28 霧の森の輪舞
火花が散り、がらくたの山から立ち昇る白煙の向こう側。
ボロボロの布切れに身を包んだ男が、黒髪の女に銃を向けて立っていた。
雲を縫ってわずかに空より降り注がれた光。
照らされ映った男の影に、彼の片腕はない。
汚れた包帯から覗くのは、人間のものではない部品。
骨でも、血肉でもない。
鈍い光を放つチタン合金のフレームと、幾層にも重なるシリコンの薄膜。
「アンジェリカ。貴女のいう彼って…まさかあの人じゃないよね」
知らず知らずのうちに踏みしめていた大地。
白い霧が晴れたことで女の足元が露呈する。
かつて主からの命で男を連れてきたであろう、騎士たちの無残な遺骸。
「ほらあの人は死んでない」
男は徐々に黒髪の女の方へ歩いてくると、その銃口を突き付けた。
その薄暗く空っぽの瞳が、黒髪の女の姿を捉えて離さない。
「ずるいわ、ミツキ。わたくしはもう彼の瞳に映ることすらできないっていうのに」
生きている。
彼は生きている。
魂を持たない彼の命は、今も尚この世界に存在し続けている。
その存在は遠い遠い昔に作られた。
とある存在を殺すための、殺戮兵器として作られた。
星の再生そう呼ばれる…遠い遠い昔の世界で。
「アンドロイドか」
今度こそ女の頭に狙いを定めて、男はその引き金をひいた。
アンジェリカは走っていた。
あの日、あの晩。彼が連れていかれた山の中を、ウェディングドレスのまま、素足のまま走っていた。
向かう先は、かつて恋をした男の元へ。
黒髪の女は戦っていた。
騎士団が握りしめていた剣を借りると、少女と獣を庇うようにして戦っていた。
永久に。永劫に。
その時間は続くだろう。
死ねない女と、死なない男。
その因果を断ち切ることなど、誰にもできはしないのだから。
弾を切らした男が今度は爆炎の中から現れると、剣先が女の頬をかすめた。
「ミツキ!」
「……っ!」
一瞬の隙を突き、男の重い剣が黒髪の女の肩を深く貫いた。
衝撃で、背後の巨木へと磔にされる。
「アンジェリカ」
その名の彼女以外。
こちらに向かって走って来る、自由で、わがままで、傲慢で。
でもどこか臆病な彼女。
彼女にしか、彼を止めることはできないのだから。
黒髪の女は目を閉じた。
磔にされたまま、目を閉じた。
これから自身の行う賭けの全てが上手くいくことを祈って。
「五分だけだよ。じゃないと、貴女の魂が持たないからね」
言い聞かせて、アンジェリカに全てを委ねる。
手の動かし方も、声の出し方も。
相手を見つめる瞳の温度も。
自分の持っていた体の権限を放棄した。
男は戸惑っていた。
先ほどまで戦っていたはずの女の纏う空気が一変して。
男は困惑していた。
「早く外しなさいよ」
纏っていた雰囲気は静寂から、情熱へ。
黒翡翠の瞳に、アクアマリンの影が見え隠れする。
放たれる言葉は、横暴で。
小さな箱の中でしか育たなかったから、きっと自分のことを女王様か何かだと思っている。
それでも人に命令を聞かせてしまうそれは。
痺れた体は、彼女という甘い毒を思い起こさせた。
肩を貫いていた剣から解放され、男の胸の中へしなだれかかった女は、妖艶な表情でその瞳を捕まえた。
「ふふ、触れた…ようやく」
噛み締めるように言うと、自分勝手にも男の手を取って踊り出す。
男はまだ困惑している。
目の前の女の姿が全く別の容姿なのに、その人物にしか見えなくて。
「クイック、クイック、スロー」
あの夜を思い起こさせてきて。
「なによ、まさか忘れたっていうんじゃないでしょうね。わたくしのことを」
こんな熱は知らない。
彼女の手に触れた時以外に感じたことはない。
彼女に与えられたものしか知らない。
そんなものプログラムされていない。
「あんなにわたくしが教えたっていうのに。まあいいわ、忘れたって言うのなら思い出しなさい」
彼女に引きずられるようにして踊る輪舞。
身勝手で、自由で、わがままで。
あんたは俺を置いて行った。
その一度も太陽を知らないような真っ白な腕を折ることは容易だった。
アンドロイドが人間の手によって生み出されたのは、知らないものがいない程有名な話だ。
生み出された側の存在が創設者に歯向かえない話も、周知の事実。
壊れれば廃棄され、また次が作られる。
俺たちはそういう仕組みで、この世界に産み落とされ。
当たり前のものとして生きている。
けれども俺を人間用のベッドに寝かせ。医者をつけた女は。俺の正体に気が付いた使用人の声を当たり前のように一蹴した。
「お嬢様。あれは…お嬢様がわざわざ気に掛けるようなものでは…」
「うるさいわよ、わたくしの言うことが聞けないの?」
「…」
『お前はたぶんわたくしのおもちゃになるために、ここまでやって来たのね』
俺のことをおもちゃと言い切った女は、誰よりも優しい温もりで俺の頬に触れた。
屋敷から連れ出したのは、ただの気まぐれだ。
外に行きたい、外に行きたいと。
そこに窓があるのに駄々をこねるだけのあんたが煩わしかった。
うるさいから抱きかかえて飛び降りると、その女は目を輝かせて俺の方を見た。
「もっと…もっと向こうへ!」
お嬢様は屋敷から出ることをご所望だった。
何故この女は笑っているのだろう。
ただ外に出ただけで。
何故この女は踊っているのだろう。
アンドロイドの手なんかを掴んで。
何故。何故。
「ねえ、わたくし。明日結婚するの」
「お前も来なさい」
そんなことを言う。
アンドロイドの男の記憶はそこで途切れた。
その片腕は激怒した彼女の父親によって切り落とされた。
その記憶は後ろから騎士たちに殴られた時に失った。
アンドロイドは人間には逆らえない。
死なない男はどぶのように捨てられた機械仕掛けの仲間と、今日も共に月を見る。
「お前、泣いているの?」
けれどそんな感傷に浸る男の心情など、目の前の女は知ったこっちゃないのだ。
「初めて見たわ、もっと見せなさい」
嫌がる男を押し倒して、顔を覆う両腕を外す。
「…お前ってそんな風に泣くのね。」
その唇は文字通り、弧を描いてとまった。
そしてそのまま男の様子をまじまじと観察したかと思うと、その額にキスを落とした。
「礼を言うわ、ミツキ。」
男の頭を自身の膝に乗せると、呟き、今度は歌う。
初めて輪舞を踊ったあの月の下で。
今度こそ二人一緒に。
歌う、唄う。謳う。
君は歌う。
そして消えた。
世界で唯一の宝物を握りしめて、君は消えた。




