灯屋
暗闇の深い時間。
あたしは明日のお祭りに使う提灯の灯りを貰いに、露草が生茂る小道を歩いている。
そもそもあたしは、その「お祭り」が一体何の祭だかを知らない。
今朝、玄関から物音がしたので覗いてみたら、橙色の提灯と手紙が添えられていた。
『明日は年に一度のお祭りです。
住民の方々は今日の深夜より灯屋で配布される灯りを一つ取りに行き、此方の提灯に灯して一晩お過ごし下さい。 大家』
今住まう大家さんからの手紙。
祭の内容は書いてあるものの、何の祭かは何も書いては無かったのだ。
とりあえずその深夜に行こうとしたのだが、今日に限って夕方から猛烈な眠気に勝てずに軽い仮眠のつもりが深く眠ってしまい、深夜でもかなり深い時間にとなってしまったのだ。
あたしは慌てて提灯を手にし、灯屋の場所を既に灯を灯した提灯を持つ人から教えて貰って歩き出したのだ。
矢張り時間が遅かったのだろう。
すれ違う人達の手には皆、灯された提灯を手に歩いている。灯屋がある方に進み続けるのはあたしだけだ。
やがて誰一人とすれ違わなくなり、辺りは暗闇。
ただ、道を歩くあたしの足音と呼吸だけが世界を包み始めた。
こわい。
気付くと左右は木々が天高くそびえ立っている。
空は新月。星が必要以上に瞬いてるのが唯一の光。
急にあたしは「孤独」なのでは無いかと気持ちが焦り出したその時、遥か遠くに蛍火の様な灯りが目に飛び込んだ。
灯屋だ。
あたしは提灯を抱えて灯の元へと走り出した。
孤独と恐怖、砂利が擦れる音と風の音と。それらを纏いながら走り抜けた先には眩い光を放つ、如何にも「灯屋」と言う出で立ちの店に辿り着いた。
少しだけ息を整えて店内に入ると、沢山の灯りが蛍の様に店内を飛び回っていた。
「いらっしゃい」
夢中で灯りを見ていたあたしに声が掛かる。
「君は…来ないかと思っていたよ。」
店主なのか、あたしと余り変わらない位の若い青年が微笑みかけてくれた。
「あたしが…来ない?」
「うん。さっきまで良く寝ていただろう?」
「え…あ…何で…?」
あたしの事を知ってるのだろうか…。そう言いたかったけど言葉が紡げず、アタフタしている様を店主はニコニコしながら見つめていた。
「でも、丁度良かったのかもな。君の灯りは今来たから。」
そう店主は背を向けて店内奥へと歩き出した。
「君はこの国は初めてでしょう?特別に見せてあげるよ。」
店内奥にある厚いカーテンに手を掛けてあたしを手招いている。あたしはそっと店主の後を追い、カーテンの中へと入り込んだ。
瞬間、目の前に広がったのは外の様に木々が生い茂り中央には小さな池。それに繋がる川がずっと遠くまで延びていた。
小さな池には白い小さな船が小さく揺れていた。
「覗かない方が良いかもよ?」
好奇心で船を覗こうとしたあたしに店主が止める。
「どうしてですか?」
「君の大切な誰かの亡骸だったら…?」
「…亡…骸…?」
その言葉に反応して、さっと店主の背後に身を移した。
その様子をクスクス笑いながら店主は
「君はこの国に来たばかりだよね。」
「は…はい。」
「この国では年に一度だけ祭がある。」
蛍火の様な灯りがこの森の中でも沢山飛んでいる。その美しくも妖しい灯りの中で店主は話を続けた。
「それはね。死者を送る祭なんだ。」
一瞬背筋が凍った。
じゃあ、あの船には本当に…。
「この国では人が亡くなると、蛍の光みたいになるんだ。そして繋がりの強い人の元で一晩過ごすんだ。」
「一晩…。提灯で?」
「うん。提灯で。理由は僕も知らないんだ。ただ、ずっと昔からそうだと先代から聞いてる。」
ふわっと灯りがあたしの提灯へと入っていく。
橙色の提灯は次第に燃える様な赤い光と変わって行く。
「…明るい…。」
「浮遊している時よりも提灯では明るくなるんだよ。」
「あの…。」
あたしの疑問。
「あの、この今、飛んでる灯りは?もうあたし以外に提灯を持ってる人は居なかったけど…。」
「うん。やっぱりね迎えにこれなかった人、行けない人、もう存在しない人。沢山いるんだよね。」
そんな言葉に反応する様に灯りは店主を包み込む。
「だから一晩、僕と過ごすんだ。灯屋っても灯りを分ける仕事だけじゃないんだ。どちらかと言えば此方の方が実は本職。」
寄り添う灯りは次第に明るさを増していった。
「君はもうお帰り。船も旅立つから。」
ふと、池の方から静かに水面をたてながら、川の方へと動き出した。
「あのっ…船は…。」
「大丈夫。在るべき場所に戻るそうだよ。これも先代の話で、正直知らないんだけどね。」
船が揺れた瞬間、あたしと同じ位の手が見えた。誰だろうか。それ以上は分からなかった。
ただ、白い船を見つめていると
「店の外にまで送ろうか。」
そう店主に促され、あたしは歩き出した。
赤い提灯を手に灯屋の外に出た。
「あの、ありがとうございました。」
あたしは精一杯のお礼を店主にした。彼は最後までニコニコ笑って「いえいえ。」と答えてくれた。
「また、近い内に逢えるよ。」
「?」
「帰り道、気をつけてね。」
「…はい…ありがとうございます。」
手を振る店主に軽く会釈をして灯屋を後にした。
行きとは違って、小道も露草も灯りに照らされて不安さや恐怖感も全く無い。
そういえば
「…何で、あたしが寝て居た事を知ってたんだろ…。」
『また、近い内に逢えるよ。』
その時に聞いてみようか。
あたしは赤く染まった提灯と共に家路へと向かった。