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死神のとどけびと  作者: 花
森のピアノ
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10 祈りの形

10 祈りの形


少年の瞳から零れ落ちた一粒の雫によってガラスが飛び散るかのように辺りに光が広がると、世界は一瞬にして姿かたちを変えた。

眩いほどの光に覆われた世界で「お父さん」と呟き続ける息子をダニエルは声もなく抱きしめ続け、彼は深い祈りにその身を捧げていた。


どうか、どうか…とどけびと様。


世界を覆う光は未だ波紋のように広がり続けている。


お願いします。


そのあまりにも現実離れした光景を睫毛の隙間から認めながら、ダニエルは祈っている。

寄りかかるように肩に顔を埋めてくる息子を一層強く抱きながら。


死の定めから逃れられなかったこの子の前で何て愚かなことを願うんだと、罰を受けても仕方がないと思います。


祈りの宛先は、この奇跡を巻き起こしてくれた神様のような彼女へ。


でも僕は。


痙攣するほど瞼を強く閉じる。

隠しても仕方がない胸の内を吐露する。


死にたいわけではないけれど、生きたい理由も別にない。

君の傍に居られるのなら、その方が嬉しい。

この温もりを忘れないでいられるなら、その方がよほど良い。


このままこの子の傍にいれるのなら、今呑気に眠っているだろう僕の体は死んだって別にいいから。


この温もりを僕から奪わないで。


そう、祈る。


命を無駄にしてはいけない。


きっと世界中の誰もが、そんなこと知っている。

ダニエルだってそうだ。


でもそれだけじゃ生きられない。


頑張るのは得意だった。

けれど僕にはもう頑張る意味がなくて。


一人寂しく現実を生きるくらいなら、僕はこの幸せな夢の世界に溺れていたい。


だが。

そんなことを考えている僕の頬を不意にそっと撫でた君は。僕の心情を知ってか知らずか、はっきりと言い切った。


「僕は死んだんだよ。もう一緒にはいられないんだよ」


非情な現実に似合わない優しい声色。

頬を滑る柔らかな手は未だ温かく感じられる。


本当にこのまま一緒にいられると思ったの?


言われずとも分かる。答えなど分かり尽くしている。

諦めきれなかっただけで、答えは否だ。

認めたくなかった。どうしても。


分かっている。


これは夢だ。ただの夢。


光は揺らぎ、刻々と世界は色を変え始めた。

眩いだけだった光はいつの間にか美しい夕焼け色へと変化している。


その光を全身に浴びながら君は微笑んでいる。

あの頃と何も変わらない姿のままで。


「ルーク…」


その事実が嬉しくて苦しい。

君の魂は間違いなくここに居てくれているけれど。


僕は知っているから。


君の体がもう二度と動くことはないこと。

温もりを帯びているなどありえないということ。


だって。君の体を埋葬したのは他でもない僕なのだから。


動くはずのない心臓が音を立てているように聞こえる。

もう二度と温もりを宿すはずのない体が温かく感じる。

その矛盾は。


僕の記憶が君を勝手に補完しているだけなんだろう。


あるはずのないものをあるように見せている。

魂だけの存在となった君の体を記憶の中から補って。

そう見ているだけだ。


目の前の君が小さい頃のままなのは僕がその姿しか知らないから。

記憶の箱をいくらひっくり返そうと、知らないものは分からない。


だから。気が付いてしまった以上。夢は醒める。


君の姿も見えなくなる。


そうして僕はまたいつか君のことを忘れてしまうんだろうか。


「それでもいいよ」

「…いい…わけない」

「いいんだよ、お父さん」

「忘れたくないんだよ、僕は」


でも。


「忘れたって僕たちはまた逢えたじゃない」


生者と死者という決して超えられない垣根まで超えて。僕たちは再会した。


「だからきっと逢えるよ。もう一度だって」


君が話しているのは遠い未来のお話。

今ではない。


「お父さんは生きて、これからも生きて。楽しいこといっぱいしてさ。おじいちゃんになって死んじゃった時、僕はもう一度お父さんを探すから」


その約束は一人生きていかなければならない父親にとっての希望となりえるのか。


そう問われたら、ダニエルは静かに頷くだろう。


君にもっと生きていてほしかった、

どうして今、生きているのは僕なんだろう。

心の内にずっと蔓延っていた罪悪感。

それが君の言葉によって少しずつ解れていく。

君のその言葉が迷子の僕の導になる。


息子の言葉にダニエルは静かに涙を流した。


夕焼け色がすべてを包む。

ダニエルも、息子も。優しく包み込んでいく。


「だからお父さん、約束だよ」


そう言い残して君は消えた。

一人残されたダニエルは不思議と穏やかな心地で瞼を閉じる。


「うん、約束だ」


不思議なことに聞こえてくる一定のリズムで奏でられる波音に刺激され、ダニエルの瞼の裏にはとある日の景色が浮かんだ。

茜空に悠々と浮かぶ雲に。波は太陽に反射して輝き、果ては見えず。


あの海の音色だけが、ダニエルの耳の奥でいつまでも静かにこだまし続けていた。



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