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死神のとどけびと  作者: 花
1章 とどけびと 
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7 雪解け



7 雪解け


雪の降りゆく灰空の世界に。

初めて見えた色はとても美しい金だった。

ろくでもないこの世界に少しだけ光差した瞬間のことを。

わたしが忘れたことは一度たりともない。


だから…これは…。


雪で埋もれた世界に抱擁を交わす二人がいた。

何も喋らず、ただ涙を流している女性と。唇を噛みしめ、慰めるように妻の背に手を回している男性だ。

そんな二人の正体はかつて一生を共にすると、契りを交わした夫婦であり。


生者と死者。


本来であればもう抱きしめ合うどころか、言葉を交わし合うことすら許されない…できない運命を定めづけられた二人だ。


けれど彼らの身に起きた出来事は…。

これを奇跡と呼ばないならば、奇跡という言葉に当てはまる事象は存在しないだろう。


起こりえないはずの邂逅。


『今日は返事をしにきたんだ』


それが今、彼らの目の前では繰り広げられていた。


針葉樹にのしかかった雪が音を立てて滑り落ちる。

どれほどの時間が経ったのか計る指標はないが、それが何度か繰り返された後、妻の耳元で夫は囁く。


「俺は連れて行かないよ」と。


あまりにも優しい声色で。

あまりにも温かな微笑みを浮かべて。


そう一言、返事をした。


彼の言うそれは。その言葉の意味は。

妻の口からは言葉の代わりに真っ白な吐息が零れ落ちて、消える。右往左往と視線を彷徨わせている瞳からは明らかな動揺が伝わってくるようだ。


どうして。だってそれは。


妻の脳裏にある記憶が思い起こされる。寂しくて。信じきれなくて。受け入れ切れなくて。いつかの夜、祈った…自身の言葉。


―『わたしも一緒に連れて行ってくれたらよかったのに』


「なんで…知っ…て…るの」

「見てた、ずっと見てたんだ」


混乱する妻の心情を知ってか知らずか、夫は続ける。

口調は淡々としているようで、実はその節々に震えが混じっていることをずっと近くにいた妻だけは気づいていた。


「なにもできなかったけど見てたんだよ」


その言葉に貴方は本当にもう、二度と会えない人なのだと妻の胸には途端に悲しみがこみ上げてくる。


「会って話をしたかった。ちゃんと別れを言いたかった」


いやいやと幼子のように首を横に振ることしかできない。

伝えたい言葉はたくさんあるのに、喉に詰まって出てこないのだ。

夫が消えてしまわないように震えた手で握りしめておくことしかできない。


けれど。


奇跡とは恐らく。儚くて、脆いものだ。それが起こる時間は有限で。永遠などありはしない。

無慈悲な風がまるで二人を引き裂くかのように間に割って入ってくる。

ここが生者と死者の踏み越えることはできない一線だとでも言うように。


「お別れだ」


時間切れだということを誰に教えられたわけでもなく、二人とも理解していた。本能に近い何かで。


雪の降りゆく灰空の世界に。

初めて見えた色はとても美しい金だった。

ろくでもないこの世界に少しだけ光差した瞬間のことを。

わたしが忘れたことは一度たりともない。


だからこれは…。


これは現実であって欲しかったと。


そう思っていたのに。

なのに。


世界が。


「俺は死んだんだ、死んだんだよ!」


貴方が。


それを否定する。


尚も縋り付いて離れようとしない妻に苛立ったように夫は叫ぶ。

優しく諭すような口調だった彼はもうどこにもいない。


もっと生きたかったけど死んだ

お前たちの傍にいたかったけど死んだ


叫びは強く激しく、それは想いの大きさに比例している。


「でもお前は違う。生きてる!」


ヒュウヒュウと鳴る吹雪。妻の視界はとうとう白で覆い潰された。

雪壁に阻まれた夫の姿が凍り付いた睫毛の隙間からかろうじて見えた。


「待って、行かないで」


ここに居させて

貴方がどこかに行こうというのなら私も一緒に連れて行って


心の底からそう願うのに。

伸ばした手が握り返されることはなく。


「またな」


初めて見た泣きそうな顔で夫は笑った。



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