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純情トワイライト  作者: 森 彗子
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オズの魔法使いにお願い 3

 流浪の民、という言葉が頭に浮かんでいた。


 タンポポの綿毛が風に乗って飛び上がり、ユラユラと流れて流されて降り立った場所に根付いて花を咲かせるように、人々も何かの事情で生まれ育った土地を離れて、流浪してきた……。


 今聞いた話の内容があまりにも濃過ぎて、しばらくは考えたくなかった。なぜかわからないけれど、考えると良くない方に感情が動き出しそうな予感がしていたんだと思う。


 ござを敷いてお供えしていたご飯を二人で食べていると、ふと視線を感じて振り返った。


 立ち並ぶお墓の隙間に、色鮮やかな着物の柄が視えたような気がして。黒髪を結い上げて、花かんざしをつけた私と同じ年頃の少女がひょっこりと顔を出した。


「夏鈴?」


 お母さんに名前を呼ばれてビクっと体が反応した途端。その子は忽然と視えなくなった。


「今、どこ視てたの? 誰かいたの?」


 私は首を振ってとぼけた。なぜ、そんなことをしたのか自分でも説明できない。だけど、そうしなければいけない気がしたの。


 お墓参りでご先祖様と一緒にご飯を食べる習慣があるのは、この土地では珍しいみたい。前にお坊さんが来て、ゴミなどきちんと片付けてくれたら問題ないですよ、と念を押されたことを覚えている。


 お墓参りシーズンをわざと外して、こうしたお参りをするのは珍しそうに見られるのが嫌だからというのもあるし、この町の腫物である波戸崎家を避けて欲しいからでもある。


「ね、お母さん。お爺ちゃんの元々の苗字はなんていうの?」


「波戸崎よ」


「え?」


「お爺ちゃんは波戸崎家の養子だったのよ」


「複雑………」


「だから、結婚して北海道で戸籍を作る時も波戸崎を名乗ったの」


「戸籍を作るときに、新しい名前で造ることはできなかったの?」


「できたみたいよ。だけど、敢えて波戸崎を捨てなかったわ。なぜかは、私は知らない。


お爺ちゃんに聞いてごらん?」


 助手席のシートベルトをしめながら、私はふとお墓の方を見上げた。丘の上でさっきの艶やかな着物を着た女の子が突っ立って海を眺めていた。


 車が動き出して坂道を降りていくと、交差点に出る。そこを右に曲がって少し走ってから、左に曲がって少し奥に入った場所に、我が家が借りている賃貸アパートがある。築20年ぐらいっていうけれど、海風のせいか外壁がボロボロの古めかしいアパートだ。大家さんはお爺ちゃんの御近所さんとお友達で、仲間のよしみで借りれたんだそうだ。


「なにせ波戸崎は嫌われ者だからね」と、言うのがお母さんの口癖。


 看護婦の仕事をするときの名札には「美鈴」と書いている。偏見や誤解によって余計な手間が生じる不毛さに嫌気がさした、と本人は言う。


 おばあちゃんのことを知ってる人は知っているせいで、そこで大騒ぎをされたことがあったんだって。お母さんはただ看護師として仕事をしているだけなのに、「呪われたくない!あっちへいけ!」と言われたそうだ。


 人口一万人に満たない小さな町で、おばあちゃんの能力を知っている人は開拓時代からの権力者が中心だから、それ以外の人は知らないはずだとお爺ちゃんが後で教えてくれた。


 帰宅して手を洗ってから自分の部屋に行って机に座った。

 ふと、何かの気配を感じて六畳の和室を見渡すけれど、姿が見えない。猫か犬が入り込んだような獣臭けものしゅうに似た濡れた毛みたいな匂いに鼻をつまんだ。


「だれ?」


 椅子に座ったまま首だけ動かして周りを見ていた私の足首に、誰かの手らしき感触が触れた。咄嗟に立とうとしたのに、身体が動かなくなる。


「誰なの?」と、心の中で問いかけたら、膝のあたりに人の頭部らしき大きさのものが乗っかってきた。目しか動かせなくて、必死にそっちを見ようとするけどうまくいかない。


 こういうことは初めてじゃないから、私は全く怖くはなくて。だけど、相手の顔が見えないとやっぱり不安で、一生懸命金縛りを解こうと指先を動かした。


 膝の上のものが跳ねて、机の上に乗ってきた。

 視界の隅にそれが見えて、私は息を呑んだ。



 細長い目をした少年の、やはり頭部だけがそこにはあった。

 ニコニコと無邪気に笑っているけど、彼を包んでいる光が紫と黒が混ざっていて、毒々しい匂いを放っていた。これは動物霊と交じり合った子供の彷徨える霊のようだ。


「お姉ちゃんには、ぼくが視えるんでしょう?」


 肉声のような澄んだ子供の声が聞こえた。

 こんなに積極的に話しかけてくれる霊なんて、珍しい気がする。


「私は何もできません」と、心の中で返事をすると、明らかにがっかりしたのが伝わってきた。


「冷たいね。ぼくは困ってる。お姉ちゃんに助けて貰いたいのに……」


 頭部だけだった少年が少しずつ背が伸びてきて、首から下の身体を表した。座った私より少しだけ目線が高い少年の顔は、目の前で見ると普通にキレイな顔をしていた。


 つい、その無垢な瞳に視線が吸い込まれてしまって、少年の無念と私の触覚器官が連結する音が聞こえた気がした。途端に少年の記憶が脳内再生されて、交通事故で命を落としたことを知らされた。

 踏切の中で突然エンジン停止した車中にいた家族全員、咄嗟に逃げようとしたけどシートベルトを外してドアを開けるという簡単な作業でもたついているうちに汽車が衝突した……。


「お姉ちゃん、ぼくの家族を探して欲しいんだけど」


 少年は両手を握りしめて、お願いのポーズをして頼んでくる。金縛りを解いてくれないと、声も出せないんだけど。


 心の中で、金縛りを解いてと念じてみると、急に体の力が抜けて猛烈な疲労感がやってきた。


「もうすぐしたら、全部忘れてしまいそうで怖いんだ」


 彼はポツリとそう言って、うなだれていた。こんな小さい子が幽霊になって彷徨っているなんて軽くショックだった。


「名前は何ていうの?」


「忘れちゃった」


 交通事故の前後の記憶も視えたのに、肝心の名前など個人を特定する情報が一切なかった。これじゃお手上げだ。


「私もまだ子供だから、できないことがありすぎて助けたくても助けられないの」


 本音だったけれど、言いながら酷く言い訳染みていると気付いて情けない気分になった。


「忘れたくないのに、忘れていくんだ…。怖いよ…、怖いよ…」


 男の子は哀しそうにすすり泣きながら、部屋の壁に吸い込まれるようにして消えて行った。


 困っている人を助けるのは人の情けというけれど、実際に困っている人を前にすると何をするのが正解なのか私にはわからない。いつだってそう。わからない。


 だけど、気持ちを汲み取ってあげることならできる。少年が忘れていくのを怖いという気持ちは、私にはよくわかる。


 初恋の人の顔を、時々どうしても思い出せない時がある。顔の部分だけ空洞になって、それ以外のこともその穴に吸い込まれていくみたいな、奇妙な感覚になることが何度もあった。


 自分が忘れていくのか、相手が忘れていくのを感じているのか、誰がわかるんだろう?


 忘れないで。

 忘れたくない。

 だけど生きている以上、私たちは毎秒毎に忘れていく。


 少しずつ溶けたインクが散らばって、薄れていくように。



 それがそのまま消えてしまえばラクになるのかな。


 私の場合は、フラッシュバックしてしまうと再び強烈で鮮明な映像が脳裏に焼き付いてしまうんだけど。




 翌朝、土曜日は午前中授業がある。だから学校に行かなくちゃいけない。


 明け方に降った雪が朝日で溶け始め、小さな流氷模型のような水たまりがいくつも出来ていた。空を映す水かがみををいくつも飛び越えて、やっと学校に辿り着いた。慣れない生理ナプキンを当てた下半身の違和感は半端なくて、ずっしりと重くなっていくそれをいつ交換するべきか気にしだすと、休み時間ごとにトイレに行く羽目になってしまった。そんな私の落ち着きのなさが目立ったのか、普段話しかけてこない子が大きな声で質問してきた。


「もしかして、波戸崎さん。女の子の日なの?」


 クラスの男の子もいるところでそんな質問をするなんて、デリカシーのなさに驚きと怒りを感じてクラクラした。普段から関わりたくないタイプの、人の不幸は蜜の味を地で行くような彼女の口元は緩んでいた。


 どうすべきか迷って、無視することにした。


「答えないってことは、図星なんでしょ? ねぇー、みんな!かりんとうが生理になったんだって!」


 教室中に響き渡る声に、皆が一斉に振り向いて私を注目してきた。ゾワゾワと悪寒が身体の表面を覆い、全身の血が顔に昇ってくる。猛烈な怒りを覚えた私は、衝動的に彼女の胸を両手で突き飛ばした。


 床に倒れて後頭部を打つ鈍い音がして。

 その子はすぐに起き上がって、皆の視線を一望してからわざとらしく泣き顔を作った、ように見えた。



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