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純情トワイライト  作者: 森 彗子
9/20

オズの魔法使いにお願い 5

 自宅前で先生が私のカバンを持って待っていた。私に気付いた先生が、駆け寄ってきてしゃがんで顔を近付けてくる。


「波戸崎、どこにいたんだ? 心配したぞ? こんな軽装で寒かっただろ?」


 両腕をさするように掴まれ、先生は真剣な顔で私に言い聞かせるように言う。


「お前が先生のことを信頼していないことぐらい、わかってる。

だけど、今日みたいに突然いなくなったら先生の心臓は止まりそうになったんだ。


お前が知らないところで、お前の事を心配している人がいることを覚えていてくれ。

一人でどこにでも行くな、と言ってもお前は行ってしまうだろうが、危険なことをしているという自覚も持つべきだ。


さっき、お母さんとも話したけど、お前はもう子供じゃない。自分の身体の変化に戸惑っているかもしれないが、お前はもういつでも子供を産める身体になったんだ。自分で自分を守ろうと思ってくれ。

自分の身を危険に晒すな。


先生が言いたいことはそれだけだ」


 先生はそう言うと、立ち上がって私の背中に手を回して玄関の前まで送ってくれた。胸の中から鍵を取り出してドアを開けると、先生はカバンと上着を私に渡してから挨拶をして帰って行った。


 先生は私が高木さんを突き飛ばしたことを責めなかった。

 一言もその件には触れずに、私の身を心配してくれていた。


 胸の奥が熱くなる。

 私はあの教室に居ても良い。


 私は先生の生徒なんだ……。



 急いで学校に戻ろうとしていた先生を追いかけた。国道の横断歩道の手前でやっと追いつくと、先生は振り向いて驚いた顔をした。


「……ありがとうございます!」


 やっと言えた、たった一言を。


 先生はふわりと微笑んで、「また、来週。学校で待ってるぞ」と言ってくれた。



 ほんの少しだけ、私は自分から他人に近付いた。


 彼が去ってから初めてのことだった。



 それから。みすずちゃんに勧められた通りに、やかんで沸かしたお湯を使って私は足湯を準備した。冷えた身体の一部でも温かい場所に入ると、時間はかかるけど確実に温まることができる。

 心なしか生理痛もらくになった気がする。


 保健体育の教科書を開くと、男性と女性の身体の模型図が書いてある。私はそれをジッと眺めた。


「夏鈴、エッチなこと考えてる?」


 突然、背後から声を掛けられて吃驚した。振り返ると、たかし君がニコニコ笑顔で立っていた。


「そんなに男の身体ばっかり見て、女もエッチなんだなぁ」


「何しに来たの?」


「お腹が空いちゃって、食べるものを頂戴」


「……しょうがないわね」


 私は台所の籠に入っている菓子パンを開けて、お皿の上に置いた。


「牛乳も飲みたい」と言われて、コップに牛乳を注いで並べて置くと、たかし君はうれしそうにその前に座って食べ始めた。と、言っても食べている振りをしているようにしか見えないんだけど。


「美味しいなぁ、ありがとう!夏鈴」


 昨日よりもずっと毒々しいオーラは薄くなっていた。獣の匂いも気にならない。


「視える人って本当に少ないんだぜ?」


「そうなんだ」


「こうやって、普通に会話できるって夢みたいだ」


「うん、そうだね」


「みすずちゃんも夏鈴も、大好き」


 たかし君は柴犬の子犬のような人懐っこい笑顔でしっぽを振っているように見えた。なんか急に可愛い弟ができたみたいで、嬉しくなってしまう。


 たかし君は食べ終わると、正座して改まった。


「夏鈴にお願いがあるんだ。僕に力を貸して下さい!」


「私にできることなの?」


「うん!僕、事故にあった場所に行きたいんだけど、どうしても超えられない壁があって」


「超えられない壁?」


「視えない壁だよ。その壁に阻まれて、弾き飛ばされちゃう。だから一緒に行って欲しいんだ」


「……」


「すぐ近くのふみきりだから、夏鈴の足で歩いて行けるから!」


 必死のお願いに心が動いてしまう。

 喧騒から私を連れ出したたかし君のおかげでみすずちゃんに出会えたんだ、と思ったら無碍に断れない気がしてくる。


「いいよ。わかった」


 私はたかし君にお供えしたパンと牛乳をお昼ご飯にして食べ、身支度をしてから、たかし君と一緒に町外れの踏切に向かって出発した。


 家から北へ向かって歩けば、田舎特有の無人駅がひっそりと建っている。日に運行されている汽車の本数は10本もなくて、午前中と夕方から夜にかけての数本のみがこの駅に停車する。


 線路は一本のみで、汽車は一両と二両のどちらかだった。通勤通学時間帯だけが二両編成なのかな。利用することなんて殆どないから、詳しいことは良く知らない。


 足元が寒くて体がまた冷えていく感覚がありながら、私はたかし君の背中を追うようにして歩いていた。


 町民がプロムナードと呼んでいる大通りを渡り、駅の入口になっている交差点を通り越して、さらにしばらく真っ直ぐな道を歩いた。道を徒歩で歩く人影はいない。大人は大抵車で移動するから、いたとしても家の前を掃いているか、植木鉢に水をあげているか、犬の散歩ぐらいのものだ。


 ガランと開けた視界だけど、ボーっとして歩いていると危ないこともある。例えば、私ぐらいの少女が一人でウロウロしていれば、道を聞くふりをして声をかけてくる危ない人も寄ってきやすいし、私のように霊が視えるなら同様に天国の行き方を聞いてくる霊もいる。生前、心地よかった場所に自分らしい服装で居座ったまま動かない霊をたまに見かけるけれど、何かの拍子で居なくなっていることも珍しくはなかった。

 誰かの働きかけがなくても自分で天国に旅立つことができるらしい。


 だけど、たかし君はそれができない。

 なにか理由があってできないみたい。


 もうすぐ、たかし君が行きたい踏切が視えてくる場所で、突然たかし君が倒れた。私は駆け寄って顔を覗き込むと、悔しそうな表情を浮かべて言った。


「ここなんだ。どうしてなのか、ここから先に行きたくても行けないんだ!」


「待ってて、私が見てくるよ」


「うん。お願い…」


 背の低い彼を置いて、私は歩き進んだ。除雪されて積みあがった雪も解けて、一部だけ水たまりと排気ガスで汚れた残雪があるその道を乗り越えて、農道に続く小さな踏切の前にやってきた。


 そこに供えられているお花や缶ジュースを見て、ここで最近誰かが亡くなったのだと感じた。私はしゃがんで手を合わせた。目を閉じて他に霊がいないか、心を落ち着かせて周囲に神経を張り巡らせていく。

 私を観察している視線があるにはある。目を開けて振り向くと、中学生ぐらいの女の子が立っていた。身体が透き通っていて、足首から下が消えているけれどしっかりと大地に足をついて立っているように視える。


「うそ!私が視えるの?」


 少し年上の彼女は驚いていた。


「やっと話がわかってくれそうな人が来てくれた!」


彼女はそう言うと、本当にホッとしたような頼りない表情をして地面に座り込んだ。まだ雪が降ってもおかしくない気温なのに、彼女の服装は半そでの制服だった。


「…いつからここにいるんですか?」


「 夏休み明けの一週間後、八月二十七日」


「今、何月か知ってます?」


「それがわからないから知りたかったんじゃないの! 何人もの人に無視されて、まるで私がこの世に存在しないみたいに素通りされるから、気が狂いそうだったんだから!」


 疲れているのに興奮気味な彼女に怖くて近付けなかった。私はいつでも逃げられる場所から、彼女の言いたいことをただ聞いていようと思った。


「なんかおかしいのよ! 何度、家に帰ろうとしても、気付くとここに戻ってきちゃう。なにが起きているのかわかる?」


「わかりません」


「帰り方がわからないの! 助けてくれない? もう疲れちゃってヘトヘトなの……」


「おうちは近くですか?」


「そうね、ここからだと多分十五分ぐらいかな」


 さっきからこの人は、自分の話していることがおかしいことに気付いていないみたいで、私は戸惑いを隠せなかった。自分が死んだことに気付いていないはずなのに、いつからここにいるのかちゃんと答えられる。家の帰り方を知っているのに、家に帰れないという。


 「じゃ、夏の終わりから家に帰れていないんですか?」


「そうよ。って、今何月なの?」


「11月です」


「え??!」


とても驚いている様子だった。

血走ったように見開かれている両目が、一瞬だけあちこちに揺れて不気味だった。


「私…わたし………わ、た…し……」


 痙攣するような仕草をしたと思ったら、急にのけ反って空を見上げると、大きな口を開けて叫んだ。聞いたことがない音に、私はたまらず両手で耳を塞いだにも関わらず意味がなかった。

 自分の死に気付いたショックなのだろうか。それとも、とっくに気付いているのに誰かに聞かずにはいられなかったのか。


 やり場のない怒りが滲む悲鳴が周辺一帯に届いているはずなのに、一台の軽トラックが何の問題もなさそうに通り過ぎて行った。


「寒くない…。むしろ、暑いわ…。どうなってるの?」


 車が去ったと同時に、彼女は私の鼻先まで接近してきて聞いてくる。

 冷気を放ちながら、暑いと言う彼女の言動にはまるで共感できなくて言葉がすぐに出て来なかった。


「帰りたい!帰りたい!帰りたい!今すぐ帰りたいの!!」


 すがりつかれた。



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