流雨と妬雫
街を出て少し走った。
(近いな)
黒い雲は雲にしてはかなり低い位置にあるのがわかった。
近づくにつれ、空気が冷たくなった気がした。さっきまではほとんどなかった風が吹きだして砂埃が舞う。空まで暗くなったように感じた。
雲のほぼ真下まで来て、あたりのくぼ地を見渡す。
地面に大きな陰があった。雲のものにしては太陽の角度とあわない。昼過ぎでも太陽は少し傾いている。
「わ!」
突然、鋭い風が吹いた。思わず目を閉じる。
目を開けたとき、宙に巨大な水球があった。どこから現れたのかわからなかった。
ルカが後ずさると、それが目の前で勢いよく渦を巻き、どんどん薄い水柱になって消えた。
その内側に見覚えのある竜がいた。
10メートルはある細長い体。体中の鰭を波打つように動かしながら空中を泳ぐようにゆっくり動いている。いつの間にか細長くなった足下の陰はその真下で動きに合わせて形を変えた。
(妬――ヴェアレア)
いつの間にか周囲の見通しがきかなくなっている。
いきなり長い尻尾が地上で双剣を構えたルカめがけて振るわれた。
それを低い姿勢で躱したルカは、地面に近づいた胴体に向かって斬りかかった。
「!」
返しで振られた尻尾に横から打ち付けられた。巨体に似合わないスピード、それでいて質量もあったらしく、ルカは吹っ飛ばされる。
(骨折れたかと思った...。根元で助かった)
素早く体勢を立て直し、背中側から首元めがけて剣を突き出した。
(また...!)
硬いとは違う、弾かれる以前に手応えがない。刃が当たる寸前で何か別の力に止められているような、空間に固定されたような、奇妙な感触だった。
空中からその体制のまま回転しながら体当たりしてきたのをなんとかいなす。
(大きいぶん範囲が広いし、巻き込まれたらたまらないね)
飛び退いて距離をとる。
(どうしよう。少なくとも今ここで討伐するのは厳しそう。かといって放っておいたらまたいなくなるかもしれないし、もしかしたら街のほうに行っちゃうかも。街には結界があるけど、コイツにどれだけ通用するかわからない...)
突進を躱す。
(何か方法...)
「気をつけろ!」
声が聞こえた。
通り過ぎて上から回り込んできた頭突きを躱して振り返ると、レタがいた。
飛び退いて近づく。
「それで?通ったか?」
「いや全然」
レタが弓を構えて竜の頭に向けて矢を放つ。矢は当たる前に消えた。
「やっぱりな」
レタが肩を押さえながら言う。
「まだ痛むの?」
尻尾を躱しながらルカが訊いた。
「下がってなよ」
「下がって...どうすんだよ。何か策でもあるのか?」
「いや」
体当たりを躱す。
「でもどうにかしないとっ。考えるのは苦手だからアンタが考えて」
「ルカ!」
声に振り返ると、メオがいた。その後ろにマホとリアもいた。
「竜が」
「リア!こいつって何か弱点みたいなのないの?」
「そんなゲームじゃあるまいし...。そんなのわかってたら討伐されてるんじゃない?」
竜が地面を掠るように突進する。それを回避しようとしてルカは標的が自分でないのに気付いた。
「メオ!」
転がって突進を躱したメオに向かって尻尾が振り下ろされる。
それが見えない壁にぶつかる。マホが手をかざしていた。
チッと音を立てて防御魔法が破られ、マホが後ずさる。
「っ」
「えレタ大丈夫?」
「問題ない。それより」
体勢を崩したマホとその後ろのメオめがけて横から体当たりが繰り出される。
「!」
それが2人の前でとめられた。黒い壁が2人を庇うように立ち上がっている。
黒い壁は形を変えて竜の胴体に上からかぶさる。巨体が地面に押さえつけられる形になった。
「...やはりすごいな君は」
トワがやってくるところだった。後ろにはイヴもいた。
「間に合ってよかったですね」
「...。どうするこいつ」
レタが立ち上がって竜のほうを見る。縫い付けられてはいないにもかかわらず動かない。
「トワ、やれる?」
「流石に難しそうだ」
全員が動かなくなった竜のそばに寄ったとき、その体が光った。強い光に全員が顔を庇う。
光がなくなると、妬竜も消えていた。竜を押さえつけていた黒い塊が形を変えてトワの腕に戻った。
雨が降って来た。