オズの魔法使いにお願い 4
「誰か!先生呼んで!!」
ざわめきに飲まれて、甲高い耳鳴りがして、急速に周囲の音が遮断された。
無音の中、クラスメイト達が泣きわめく彼女に集まり、私に避難の視線を浴びせてくる。誰一人、私の隣には来てくれない。
当たり前だ。
味方なんか、初めから期待してなんか……。
ふと、手を握られて振り向いた。
あの男の子が私の手を握って、隣に立っている。
誰にも視えない彼だけが、私の悔しさに寄り添い慰めてくれているように感じた。
彼に手を引かれて、教室を飛び出した。上履きのまま玄関を飛び出して、私は走っていた。上着もカバンも全部そのままにして、学校から遠く離れたい気持ちでひたすら走った。
息もできないぐらいに必死に駆け続け、向かっていたのは墓地だった。
階段を上がりきったところで崩れ落ちるように転がった。少しだけ濡れたコンクリートの上で、空を睨みつける。沢山の目が私を非難している残像が見えて、私は両手で目を覆い隠した。
目を閉じても、彼らの視線が突き刺してくる。
突き飛ばしたのは悪い事だと思う。
だけど、じゃあ私は……
――― どうすれば自分を守れるんだろう?
誰にもわかってもらえないこの気持ちを、独りで抱えるには重すぎる。
辱められた私が悪者で、辱めた彼女が大勢を味方につけるなんて、そんなこと。
――― そんなことが、どうして?
波戸崎という名前のせいで始めから私は嫌われ者だった。
この町に居れば永遠にそれは覆らないだろう。
今更だけど、この町を捨てて別の場所で暮らせないものだろうか?
お父さんのお墓がここにある以上、お母さんはこの町を離れられない?
波戸崎家の墓は墓地の一番奥の、他所のお墓とはすこしだけ離れた区画に鎮座している。お墓だけ見ても、この町では嫌われ者だとわかる呪われた名前。呪われた家系。
墓石に抱き着いて私はオイオイと泣いた。
悔しさ。
絶望。
怒り。
猛烈な哀しさ。
些細なことで突っかかられて、揶揄われることなんて慣れっこだったはずで。
だけど、どうしてなのか今日はいつもの違う私がいる。
我慢できない私がいる。
声が枯れるまで泣き叫んだら、疲れてきて三角座りした。
上着を着てないから寒くて震える。
桜の紅葉がまだ鮮やかな季節なのに、いくら自暴自棄になったとはいえ勢いだけで飛び出したことにもバカらしさを感じて自嘲した。
「泣きっ面で笑うとか、不気味だなぁ」
男の子と女の子が私の隣に同じ格好で座っていることにやっと気付いた。
女の子は、昨日見かけた着物の子だ。
「どうしてそんなに悲しそうに泣いていたの?」
「さっき言っただろ?この子はね、友達がいないんだよ。学校ではいつも一人で、いじめられたんだ」
「可哀相ね、あなた」
女の子が私の顔を覗き込んできた。そこで初めてちゃんと目と目が合った。
「可愛い顔してるじゃないの。もう泣かないで」
そんなお姉さんのような口調で言われて、頭を撫でられると、どんな顔をしていいのかわからなくなる。
「いちいち難しく考えなくても良いのよ? あなたは笑っている方が素敵な女の子だと思うけど。よっぽど辛かったのね?
私達で良ければ、相談に乗ってあげるからもう泣かないで話してごらん?」
女の子はまるで大人の女の人のように優しい口調で、外見とのギャップに戸惑ってしまう。
「たかし君があなたに憑いて行ったけど、すぐに戻ってきたの。あなたも迷子だったって教えてくれたんだけど、その様子だと本当に迷子みたいね」
黒髪を綺麗に切りそろえた前髪に、少しだけ吊り上がった大きな目。誰かにとてもよく似ている気がした。
「私はみすずっていうの。あなたは?」
「みすず……お母さんと同じ名前だ」
「あら、そうなのね。あなたのお母さん、毎週あなたの家のお墓に来ているわよ。会いたい人が眠っているのね」
「それは、お婆ちゃんもお父さんもここにいるから……」
「いつだったか、今日のあなたみたいにここで泣いていたことがあったわ。あなた達母子ってお互いに心を隠してるのね」
「心を……隠してる?」
心当たりはないわけじゃない。
お母さんとはなぜか、距離を感じてしまう。
私のわがままで呼び止めてはいけない、そんな壁を感じてはいた。だから、お母さんは私が学校で孤立していることも、時々虐められていることも知らない。
「自分とは違う道を歩いて欲しい、と願っているからだわ」
みすずちゃんは大人びた笑みを向けて、自分の子供に言い聞かせる母親のようにそう言った。視掛けは少女だけど、この子はずっと大人なんだと感じて、不思議な気持ちになった。
「あなたが可愛くないわけじゃないのよ。だから、お母さんを憎まずに信じてあげてね」
「…っ」
素直に「はい」と言えない自分に、驚いてしまう。
お母さんは私を育てるために、毎日一生懸命頑張ってお仕事をしている。看護婦さんは誰かを助ける仕事だから、尊敬していないわけじゃない。だけど、時々どうしようもないほど寂しくて、私がこんなに寂しい思いをしているのに傍に居てくれないお母さんは、冷たい人だとか、鈍感だとか、母親失格だとか、心の中で責めてしまう。寂しいと言い出せないのはお母さんのせいだ、と全部を丸投げしてしまう。胸が苦しくて、涙が溢れた。
「急に物分かり良くなれってことじゃないから、思いつめないで。今は覚えてくれるだけでいい。焦らずに行きましょう?
あなたの人生の持ち時間はまだまだたっぷりあるんだもの…ね?」
みすずちゃんは私の頬に触れて涙を拭いてくれた。
「お腹空いたぁ、お供え物どこかにないの?」
「たかし君は自分のお墓に帰るべきなのよ。断りなく他人のお供え物に手を出したら、益々お迎えが来なくなってしまうわよ」
みすずちゃんはたかし君と言う男の子の頭を優しく撫でた。私はたかし君を見て、思わず聞かずにはいられなくなっていた。
「君、昨日は名前もわからないって言ってなかった?」
「たかしっていう名前はみすずちゃんがつけてくれた呼び名で、本名じゃないんだ」
「そうなの?」
私が疑問をぶつけるとみすずちゃんは頷いて答えてくれた。
「そうなのよ。この子、私がみつけた時はもっと動物霊に影響されて獣みたいになっていたの。人間らしさを取り戻すには名前を呼ばれることはとても大事なのよ。顔にたかしって書いてる気がしたから、その名前で呼ぶことにしたの」
みすずちゃんにすっかり懐いているたかし君は、まるで犬のように彼女の膝の上に上半身を預けて目を閉じた。
「他にも何人かいるんだけど、ここのお寺のお坊さんが毎朝毎晩、丁寧な供養をしてくれるから皆おだやかに過ごしているわ。ここはとても良い墓地だと思うわ」
改めて墓地を見渡すと、確かにここは供養が足りないという感じはしない。
清々しい気が漂っているような気がする。
「あなたの名前、まだ教えて貰ってないけど、聞いても良い?」
みすずちゃんは間を置いてから、私の名を聞いてきた。
「…夏鈴」
「かりん? 可愛い名前じゃない。あなたにピッタリね」
みすずちゃんは目を細めて、すごく可愛らしい仕草で笑っていた。上品で可愛い女の子の仕草を目の前で見られて、ドキドキする。クラスメイトにもいないタイプだ。
「寒いでしょう?
そろそろ、おうちに帰った方が良いわ。
歩いているうちに身体は温まるけど、空腹で芯まで冷えた身体だと生理痛が悪化しちゃうでしょ?
家に帰ったら、バケツにお湯を入れて足首まで浸かると良いわ。
足を温めるだけで、身体の芯を温められるのよ」
それなら、随分前に彼にしてもらったことがある。彼がいなくなってから、一度もしていない。
「自分で自分を大切に扱ってあげてね。そうすれば、きっと会いたい人にまた会えるわ」
そう言いながら、みすずちゃんは私を立ち上がらせた。服の上から触れられる彼女の手の感触はまるで生きている人間そのものだった。さっき、たかし君と手を繋いだ感触とは全然違って、まるでお母さんの手のように感じられた。
「また、私と話したくなったらいつでも来てくれて良いわよ。私はずっとここにいるから……」
「……ありがとう」
彼女のおかげで気持ちが落ち着いて、穏やかな気分で家路に着くことが出来た。
何度か振り返ると、手を振って見送ってくれるみすずちゃんとたかし君が視えた。
もうすぐ家の傍というところに来て、ふと思った。
――――― みすずちゃんて何者?