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懸想する殿下の溜息  作者: 森崎緩
近衛隊長の溜息
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やさしいせかい

 アロイスが不承不承覚悟を決めると、事は恐ろしいほど澱みなく進んだ。


 マリエがルドミラに手紙を送り、約束通りに城の書庫に案内することを伝えると、ルドミラ嬢は二つ返事でその誘いを受けたそうだ。そして数日後にいそいそと城までやって来た。お茶の時間を待たず、午後になってすぐの来訪には、歴史書に耽溺したいという意気込みの程が感じられた。

 本日のルドミラは身動きしやすそうな薄手綿のドレスをまとっていた。白糸で刺繍が施された当世流行のドレスだが、袖や肩口のひだ飾りは少なめで、本棚の高いところだろうと積み上げた本だろうと敵ではないという気概が窺える。結い上げた栗色の髪はルドミラを高潔かつ勝気に見せており、アロイスはその姿を見るや、覚悟がみるみる萎えていくのを感じた。


 一方のルドミラも、カレルの居室のただならぬ雰囲気を察したようだ。

 室内をぐるりと見回し、普段は廊下で警護に当たる近衛隊長がいるのを見るや、困惑と不快感に眉を顰めた。

 そこへ素早くカレルが言葉をかける。

「よく来てくれた、ルドミラ嬢。本日は以前の約束を果たそうと思う」

「ええ……お招きくださってとてもうれしいですわ、殿下」

 ルドミラは礼儀正しく応じたが、アロイスの存在が引っかかるのか、ちらちらと突き刺さるような視線を向けてくる。ややもせず、遠慮がちに切り出してきた。

「ところで、殿下。その、近衛隊長殿がここにいるのはなぜですの?」

 口調からして酷く疑わしげだ。アロイスは無表情を装うのに苦労した。

「あの人をこのお部屋で見るのは、殿下が町へ行かれた日以来ですわね。どういう了見でございましょう、殿下」

 ルドミラの疑問に、カレルは至って明るく答える。

「本日はアロイスを帯同させ、書庫へ向かうつもりでいた。構わぬか」

 王子殿下にそう問われて、構うと答えられる人間がどれほどいるだろう。

「マリエではいけませんの? わたくしはそちらの方が気分がよいのですけれど」

 さしものルドミラも真正面から異を唱えることはせず、比較的穏やかに問い返す。

「マリエはいろいろと務めがあるのだ。例えば、あなたが読書を堪能している間に茶菓子を用意させる手はずとなっている」

 カレルに言われて、マリエがしずしずと一礼する。今日の彼女は普段通りを心がけてはいるらしいが、やや瞬きが多く、明らかに不審だった。

 自分より緊張してどうするのだと、アロイスは内心呆れている。

「それに、男手のあった方がよいとも思ったのだ。城の書庫はなかなかに広く、本も分厚いものばかりと来ている。ルドミラ嬢も必要とあらば、アロイスを存分に使ってやって欲しい」

 空々しいカレルの言葉に、ルドミラは無遠慮な視線をアロイスへと向けた。

 まさか睨み返すわけにもいかず、目のやり場に困ったアロイスは、思わず天井を仰いだ。


 しかし令嬢の困惑もやむを得まい。

 現在のアロイスは近衛兵の着る軽装鎧をまとい、肩からはマントを羽織り、鎧の胸元には隊長の章を付けている。もちろん帯剣もしていた。任に戻れと言われれば、すぐさま戻れる格好だった。

 本日の任務に際してカレルから服装の指示はなく、王子殿下の傍にいるのに丸腰というのもいかがなものかと考えたのだ。

 今になって思えば、客人に与える印象も考慮すべきだったのかもしれない。


 ルドミラは思案を巡らせた後、不安げに口を開いた。

「殿下。失礼とは存じますが、伺いますわね」

「どうかしたのか、ルドミラ嬢」

「よもや、わたくしを疑ってはいらっしゃいませんわね?」

 令嬢の問いを聞き、カレルは青い目を瞬かせる。

「疑うとはどういう意味だ」

「お城の書庫でわたくしが夢中になるあまり、何らかの狼藉を働くと思っておいでなのかと、不安になりましたの」

 勝気そうな表情をひらめかせて、ルドミラがアロイスを見遣る。

「わたくしが本をくすねたりはしないかとお思いになって、それであの近衛隊長殿を帯同させる気になったのではなくて? そうでなければわざわざ、隊長殿をお傍に置く理由なんてございませんでしょう?」

 もっともな言い分ではある。

 来客の目につくところへ武装した兵を置くのは、『あなたを怪しみ疑っている』と言外に匂わせているのと同じだ。まして友人と呼ぶべき相手の為に兵を用意しておくのも、十分に非礼ではあるだろう。いくら他の用途を説明してみせたとしてもだ。

 カレルの居室はいつ何時も、居心地のいいように誂えられていた。それは来客のある時も同様で、ルドミラを始めとする令嬢たちはこの応接間の優しい雰囲気を誉めそやしていた。花を飾り、床を磨き、新鮮な空気で満たされた室内に、このような無骨な近衛兵がいる。それはもう、ルドミラが気分を害するのも致し方ない。

 もっとも、アロイスに口を挟む気はさらさらない。自分が何を言ったところで、かの令嬢の神経を逆撫でするのはわかりきっている。この度のことだって、カレルが言うほど上手くいくとはさほども思っていなかった。

 ともあれルドミラの疑念に、カレルは心外そうに振る舞ってみせる。

「それは誤解だ。私があなたを疑うはずもない」

「ではどうして、隊長殿を一緒にと仰るのかしら」

 ルドミラは丁寧ながらも語気を強めて、畳み掛けるように追い詰めていく。

「わたくし、いつもと違うことをしていただくと非常に気になる質ですの。あのような格好の兵を置くくらいですから、何か心配事でもおありなのかと思ってしまいますわ」

「そんなことは……」

「どうしてかだけでもお答えくださいませんこと、殿下」

 かの令嬢は聡明だった。舌鋒鋭く責め立てなくとも、相手に口を割らせる術を心得ていた。

 かくしてカレルは答えに窮し、多少は迷ってみせたものの、結局あっさりと真実を明かした。

「実はこの度の招待には別の目的もあったのだ。すなわち、あなたとこのアロイスを、仲直りさせようと」

 十八の若者らしく、実に素直に答えてみせた。


 瞬間、アロイスは内心で激しく動揺した。

 それを言うか、と思った。

 懸想と煩悶の日々を過ごしたカレルからは、あどけなさや腕白坊主ぶりがすっかり影を潜めているように見えていたのだ。そんな王子の成長ぶりにアロイスは目を細め、ぼちぼち酒でも酌み交わそうかと考えていたほどだった。カレル殿下もいつまでも子供ではないのだと、感慨に耽る今日この頃でもあったのだが、今の発言を見ればまだ幼さは残っていたようだ。

 カレルは昔から素直な少年であり、それゆえに隠し事をするのが下手だった。そういうところもアロイスからすれば好ましくもあったし、微笑ましくもあった。しかし自らの身に降りかかる事態ともなれば、好ましいだの微笑ましいだのと悠長なことは言っていられない。

 気性の荒い猫の尻尾を踏みつけた後、逃げもせずわざわざ引っかかれに行ったようなものだ。


 気性の荒い猫――もとい、ルドミラもまた目を瞠った。

 虚を突かれたような表情は長持ちせず、やがて不本意そうなしかめっつらへと取って代わる。ふう、と呆れたように息を吐き、視線を走らせてカレルとマリエを見比べる。

 二人が揃って素直な、期待を込めた眼差しを返してきたのを見て取ると、やがて観念したようにアロイスを見た。

「仲直りですって?」

 疎ましげに言ったルドミラはゆっくりとかぶりを振る。

 そして、

「お言葉ですけど、わたくしと近衛隊長殿は仲違いをしているわけではございませんのよ。そもそも仲違いの出来るような間柄ですらありませんでしたもの。いつぞやの一件から、根底の考え方が違うとわかって、理解し合える相手ではないと感じた、それだけのことですの。殿下にお気遣いいただくようなことでは決してございませんわ」

 整然と、有無を言わさぬ調子で語った。

 これはもう駄目だろうとアロイスも胸裏で呟く。やはり仲直りなどという段階ではなかったのだ。この令嬢と自分とでは立場や身分のみならず、考え方すらまるで合致しないのだから――。

 そこで不意に、押し殺した笑い声が響いた。

 アロイスがぎょっとして視線を向ければ、ちょうどルドミラもそちらを見遣り、危うく目が合いかけた。お互いに逸らしたところで、双方の視線がカレルに留まる。カレルは笑いを堪えようと必死のようだったが、二人に見つかると諦めて、朗らかに笑った。

「いや、済まぬ」

 悪びれた様子もなく詫びた後、ルドミラに言い添える。

「実はな、ルドミラ嬢。あなたとまるで同じようなことを、このアロイスも先日申していたのだ。そもそも仲直りをするという状況ではないのだと――だがなかなかどうして、二人は意見が合うではないか」

 揶揄のつもりで言われたのなら怒りもするだろうが、カレルの物言いは純粋かつ素直で、二人の意見が図らずも合致していたことに喜びすら見せている。

 ルドミラは眉を顰めたものの、二の句が継げぬ様子だった。

「考え方が違うということはなかろう。むしろ易しくわかり合うことができそうだ。是非この機会に理解を深めて欲しい」

 ここぞとばかりにカレルは畳みかける。照れ笑いを浮かべ、尚も続けた。

「それに、いつぞやの一件は私に責がある。私のせいで二人が理解し合えぬと言うなら、いささか心苦しいことだ。ここは私の為とも思って譲ってはくれぬか、ルドミラ嬢」

 素直な懇願に、ルドミラの瞳がわかりやすく動揺した。

 彼女はやがて睫毛を伏せ、息をつきながら応じた。

「……殿下にそうおっしゃられては、お断りもできませんわね」

「ありがたい。感謝する」

 望む答えを得たカレルは、会心の笑みを浮かべた。

 そしてアロイスに視線を転じると、うきうきと促してくる。

「では早速だが、書庫へ向かうとしようか。――おおそうだ、その前に挨拶でもしてはどうだ、アロイス」

 そうは言われても、令嬢にあれだけ散々言われた後では、着飾った挨拶などする気にもなれない。

 しかし主の顔を汚すのも申し訳なく、アロイスは一礼の後でルドミラへと告げた。

「本日はよろしくお願いいたします、ご令嬢」

「ええ」

 ありとあらゆる負の感情を抑え込んだ面持ちで、令嬢は顎を引く。

 その言葉少なさが、かえって嵐の前触れを予見しているようだった。

「マリエ、後は頼んだ。茶菓子の用意をしておいてくれ」

「かしこまりました。いってらっしゃいませ、殿下、ルドミラ様」

 ただ一人、居室に残るマリエがお辞儀と共に三人を見送る。しんがりを務めたアロイスがちらと振り返った時、マリエは祈るような眼差しを向けてきた。

 そんな目をされても困る。


 居室とは違い、城の廊下には一種独特の物々しさがある。

 警護に就く近衛兵たちは、書庫へ向かう道程にも同行していた。部下たちの同情めいた視線を一身に浴びながら、アロイスはひたすら溜息をつく。

 カレルと並んで廊下を行くルドミラも、やや落ち着かぬ様子でいた。後に続く近衛兵を顧みることはなかったが、横顔からは緊張の色が顕著に窺えた。アロイスの目には、来る決戦に備えて理論武装を施しつつある戦士の面差しに映った。

 とてもではないが、優しい相手にも、易しい相手にも見えなかった。

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