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純情トワイライト  作者: 森 彗子
10/20

オズの魔法使いにお願い 6

 さっきまで普通の様子だった彼女は、今じゃ傷だらけで足は血塗れだった。制服の白いブラウスが血と土とタイヤ痕がついている。どんな死に方をしたのか、想像するだけでも恐ろしくなって足が竦んでしまう。


 私の下半身にしがみつく格好で、血まみれで髪の毛も振り乱してさめざめと泣かれてしまって、身動きが取れない。


 どうしようかと悩んでいると、また一台の青い乗用車が目の前を通り過ぎた。踏切の向こう側で停止した車から、袈裟を着たお坊さんが降りてきて私に声を掛けた。


「君!そこにいたら危ないから、こっちにおいで!」


 見たことがある顔だった。


「同情なんかしたら、入られてしまうよ!」


 そう言われた瞬間。

 目の前の色が少しだけ暗くなった気がした。


 サングラスをかけた時のような、一瞬の闇にハッとするけれどすぐに目は慣れてしまう。

 ただ、明らかに私は場違いなほど暑くて。




 ……あの日は暑い日だった。


 気分が悪くて自転車から降りた途端、突然猛スピードで踏切を突っ切ろうとした車が私を押し倒したんだ。


 バッタリと倒れて空が見えた。


 暗い穴に落ちていくように視界が狭くなり、音が遠ざかる。

 手を伸ばそうとしたけれど誰かに捕まれて自由が効かない。


 痛みはなくて、でもはっきりとわかるほど私は絶望していた。


 こんな風にある日突然人生が終わるなんて。



 どうして私が死ななくちゃいけないの?






「夏鈴!」


 その声に呼ばれたら、条件反射的に顔を向けてしまう。

 夏服を着た晴馬が手を振りながら私を迎えにやってきてくれたのだから。


「迎えに来たよ。今夜はうちに泊まるだろ? ちゃんと腹巻も入れたか?」


「腹巻なんていらないし」


「とにかく入れてこいよ? 俺が美鈴さんに怒られるんだから…」


「……はぁーい」


 晴馬が私のせいでお母さんから叱られるなんて、そんな迷惑をかけるわけにはいかない。


 玄関先に置いていたリュックサックに、部屋から取ってきたピンクの腹巻を突っ込んだ。所帯じみた格好なんてしたくなかったけど、晴馬から見れば私は小さすぎる子供なんだもの。背伸びしようとしたとしても、相手にもされないことはわかってる。


「なに膨れてるんだよ? 二週間ぶりなんだから、もっと嬉しそうに笑ってくれると思ってたのに……」


 すごくがっかりした声だった。


 私が自宅の鍵をかけていると、背後に立った彼がで背負っていた荷物をひょいと持ち上げて、私を見下ろした。

 その顔が懐かしいほどに眩く見える。

 会うたびにどうしようもなくカッコよく見えてしまうから、恥ずかしくて真正面から見つめ返せなくて、私は照れ隠しで思わず顔を反らしがちになっていた。


「だって、晴馬がいきなり腹巻っていうからでしょ?」


「だって、昨日の夜しつこく念を押されたんだよ? 美鈴さんに」


 晴馬は少しだけ屈んで私の耳に近い場所で言うから、くすぐったいような逃げ出したいような気分になった。それにしても……。


「お母さんのこと、名前で呼ぶんだ……?」


 非難めいた口調に、晴馬は目を丸くした。


「嫉妬してんの? ははは…、そんな深い意味なんてないさ。だって、美鈴さんて苗字で呼ばれるのイヤなんでしょ? 姉貴からそう聞かされてるんだけど」


 確かに、お母さんは波戸崎と呼ばれないように注意を払っていた。そんなに気に病むほど自分の苗字が嫌なら、お父さんと結婚して姓を変えてしまえば良かったんじゃないの? と、心の中で独り言。


「詳しい事情は知らないけどさ。お前んちの苗字を嫌っているのは、美鈴さんじゃなくて古くから偉そうにしてる連中だろ? そんなことぐらいお前のことだからわかってるんだろうけど、じゃあ他にどう呼べばいいのか教えてくれよ? な? あとで一緒に考えてやってもいいし。


とにかく、そのふくれっ面はやめよ?」


 しゃがんで同じ目線になった晴馬が、うっとりするほど優しい顔で私の頭を撫でた。


 いきなり笑顔になれって言われても、どうすればいいのかわからないよ。


「なんでそんな泣きそうな顔してるんだよ?」


 晴馬は困ると必ず頭をガシガシと掻いて、下唇を突き出す。

 困っている時の顔がまたすごく可愛いと思ってしまうと、キュンと心の奥が切なくひしゃげた。


「ごめんな……。知らなかったとはいえ俺が悪かった。ほら、おいで……」


 荷物を脇に置いて両手を空けた晴馬が、私の背中に手を回して引き寄せた。抱きしめながら髪を撫でてくれる大きな手が心地よくて、私から晴馬の首に両腕を回して身体を預けると、完全に私を腕の中に閉じ込めた晴馬は何も言わずに抱きしめてくれた。


 お互いの鼓動が伝わってくるほどに胸と胸が重なり合ったまま、じっと目を閉じていた。


 抱きしめながら、何度もため息を吐く晴馬の吐息を吸い込む。普段、誰からも距離を置いて他人を寄せ付けない私には、こんなことが出来る相手はただ一人、東海林晴馬だけだ。


 一分ぐらいして、やっと身体を離した晴馬が鼻のてっぺん同士をくっつけた位置から私の瞳を覗き込んでくる。

 優しい瞳で薄く笑って、私が何を考えて何を期待しているのか読み取ろうとしているようだった。


「ご機嫌良くなってくれた?」


 キスできそうな距離に、私は生唾を飲み込んでしまう。


「どうした? 熱っぽい顔して…」


 晴馬は真顔で額同士をくっつけてきた。それから、数秒後には顔を離して「熱はないみたいだけどな」と言った。平然としている彼を見て、がっかりしてしまう私の乙女心。


 もうすぐ九歳だけど、明らかに彼に恋している私は顔を覆い隠してしまいたいほど恥ずかしくて俯いた。


「夏鈴? ……とりあえず、行こうか。今夜はカレーを一緒に作ろうって約束してたの、覚えてる? 夏鈴にはにんじんとジャガイモの皮剥いて貰いたいんだけど、良いよな?」


 喋りながら彼は私のリュックを肩に担いで、空いている手で私の手を繋ぎ歩き始めた。私の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれるけど、晴馬の長い脚がまた一層長くなった気がして見上げる。


「背、伸びてる?」


「いや、俺はもう身長止まってるよ。背が伸びたのはお前だろ? 」


 私の顔を見て返事をしてくれるから、嬉しくて彼を見上げた。


 晴馬の向こう側に広がる空は、どこまでも澄んだスカイブルーと真っ白い入道雲が浮かんでいた。




「喝!!」


 おじさんの怒鳴り声に驚いて目を開けた。


 見慣れない景色を前に、私は寝惚け眼を方々に向けると、さっき踏切で声を掛けてきたお坊さんが私を見詰めていた。


「……ここはどこですか?」


 恐る恐る質問すると、おじさんは表情を変えないまま教えてくれた。


「ここは私の寺です。君は波戸崎の御嬢さんで間違いないね? 色んな霊をくっつけていたから、勝手ながら除霊しておいたから」


 除霊……と聞いて、私は慌てた。


「あの!除霊って、誰と誰ですか?」


 私の質問が不可解だったのか、お坊さんは訝し気に私を見た。


「……君は霊を友達にしているのかい?」


「友達ってわけじゃ……」と、言い訳しかけて口をつぐんだ。


 お坊さんから見れば私のやっていることがどう見えるのか、わからなくて言い淀んでしまう。ただでさえ、変な色眼鏡で見られている波戸崎の名がさらに私のせいで濁してしまうのは気が引けた。話さないでやり過ごそうと心に決めて、私はお坊さんをジッと見つめ返した。


 お坊さんは私に「正座は辛いだろうから崩してくれて構わないよ」と、親切に言ってくれた。私が話す気がないことを汲み取ってくれたようで、ホッとする。


 それにしても。

 私は思わず両手で頭を抱えた。


 忙しなく変わる目の前の出来事についていけない!


 さっきまで、彼との思い出が夢に出てきて……それから?


 その前に、何があったんだっけ?



 ふと目に入ったお坊さんの顔を見て、パッと思い出す。


 夏仕様の制服を着たあのお姉さんが、たぶん私の中に……憑依したんだ。



 そして、死んだ瞬間の体験をした……。



 気分が悪くなって、またぱったりと布団の上に倒れてしまった。


「君はとても憑かれやすいようだな。それじゃ普通に生活しにくいんじゃないか?

お祓いならここで何度でもしてあげられるから、何でも背負い込まずに通って来なさい。良いね?

霊と一緒にいると君の精気がどんどん奪われるぞ」


 お坊さんはまるで念を押すようにそれだけを言って、お菓子とお茶を出してくれた。


「ああ、それとね。君のお母さん、看護師の美鈴さんだったよね? さっきうちの者が病院に連絡しておいたから、そろそろ迎えが来る頃だろう」


 お坊さんはそれだけを言うと、立ち上がってどこかへ行ってしまった。入れ替わりにやってきたおばさんがまた親切で、「子供の目の下にクマがあるなんて、寝不足?」と聞かれても答えられなかった。



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