携帯電話
部屋の壁と同じ位の雨が降り続けている。
朝は必ず窓を開けるのを日課にしているが、もう3日ばかりか開けてない事に気付いた。
世界が逆転して見える雨の日が実は好きだ。
晴れた日は突き抜ける様な青い空に無数の光を放つ太陽。その光からの色彩をただ受けるだけの地上はコンクリートで冷ややかに見える。
でも雨の日は只々灰色に固められた空に対して、街並みは色とりどりの傘が咲き乱れる。誰かが花畑の様だと唄にしていたが、そうだとあたしは思う。
窓から眼下に広がる花畑を見つめ、今日は何をするかを考える。
正直な話、何もしたくない。
ほんの数日前にこの国にあたしはやって来た。
昔居た所ではもう生きて行けず、苦しくて、辛くて、気付いたら走り出していた。あたしは泣きながら逃げて来たのだ。
逃げるのは…ずるいと言われても仕方がない。
でも自身を先ず守る事を考えたら、逃げる選択肢しか無かったのだ。
ふと、考えを遮断するかの様にあたしの携帯電話の着信音が鳴り響く。
「何…これ?」
画面には英数字が入り混じった番号が表示されてる。
こんな番号の知り合いは居ない。
しかし、あたしを急かすかの様に無機質に着信音は鳴り続けている。
意を決して応答ボタンを押した。
「……………もしもし?」
『おぉ。マーサか?』
「おじいちゃん?おじいちゃんなの?」
スピーカーから懐かしい声が祖父だとは直ぐに分かった。
大好きな祖父。破天荒で周りからは腫れ物扱いされていたが、何時もあたしを一番に思ってくれた祖父の声は絶対に聞き間違いはしない。困った時は何時も味方だった。
「おじいちゃん、どうしたの?それにこの変な電話番号も…。」
『いやいや。知り合いに掛け合ってな、短時間だけ会話が出来る様にして貰ったんだよ。』
「何?その、知り合いって。」
『うーむ。まぁ、マーサに分かりやすく言うと…神様って奴かな?』
あたしの祖父は数年前に他界しているのだ。
「神様…。」
呆気に取られたあたしの言葉に祖父は昔と変わらず豪快な笑い声が響いた。
『だから用件だけ言うぞ。』
祖父の声に混じって、微かなノイズ音が聞こえる。
『そっちは連日雨の様だね。』
「う…うん。」
『マーサ。もう泣くのはやめなさい。』
雨音が響いてた室内が静寂に包まれた。
「え…?」
『どうやら連日の雨はマーサの心に反映されてるそうで、国の中では困っているそうだ。』
「たっ確かにまだ涙は出るけど…そんなに泣いては…。」
『だから心。なんだよ。』
あたしは黙って祖父の言葉を待った。
『マーサは良く頑張った。誰にも気付かれず、気付いて貰えずにもだ。他人に傷を付けられても全てを許した。まだその国へ逃げて来た事も負い目に感じているんだろう。おまえは真面目な子だからな。』
そっとあたしは息を飲み込んだ。
『もう。自分自身を許してあげなさい。』
ふわりと窓から無数の光が差し込む。
世界が元に戻ろうと動き始めていた。
雨は止み、固い雨雲は徐々に太陽の放つ光に取り込まれて浄化している様に見えた。
「おじいちゃん…空が…。」
窓から目が離せず、それしか呟けなかった。
街が、世界が、全てが生き生きとした色彩に染まってゆく。
『それでいい。おまえは素直で心根の優しい綺麗な孫娘だ。その国では新しい何かを授けてくれるだろう。頑張りなさい。頑張る事を忘れない様に。な。』
「…………はい。」
そう答えた瞬間、あたしの耳に強いノイズ音が走った。
「!!」
『ああ…悪いな。そろそろ時間なんだろう。じゃあな。マーサ。』
「ねえ!おじいちゃん、また…話せるかな…?」
『そう……だ…なぁ…。』
徐々にノイズ音が重く響いてきた。
次の瞬間、弾ける様な音と共に携帯電話の通話は終了する画面に切り替わった。
窓の外はさっきとは嘘の様な綺麗な青空と、絵に描いた虹が架かっている。
地上の花畑も、この部屋の壁と同じコンクリートの色に戻っていた。
そっと携帯電話の着信履歴を見るが、履歴が真っさらだった。
でも、祖父はきっと切れる時にこう言ったはずだ。
『困った時は何時も味方だよ。』
さあ。今日は何しようか。
あの虹がある場所まで歩いてみようか。
あたしはそんな事を思いながら、携帯電話を机に置いた。