……焦るのも無理はない。
だがペコラは気にする様子もなく、ニコリと微笑んだ。
「仕事について私にお任せください。なお、『魔道具』の効力は一ヶ月だそうです」
「い、一ヶ月もこのまま……!? ズボラな貴女に、王妃陛下付きの侍女など務まるはずがないでしょう! どうしていつもそう考え無しなの!?」
行き当たりばったりな行動に、どこをどう突っ込んだら良いかも分からない。
処理出来る許容量を超え、遥か彼方へと意識を飛ばし始めた最中、私の身体を乗っ取った悪魔は、トドメの一撃をぶっ放した。
「ええと、『ペコラ』になったお姉様の今後の予定ですが、お相手が到着次第、お見合いが入っております」
「ええッ!?」
「なお、明朝は病院への慰問、夜は郊外で炊き出しです」
「なんなのそのハードスケジュールは!? 他人事だと思って、面白半分で予定を詰めまくったでしょう!?」
目を輝かせ、満面の笑みを浮かべる私……の中に入ったペコラ。
「それでは、これにて失礼いたします」
「お、お待ちなさい! 貴女は私に、どうしろと!?」
言いたい事を言いたいだけ告げて去っていくが、ツッコミどころが多すぎて、私の思考がショートする。
くらりと目の前がゆがみ、私は再び闇へと意識を沈めた。
……そして、三時間後。
『これ以上眠るとお仕度が間に合いませんよ』と侍女に起こされ、夢じゃなかったことを知り、ひとり絶望に泣き濡れたのだ。
❖❖❖
私達が男性に希望を抱けなくなったのは何歳の頃だっただろうか。
外に愛人を作っては浮気を繰り返す父を見てきたからかもしれない。
弟がいるため、後継ぎには困っておらず、双子の姉妹は頑なに婚約を拒否したが、貴族に生まれた以上は他家に縁付く義務がある。
初めて私に縁談が来たのは、アカデミーに入学して数か月後のことだった。
相手は同学年の公爵家次男、マルチェロ・トリニータ。
お見合い前夜、結婚なんかしたくないと泣いていたら珍しくペコラの部屋に招かれ、温かいレモネードを出されて、飲み干すなり寝入ってしまった。
翌日、そのままペコラの部屋で寝過ごしてしまい、嫌な予感に窓辺へ駆け寄ると、去っていくお見合い相手の馬車が遠くに見える。
「お姉様のために、破談にしておきました!」
笑顔で手を振る私になりすました……妹ペコラ。
ご丁寧に眼鏡までかけている。
何をやらかしたのかは知らないが、翌日先方からお断りの連絡が届いた。
あのレモネードに何が入っていたのか……その後もあの手この手で『エマ』になりすまし、破談にすること早数回。
どうしてこんなことをするんだと問い詰めると、『だってお姉様は責任感で承諾しちゃうタイプでしょ? それにお姉様が結婚したら、私まで結婚しなきゃいけなくなるじゃない!』と、悪びれもせず宣った。
その言葉に偽りなく、ペコラ自身もまたお見合いから逃げまくり、両親は姉妹の結婚について諦めの心地になってくる。
そんな中、就職の決まったエマは仕事が大変だからと言い訳をして、しばしの自由を勝ち取った。
だがペコラはさすがに、このままだと将来が危うい。
形だけでもいいから結婚したほうがいいのでは、と思い始めていた頃だったのに。
その気配を察知したかどうかは分からないが、なりすますだけでは飽き足らず……ついにペコラは、エマと身体を入れ替えてしまったのである。
***
「これ以上眠ると身支度が間に合いませんが、体調不良を理由にお断りなさいますか?」
「いえ、いいわ。会いましょう」
相手すら分からないお見合い相手を待つこの状況に、私は頬を引きつらせていた。
これまではすべてペコラに邪魔されてきたため、私にとっては初めてのお見合いイベントである。
誰が来るのかと緊張し、二階の私室から外を眺めていると、予定時刻ピッタリに邸内に馬車が乗り入れた。
「誰なのかしら? 馬車に装飾された紋章がよく見えないわ」
「ちょうど同じ年頃の男性だと伺っています」
婚約者がおらず身分が釣り合う、ちょうど同じ年頃の貴族令息?
いやいや、まさか……。
一瞬頭をかすめた嫌な予感に頭を振りつつ紅茶を口にしていると、玄関に馬車が横付けされ、一人の青年が降りてくる。
視線を感じたのか青年は立ち止まり、ふと二階を見上げ――私は、勢いよく紅茶を吹き出した。
「ぺっ、ペコラ様!? どうされました!?」
口から噴射した液体で窓の木枠を飴色に染め、突如ぐったりと力無く椅子にもたれた私に驚き、侍女が慌てて顔を覗き込む。
「いくらなんでも、あんまりよ……」
「何がですか!? お相手が、そんなに酷い方だったのですかッ!?」
窓枠を拭きつつ大慌てで外を見遣り、「素敵な方に見えますが?」と侍女は首を捻る。
「……絶対わざとだわ」
息も絶え絶えになった私のお見合い相手は、同じ王宮で働く宰相補佐官マルチェロ。
過ぎし日に人生初の縁談を私に持ち込み、代打で臨んだペコラにより即日破談となった公爵令息である。
あの時の恨みなのか、会うたびに嫌味を言われ、今や王宮で顔を合わせるたびにいがみ合う犬猿の仲。
呼び鈴を鳴らされ、階下に降りた私がよろめきながら歩くのを気にしてか、挨拶もそこそこにマルチェロが心配そうに見つめてきた。
「先日お倒れになったと伺ったのですが、まだどこか具合が……?」
気遣うように声を掛けられ、私はギリィッと歯噛みする。
……どうしたマルチェロ。
お前はそんな優しい男ではなかったはずだ。
演技にもほどがある……何か企んでいるとしか思えない。
ゴリゴリと精神力を削られ、もうこれ以上相手をするのはとても無理。
一刻も早くこのお見合いを終わらせたい。
「もしかして、あまり乗り気ではないのですか?」
押し黙る私を安心させるように、マルチェロが微笑みかけてきた。
私は目を伏せたまま、肯定するように小さく頷く。
「申し訳ありません。このお話は無かったことに」
「どうしてもと話をいただき、顔合わせに伺ったのですが……それなら都合が良い。実は想い人がいるのですが、その女性との婚約は今現在難しく、困っていたところだったんです」
「好きな女性がいらっしゃるのですか? であれば、やはり……」
「形ばかりの顔合わせであれば、お見合いを断る良い口実になります。お互いに利がありそうですね」
道ならぬ恋なのだろうか。
だが確かに、ペコラがお見合いから逃げているという噂を払拭出来るかもしれない。
「何かあれば俺の有責にしてもらって構いません」
「そこまで仰るなら……」
「良かった、それではまた改めてご連絡します。その時にお見合いの仕切り直しをしましょう」
さすがは交渉事を得意とする宰相補佐官。
流れるような誘導であっさり押し切られてしまう。
実は一年前、我が国は先代国王が身罷り、代替わりをしたばかりである。
毒舌腹黒の宿敵マルチェロも日々奔走し、多忙を極めていたのだが……忙しい理由の一つに、後継者問題があった。
国王夫妻に未だ子供がいないため、辺境伯である王弟殿下が一時的に王太子となったのだが、これがまた悩みの種なのだ。
不愛想な強面と見上げる程の巨躯。
鋭い眼光で睨みつけては粗野な物言いで怯えさせ、顔を合わせるなり令嬢達が号泣するのは当たり前……失神する者も後を絶たないのだという。
そんなこんなで妻などいらんと言い続け、王弟『ロイド・バークレイ』は今年で二十五歳を迎えた。
とは言え、現国王に何かあれば次期国王となる、継承権第一位……迂闊な婚約者を隣に立たせる訳にはいかないのである。
であれば希望にあう令嬢を探すから、条件を出して欲しい。
国王夫妻に懇願され、渋々出した条件は『容姿端麗』で『才色兼備』、様々な分野に精通し、馬に乗れることは勿論のこと、最も重視すべきは根性があり、逆境に打ち勝てる精神力のある者。
いちいち会うのは面倒臭いと、ご丁寧に顔合わせ前の『試験』まであるらしく、その難易度はアカデミーの講師レベルであると聞く。
……ハッキリ言おう、そんな貴族令嬢は大陸中どこを探してもいない。
結婚を諦めさせようと、無理難題を押し付けてきたとしか思えないのだ。
その後、王太子妃の称号に目をくらませた両親に連れられ、嫌々ながらも数多の令嬢が挑み、無惨にも砕け散って行った。
今や顔合わせに到達することすら出来ない最難関。
そしてついに王国中の貴族令嬢が撃沈し、婚約を忌避する変わり者の双子姉妹……そう、エマとペコラを残すのみとなってしまったのである。
実は身体が入れ替わる直前、悩める王妃陛下から『仕事だと思って、試験だけでも受けてちょうだい』とお願いをされていた。
王国のためならば、我が身を差し出す覚悟は出来ている。
だが最も重視する『根性があり、逆境に打ち勝てる精神力のある者』に、どうみても該当しないのだ。
「そういえば昨日、本人たっての希望により、エマ嬢が『試験』を受けたそうですよ」
「……なんですって?」
そこで私はようやく腑に落ちた。
身体を入れ替えたのは、このためか――!!
「縁談の顔合わせ中にこんなことを言うのは恐縮ですが、エマ嬢が駄目だった場合はもう他に令嬢がいないため、その……近日中にペコラ嬢も王宮に呼ばれ、『試験』を受けることになると思います」
双子姉妹が最後の砦。
もしこれで駄目なら、婚約条件を緩和させてやるわ! と王妃陛下が息巻いていたのを思い出す。
ペコラの原動力は『結婚したくない』の一点突破。
我が身に降りかかる縁談を拒否するため、私が婚約するのは非常に困る、と常々主張している。
つまりはエマの代わりに『試験』を受け、門前払いを食らうのがペコラの主たる目的なのだ。
成りすましたのがバレると重罪のため、それならエマ自身になれば問題ないと考えたのだろう。
……故の、身体まるまる入れ替わり作戦。
さらに犬猿の仲のマルチェロであれば成婚に至ることもなく、私の足止めが出来る上、逃げていたお見合いの実績も作れる。
まさにいいことづくめ……と、言ったところだろうか。
我が妹ながら、よくもここまで考えたものだと呆れて溜息すら出ない。
こっちの都合も考えず、いつも好き勝手ばかりして……姉の縁談を阻止してあげたいという、優しい気持ちが根底にあるのかもしれないが、彼女を突き動かす言動力はいつだって自己愛。
私の我慢は、ついに限界を迎えた。
「その『試験』、内密に受けることは可能ですか?」
叶うならば今、すぐにでも。
驚きに目を見開くマルチェロに向かい、私は決意をみなぎらせる。
解呪の期限は、一ヶ月。
……いいでしょう、私が代わりに貴女の婚活を成就させてやるわ!
愚かなペコラめ、普段温厚なタイプが切れるとどれだけ恐ろしいか思い知り、震えて眠るがいい。
手始めに辺境伯であるロイド。
駄目なら宰相補佐官マルチェロ、お前だ。
初めてのお見合いで迷惑をかけたのは申し訳ないが、それを超えてあまりある被害を受けている。
想い人がいるらしいが、どうせ望み薄に違いない。
道ならぬ片思いの救済がてら、ついでの候補にマルチェロを組み入れる。
――そう。
今までお見合いから逃げまくっていたペコラを婚約させ、そして政略結婚の名のもと他家に収監する、またとないチャンスなのではと私は思い立った。
これは婚活ではない……云わば正当なる復讐である!!
そしてマルチェロの伝手を利用し、私は翌日、極秘に『試験』へと挑んだのである。
❖❖❖
(SIDE:ペコラ)
やったわ――!!
ペコラは文字通り、飛び上がって喜んでいた。
エマとして受けた『試験』の結果はボロボロ、顔合わせに進むべくもなく終了である。
責任感が重く、一人で抱えがちな姉は頼られると断れない。
最初のお見合いの際も、隣室でしくしく泣く声があまりに可哀想で、どうせ見分けも付かないだろうから代わりにこの縁談を潰してやろう、と思い立ったのがきっかけだった。
だが両親も気付かなかった変装を、なんと相手の令息マルチェロは一目で看破してしまう。
誤魔化すため、『お姉様は結婚するくらいなら死ぬと言っています』とペコラは適当に嘘をついた。
すると『死なれるのは困る』と、有り得ないくらいに取り乱し……マルチェロは、とある提案をしたのだ。
『君も結婚したくないのだろう? 親の管理下から離れ、一人で生きていくには金が必要だ。ならば、俺に協力しないか?』、と。
マルチェロと手を組み、エマのお見合いを阻止することで受け取った報酬は既にかなりの額となり、公爵令息さまさまである。
そんな折、ロイドの婚約条件の噂が令嬢達の間で広がり、残っているのが自分達姉妹しかいないと耳にした。
エマの『試験』実施は秒読み……バレると重い刑に処せられるため、今回ばかりはマルチェロの頼みでも代わりは出来ない。
私は無理だし嫌だけど、お姉様なら受かりそうよね。
あの時、ペコラは軽い気持ちでエマに話題を振ったのだ。
『なりたくもないけど、そうねぇ……でもこの程度が分からないなんて論外じゃない? 私が王妃陛下なら、令嬢達には勉強の機会を十分にあたえ、一日最低五時間は読書を命じるわ! お茶会の代わりに政策討論会にして、それから……』
(なんてこと! お姉さまは権力を握らせちゃダメなタイプだわ!! クソ真面目で融通も利かない、そんな生活を強要されるなんてお断りよ!!)
エマの妄想は止まらず、ペコラは震撼した。
(私は今のゆるふわな生活を守りたいのよ!)
断固阻止せねばと決意をしたところで、因縁の公爵令息マルチェロが再びペコラのもとを訪れた。
効果と安全性が実証済の『魔道具』があるんだが……と。
今までの倍額、報酬を受け取り、さらには無償で受け取った『魔道具』について、装飾品の扱いで領収書を発行してもらった。
両親からも代金をせしめて、見事、臨時収入までゲットである。
節約しながら平民並みの生活を送れば、これで一生安泰だわ!!
小躍りするペコラ……なお、王妃陛下付きの侍女業務は、仕事内容も分からず失敗だらけ。
侍女仲間とは喧嘩ばかりで散々だった。
心配した王妃陛下から、『疲れているなら、しばらく休みなさい』と暇をもらい、身体が元に戻るまでのむこう一ヶ月近くは晴れて自由の身である。
マルチェロからの提案で『ペコラ』としてのお見合い実績も作ったから、婚約についても当分うるさいことは言われない。
すべてが上手くいき、自分の才能に恐れ入る。
まさにこの世の春……ペコラはご機嫌で帰路についたのだ。
――そして、四日後。
『エマ・アゲートに告ぐ。妹ペコラの婚約について、重大事態発生。至急王宮に来られたし』
余暇を楽しんでいたエマ……の中に入っていたペコラのもとへ、突然王宮から急使が訪れた。
急ぎ赴き、案内された応接室のソファーには、何故かマルチェロがゆったりと足を組んで座っている。
不穏な気配に身構えていると、顎で一人掛け用の椅子を示された。
ペコラが座るなり、マルチェロはパチンと指を鳴らし、「それでは頼む」と扉口にいた王宮騎士を呼び寄せる。
「おおおお待ちくださいマルチェロ様、一体何を頼む気ですか!?」
突如身の危険を感じ狼狽えるペコラを椅子に固定し、縄でグルグル巻き……見覚えのある光景にペコラは仰天した。
まさか……? でも元に戻るのは一ヶ月かかるはず……!?
任務を終えた騎士達は退室し、応接室にはマルチェロと二人きり。
マルチェロは楽しくて堪らないとでも言いたげに微笑み――そして、ペコラの耳元へと唇を寄せた。
「ちょうど君が休みに入った日、ペコラ嬢が『試験』を受けたんだ」
驚いてバッと顔を上げると、瞳いっぱいにマルチェロが映り込む。
不正を防ぐため、『試験』には辺境伯邸の騎士が立ち会うことになっており、王妃陛下の要請でちょうど王都に滞在していた。
「と言っても、中身はエマ嬢だからな。当然のごとく合格……その日のうちに実施したマナーや口頭試験も軽々と突破した。そうそう、得意の乗馬も披露してたぞ?」
「……は?」
ロイドが出した婚約条件の前段は、『容姿端麗』で『才色兼備』、様々な分野に精通し、馬に乗れること――。
「国王陛下は大層お悩みだった。一人の令嬢ですべてを兼ね備えている者はいない。ならば二人ならどうだろうか、と俺が提案したんだ」
ペコラはゴクリと唾を呑んだ。
前段の条件を満たすのは、エマだけ。
そして最も重視すべきという後段の条件『根性があり、逆境に打ち勝てる精神力のある者』を満たすのは、ペコラだけ――?
「前段はエマ嬢が、後段はペコラ嬢が。双子の姉妹なら持ち得るポテンシャルは同等レベル。性格はいまさら変えられないが、勉学であれば後付けで何とかなりそうだ」
「え、ちょ……えッ?」
「エマ嬢は真面目だから、替玉受験など決して首を縦に振らないだろう? ……なぜ宰相補佐官に過ぎない俺が『魔道具』を持っているのか、疑問には思わなかったのか?」
現在王国では呪いのような霊的な概念は存在せず、たまに遺跡から掘り出される出土品を、古代の『魔道具』として取扱っている。
なお、今回のように危険と判断される『効果』が付随していた場合には、秘密裏に神殿へ奉納され、清めた上で廃棄されるのが通例である。
いくら大金を積んでも、やすやすと手に入る代物ではないのだ。
「少々思慮が足りないが性格は良く、不器用だが実はよく気が付き優しいと、この数年の付き合いで俺は知っている」
「褒められてる気がしないですが、でもありがとうございます!」
「辺境の地に対応出来そうな令嬢は、君くらいしか思い当たらない。何度も手伝ってもらったからな、これも報酬の一部だと思えばいい」
「ひぃぃ、余計なお世話ですぅぅ!」
バタバタと暴れるが、縄が緩む気配はない。
出仕後、なんだかんだで仲の良い姉、エマからの手紙にマルチェロの愚痴が度々書かれていた。
お見合いを阻止する手伝いはしたものの、マルチェロの腹黒具合を知っていたため、一度たりとも擁護はしなかったのに。
「アゲート侯爵にも話を通し、俺から国王陛下に推薦させてもらった」
「いやいや無理です! 無理ですってば!!」
「そんなことはない。王妃陛下からも君を見定めたいと要望があり、エマの代わりに出仕した数日で、『これくらい元気なら大丈夫そうね』との高評価を頂いた」
「それすら手のうち!? 同僚と喧嘩しても全然怒られないから、おかしいと思ってたのよ!」
「さらに言うとあの『魔道具』は、国王陛下から直々に拝領した物だ」
こ、国王陛下から直々に――!?
白目を剥いて天を仰ぐペコラへ、思いついたように「そうそう」とマルチェロが言葉を続ける。
「一つ謝らなければならないことがある。君に告げた効力の期限……一ヶ月じゃなく、一週間の誤りだった」
「!?」
「……ああ、そういえば今日が期限か」
謝るべきは一つどころじゃないだろう!?
これだけ緻密に計算できる男が、肝心の期限を間違えるはずがない。
腹黒とか、もはやそんな可愛いレベルではなかった。
最初から、すべてはこの男の手のうちにあったのだ。
「そろそろ時間かな? 噂はともかく、実際のバークレイ辺境伯は穏やかで愛情深い方だ。人柄も環境も、慣れれば君にはぴったりの相手だと思うよ」
ポン、とペコラの肩に手を置いて、そのままマルチェロは去っていく。
なんという男……ところでお姉様は今、どこに?
そもそもあのお姉様が、何故ペコラの身体のまま『試験』を受けるに至ったのだろう。
先日と同様、腕輪が熱を帯び、光を放ち始める。
段々と靄がかったように思考が動きを止め、グラグラと脳内が揺さぶられた。
そしてペコラはそのまま、意識を失ったのである――。
❖❖❖
(SIDE:引き続きペコラ)
どれくらい時間が経っただろうか。
目が覚めたペコラは元の身体に戻り、件の腕輪は砕け散っていた。
国内最高峰の侍女達の手により瞬く間に磨き上げられ、応接室へと通される。
縛られた時に握っていたのか、何故かずっと手の中にある縄の切れ端をいじりながら、バークレイ辺境伯を待っていた。
程なくして扉が開き、噂通りの強面が不愛想にペコラを睨みつける。
ああ、はいはいコレは確かに号泣するわぁ……。
挨拶を終え、ぼんやりと眺めながら縄をいじるペコラとロイドとの間に、しばしの沈黙が訪れた。
「その手の中にある物はなんだ?」
警戒したようにロイドから問い掛けられるが、別に危険な物ではない。
「ええと、縄ですね」
「縄!? ……何のためにだ?」
「何のため? 縛るためですかねぇ」
「その短い縄でか? 一体何をだ?」
「ええと、……私を?」
「…………」
あふれる疑問符に、流れる沈黙。
泣くでもなく叫ぶでもなく、はたまた気を失うでもなく、手の中に収まる長さの縄をもにょもにょといじりながら物思いに耽る侯爵令嬢。
部屋に入った時の威圧感は、なりを潜め、ロイドは困惑している。
「あれだけ難しい筆記・口頭試験はともに満点。マナーも申し分なく、乗馬も素晴らしかったと聞く。少し風変わりだが、俺を前にしても目を逸らさず平常心を保ち、叫ばず気絶もせず、しっかり受け答えもできている」
褒められたものの、前半はお姉様の功績。
後半は……初対面で叫んで気絶するほうがどうかと思いますけど。
「俺と同様、見合いから逃げ続けていたそうだな。なかなか根性もありそうで、嫌いじゃない。いいだろう、気に入った。君にしよう」
「……はぇ?」
思わず情けない声が出る。
前半は入れ替わった姉の所業ですなどと、いまさら言える訳もない。
「すぐに迎え入れる手配をしよう」
そう告げるなり満足げな顔をして、ロイドは嵐のように去っていく。
聞き耳を立てていたのだろうか、バークレイ辺境伯と入れ替わるようにして王妃陛下が入室し、おおはしゃぎで抱きしめられた。
「凄いわペコラ! こんなにも上手くいくなんて!! あんなにご機嫌なバークレイ辺境伯は見たことがないもの!!」
「…………ご機嫌?」
「マルチェロから全部聞いているわ。不安でしょうけど大丈夫よ。さあ、これからみっちり勉強ね!」
う、嘘でしょ!?
辺境の地へ嫁入りが確定した上、王妃陛下の全面協力のもと、ハードな勉強漬けの未来が待っているってこと!?
「い、嫌ぁぁぁぁぁッ!!」
防音バッチリの応接室。
叫ぶペコラの声は、もはやロイドに届かない。
その後、国王夫妻には無事王子が産まれ、晴れてペコラはただの辺境伯夫人となった。
たまに逃亡をはかり、困ったヤツめとロイドに捕獲されながらも幸せな日々を送ったペコラ。
こうなったのも自業自得……なのだが、その後、辺境の街をゆるふわにすべく一念発起して頑張った。
おかげで後年は、女性からの支持率が爆発的に上がり、その人気は王妃陛下が悔しがるほどだったという……。
❖❖❖
(SIDE:マルチェロ)
ロイドの婚約相手がついに決まった。
前回同様、目が覚めるのはペコラが先のようで、エマは未だに目覚めない。
マルチェロが長年エマに片思いをしていたのは、王宮で働く者なら誰もが知っている。
分かっていないのは本人だけ……。
もとに戻る際に危険があってはいけないと、ペコラ同様に急使を送り、エマを王宮へ呼び出した。
王妃陛下の配慮により王宮医を付けてもらった上、追加で魔道具の反動があった際、ベッドから落ちないよう苦しくない程度にゆるりと拘束をしている。
責任感が強く、自由奔放な妹の面倒をいつも一生懸命見ていたエマ・アゲート。
頑固な面もあるがお人好しで、侍女仲間にいつも仕事を押し付けられ、損ばかりしている可愛い侯爵令嬢。
「目が覚めたら、お見合いの仕切り直しをしよう」
そう、これはエマに申し込んだ、初めてのお見合いの仕切り直し。
いつも素直になれず喧嘩ばかりしていたが、王妃陛下の命でロイドとの縁談に臨むと聞き、死ぬほど後悔をした。
今までのことを謝り、今度こそ『好きだ』と……何年も言えなかった想いを、君に伝えたいのだ。
おびきだされて、縛られて。
目が覚めるなり。
……。
…………お見合い、開始。
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