3 友人
「だからよ、あんたの力を貸してほしいんだ」
場所は変わってフォレスト・スノウ二階。オーナー私室。
がやがやと騒がしい扉を隔てた中の個室にて、堅苦しいジャケットを脱ぎ捨てネクタイを緩めながら口寂しいのか棒つきキャンディを咥えていた部屋の主は、言い終えて目の前のソファに転がる男を眺めた。
「おーい聞いてるか。ダニエル。ダニエル・グリーン」
寝たふりをしながら一向に返事を寄こさない彼に痺れを切らして、大声で名を呼ぶ。
それでも頑なに聞こえないふりをしていた男だったが何度も名を呼ばれ観念したのか、このフォレスト・スノウオーナーが無視したところで諦める男ではないと理解しているのか。
「聞いてるよ」
渋々、ダニエルと呼ばれた男は閉じていた瞼を開いた。
ようやく動いた口元には無精ひげ、鬱陶しそうにかき上げた前髪は伸び…顔も見えないほどで、オーナーと着ているものは同じ白いシャツのはずが清潔感には天と地ほどの差がある。
そんな身なりの男だったが、ドレスコードが求められるはずの高級ホテルに誰の文句もなく滞在できているのは、彼がフォレスト・スノウオーナーの友人であるという事実があるからだ。
「とっとと諦めろよ、俺の諦めが悪いのはあんたが一番知ってるだろ」
「ああ。嫌になるほどね」
「だから、頼む」
そして彼らが軽口を叩き合いながら、結局何の話をしているのかというと。
「断る」
つまりはこの忙しすぎる状況においてのヘルプの話だ。
「大体僕が仕事を辞めて何年経ってると思ってるんだよ。ただでさえ最後の方は現場に出ていなかったっていうのに」
「このクソ忙しい時期に暇そうにさすらってる昔からの友人を見つけたんだぞ。神の思し召しってやつさ」
「だからって歩いてるところを急に捕まえられた僕の身にもなってくれよ」
基本穏やかな性格のダニエルだが明らかに嫌そうな表情を浮かべているところをみるに、どうやら友人に対して根に持つような出来事があったらしい。「悪い悪い」とまったく悪びれた顔をしないまま謝罪する友人にジトリとした視線を浴びせる。
だが彼が自分よりも十は年下という事実のせいか。何だかんだ甘やかしてしまうのは昔からの悪い癖だという自覚もあった。
だって結局ダニエルはいつのまにか彼の話を聞くことになっているのだから。
「それで何だっけ、怪奇現象?皆好きだからね、そういうの」
「ああ大好きなんだよ…本当に。…いつになったら電話は鳴りやむんだ、いつになったらまだピアノの音色は聴こえますかって言われなくなるんだ」
「相当参ってるみたいだね」
友人の目の下に大きな隈が作られているところから察するに夢でまでそんな質疑を受けているのかもしれない。
それにしても、とダニエルは思う。
森の中にピアノの音色とは一体どういう現象なのか。友人によれば、謎は未だに解明されていないらしい。もちろん謎を解き明かそうと動く人間も多かったらしいが、如何せん相手は広大な自然だ。一度遭難騒ぎが起こってからというもの地元警察によって遊歩道外への立ち入りは深く禁止されたという。
結局いたずら目的の人間の仕業でしたなんてオチでもあればこの騒ぎも収まるのだろうが、今のところそのような気配はない。
「ダニエルも聴きに行ったらどうだ?ピアノ好きだったろ、中々の腕前だったぜ」
それでこの疲れようというわけだ。
脱力してソファにもたれかかったオーナーは覇気もなく言う…が。
次の瞬間、彼は「あ」というあからさまに失言をしてしまったという表情をして、目を伏せた。
「悪い」
「何を謝ってるのさ」
別に自然な会話の流れだったように思えるが、ダニエルの過去を知る彼はそうは思わなかったらしい。彼が謝っている理由はすぐに推測できたが、本当に気にしていなかったのでダニエルはすぐに首を振った。
「素直に謝れることもあるんだね」
友人のしおらしい態度が失礼にも気持ち悪くわざとそんな言い方をしてみれば。
「じゃあ…住み込み飯付きで頼む」とあっさり乗っかって来た彼に「調子にのるな」と一喝しておく。
お前の我儘を聞くのは今回限りだぞ、と彼と出会ってから何度目かも分からない釘をもう一度さしながら。




