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20.武士たちと退路

前半は生熊又七郎視点、後半は北上義春視点です。

「与三郎様‼」


 我が主君が、二人の敵兵に囲まれ馬から落ちる姿を、信じられない思いで見た。

 与三郎様は驚くほど乗馬が上手い。不思議とどの馬でも意思を通わし、どんな駄馬でも与三郎様が乗ると名馬に生まれ変わる、といわれるほどだ。その馬術は当家で右に出る者はなく、落馬など当然見たことがない。


 腸が煮えくりかえるとはこのことか。声にならない音が喉の奥から出た。怒りに任せて敵兵を薙ぎ倒し、与三郎様に向かって刀を振り上げる不届き者を力任せに切り倒した。


「若殿!与三郎様!」


 あらん限りの大声で呼びかけるも、地面に倒れた与三郎様からの反応は一切無い。

 馬から飛び降り、抱えあげた主君はピクリとも動かないが、まだ微かに息があった。


 与三郎様の左肩を貫通し、刺さったままの敵の槍を、柄の部分で切り落とす。

 どこか冷静な部分で、今抜いては駄目だと判断していた。


 この方を絶対に死なせるわけにはいかない。

 手のつけられない乱暴者として家中(かちゅう)で嫌われていた餓鬼を、側仕えに召し上げてくれたのは、この方だ。獣だと言われ、誰からも見向きもされなかった餓鬼を、人間として扱ってくれたのは、この方だけだ。


 与三郎様に拾われたあの時から、この命は御影家のためではなく、この方のためにある。与三郎様のためなら、この命いくらでも捨てようと心から思っていたのに、あろうことかその与三郎様が目の前で倒れているのは何故だ。


 与三郎様の傷口を、あり合わせの布地で急ぎ止血するが、新手が追い付いてくる気配がした。血塗れの与三郎様を、ゆっくりと地面に横たえ、我らを囲む敵兵を確認する。

 そして、静かに決意した。


 流石の儂でも、おそらくこの数は討ちきれまい。主君を守りきれなかった情けない獣だが、せめて最期まで主君を守り、先に逝く。


 槍を構え、与三郎様を守るように仁王立ちになる。踏み込む足に力を入れた時だった。


「やめい‼」


 割って入ったのは、騎乗した尾谷の武者だった。年は三十歳前後か、身につけた鎧から、地位のある人間だと推測する。


「もうよい。北上の残党がまだ竜銀山を彷徨っている。全軍そちらに向かえ」

「はっ」


 追手を一声で引かせると、男は馬をこちらに向かせる。槍は下に向けており、敵意は感じられない。


「某は尾谷家家老、古川燈兵衛(ふるかわとうべえ)と申す。そちらは御影家の、御影与三郎殿と、生熊又七郎殿とお見受けしたが」

「いかにも」


 槍は構えたまま、与三郎様の前に立つ。


「御影殿の聞きしに勝る戦ぶり、感服仕った。これほどの武士を、北上の阿呆の戦で死なすのは惜しい。行きなされ」


 儂のことはともかく、与三郎様は御影家の若殿。それを尾谷の家老がみすみす逃がすとは、にわかに信じられず、男を睨み付ける。男は気にした様子もなく、さらりとその意図を説明した。


「まあ、恩を売るゆえ、いずれ返してくれればありがたい。御影家ならば我ら尾谷、いつでも歓迎致す」


 大らかに笑う男に、嘘は感じられなかった。槍を下ろし、頭を下げる。


「かたじけない」


 急ぎ与三郎様を馬に引っ張り上げると、力なく落ちた手から何かが転げ落ちた。

 何の変哲もない、平らな石だ。

 考える間もなく反射的に拾い上げ、袂に入れると、急ぎ御影の地へ向けて馬を走らせた。



 ◇◇◇◇



 なぜだ、なぜこんなことになるのだ。

 儂はこのような負け方をする男ではない。


「そなたはこの北上家を継ぐことになるのだ。もう少し自覚を持て」

 生まれてから、いったい何度言われたことか。

 物心ついた時から、父は儂を見るたび溜息を吐く。


 弓の稽古をしても、槍の稽古をしても、馬の稽古をしても、書を読んでも、和歌を嗜んでも、一度も褒められたことは無い。

 家臣共もそうだ。「北上を背負う立派な若様」などと表向きは言ってきても、裏では「義泰公に似ても似つかぬうつけ」とせせら笑っているのを、儂が知らぬと思っているのか。


 なぜ誰も儂を認めない。

 儂は下賎の者とは違う。貴様らに儂の力が分かってたまるものか。

 ひたすらに耐えていた。北上家を継ぎ、儂の偉大さを思い知らせるまでの辛抱だと。


 ある日、父が「見どころのある若造がいた」と言い出した。

 家臣を相手に、その若造を褒める。儂は一度も言われたことが無い言葉を、たかだか小豪族の三男に過ぎぬその若造が手に入れている。


 腸が煮えくり返る。


 諱の一文字を与えるなど、あり得ない。側女が生んだ卑しい血筋とはいえ、曲がりなりにも北上の血の入る女をくれてやるなど、許されない。

 身の丈に合わぬ幸運を得る若造が、心底憎かった。



 そして遂に父が倒れた。

 生きてはいるが、もはや当主としての執務はこなせない。儂が当主として采配を振るう日がようやく来た。

 父の代からいる家臣共は、偉そうな口を聞き、儂の言うことにいちいち反論する。もう新たな時代になったのだ。古きものには去ってもらう。

 これで上手くいく、そう思っていたのだが、何一つ思うとおりに回らない。


 挙げ句、前回儂らに負け、逃げ帰った尾谷の奴らが戦を仕掛けてきた。

 どいつもこいつも、儂を馬鹿にする。思い知らせてやらねばならぬと、策を練り、意気揚々と出陣した先で、またもあの若造が邪魔をする。


 偉そうに儂に諫言するな、黙って儂の言う通りに動け。

 怒りに任せて進軍のペースを速める。

 次は御影を潰すしかない、と決めた時だった。


 目の前に突如、尾谷の軍勢が広がる。

 そして、我が軍の横からは、勢いよく尾谷の兵が駆け下りてくる。


 なぜ儂の思うとおりにいかない。


 気付くと北上の城下町まで駆け抜けていた。

 出陣するときにはいたはずの、儂の大軍勢が見当たらない。


 なぜこんなことになったのだ。


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