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(悪役令嬢に)転生したので名探偵になります!

作者: クボナオミ

【人物】


ヴィクトリア・イフィゲネイア・アブ・ヴァイゲル

 突然、前世を思い出した公爵令嬢にして名探偵。

 『悪役』が割り振られているが、本人は知らない


フォルクハルト・アロイジウス・アブ・キルシュバウム

 すべてに退屈した太平の王国の王太子。

 珍しいものとトキメキを探している


ロッテ・ヒルトマン

 ホースシューズ部所属の伯爵令嬢。

 いわゆる『ヒロイン』にして、(多分)転生者


ゲオルク・エーベルリン

 フォルクハルト王子の護衛騎士。学院五年生。ホースシューズ部部長


エッカルト・ノルドハイム

 侯爵家令息。フォルクハルト王子の学友にして将来の側近候補





 その瞬間、わたくしは唐突に思い出したのです。

 わたくし、ヴァイゲル公爵家長女にしてフォルクハルト王太子殿下の婚約者であるヴィクトリア・イフィゲネイアの魂は、異世界の『日本』からやってきたものであるということを。



―――――――――



「聞いているのか、ヴィクトリア・イフィゲネイア・アブ・ヴァイゲル!」



 呼ばれて、わたくしはほうっと息を吐き出しました。

 細く長く、ゆっくりと息を吐くのは落ち着くための儀式のひとつです。

 押し込められていた記憶が噴き出すように頭の中を埋め尽くしていきますが、必要なのは平常心。

 名探偵に冷静さは不可欠の素養です。


「申し訳ありませんが、もう一度おっしゃっていただけますか、王太子殿下。わたくしの聞き違いかもしれません」


 仮にも王子に対して問い返すのは大変無礼なことなのは百も承知しています。が、この場合は正当なわたくしの権利です。何しろ、わたくしは冤罪で裁かれようとしているところなのですから。

 ここは貴族子女の学力向上ために開かれた王立学院の大広間。パーティマナー実践のために開かれた舞踏会には八十名ほどの全学年生徒が集まっています。教授方や楽団、給仕を務める学院使用人も合わせれば百五十名を超える人々が集まっています。

 その皆々の目の前でフォルクハルト殿下は、婚約者であるわたくしに大声をあげているのです。


「何を聞き違えるというんだ。私は、たった今、君がロッテ・ヒルトマン嬢を突き飛ばしたことを咎めているのだ」

「フォルクハルト様、わたしなら大丈夫ですから」


 フォルクハルト殿下の腕に支えられた空色のドレスの令嬢がいかにも弱々しく言って、殿下を見上げました。わたくしからもエメラルドのような瞳が潤んでいるのがわかります。

 ヒルトマン伯爵家のロッテ様は学院の三年生、わたくしの一年後輩です。貴族令嬢には珍しいほど明るく快活な方で生徒からとても人気があることと、ホースシューズ(蹄鉄輪投げ)部に入っていらっしゃることくらいしかわたくしは知りません。 

 倒れ込んだ時に乱れたのでしょう。まとめた髪が少し崩れて、頬に一房落ちかかっています。殿下は金の糸で編まれたようなロッテ様の髪をそっと指先で整えられました。


「かわいいロッテ。君は何も心配しないで」


 殿下がでれでれ……いえ、柔らかく微笑まれました。

 王家の皆様はそろって目の覚めるような銀の髪と深い青の瞳をお持ちです。わたくしも同じ髪色と瞳をしているのは、わたくしの祖母が先々代グスタフドルフ王の第二王女アンネマリー様だからです。順位は落ちますが、わたくしにも王位継承権があります。


「丁度いい機会だ。近頃の君の悪辣放題には私も辟易していたのだ」

「あくらつ、ですか?」

「繰り返し行っているというヒルトマン嬢に対する嫌がらせのことだ。ゲオルク」

「はい。こちらに」


 殿下の背後に控えていたゲオルグ卿が進み出て、わたくしの前に立ちました。学院内で帯剣を許されているのはゲオルク・エーベルリン卿が殿下の護衛騎士であるからです。

 ゲオルク卿は大きめのトレイを持っていました。トレイには二つに裂かれた本と折れたペン、それに半分焦げたハンカチが並べられています。


「これは全て、君が壊したヒルトマン嬢の持ち物だ」

「ということは、わたくしにかけられた容疑は傷害の現行犯と器物損壊ということですね」


 殿下の言葉に、わたくしはそう応えました。


「では、まずは現場検証から参りましょう」

「……なんだって?」


 問い返されたところで止まるつもりはありません。

 わたくしは手を高く打ち鳴らしました。


「みなさま静粛に! その場を動いてはなりません! 事件現場の保存は捜査活動の第一歩でございます」


 王太子とその婚約者、それに人気者の令嬢が大声でもめていたのですから、元から皆の視線はこちらに集まっていました。

 それをあえて、もう一度。


「ロッテ様が転ばれてから後、大広間を出た方はいらっしゃいましたか?」

「いいえ。誰も出てはいません。あなたも逃げ出すことはできませんよ、ヴァイゲル嬢」


 皆がわたくしの視線を避けるように囁き交わしている生徒の中から声をあげたのは、フォルクハルト殿下の側近候補であるエッカルト・ノルドハイム様でした。

 ノルドハイム様もゲオルク卿も、フォルクハルト殿下同様に険しい表情で、わたくしを睨みつけています。そういえばお三方とも、この頃はロッテ様と一緒にいらっしゃることが多いようだと噂には聞いております。

 情と義憤に駆られてしまって被疑者と犯人の区別をつけられていらっしゃらないようです。将来、この国を担っていくはずの方々ですのに、とても残念なことです。

 が、今はまず、わたくしに降りかかる火の粉を振り払うのが先です。


「結構ですわ」


 ノルドハイム様に頷いてから、わたくしは指を鳴らしました。

 すぐに壁際に控えていた侍女のテアが進み出て、わたくしのもとに旅行鞄を持ってきました。

 視線で頷いてみせると、テアは慣れた動きで鞄をあけました。

 中身は探偵道具一式、と言いたいところですが、未だ足りないものも多いので未完の一式です。幼いころから少しずつ集めてきたわたくしの宝物とも言えます。

 記憶も自覚もない頃から探偵に必要なものを集めているなんて、わたくしは根っからの名探偵なのですね。

 そう思うとなんだか気持ちが明るくなってきて、その宝物の中から、ルーペを持ち出しました。


「何をするつもりなんだ」

「先ほど申し上げました通り、現場検証です」


 わたくしはその場に膝をつき、床にルーペをかざしました。

 わたくしたちを見守っている皆々から驚いた気配がしたのは当たり前のことです。床に這いつくばるような格好は淑女にはふさわしくありません。ですが、探偵には必要なことなのですから仕方ありません。


 組み合わされて紋様が作り上げられた大理石の床は磨き抜かれていて、ダンスシューズがひっかかるようなものは見当たりませんでした。つまずきそうなでこぼこのひとつも、もちろんありません。濡れてもいませんから滑ることもないでしょう。


「ロッテ様が転びそうな原因は見当たりませんね」

「当たり前だろう。君が突き飛ばしたんだから」

「その容疑は否認いたしますわ」


 呆れたようにおっしゃる殿下を見上げてから、わたくしはロッテ様に膝で近づいた。おろおろしたロッテ様は殿下を見て、それからわたくしを見ました。


「ロッテ様、足元を少しだけ、見せていただけるかしら」

「……ロッテ、大丈夫だ。私の目の前でこれ以上、君に無体を働かせることはないよ」


 殿下とわたくしの言葉なら、殿下に従うのも無理はありません。

 非協力的なロッテ様には文句は言わず、目視確認することにしました。


「ドレスの裾に汚れはありません。少なくとも、外側から踏みつけられた形跡はありませんわね」

「ドレスを踏まれたのではなく突き飛ばされたのだから当たり前だ。いい加減にしないか、ヴィクトリア・イフィゲネイア・アブ・ヴァイゲル。君がやったことだろう」


 観念せよとばかりに、殿下がわたくしの名をまた呼びました。

 そう、わたくしはヴィクトリア・イフィゲネイア・アブ・ヴァイゲル。

 間違いなく十七年前、ループレヒト・ヴィルヘルム・アブ・ヴァイゲル公爵とマクシレナーテ・テクラ・アブ・ヴァイゲル公爵夫人の間に誕生した第一子です。

 けれども、魂には二十一世紀の日本人であった自覚と記憶がしっかりと刻まれているのです。いわば、このキルシュバウム王国民と日本人のハイブリッドな存在とでも言えましょう。

 ちょっと、いえ、とても愉快なものですね。思わず笑ってしまいそうです。


「ロッテ様は後ろから突き飛ばされましたの?」

「え、ええ……」

「白々しいぞ、君がやったことだろう。ロッテは君とすれ違った瞬間体勢を崩したんだ。突然過ぎて、私も支えてあげることができなかった」

「なるほど」


 一番いいのはわたくしの手袋を微物検査にかけることですが、残念なことにそのような技術はこの世界にはありません。

 ゆっくりと立ち上がりながら、わたくしはロッテ様のドレス裾からウエスト、背面のリボンまで、汚れと皺をルーペで確認しました。

 わたくしの灰色の脳細胞が全力で働き始めます。


「不自然な皺は見当たりません。外側から何らかの圧力、つまり突き飛ばしたり押されたりした形跡はございません」

「見苦しいと言っているだろう」


 フォルクハルト殿下は余程、わたくしを犯人にしたいようです。


「では殿下。わたくしの背を押してくださいませ。わたくしが倒れるほど強く」


 わたくしはルーペをおろし、殿下に背を向けました。

 さすがに淑女を押すことに戸惑いがあるのか、殿下はゲオルク卿に視線をやりました。代わりにやりなさいという無言の命令です。

 騎士は主に忠実です。ゲオルク卿がわたくしの背を後ろから押しました。


「いくらなんでも、それでは倒れません。もっと強くないと」

「……こうですか!」


 苛ついたように両手でどん。

 騎士の突き手の衝撃に、わたくしは前のめりに床に倒れて膝をつきました。ちょっと痛かったですが、今はがまんです。


「そうですわ。ほら、ご覧になってください。どうなっていますか、ゲオルク卿」


 わたくしは殿下とロッテ様、ひいては皆様に見えるようにその場でゆっくりとターンしました。お見せしたかったのはドレスの皺、具体的には腰の少し上で結んであるリボンです。この位置でリボンを結ぶのは流行で、今日の舞踏会でも同じようにリボンを結んでいる方はたくさんいらっしゃいます。


「……リボンが、潰れている」

「転ぶほどの力ですもの。繊細に結んであるリボンは解けるか、潰れるかしてしまうものです」


 驚いた様子のゲオルク卿に笑み、わたくしはロッテ様に視線を戻しました。


「ロッテ様はご自分で転ばれたのではありませんの? 何もないところで、つまずくなんて少し恥ずかしくはありますものね」

「そんな……っ! 言いがかりですっ!」


 ロッテ様がフォルクハルト殿下にすがりつきました。取り乱し気味の声はまるで悲鳴のようです。

 照れ隠しで突き飛ばされたとおっしゃったのでしょうが、わたくしも傷害事件と言われてはさすがに困ります。


「そもそも、わたくしがロッテ様を押すところをご覧になった方はいらっしゃって?」


 百五十人以上はいる大広間がしんと静まり返りました。

 公爵家の令嬢、しかも王太子の婚約者であるわたくしです。言いがかりをつけたとなれば、ロッテ様のお立場が悪くなります。皆様、そこに気がついたのでしょう。


「……ロッテ、どうなんだい。君は自分で転んだの?」


 静けさの中で、殿下がロッテ様にお尋ねになりました。ロッテ様はフォルクハルト殿下の腕にしがみついたまま、お顔を伏せています。

 あまり追い詰めてはロッテ様がかわいそうですから、わたくしは話題を変えることにいたしました。

 わたくしにかけられた容疑はひとつではありませんでしたから。


「それから、器物損壊でしたわね」


 わたくしは旅行鞄から木箱を取り出しました。大型の書籍ほどの大きさの木箱は特別に作らせたもので、仕切りの入った区分箱になっています。


「この折れたペンのことですが。鉄筆に木製の軸が付けられていますわね。木は、樫かしら」


 わたくしは箱の蓋を開け、区分箱に並べた木材標本とロッテ様のペンを見比べて、木材を同定しました。

 キルシュバウム王国では毛細管現象を利用した万年筆も使われていますが、使いやすさと手入れを考えて、王立学院の生徒のほとんどが木製軸のついた鉄筆を利用しています。インクは乾くのに時間がかかるので、勉強用には向きません。


「樫材はとても硬いものです。わたくしの力では折れませんね。同じ理由でわたくしでは本は裂けません」

「公爵家の御令嬢ですもの。ご自身ではなく、どなたかに命令されることも……いえ、わたしは疑ってなんか」


 オドオドしながらも、ロッテ様ははっきりとそうおっしゃった。


「なるほど。ロッテ様はわたくしを犯人と思っていらっしゃるのね。容疑者ではなく、首謀者であると」


 つい先ほど、わたくしの背を押せないと判断なさった殿下はご自分の騎士に命じられた。同じように、わたくしも誰かに頼む可能性はたしかにあります。


「ロッテ様はとても利口でいらっしゃるのね」


 わたくしのため息に、ロッテ様の頬が強張りました。殿下の腕を握りしめている指も強く立っています。


「その可能性の検証はこの場では無理ですわ。もちろんわたくしは誰にも命じてはおりませんけれど」


 『やっていないこと』の証明はいつでも難しいものです。どんな名探偵でも一度はぶつかる壁とでも言えましょう。シャーロック・ホームズ然り、エルキュール・ポワロ然り。


「この場でなければ君は無実だと証明できるというのかい?」


 そうおっしゃったフォルクハルト殿下の視線から、敵意のようなものが消えていることに気がつきました。現場検証によってわたくしがロッテ様を突き飛ばしていないことに納得なさったのかもしれません。

 殿下は元来、聡明な方のはずです。


「もちろんですわ」

「随分自信があるんだね、イフィ」


 フォルクハルト殿下の青い瞳の奥が煌めいたように見えました。まるで面白いものを見つけた子猫のようです。


「バッチャンの名にかけて」


 片手に携えていた扇を口元で広げてひらめかせ、わたくしは微笑みました。

 決めセリフは翼を誇る孔雀のように美しくあるべきですもの。いえ、待って。翼が美しいのはオスの孔雀ですから、わたくしには相応しくない比喩でしたわ。

 ともかく。

 祖母は王女であって名探偵とはまったく無関係ですけれど、日本語の『バッチャン』は誰にも意味はわからないでしょうから気にしません。

 もしもわかる方がいらしたら、わたくし、絶対に親友になってみせますわ。


「面白いな。どんなふうに証明するんだい?」

 

 ロッテ様の手を解いた殿下がわたくしに手を差し伸べました。わたくしは抱えていた木箱をテアに差し出し、エスコートの手を取りました。


「フォルクハルト殿下は捜査術にご興味がおありですか?」

「捜査術というのか。詳しく聞きたい」

「探偵術とも称します」


 殿下にエスコートされるまま、わたくしは大広間を辞しました。乱れたドレスでは踊れませんもの。


 ですから、


「……悪役令嬢も転生者なんて聞いてないっ!」

 と、その場に蹲って日本語で呻いたロッテ様の声を聞くことはありませんでした。








ロッテ様の立場からすれば、悪役令嬢エンドまっしぐら。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] ラスト数行がオチなのだろうとは思うのですが、 続きが読みたいっっ 特に気になるのが殿下の真意です! そして、この舞台でどんなふうに事件解決していくのかとっても気になります
[一言] この尻切れトンボのような終わり方は何? 探偵ならば、ちゃんと、「犯人はお前だ!」「この犯罪トリックは~」てやってください。
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