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懸想する殿下の溜息  作者: 森崎緩
後日談
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愛を食む人々(4)

 国王フランツへの拝謁は、表向きは『会食』という形を取ることになった。

 国王陛下と王子殿下の会食に、マリエはあくまでも近侍として付き従う――そのように、伝令からは申し渡されていた。


 だがその真意はカレルの口から直々に伝えられた。

「決戦の時だぞ、マリエ」

 冗談めかした物言いに、マリエはつい笑ってしまう。

「仰る通りです。これはまさに大勝負でございます」

「そうだな。無論、勝利は必ず手に入れる」

 カレルはマリエの笑顔を見て、深く安堵したようだった。

「既に腹は決まっておるようだな。頼もしい限りだ」

 その言葉通り、マリエの心は不思議と落ち着き払っていた。

 緊張がないわけではなかったが、少なくとも恐れてはいない。決戦に向け、まさに不退転の意思で挑むつもりでいる。

「陛下がわたくしの話を聞いてくださるのは、またとない好機でございます。わたくしの胸中を誠心誠意お伝えする所存です」

 マリエが得々と語れば、それに対して今度はカレルが笑った。

「そういうところは昔から変わらぬな、マリエ」

「何か、おかしなところがございましたか」

「そうだな、お前らしくはあるが少々堅苦しい」

 カレルはマリエの唇にそっと指を置く。

 そうして次の言葉を遮った後、言い聞かせるように続けた。

「忘れるな。この会食におけるお前は、私と同じく父上の客人だ」

 それはマリエにとって全く畏れ多いことだったが、臆してもいられない。

 国王陛下にも、そしてその場に当然居合わせるであろう大叔父に対しても、自分の覚悟が揺るぎないものであることを示さなくてはなるまい。

「私が隣にいる。何かあればいつでも頼れ、支えてやる」

 そう告げて、カレルはマリエの唇から指を離す。

 マリエは口を開き、なるべく柔らかく告げてみた。

「殿下からそのようなお言葉を賜るわたくしは、この上なく幸せ者でございます」

「……今に、もっと幸せにしてやる」

 カレルからは、決意を確かにした答えが返ってきた。

 その言葉こそがマリエにとっては至上の幸福であり、覚悟を支える礎でもある。カレルがその意思を抱き続ける以上、マリエの決意が揺らぐこともない。

 そして互いの切なる願いを叶える為、二人は決戦に臨もうとしていた。


 一方、『会食』の真の目的を知らないミランも、この知らせにはいたく興奮していた。

「今度はねえさまがお供を務めるのですね!」

 近侍としては常に凛として振る舞うミランだが、マリエの前では十歳の少年らしさが抜け切らないのだった。今も黒い瞳を輝かせてはしゃいでいる。

「国王陛下のお住まいに立ち入りが許されるだなんて、さすがはねえさまです!」

「わたくしはただのお供です。はしゃぐのはおかしいですよ、ミラン」

 マリエが優しく諭しても、好奇心が疼いて仕方がないようだ。

「もし許されるのであれば、陛下がどんなところで暮らしておいでなのかを伺いたいです」

 だがミランが知りたがるのも無理はない。王子の近侍にも滅多に立ち入りが許されない王の居室が、未来においてはミランの管理下に置かれることになるのだ。あの居住区画を現在管理しているのは大叔父ヘルベルトだが、王子殿下が王になる時、王子の近侍もまた先代の務めを引き継ぐ。まだ幼いながらも、ミランは近侍としての矜持を持ち合わせているようだ。

「それから大叔父様のご様子も、是非に」

 ミランがしきりにねだるので、マリエは苦笑しつつも頷いた。

「大叔父様のことでしたら、あなたに話しても構わないことでしょう。わたくしがあなたの分までしっかりと見てきます」

 マリエにとっても、近侍としてのヘルベルトは大いに気になるところだった。

 母ハナがミランに語った通り、彼は一族の誇りであり、余人をもって代えがたい役目を負っている。これまでは純粋な憧れとして見てきた存在だったが、その未来がマリエのものではなくなった今、王の為に全てを尽くすヘルベルトを従姪として見ることもできるかもしれない。

 あるいはただの娘として、王族に尽くし、付き従う生き方を見つめることができるかもしれない。

 考えてみればマリエにとって、ヘルベルトはこれまで偉大な先達でしかなかった。先日彼自身が語ったように、親族としての繋がりがありながら言葉を交わすことも稀で、酷く遠い存在でもあった。だが彼にも歩んできた人生があるのだろうし、もしかすればマリエのこれまでの十年のように、心が揺れ動く日も思い悩む日も、失敗をして落ち込んだ日もあったのかもしれない。

 彼は、本来はどんな人だったのだろう。

 そしてミランは将来、どんな近侍になるのだろう。

「……あなたの未来の姿を見てくる。そういうことなのかもしれませんね」

 マリエは弟を見下ろして、しみじみと呟いた。

 ミランは少しはにかみながら、姉の視線を真っ直ぐ受け止める。

「大叔父様にも、私のような頃があったのでしょうか」

「ええ。大叔父様もちょうど十でお城に上がったと伺っています」

「では国王陛下にも、今の殿下のような頃がおありだったのでしょうか」

 続いた質問に、マリエは一瞬眉を顰めた。弟の口調は屈託なかったが、過去を探るその言葉がいささか不敬に思えたからだ。

 だがそれは至極もっともな疑問でもある。ヘルベルトに十の頃があったのなら、国王フランツにも幼年期があり、少年期があり、王子殿下と呼ばれていた頃があったはずだ。マリエにとって、あるいは多くの国民にとって敬愛すべき国王フランツだが、王子殿下であった頃を伝える逸話などはほとんどない。

 いや、一つだけある。

 彼の話だと断言されたわけではなかったが――その芝居を、かつてマリエはカレルと見た。

「それはこの先の未来でわかることです」

 マリエは夢見る思いで答える。

「殿下のお傍にいれば、その答えがわかります。見届けるのはあなたですよ、ミラン」

 いつかカレルも、そんな国王になるのだろう。

 若き日のやんちゃぶりも悩みも失敗談も、全てが信じがたいと思われるような立派な王になるのだろう。

 マリエがその夢を弟に託すと、ミランは急に口を閉ざし、少し寂しげに姉を見上げた。

 あどけなさの残る顔で何か言いたげにしながらも、その時は何も言わなかった。


 そして、来たる会食の日の夜。

 城の中心部にある国王の居住区画に、マリエはカレル、そして警護のアロイスと共に足を踏み入れていた。

 以前はカレルとアロイスが消えるのを見送った扉もくぐり、その先に続く回廊を進む。塵一つない清らかさも、生活感が感じられない荘厳さもそのままに、絨毯が敷かれた回廊を静かに進んでいけば、やがて一つの部屋に辿り着く。扉の前に立つ兵はやはり正装で、表情にもひとかたならぬ緊張感が漲っている。

「あれもお前の部下であろう。少しは見習ったらどうだ」

 扉の中の応接間にて、長椅子に腰かけながらカレルは言う。

「私めの日頃の態度は、王子殿下を規範としておりますゆえ」

 正装のアロイスが詰襟の隙間に指を突っ込みながら応じた。

「お前は年少の者を規範にするのか」

「王子殿下は全ての者の模範となるべきでございましょう」

「では私を見習い、もう少しルドミラ嬢に顔を見せてくるのだな」

 この度の応酬はカレルの方が勝利を収めたようだ。アロイスは急にそ知らぬふりで黙り込み、それを見たカレルは勝ち誇って唇を歪めた。

 そしてマリエは普段と変わらぬ二人のやり取りを、傍らで見守っていた。

 王の居室に通じる応接間においても、カレルもアロイスもまるで緊張した様子がない。それはマリエにとって非常にありがたいことで、そうでなければここの独特の空気にあっという間に呑まれていたことだろう。

 国王の客人を招く特別な応接間とあって、室内の調度一つとっても威厳に満ちていた。壁を飾る絹織物には歴史物語の一場面が描かれ、部屋の片隅には先代の王の彫像が勇ましい顔で立っている。焚き染められた香は眠気を覚ますような瑞々しい香りで、高ぶる神経が一層研ぎ澄まされていくようだった。

 室内には明かりが点っていたが、先客の姿はなかった。ここにいるのはカレルとマリエとアロイスだけだ。

「支度ができたら呼びに来る。のんびり待っているがいい」

 カレルはマリエに声をかけると、自らが座る長椅子を指示して言い添える。

「何なら隣に来てはどうだ。幸い、ここにはアロイスの目しかない」

「い、いいえ。お気持ちは嬉しゅうございますが……」

 さすがに国王の前でカレルと並んで座るわけにはいかない。今宵の会食に招かれた立場だとしても、先方の反応を見るまでは近侍としての領分を踏み越えるつもりはなかった。

 それに、ここにはヘルベルトもいる。

「殿下はご存知でしょう、陛下の近侍はわたくしの大叔父でございます」

 ひざまずいたマリエが小声で告げると、カレルは笑って首肯した。

「無論知っている。そういえばあの堅苦しさは少し似ているようだ」

 どうやらヘルベルトも、マリエの一族らしい性質の男であるらしい。

「だが……ミランがああなるのは想像しがたいな」

 カレルはそこで首を捻り、

「お前の弟は真面目だが、堅苦しさはないな。どちらの親譲りだ?」

 と尋ねてきた。

 マリエの両親はどちらも生真面目だが、どちらかと言えばハナの方が厳格だ。それは母親としての子育てよりも、子を城に上げる為の教育の意味合いの方が強かったのだろう。マリエにとっても厳しい母だったが、その優しさを知らぬわけでもなかった。

 そしてマリエの父親は寡黙な男だった。子供に対しても言葉は少なかったが、母親に叱られ涙するマリエを慰めるだけの優しさがあった。両親の思い出はそれほど多くはないが、思い返してみれば役割分担ができていた夫婦だった。

 果たしてミランはどちらに似たのだろう。

「もしかすれば、あの子は少々特別なのかもしれません。見た目はともかく、性格は父にも母にも似ておりませんから」

 マリエがそう答えると、カレルは得心したような顔になる。

「なるほど、あれは特別か。お前にも似ておらぬなと思っていたところだ」

「僭越ながら、わたくしよりも出来のよい弟でございます」

「お前も十分よい近侍だがな。ミランに関しては、将来が実に楽しみだ」

 そこで青い目を細めたカレルが、傍らのマリエに囁き返す。

「だが参考にはならぬな。お前の両親に会う時の演習をしようと思っていたのだが」

 その言葉にマリエが目を瞬かせれば、

「むしろ、ヘルベルトの方が参考になりそうだ。今宵は彼奴にも声をかけてみようか」

 カレルは朗らかに続けて、それから不敵に微笑んだ。

 マリエが返答に迷い、目を白黒させた時だ。

 遠くから近づいてくる足音が聞こえ、真っ先にアロイスが姿勢を正した。


 程なくして扉が開き、入室してきたのはヘルベルトだった。

 彼は戸口の脇でひざまずき、後から入ってくる人物を恭しく迎える。

 そして姿を現した国王フランツは、厳つい顔に微かな、本当に微かな笑みを浮かべた。

「揃っているな。待たせていたなら済まなかった」

 髪の色も顔つきもカレルとは似ていない国王だが、発した柔らかな声は、王子殿下によく似ていた。

 普段、マリエに語りかけてくる時の、親しげで気安いカレルの声と似ている――少なくともマリエはそう思った。

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