春風の友だち
家紋武範様主催「隕石阻止企画」参加作品です。
春風にゆれる菜の花の間を、黒いランドセルがカタカタと音をたてて走り抜けていく。
「おおい、ふうたあ」
風の中から、自分を呼ぶ声が聞こえてくるのだ。
菜の花畑をつきぬけ、お宮の杜を横切れば見えてくる。毎年この時期になると出会える友だち。
「お―い」
だんだん声が近くなる。
「おお―い! 」
待ちきれなくて、風太も思わず叫んでしまう。
そして、ついにその友だちは、風太の前にすがたを見せた。
風太の家の前で、ゆうゆうと風に身体をなびかせている一匹の黒のまごい。
風太を見下ろす大きな目玉が笑っている。
「よう! 久しぶり! おまえ、少し背が伸びたな」
「うん。二センチくらいはね」
「ニンジン、食えるようになったか?」
「いいや。ぜんぜん」
「ひとりで起きれるようになったか?」
「ううん。まだまだ」
「どうりで、あいかわらずチビ助なんだな」
「クロ助もあいかわらず口が悪いね」
そんなやりとりも、風太は楽しくってたまらない。
クロ助は、風太が生まれたときにおじいちゃんが買ってくれたこいのぼりだ。
初めてのお節句の時には、名前が染め抜かれた、金色ののぼりや、クロ助をはじめとしたまごいや、赤や青のひごいたちが、わさわさと風太の家のまわりにたてられた……が、一年たち、二年たつにつれておじいちゃんは、クロ助だけをかざるようになった。
「これはな、わしのかわりにずうっと風太を見守ってくれる、特別なこいのぼりなんじゃよ」
おじいちゃんのふしぎな口ぐせのとおりに、その後おじいちゃんが亡くなってから、クロ助は、あたりまえのように風太に話しかけてくるようになった。
「おしゃべりできるのはぼくとクロ助の間だけなんだよね。ほかの人には何にも聞こえないんだよね」
「あったりめえさ。『話せるこいのぼり』とかうわさになってみろ。ここいら、テレビ局のヤツらでいっ
ぱいになっちまわあ」
そうなのだ。クロ助は風太だけのヒミツの友だち。
二人で過ごせる春は、風太にとって何よりも待ち遠しい季節だった。
「四年生になって、なにか変わったことあったか?」
クロ助は尾ひれをバタバタさせて風太にたずねる。
「うん。転校生が来たよ」
「ほう? こんな田舎にか。めずらしいな」
「大川緑子ってんだ。東京から来たんだよ」
そして風太は、クロ助に緑子のことを話し始めた。
「勉強も運動もいちばんさ。かけっこなんて、学年でいちばん速い直人だって抜くんだから。それに、すごくハキハキしててさ、口げんかならだあれもかなわないよ」
「ハッハッハ。それは楽しみだなあ」
クロ助は身体じゅうをくねらせ、ごうかいに笑う。
……と、急にしずかになってささやいた。
「ほら、後ろ。うわさをすればってやつだぞ」
風太がおどろいてふりかえると、そこには菜の花とみまちがうくらいに、あざやかな黄色のカ―ディガンを着た女の子が立っていた。緑子である。
「このこいのぼり、風太くんのだったんだ」
とてもめずらしそうに、じっとクロ助を見上げている。
「私ね、小さい時、すごくこいのぼりがほしかったんだ。だけど男の子じゃないから、買ってもらえるはずがないでしょ。ほしいほしいって泣いたのおぼえてる。そしたら、おとうさんがね……」
緑子はしゃがむと、ランドセルから筆箱をとりだした。その中から出てきたのは、赤い折り紙できっちりと折られたこいのぼり。もうずいぶん古いものなのだろう。色はあせて、ところどころすりきれている。言っちゃわるいが、かなりのオンボロこいのぼりだった。
「じゃあ、赤いこいのぼりを緑子にあげよう。これは特別なこいのぼりなんだから、ずうっと緑子のお守りにしなさいって折ってくれたの」
「へええ」
うなずきながら風太は、ふとクロ助を見上げた。
クロ助の大きな目は、緑子を優しく見守っている。
特別なこいのぼりを持ってるという点では、風太も同じだ。クロ助は、風太と話すことができる。世界中どこをさがしたって、こんなこいのぼりがあるはずがない。なんたっておじいちゃんの魔法がかかってるんだから……。
そんな風太の気持ちを、まるでわかっているかのように緑子はことばを続けた。
「おとうさん、私が一年生になる前に死んじゃったの。だけど、このこいのぼり持ってたら、少しもさびしくなくて……多分おとうさんの魔法がかかってるからだと思うの」
それから数日後のことだった。
三時間目の体育を終えて、風太が教室にもどってくると、数人の男子が、直人をかこんでひそひそ話をしている。
「なにやってんだ?」
のぞきこんだ風太はあっとさけびそうになった。
緑子のディズニ―の筆箱の中身が何もかもなくなっている。もちろん赤いこいのぼりも消えていた。
「どうしたんだよ。これ」
風太は、直人をにらんだ。
きっと、かけっこの王者を緑子にさらわれた腹いせなのだ。一度あいつをギャフンと言わせたいと言いふらかしているのは知ってたけれど、まさかこんなことをやらかすなんて……。
「ただかくしただけ。ゲ―ム、ゲームよ」
「そうそう。どこにかくされてるんか緑子にあててもらうんよ」
ふだんから、直人の付き人のような男子たちは、この悪だくみをおもしろがっている。
赤いこいのぼりはどこなんだろう……。あれは緑子にとって特別なお守りだ。捨てるつもりではないにせよ、それだけは触れてほしくなかった。
「やめろよ」
勇気をふりしぼって言ったつもりだったが……。
「風太、なんか言ったか?」
直人たちは、けげんな顔つきで風太を見た。
声が小さすぎて聞き取れなかったらしい。
「……何でもない」
心にもやもやしたものを残したまま、風太はその場からはなれた。
放課後、だれもいなくなった教室で、緑子がいっしょうけんめいに赤いこいのぼりをさがしていた。
「ねえ、どこにいるの? お願い、出てきてよ」
後悔といらだちの嵐が、風太の中で吹き荒れる。
こらえきれずに、風太はそこから走り去った。
「おい、風太、どうしたあ? 」
家に帰ると、今日もクロ助は元気いっぱいだ。
つきぬけるような青空を、幸せそうに泳いでいる。
「クロ助はなやみがなくていいよな」
「あったりめえさ。なやみがあるこいのぼりなんてどこにいる? どうした?どうした? この五月晴れに、さえない顔しやがって」
仕方なく、風太はクロ助に向かって、心のもやもやを吐き出した。
「ばっかたれい!
話を聞くやいなや、クロ助は風太をどなりつけた。
「知らん顔なんぞしやがっておまえ、よくも男でいられるなあ」
「だって……」
「だってもすってもあるかよ。緑子ちゃんがあんなに大切にしてるものをかくされたってのに、おまえ、なんで止めねえんだ?」
「止めようと思ったんだ……」
「思っただけじゃだめなんだよ」
クロ助のぎょろりとしたまなざしが、きょうはやけにこわい。
「それでどうなったんだ? あのお宝の赤いこいのぼりは?」
風太はだまったままかぶりをふった。
「だまってねえで口で言えよ。 緑子ちゃんの様子を見なかったのか?」
しぶしぶ風太はこたえる。
「見つからないんだと思う。必死にさがしてたから……」
「いっしょにさがしてもやらねえのか!」
あの時、もし緑子が泣きだしたらと思うと、いっしょにいたくなかったのだ。
「……ったく、じいさまが聞いたら泣くぜ」
クロ助はあきれたように、大きなため息をついた。
「よし、今から行こう」
「行くってどこへ?」
「緑子ちゃんのところに決まってらあ。お宝が見つかってないのなら、すぐにさがすぞ」
「さがす? さがすってどうやって?」
「ごちゃごちゃいわんで、オレの背中に飛び乗れ!」
やがて、山の方から、ごうっと強い風が降りてきた。
クロ助は思いきり風をはらむと、身体をよじってロ―プを切り、風太めがけて急下降してきた。そのタイミングをのがさず、風太はクロ助の背中に飛びのる。
「さあ、行くぜ」
風太を乗せたクロ助は、みるみる空に舞い上がった。
学校から少しはなれたところを、緑子はトボトボとした足どりで帰っていた。
「かわいそうに。あの様子じゃ、まだ見つかってないんだな」
クロ助はつぶやいた。
「ねえ、見つかるの?」
風太はおっかなびっくりたずねてみる。うかつなことを言うと、このこいのぼりに怒られかねない。
「あったりめえよ。相手が魔法のかかったこいのぼりっていうなら、話が早い」
クロ助は自信たっぷりにこたえ、いきなり大声でさけびはじめた。
「おうい! 赤いこいや、どこだ~? 赤いこいや、出てこ~い」
風太は思わず身体を縮こませた。
「ねえ、やめてよ。だれかに見つかるよ」
「よく目を開けて見てみろ。空を見上げてるヤツがひとりでもいるかどうか」
そっと地上を見下ろすと、なるほど道行く人々にはクロ助のすがたも見えてなければ、声も聞こえてはいないようだ。
クロ助はさらに声をはりあげた。
「赤いこ―い、緑子が待ってるぞ~。返事してくれ」
そのときだ。
「ここだよ~」
消え入るように小さな声が、小学校の中庭の方から聞こえてきた。
「おっしゃあ、今行くぞう」
クロ助は身をひるがえして急下降する。
中庭のハクモクレンの木の枝に、赤いこいのぼりが引っかかっている。
なんでわざわざこんな所に……。
直人に対する腹立たしさがこみあげてくる。
「ようし、今、助けてやるからな」
クロ助が近づいていって、ふっと息をふきかけると、それはみるみる大きくなり、赤いひごいに変わった。
風太を乗せた黒いまごいと、チョコチョコ後ろをついてくる赤いひごい。
一刻も早く緑子に見せてやりたい。
力なく歩いている緑子のすがたを見つけたとき、赤いこいのぼりも、クロ助も、風太も力の限りに叫んだ。
「お―い! 緑子! もどってきたよう!」
「うお―い! あったぞう!」
「赤いこいをみつけたぞう」
けれども緑子は何にも気づかない。
こんなに、くりかえし、名前を呼んでいるというのに……。
「わたしを、緑子に返してくれますか?」
赤いこいのぼりが、残念そうに風太の方を向く。
「おい、風太、緑子ちゃんに言うことはわかってんな?」
クロ助のことばに、風太は、こっくりうなずいた。
翌日の昼休み。
人気の少ない図書室で、風太はだまったまま、赤い折り紙のこいのぼりを緑子に差し出した。
「どうしたの? これ。どこにあったの?」
中庭の木にひっかかっていたことだけを伝えると、風太は、思い切って頭を下げた。
「ごめん。直人たちが悪だくみしていること知ってたのに、オレ、止められなかった」
「ううん。風太くんのせいじゃない。見つけてくれて本当にありがとう」
緑子はやわらかく首を横にふった。
「わたし、ちょっと前までは、このこいのぼりとお話できてたんだ。だから呼んだの。 何度も何度も……」
「それなのに……? どうして?」
「わからない……。この頃はもう何も言ってくれなくなったの」
そんなはずはない。昨日赤いこいのぼりは、緑子の名前を何度も呼んでいたし、その声はちゃんと風太の耳にも届いていた。魔法がかかっているのはまちがいないのだ。それなのに……。
「帰っておかあさんに聞いてみたの。そしたら……」
「そしたら……?」
「大きくなるってそういうことなんだって。聞こえていたものが聞こえなくなって、見えていたものが見えなくなったりするんだって」
風太はカミナリに打たれたように、じっとかたまっていた。
クロ助は、気持ちよさそうに五月の光と風を浴びて泳いでいる。
今月が終われば、また来年までクロ助とお別れだ。
来年の自分は、今よりももっと身長がのびているかもしれない。
きらいなニンジンが食べられるようになっているかもしれない。
一人で起きられるようになっているかもしれない。
変わっていることはいっぱいあっていいけれど、ひとつだけ、ぜったいに変わってほしくないことがある。
それは、クロ助とおしゃべりできること。
クロ助の声が、なにも聞こえなくなるなんて考えたくもない。
「ねえ。クロ助」
「なんだ~あ?」
「ぼくがおじいさんになっても、クロ助とお話できるよね? ずっとずっと友だちだよね?」
「……そういう未来のことはだなあ」
クロ助は、のんびりとこたえた。
「今からいろいろ考えるこたあねえ。しぜんに、しぜんに変わっていくもんだからよ。さしあたってわかってることはだなあ……」
ぐりんとした目が、優しく風太をとらえた。
「まだまだ、風太にはおいらが必要ってことさ」
ぶあつい春風が、一人と一匹を包み込むようにさあっと吹き抜けていった。
お読みいただきましてありがとうございましたm(__)m