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「・・・かあしゃま・・・?」
朝日も登らない、薄暗い道を半寝の我が子を抱えて歩き出す。
いつかの時の為に、寄付されたサイズの合う服を隠しておいて良かった。厚手の茶色い外套のフードを目深に被り、今出て来たばかりのそびえ立つ修道院を振り返った。
あの日から、どうにもままならなくなった私の隠れ家。
太刀打ちできない存在に打ちのめされ、貴族の娘としての価値も失った私を黙って受け入れてくれた第2の我が家。
高齢のシスターたちに救いあげられて、新しい家族を受け入ることも出来た。
今までとは違うけれど幸せを手に入れられると思えたのに。
忌々しい。
突然現れた金の瞳。あの外道とは違う濃紺の髪。
目的はわからない。
でも、きっと目的は、この子。
この子と離されるのは絶対に嫌。
この国において絶対王者の彼らにかかれば、直ぐに取り上げられてしまう。
もうこの国になんの期待も希望も見出せなくなっていた。
だから私はこの国を捨てる決心をしたんだ。
2人で苦労するかもしれない。でも、後悔なんて絶対しない。この子は私が立派に育てるんだから。
本来の姿でも誰にも、何も思われない、それぐらい常識の違う離れた国へ行く。
そう決めた。
腕にいる、うとうとしている愛しい存在にキスを贈る。
立つ鳥跡を濁してしまうけれど、今までの感謝とこれから起こるだろう騒動を思い、院に向かって深々と頭を下げた。
*****
4年前までの私はカロリーナ・シオン・グランシェスだった。シルボルレーン王国で伯爵位を賜っているグランシェスの娘。でも、今の私 はただのカロンだ。
それなりの爵位の父を待ち、見た目も悪くなく、清楚な雰囲気と瞳の色からスミレの君と呼ばれて社交界での受けも悪くはなかった。
決して出しゃばらず、ずば抜けた才もない普通の貴族の令嬢。そう見えるように心がけていたのに。
何故だか第2王子殿下の目に留まってしまった。
舞踏会に出れば付きまとわれ、ベタベタ触られ、人目も気にせず口説かれる。
お互いに婚約者がいるのにだ。
私は政略結婚で幼い時からの決まった相手。殿下だって隣国の王女様と婚約されている。
なのに、なのにだ!
一体何を考えているのか。
両親に相談した結果しばらく社交は控える事になった。婚約者もいるし、結婚市場に出なくても問題ない。
迷惑な事に何もしなくても私の名誉は傷つけられていく。何せ相手は最上位、それに比べてこちらはたかが伯爵家。貶められるのは私の方だ。
『婚約者がいるのに節操がない』
チラチラと言われる陰口。
私ではなく殿下に言って欲しい。
どちらかと言えば社交は好きではないから引きこもれる事に異議はなかった。
それからは暇つぶしに家で好きな事をして過ごした。
弟と一緒に剣を振って体を動かしたり。
弟のお古の乗馬服で遠乗りに出かけたり?
教会での奉仕活動で手に入れた古着でこっそりと城下に繰り出したり?
外面とは真逆のじゃじゃ馬娘、それが本当の私だ。
刺繍やらお茶会やらの淑女らしい事よりも剣術、馬術、勉学など殿方の嗜みの方が好きだった。習わせて貰うために大きな駄々を捏ねて、疲れ果てはお父様から『貴族の子女としての嗜みがすべて出来たら』と言質をとった。
それからの私はそれはもうフルパワーで頑張ったのち、家庭教師からのお墨付きをもらい、晴れてお兄様同じ事を習う事を許されたのである。
女には許されないそれらは、とても楽しかった。小狭い箱に詰め込まれて、その箱庭の中で過ごすことしか許されない、女と言う生き物が哀れに思えるほど。
それほどの自由を感じた。
しかしたかが伯爵の娘。
他の人達と違わず、貴族の子女として同じ道を行くしかない。
この楽しみは結婚するまでの秘密のママゴトでしかないことも理解していた。
いつのまにか婚約者が決まり、社交会デビューを果たし、笑顔を貼り付けてくるくる回る綺麗に着飾った人形に成り下がる。程よい頃に結婚して、跡継ぎを産んで、この国の糧となるしかない。
それが私の前に引かれた、決められたレールだと思っていた。
そんな私が。
全てを捨ててカロンになったのに、どうして子どもを抱えて夜逃げしないといけないのか!
こんな辺境の地では決して見ることのない、金の瞳を見てしまったからだ。
私にとってあの瞳は鬼門。
会っても、話しても、すれ違うのもダメ。
この子がもう少し成長して、頃合いを見計らって他の国へ移住しようと計画していたのに。
全てご破算だわ!
「おかあしゃま…」
むにゃむにゃとしがみ付き首元に顔を寄せる。
3歳になった我が子、リー。
グランシェスの金茶の髪に、忌々しいくも生物学上の父親の血統に遺伝する瞳を持つ私の愛し子。
瞳の色が違えばこの国の片隅でも生きていけたのに。陽の光の下でキラキラと不思議な色味で輝く、柔らかで暖かい金の瞳。好きだけど好きじゃない、複雑な色。
受け継いでしまったものは仕方のないことだけれど、大っぴらに外で晒す訳にはいかった。下手をすれば火種なりかねないから。
だから平穏に暮らす為には他国に行くしかない。
私たちの幸せのために。
「まぁお利口なお嬢ちゃんね!あーっと……これ、お食べ。貰い物だけどさ。」
隣町へ移動する乗り合い馬車の中。
私の前に座っていたふくやかで人の良さそうな女性が、私の膝の上にちょこんと座って大人しくしているリーに飴を差し出した。
修道院で甘い物は希少品で、特別な時にしか口に出来ない。それを目の前に差し出されて、ムズムズしながら私を見上げた。
嬉しそうな口元を見て苦笑した。ものすごく期待しているのが見て取れる。
「頂いてもいいのですか?」
「もちろんだよ!ほら、遠慮せず。ほら!」
チラリと私を見たので、頷いて見せればそろりと差し出された飴を掴み、自分に引き寄せる。
「ありがと!」
口元を綻ばせて礼を言う。
まだ上手く口が回らない、そんなところも可愛い。
3歳だけどしっかりとお礼ができるなんて、うちの子天使!
たまらず柔らかい金茶の髪を撫で回した。
「可愛い顔立ちなのに前髪が伸びすぎじゃないかい?」
「ーー眼病なんです。光を取り込みすぎてしまうと失明してしまうので。光避けみたいな感じです。」
お決まりのセリフを言って、悲しげに目を伏せる。これで大概無理やり髪をどうにかしようとはしなくなる。
鬱陶しいが瞳の色を隠すために、目元が隠れるくらいまで前髪を伸ばしている。リーにもなるべく下を向くこと、人と目を合わせないことを覚えさせた。
それもこの国を出るまでの我慢だ。
安全圏に行けたなら本来の姿に戻せるから。
「そうなのかい。それは悪い事聞いたね。」
「いいえ。これからお医者様に見てもらうんです。もしかしたら治るかもしれません。」
本当に髪を切れるかも知れないと考えれば自然に笑みが浮かんだ。
無事に隣町に到着して、直ぐに大きな街へ出る馬車へと乗り換える。
そうやって足取りを掴ませないよう、行ける所まで行ってまた乗り換える。小さな町よりも大きな街の方が身を隠しやすいし、路銀を作るために持っていた宝石を足がつかないよう換金しなければならない。
ここら辺では1番大きい街で比較的良心的な宿に泊まる事にした。
かなり距離を稼いだつもりだけれど、何処か落ち着かない。もっともっと離れないと安心できない気がする。
「リー?」
話しかけたが返事はない。ベットに突っ伏してそのまま寝てしまったようだ。早朝の出発の上、何回も馬車を変えて、ここまで来るのに小さな体に相当な負担がかかった筈だ。知っている土地を離れてしまった不安もある。どこへ行くのかもわからない。それでも、何も聞かないで笑ってくれる。
この子を振り回しているだけなのかも知れない。存在を明らかにしてしまえば、それなりに上手く行くのかも知れない。
私が我慢をするだけで、この子はもっと幸せになれるのかも知れない。
何回も何十回、何百回考えたけど答えは出ない。
何が正解かなんてわからない。
それでも私はこの子を手放せない。
離れる事なんて出来ない。
読んで頂きありがとうございます。
誤字報告頂きまして、修正しました。とでも助かります、ありがとうございました。