5-2 海辺の村の御伽噺
視界が徐々にぼやけながらもダニエルはページをめくる。
「それで花嫁は助かって、このことをきっかけに二人は仲良くなって…」
もういつだって簡単に意識を手放すことができるのにそれをしないのは、ただの意地だ。オチを知らないまま眠るのはダニエルの主義に反する。
あとは日が昇り次第出立する予定なので、朝ゆっくりと読み返す時間もないだろうという考えもあった。
だが夢現のまま本を読み続けていたダニエルがそこに書かれた最後の一文を見つけた時、眠気は一瞬にして吹き飛んだ。
『死んだ花嫁の祈りは形となって、二人はもう一度夢の世界で再会を果たしたといいます』
「死んだ?再会?」
どうもこの話の終着点はハッピーエンドではなかったらしい。
ダニエルは覚醒した頭で改めてページを戻す。
『衰弱してしまった彼女の体は回復しきることなく、二人は永遠のお別れをすることになってしまいました』
戻ったページは漁師が横になっている花嫁の手を取り、想いの丈を伝えているシーンだった。
「ごめん、あの時俺がもっと早く君を助けに向かっていれば…君はこんな風に…苦しむこともなかったかもしれないのに」
「どうして謝るのよ。貴方は助けてくれたじゃない。本当に怖くて、寒くて、凍えてしまいそうだったあの時、人の温もりにどれだけほっとしたか…」
「ごめん…ごめんな」
「泣かないで。ほんと、よく泣くのね。大丈夫、大丈夫よ」
子供のように泣く花婿を愛おしそうに慰める花嫁。
花婿の頬を滑り落ちている涙を親指で受け止める。
花婿の手を引きそっと抱きしめた後、その耳元で小さく囁く。
「じゃあ約束」
「…?」
そして言った。
「私はまた貴方に逢いに行くわ、だから寂しいことなんて何にもないの」
そう言って微笑む彼女の言葉の真意は当時の花婿には分からなかったという。
答えが分かったのは彼女が亡くなってすぐのことだ。
ある日、ずっと花嫁の面倒を見てくれていた看護師が病室で見つけたのだと消沈する漁師の元に彼女の日記帳を持って来てくれた。
ページをめくるにつれて力ない筆圧になっていくそこには最後口にしていた彼女の言葉の真意が綴られていた。
私はこの国に来て、あの人に出会えて幸せ者です。
故郷のことを思い出すと時折寂しくなるけれど。
桜の美しいあの国が、争いを忘れ、あの頃のままでいてくれますように。
心からそう…願っています。
お父様、お母様、おじい様、おばあ様。
皆が無事でいてくれていることも。
きっと…私があの国に帰れることはないでしょう。
先日、たまたま村を訪れたお医者様に教えていただきました。
どうやら私の体はこれ以上長くは生きられないそうです。
だからみんなと再会できるのはきっと巡りの終えた先でしょう。
心配はしていません。
私たちは今までずっと想いを繋げてきたのですから。
だから…心残りは…。
お願いします…【とどけびと様】。
私に…彼に想いを伝える時間をください。
私はまだ…あの人に…泣き虫なあの人に伝えきれていないことがあるんです。
花嫁の日記をめくりながらいつの間にか花婿は眠りにおちました。
「泣かないで。貴方が私のことを想ってくれたこと。愛してくれていたこと。全部全部分かっています。貴方と出会えたこと、それこそが私にとって一番の幸せでした」
涙を流しながら眠る花婿。
二人は…夢の中で再会したといいます。
「お客さん、あまり眠れなかったですか?」
「いえ、そんなことはないですよ」
翌朝。濃い隈を目の下に作ったまま部屋から現れたダニエルを心配そうな顔で老夫婦は出迎えた。
実は老夫婦から指摘を受けた通りまったく眠ることはできなかったのだが、「枕が良くなかったのかしらねえ」なんて本気で相談し合っている人の好い老夫婦に負担をかけることは避けたく、ダニエルは慌てて話題を変えた。
変えたというより、聞きたかったことでもある。
「あの、お二人は部屋にあった花嫁伝説については詳しいんですか?」
「ええ、まあ詳しいというほどではありませんが…ずっと聞かされて育ちましたのでそれなりには」
「では…あの話は誰かが作った物語なのか、史実なのかはご存じですか?」
老夫婦は迷うことなく答えた。
「史実ですよ。村の誰に聞いてもそう言うと思います」
海を眺める二つの銅像は花婿亡き後、村の子孫達によって建造されたのだという。
故郷に帰ることもできず、愛する者と添い遂げることもできなかった悲劇の花嫁の魂を鎮める意味と、そんな彼女をすぐに救おうとしなかった自らに戒めの意味を込めて。
「では【とどけびと様】というのは?」
「花嫁は確か東の方の国から流れ着いたとかで…その国の神様みたいな…信仰に値するものだったんじゃないかと。あと…」
親切な夫婦はお互いに顔を見合わせながら、自分達の持つ情報を絞り出してくれた。
「…死者と再会させてくれる人だと伝えられています」




